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挚拶語 敬語 ぀なぐ蚀葉など

匕甚などの栌助詞の働きばかりでなく、文末に付けお終助詞的に意味を匷める働きをする。「今床先生がよその孊校にいぐんだず」ず蚀う時は、先生の転勀をいち早く知る立堎であったから、仲間に䌝えるたが、そればかりでなく、心の動揺を抑えがたく驚きの意味を衚珟する。「そうなんだず」ず、驚きの感情を衚すこずがしばしばあった。

ず

動物や怍物ずの関わり

トりモロコシのこず。「もろこし」は雑穀の名前で、唐黍ず曞く。「ずうぎみ」は「ずうきび」が転蚛した物であるが、いずれも䞭囜から䌝来したもので、名前が混同しおいる。今では猶詰などでい぀でも食べられるが、倏に収穫したトりモロコシは皮を剥いお぀を束ねお、軒䞋に提げお也燥しお保存食にした。冬になるず石臌いすすで挜いお粉にしたり、そのたた埡飯に入れお「かお飯」にしおお食べた。今のスむヌトコヌンでないから甘くはなかった。

ずうぎみ

蟲家を支える日々のなりわい

唐箕は暙準語である。今たで箕みで手䜜業の遞別から、唐箕の導入で䞀気に䜜業効率が䞊がった。手回しの翌を回転させ、重い物は手前の䞀番暋に、間あいなどは反察偎の二番暋に、藁屑などは穎から吹き出される。回転ず籟を萜ずす量の加枛は熟緎を芁す。唐箕の穎は勢いよく颚が吹き出すずころで、冬の空っ颚が狭い谷間を吹き䞊がっおくる我が集萜は、唐箕の穎ず蚀われ、特に寒かった。

ずうみのけ぀

唐箕の穎
動物や怍物ずの関わり

本来は怍物のセンブリを也燥させたものをいうが、怍物そのものを蚀う。祖母は、トりダクを採っおきお藁に挟んで軒䞋で也かし、土瓶に入れお飲んでいた。腹具合が悪い時に飲たされたが、苊いこずこの䞊ない。村立の孊校では予算䞍足を補うため、トりダク採りをし、教材費に圓おた。圓時は、日圓たりの良い山道にたくさん出おいた。孊校では、むナゎ取りもしたし、タケノコの皮を集めおいた。

ずうやく

圓薬
冠婚葬祭ず人々の繋がり

埌劻のこず。䞍仲で離瞁するよりも、出産埌の肥立ちが悪く、亡くなる人が倚かった。子育おや家事、さらには蟲䜜業のためにも埌劻はなくおはならない。前劻の子どもず同じ幎の連れ子ず䞀緒のこずもあった。倧切な存圚だから「到来様」ず敬語を぀けた。

ずうらいさた

到来様
䜓の名称ず病気やけが

共通語では他人を批刀したり問いただしたりする時に䜿い、さらには心の痛みに぀いお「気が咎める」ずもう。八溝地方では、怪我した埌に化膿するこずに限っお䜿った。「ふん螏み抜きした傷をずがめっちゃった」ず蚀った。山仕事の䞋刈りをしおいお、鎌で鋭く刈り払われた篠などを螏み抜くこずがよくあった。手圓も十分でなく「ずがめ」おしたい、治りが遅くなったこずもあった。銬がガラス欠けなどを螏んで足を「ずがめ」ないよう、泚意をしお、庭先にガラス欠けなどが無いようにきれいにしおいた。

ずがめる

咎める
冠婚葬祭ず人々の繋がり

土葬の際に棺桶の穎を掘るこず、あるいはその圹になった人。圓番が決たっおいたので、四人䞀組で墓地に行っお、仏様の骚が出ないような所に穎を掘る。これは組内の先茩がよく知っおいた。それでも骚が出おくるこずもあった。背䞈ほど掘ったろうか。葬儀の圓日は「六尺」ず蚀っお、棺桶担ぎも床掘りの仕事であった。土葬は、生ず死がほんの隣り合わせであったが、今は火葬になり、「床掘り」も芁らず、葬儀党䜓が業者任せになっお、集萜から離れた火葬堎に行くから、死が身近なものでなくなった。

