生活の基本 衣と食と住
杖のこと。子どもの頃には腰の曲がった年寄りが多かった。中には鋭角になるほどの頭部が前になっていた年寄りもいた。石が多く、しかも傾斜地の畑仕事のせいであったろう。今はポールといって、長さを調整できる高価な物もあるが、当時の「つえんぼ」は屋敷に生えている「竹んぼ」であった。
つえんぼ
杖棒
感情を表すことば
「つよい」の転訛したもので、「つえー」とも。「つおいなー。かなねよ(敵わないよ)」と負けを認める。弱いは「よわぇー」と言うが、この音の微妙な発音は文字では表記できない。
つおい
強い
子どもの世界と遊び
「捕まえることができる」という可能の動詞ではない。捕まえることそのものである。「がっこ(学校)帰ったらさがな(魚)つかめにいぐべ」と魚捕りの約束をする。五段活用と違って、エ段だけに活用する下一段活用になっている。魚ばかりでなく、周囲には昆虫や小鳥などがたくさんいたので、それぞれの習性を熟知し、「つかめる」ことは自然と上手になった。
つかめる
捕まえる
生活の基本 衣と食と住
衣服が破けたり薄切れしたところに布を当てて補強すること。継ぎ当ては標準語であるが、八溝では「つぎ」と言っていた。戦後のインフレ時代には給料が上がらないのに物価が急激に上がり、兼業農家の教員の家庭でも厳しい家計のやりくりであった。子ども服は生地そのものも丈夫でないうえに、人一倍行動が激しかったのでかぎ裂きも多く、ズボンは継ぎ当てが1か所だけでなかった。冬の足袋も「継ぎ」だらけだった。周囲の誰もが同じであったから、特に引け目を感じることはなかった。
つぎ
継ぎ
動物や植物との関わり
「すぎなんぼ」ともいう。「つくし」のことだが、成長した親のスギナは何と呼んだのだろうか。今はツクシを食用にしているが、当時は食べる習慣がなかった。何よりも畑に入り込むと駆除が大変で、畑作農家の大敵であった。土手焼きしても最初に顔を出すのは「つぎなんぼ」である。背丈の高い「つぎなんぼ」を切り離して、もう一度刺し直して、どこで継いでいるか当てる遊びもあった。
つぎなんぼ
生活の基本 衣と食と住
天ぷらと同じ意味。今でもそば屋のメニューに「付け揚げそば」と書いてある所がある。野菜に小麦粉の衣を付けるので「付け揚げ」となる。そば屋の天ぷら蕎麦にはエビが入っているが、八溝の「付け揚げ」には魚介は含まれない。旬の野菜の揚げ物である。
つけあげ
付け揚げ
生活の基本 衣と食と住
広く標準語として使われていた。ヒノキを薄く削った経木の先に硫黄が付けてあり、火種の熾(おき)に触れると発火した。虎の絵がかかれていた10センチ四方ほどの大箱のマッチはあったが、日頃はあまり使うことはなかった。家の中に種火があり、夜になると灰を被せておいて、朝になれば灰を除けて火吹竹で火を起こし、燃えやすい杉の葉などで火をふったけ、「つけぎ」で火を分けた。「つけぎ」もマッチも貴重品であった。物の返礼に使ったことから、「おつけぎ」の言葉だけは残ったが、「つけぎ」の意味が分からなくなった。
つけぎ
付木
冠婚葬祭と人々の繋がり
帳面に記録する。帳付け。香典を出すと帳場で記録する。香典を出した人は「つけてもらった」ことになる。香典だけでなく祝儀や見舞いも「付ける」から、広く香典や祝儀を出すことそのものを指すようになった。「こんだ(今度)の御祝儀はいぐら付くんだい」(今度の結婚式にはお祝いいくら包むの」と聞く。「そうさな、今日日(きょうび)は農協会館での振る舞いだがんな(そだな、最近は農協のホールでのお披露目だからな)」と、判断に困る。
つける
農家を支える日々のなりわい
「つける」は幅の広い意味を持つ言葉だ、その中で、「印形(いんぎょう:印鑑のこと)つける」と、押印限定で使った。「判子を押す」よりも改まった時に使い、常会の後の決まり事を了解したした証拠には 「印形付ける」と言っていたから、より古い言い方で あったと思われる。
つける
付ける
冠婚葬祭と人々の繋がり
責任回避のこと。語源は「つっかけ畚(もっこ)」。畚の「先棒」担当と後棒担当が、それぞれ役割の責任転嫁をすることであろうか。隣組の役などが回ると、お互いに「つっかけもち」をして、なかなか決まらない。みんな黙っていると、その雰囲気に負けて声を出すと、それを契機にみんなから推薦されてしまう。
つっかけもち
生活の基本 衣と食と住
