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東北

8_02 弘南鉄道の旅 弥生遺跡とこみせ

<田んぼアート駅のシーズンオフはここから徒歩で>

弘南鉄道黒石線は、津軽地方の中心弘前から黒石までの私鉄です。弘前の南に延びることからの社名ですが、線路保守の関係か、列車の振動が気になって落ち着いて乗っていられませんでした。途中、無人駅田舎館(いなかだて)駅で下車して垂柳(たれやまぎ)遺跡を見学し、その後終点黒石で「こみせ」の町並みを歩いて来ました。

田舎館村/村は青森で一番小さい自治体ですが、米の反当り収穫量は日本トップクラスです。米作りの歴史は2100年前の弥生時代中期にまで遡ります。村内の垂柳遺跡から田の畔(あぜ)や当時の人たちの足跡、土器などが多数発掘されました。従来、日本海側の津軽の米作りは東海・関東から北漸したと考えられていましたが、遺跡からは北九州の土器が出土し、関東よりも早い時期に稲作がなされていたことが証明され、教科書が書き換えられました。

田舎館村埋蔵文化センターの展示室には、発掘された田んぼの露出展示がなされ、弥生時代の生活が感じ取れるようになっています。他に来館者がいないので、館長さんの淀みない説明を独占できました。館長さんの前職を聞いたところ長距離トラックのドライバーであったとのこと、子どものころから遺物の出土する環境で育ったから当然との答えでした。

世界遺跡に指定された縄文遺跡群に目が向きがちですが、東北の稲作の歴史を変えた垂柳遺跡は、現在の稲作文化にも繋がり、日本の古代遺跡の中でも屈指のものと言えます。

こみせ/弘南鉄道終点の城下町黒石では、屋根から伸びた庇(ひさし)の「こみせ」が歩道を覆い、雪や雨、強い日差しから歩行者を守っています。吹雪の時には柱の間に横板をはめ込み、風雪を防ぎます。新潟地方では雁木(がんぎ)と言われています。

アーケードは全国各地にあり、公道上に設けられるのが普通ですが、こみせは通りに面した商店の私有地で、課税対象になっているそうです。商家の心意気を感じます。

黒石は弘前藩の支藩でしたが、津軽平野南部の米どころで、本藩より豊かで、米穀商や呉服屋、酒屋が軒を並べ、南津軽の物資の集散地として栄えました。さばききれない米は、八甲田山の伏流水を使って酒となりました。こみせ通りには200年の歴史のある鳴海酒造が店を構え、向かい側には藩の御用商高橋家があり、屋敷内にはカフェができています。

こみせ通りは「重要伝統的建造物保存地区」と「日本の道100選」、さらに「美しい日本の歴史的風土100選」に指定されています。

しかし、黒石も例外でなく、郊外に大型商業施設が進出し、旧市内の空洞化が進んでいます。津軽の旅が弘前城の花見で終わるのでなく、弘南鉄道存続、さらにはこみせの町並み保存のためにも、黒石まで足を延ばしてください。

<こみせ通りの中心街:豪雪地帯なので太い柱が使われている>
<こみせ通りの中心街:豪雪地帯なので太い柱が使われている>

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