ずこほり

床掘り
蟲家を支える日々のなりわい

畳が蒞けお腐るこず。蟲家で畳の郚屋は奥の二間で、その他は板の間であったから、畳替えをするずいうこずは滅倚にない。瞁の䞋も颚が吹き通るようになっおいたから湿気は少なかった。ただ、爺ちゃんが䞭気になっお長く䌏せっおいるず、䞋しものお挏らしなどで畳が「ずこげっお」したうこずになる。葬匏は自宅でやったから、畳屋が入ったなどず噂されれば、葬匏が近くなったこずを知るこずになる。

ずごげる

冠婚葬祭ず人々の繋がり

枡䞖人ず蚀えば、賭け事などを仕事ずしおいる人を指す。䞀般に枡䞖は生業のこずを指すが、圓地方の幎寄りは、真面目ずいう意味で䜿った。タバコの葉を熚す倜割りの時に、眠くお少しでも手を抜くず、婆ちゃんから「ずせいにしなくちゃ真剣にしないず」ず怒られた。由緒のある蚀葉であるが、今は党く䜿われない。

ずせい

æž¡äž–
蟲家を支える日々のなりわい

「ずっけし取る」ず䜿うこずで、物や金銭ばかりでなく、心理面を含めお、損しおいたものを元に戻す意味になる。「い぀も嚁匵られおっから、今日はずっけし取っおやった」ず日ごろ我慢しおいた鬱憀を晎らすこずもある。

ずっけし

取り返し
子どもの䞖界ず遊び

奪い合い。お互いに取り返えそうずするこず。広蟞苑に、「こ」は「かくれっこかくれんが」などず同じで、接尟語ずしお「お互い」にずいうような意味ずある。兄匟が「ずっけしっこ」するこずの原因は食べ物のこずが倚かった。

ずっけしっこ

取り返しっこ
子どもの䞖界ず遊び

お互いの物を取り替えあうこず。「ずりかえっこ」は暙準語であるが、転蚛しお「ずっけっこ」になった。同じ絵のぱヌめんこがある時は、友だちず融通しあっお別な絵のものず等䟡亀換をする。䞊玚生から無理に「ずっけっこ」させられたが、これは本来の「ずっけっこ」ではない。

ずっけっこ

取り替えっこ
蟲家を支える日々のなりわい

远い越すこずの意味でも䜿い、通り過ぎるこずにも䜿う。背比べをしお「俺の方が背䌞びお、ずっこしたぞ俺の方が背が䌞びお、远い越したぞ」ずいう。さらに、「しんねうじに、信号ずっこしっちゃ知らない内に、信号を通り過ぎおしたった」ず、今でも䜿っおいる。

ずっこす

生掻の基本 衣ず食ず䜏

戞倖のこず。「倩気がいいがら、家ん䞭ばっかりでなぐ、倖端で遊べ」ず蚀われる。寒い時は囲炉裏っ端でマンガなどをゎロゎロしながら読んでいるず「子どもは颚の子」ずばあちゃんにおっ飛ばされる。

ずは

倖端
生掻の基本 衣ず食ず䜏

戞倖ぞの出入り口が「倖端っ口」である。家の䞭に銬屋があったから、銬も出入りするので、正面には幅が間ほどの倧戞を開け閉めをした。戞車でなく敷居を滑らすので、子どもではなかなか開閉が出来なかった。普段家族が出入りする時は倧戞の䞭にはめ蟌たれおいた半間センチの小さな朜り戞を䜿った。「倖端っ口」は家の出入り口だなくお、広く物事の端緒の意味でも䜿い、「ただただ倖端っ口だよ」ず蚀えば、仕事が終わるのはただただ先のこずである。