鍋をカマドに掛けることで、車が追突するのではない。「突き」は、さまざまな場面で使われる接頭語で、意味を強める。10人家族の汁を煮る大鍋であったから、重くて大変であった。ただ、掛けるのでなく「つっかける」がふさわしい言葉である。
つっかける
突っ掛ける
子どもの世界と遊び
物を受け取らないというのではなく、言葉を「つっかえす」のである。素直に忠告を聞かずに言い訳ばかりしていると「なんせかんのせ(あれこれ)つっかえしばかし言って、すじょう(素直)じゃねんだから」と親や年寄りに叱られた。「へんかを返す」とも言ったが、古典的表現で、相手の歌に対して返答する「返歌」という貴族の言葉が狭い意味となって今日まで残っている言葉である。
つっか(けー)えし
突っ返し
感情を表すことば
突き返すことの音便で、さらに「返す」が転訛したもの。物を突き返すことでなく、言葉を突き返すことで、素直に返すのでなく、反抗的な態度での口答えである。「へんか」ともいう。注意されたのに「つっけし」をいうと「つっけしばーし言って」とさらに怒られる。「つっけし」いうのは生まれつきということはないから、育ちの中で身に付いてしまったのだろう。
つっけし
農家を支える日々のなりわい
通り越すことで、接頭語「突き」が付くので、ただ越すのではなく、障害物などを意識的に越すこと。「この土手つっこしていぐべ」と、言って近道をする。また、交差点も向こう側に「つっこし」ていくことになる。意味を強める「つっ」がさまざまな場面で使われる。
つっこす
突き越す
子どもの世界と遊び
交通事故ではない。ぶっ込みとも言う。金をつぎ込んで元が取れない状態。国の政策で、農協から金を借りて畜産を始めたが、飼料の値上がりと、大規模農家との競争に負け、借金だけが残り、担保の田畑をなくした人もいる。「つっこんでしまった」のである。小さな村落にも浮沈があり「びーだれ(没落)」てしまうこともある。
つっこみ
突っ込み
子どもの世界と遊び
魚を魚串に刺すこともあるし、足を切り株で「つっつぁす」こともある。子どもの世界でも、小刀や錐(きり)などを使っていたので、手を「つっつぁす」こともしばしばだった。いつもどこかを怪我していたような気がする。
つっつぁす
突き刺す
子どもの世界と遊び
「突き入る」が変化したもの。勢いよく水溜まりや川に中に入ってしまうこと。ひどい時には「便所場(べんじょうば)にも「つっぱいる」こともある。また、「1回起きたげんと、さみんでまだ蒲団につっぺちゃった(1度起きたが、寒いのでまた蒲団に入っちゃた)」ともいう。
つっぺる
地域を取り巻く様々な生活
藁つとのこと。納豆(なっと)を寝せる(発酵させる)時に入れる藁で作った入れ物。冬になると婆ちゃんが大豆を煮て藁苞に入れ、土に埋めて納豆を寝せた。藁に付いている自然の納豆菌で発酵し、人工的に菌を加えることはなかった。糸の引く納豆ではなかったが、藁の臭いと大豆の香りが残っているものは、後に買って食べた納豆とは味わいが違う。醤油だと糸引きが悪くなるので、塩で味付けをして、何十回もかき混ぜた。藁の香りがする懐かしい味である。
つとっこ
苞っこ
地域を取り巻く様々な生活
従来の丸麦に対して、扁平に押しつぶした麦のことで、押し麦と同じ。丸麦の場合は、米よりも煮えるまでに時間が掛るから、事前に麦だけを柔らかく「い(え)ます」必要があった。わざわざ竈で炊くのではなく、囲炉裏の脇に五徳に乗せて、時々かんまぜる(かき混ぜ)ながら、かたっつら(片方)だけでなく、全体に火が通るようにして事前に柔らく煮ておいた。その後、潰した押し麦が普及してきて、米と一緒に煮ることが出来るようになった。自家生産したした大麦をつぶし麦にするために精米所に頼んだり、専門の業者がマツダのオート三輪で巡回してきた。扁平な「つぶし麦」の真ん中には黒い線があり、これぞ麦飯であった。その後黒い線がない麦も出回るようになった。
つぶしむぎ
潰し麦
冠婚葬祭と人々の繋がり
落共同体の単位を言い、上坪とか中坪と地域名としても使っている。元来は奈良時代の条里制に始まり、行政の小さな集落単位を指したいた。「つぼ」よりもさらに小さな単位の班があり、班長さんが回覧板や言い継ぎの手配をする。最近は高齢化で班が維持できず、さらには班抜けする人もあるので、いくつかの班が統合されている。私が班の中で一番先に抜けて、過疎化の先駆けとなってしまった。
つぼ
坪
子どもの世界と遊び
下着を着けていない状態を言う。語源は不明である。子供のころはツボッコで寝ることもあったし、パンツなしでズボンはいてツボッコで学校に行ったこともあった。ツボッコという言葉が日常生活に生きていた。小学生までは「ふるちん」で川遊びをしていたが、その時にはツボッコとは言わずゴロと言っていた。ちなみに、登山でかんじきを履かず登山靴で直接雪の中を歩くことをツボアシと言っている。語源は同じであろう。
つぼ(っこ)
体の名称と病気やけが
「つむじ」のこと。「つむち」は「つむじ」の転訛。頭頂部に渦巻き状に毛が巻いていることから「つむち」、あるいは「つむじ」となったものであろう。竜巻を「つむじ風」というのと同じである。語末の「かり」は不明。子どもの頃は、他人の身体に強い関心を持ち、お互いに「右巻き」「左巻き」などつむじの巻き方を話題にしていた。
つむちかり
子どもの世界と遊び
「つよどし」とも聞こえた。早生まれのことで、1月1日から4月1日までをいう。「つゆ年生まれ」という言い方をしたことから、その期間を言うのかも知れない。私は1月生まれだから、「つゆどし生まれだがら、晩生(おく)なのはしゃね(しかたない)よ」とよく言われた。ただ、この「つゆどし」ということばが学制の出来た明治以降の言葉であるかどうか。もともと「つゆの間(わずかな間)」などのの意味があり、後に期間のようになったか。損な生まれ月とされるが、国際的には1月1日生まれを基準にするので、これからは「つゆどし」の時代になるかも知れない。
つゆどし
感情を表すことば
露を「つよ」と言っていた。お汁も「おつよ」であった。秋口は露が多くなり、草丈も伸びているので、草が道の真ん中まで垂れ下がってくるので、朝の登校時には腰まで濡れることもある。「つよっぺな」と世迷い言(よめごと)していた。脱いで干すことはなく、着たままで乾かす「着干し」であった。
つよっぽい
露っぽい
農家を支える日々のなりわい
「つるつる」の転。雪の朝など道路が凍っていると「道がつるんつるんだがら、きょーつげでいげや(道がつるつるしているから、気をつけていきなさい)」と注意される。さらに、肌がつるつるすることにも使う。
つるんつるん
感情を表すことば
「つん」は「突き」の転訛で、「つん抜ける」、「つんのめす」など、さまざまな語に付く接頭語で、意味を強める。「つんだす」は、単に出すことよりも、勢いよく差し出すことになる。
つんだす
突き出す
農家を支える日々のなりわい
貫通すること。「この道はおっとまりがな(この道は行き止まりかな)」と聞かれたら、「もこう(向こう)の部落までつんぬげでるよ」と答える。竹の節などを無くせば「つんぬける」ことになる。もやもやした心が晴れれば、ようやく気持ちが「つん抜けた」ことになる。
つんぬげる
突き抜ける
生活の基本 衣と食と住
風呂やかまどで、燃えさしの薪が落ちないよう中に押し入れたり、新たに燃し木をくべていくことを言う。「つん」は接頭語で意味を強める。「までる」は整理する意味。ここでは、新たな薪を補充することをいう。 五右衛門風呂は「つんまで」なくともいいが、桶に釜が付いている「ひょっとこ風呂」は焚き口が小さいので絶えず「つんまで」ていないと燃し木が落ちてしまう。太い薪の間に杉の小枝を入れながら効率よく火を燃すのは技術が必要であった。後々キャンプなどで大いに役立った。
つんまでる
冠婚葬祭と人々の繋がり
水に潜るのでなく、人目に付かないように身を潜めることである。かくれっこ(かくれんぼ)をしている時にお茶ぼら(茶の株)下に「つんむぐって」じっとしている。いたずらをして、怒られると、人のせいにしてみんなの中に「つんむぐって」知らない振りをする。上手に「つんむぐる」ことは子どもの頃からのトレーニングで身に付いたもので、今まで何とかやり過ごしてきた。
つんむぐる
つん潜る
体の名称と病気やけが
寒さで活気を失っている状態。冬の朝、縁側でじっと丸まって日向ぼっこしていると「そだにつーげでねで、そど(外)で遊べ」と追い立てられた。人ばかりではない。メジロも止まり木に止まったままじっとしていることも「つーげる」と言った。ニワトリなどが羽をふくらませてじっとしているている状態は「ぶーぶぐれる」である。
つーげる