ずばっくち

倖端っ口
蟲家を支える日々のなりわい

「ずや」はもずもず鳥を飌う小屋で鳥屋」のこずである。それが、野鳥を捕獲する小屋ずなり、その堎所から山の頂䞊ずか尟根を指す蚀葉ずなった。山頂には矀れをなしお枡りをする小鳥を捕獲するための鳥屋を造った。冬の谷間の倕暮れは早く、孊校が終わる時間には倕日が「ずやっぺ鳥屋っ蟺」ペだけを照らし、早々に沈んでしたう。子ども心に寂しさが募った。山の䞊の方にある家の屋号は「ずや」であった。

ずやっぺ

鳥屋っぺ
生掻の基本 衣ず食ず䜏

我が家は、小さな扇状地の扇端にあったので、湧き氎が出お、飲み氎は孟宗竹の節を抜いた「ずよ」で匕いおいた。氎はそのたた泉氎に流れ萜ちた。泉氎では釜を掗い鍋を掗った。釜に付いた残飯は鯉の逌になった。雚が降っおも濁るこずはなかった。「ずよ」が腐るず取り替える手間が必芁であったが、今は塩ビ管を䌏せおあるので亀換する手間も芁らず、盞倉わらず音を立おながら流れおいる。よく考えるず䞀番恵たれおいたのである。八溝の名氎ずしお倚くの人が汲みに来る氎ず同じ氎系の氎を今も飲める。

ずよ

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子どもの䞖界ず遊び

ニワトリ小屋のこずではない。小正月の鳥远い行事に建おる小屋のこず。今の鳥远い行事はどんど焌きで燃やすこずだけの目的で䜜られるが、もずもずは子どもたちが集たっお甘酒や豚汁などを沞かしお各戞に配り、お金をもらうための小屋であった。田んがが少ない畑地であったから、田所で行われた「がヌじが」はやらなかった。

ずりごや

鳥小屋
子どもの䞖界ず遊び

小鳥、特にメゞロを捕るための物。暙準語である。町で飌うこずは出来たが、小麊で自家補の鳥もちを䜜った。小麊が熟する出来秋の梅雚時に、小麊の穂をしごいお手の平で芒「のげ」ずいったを揉み萜ずしお、ガムのようにかんで粘りを出した。この間にどのような工皋があったかは芚えおいない。鳥もちは、母芪の䜿ったマダムゞュゞュずいう瓶には油があっお貌り付かないので奜適であった。

ずりもち

鳥もち
感情を衚すこずば

行動が鈍いこず。叀く叀兞にも出おくる蚀葉で、ゆっくりしおいる様であるずいう。ゆっくりがさらに鈍重なずいう意味になり、「ずろずろしおんじゃねヌのろのろしおんじゃない」ず蚀われる。珟代語ず同じく、食べ物など溶けお原状がわからなくなっおいる状態も「ずろずろ」である。

ずろずろ

生掻の基本 衣ず食ず䜏

䞀床炊いた埡飯をお粥状にしたこずに由来する。「ずろたし」の語源は、食べ物がずろずろになる「ずろむ」であろう。颚邪を匕くなど䜓調が悪くなるず「ずろたし」を䜜っおもらった。䞀人のためにわざわざお粥を焚くのではなく、十分に氎に挬けた埡飯をゆっくり煮盎したものをいう。衚面には薄い糊の皮膜がかかっおいお、砂糖を加えたネギ味噌で食べるず栌別であった。

ずろたし

蟲家を支える日々のなりわい

暙準語の「眠くなる」などずは違い、溶けおぐじゃぐじゃになるこず。人よりも早くやろうずしお、ナス苗などを怍えたずころ、遅霜で溶けたように茶色くなるなっおしたうこずがある。「霜でずろんじゃった」ずいう。

ずろむ

動物や怍物ずの関わり

母銬を「おっかめ」ず蚀うのに察し、生たれお間もない子銬のを「ずんこめ」ずいう。圓幎は、その幎あるいは今幎の意味で、䞀歳銬は「ずうねっこ」である。動物党般の語尟に付けるメが加わり、トンコメずなったものである。銬は同じ屋根の䞋にいお家族同様であり、機械化される前たでは蟲耕には欠かせないものであった。銬頭の町で開かれる銬垂に「おっかめ母銬」ずずもに連れお行き、「ずんこめ」を競りに掛けた。子を取られた「おっかめ」は激しく抵抗し、「どうどうどう」ず手綱を絞られおいた。銬垂が終わり、二里の道を爺さたの牜く「おっかめ」の背にゆられお垰路に぀いた。家族ず䞀぀屋根に過ごした「ずんこめ」がいなくなず、急に寂しくなった。

ずんこめ

圓幎子め
感情を衚すこずば

予想しおいない悪いこずが起きた時の幅広い感情を含む。「父ちゃん入院したんだっお。ずんだこったねお気の毒なこずで」ずいう。たた、「よその子ども怪我させで、ずんだこった」ず䞍泚意を責められる。

ずんだこった

感情を衚すこずば

暙準語でも「通し」は、始めから終わりたでの意味があるが、八溝では「い぀も」の意味で䜿われる。「ずおヌしあそんでばヌしでい぀も遊んでばかりで」ず、非難の意味で䜿われ、「ずヌし勉匷しおいる」など、良い意味で䜿われない。

ずヌし

通し
感情を衚すこずば

「い぀も」の意味。誰も勉匷の習慣はなかったから、「ずヌど遊んでばかしで、ひずっ぀も勉匷しねんだがらい぀も遊んでばかりで、少しも勉匷しないんだから」ず蚀われおも、䞀人だけ勉匷しおいるわけにはいかない。「ずヌど」遊んでいたこずで、瀟䌚性が身に付き、生き物ずの関わりなど、生掻の知恵を孊ぶこずができた。「ずヌど勉匷ばかししおいる」今の子どもたちはどうなるだろうか。

ずヌど

生掻の基本 衣ず食ず䜏

家の䞭にある障子や襖は「開け」たり「閉め」たりしたのに、雚戞は「立おる」ず蚀った。倕方になるず「ずんが立おろ」ずせかされた。朝には枚ほどになる雚戞を戞袋に収玍するために䜕床も埀埩するこずになる。枚枚䞁寧に入れないず最埌の枚が入らなくなっおしたう。雚戞の開け閉めは子䟛の倧事な仕事であった。 「ずんが」は戞臍ずほぞの転蚛で、平家物語にも「ずがそ」ず出おくる。叀くは戞は䞊げ䞋ろしするものもあり、さらには商家などでは取り倖しお間口が広く䜿えるようにした。「ずんがを立おる」のは、雚戞を付けたり倖したりした叀い時代の名残である。今はレヌルだが、子どもの頃の敷居には薄い竹が敷かれおいた。戞車がなかったから、持ち䞊げるようにしお戞を匕いた。

ずんがたおる

戞臍立おる
冠婚葬祭ず人々の繋がり

土台を固めるため、センチほどの長さにした重い䞞倪に本の柄を付け、二人で持ち䞊げおは勢いよく地面を突き固める䜜業をいう。砂利を入れお固めたずころに自然石の土台石を据えお、束぀かを建おる。コンクリヌトで土台を固めるのでなく、もっぱら自然石が土台に䜿われた。その際「胎突き」は䞍可欠である。今ぱアヌハンマヌなど機械が転圧をしくれるので、胎突きは死語ずなった。

どう぀き

胎突き
地域を取り巻く様々な生掻

寝冷えを防ぐ腹巻きではない。巡回しおくる銬買いの博劎ばくろうが腹に巻いおいたもので、珟金が入っおいるもののこず。ふうおんの寅次郎がしおいるものず同じである。田舎では倚額の珟金を目にするのは煙草の玍付の時ぐらいであったから、博劎に珟金を芋せられれば誰でも心が動く。蟲家の人たちの匱みを握っお、ずんこめ圓幎の銬子銬を蚀い倀で買っおいった。珟金が芋える胎巻きは博劎にずっお䞍可欠なものであった。

どうたき

胎巻き
子どもの䞖界ず遊び

魚を獲るために、むゎ正しくぱゎの実やサンショりの実を煮出した汁を、川に流すこず。藁に入れお脚で揉んだので「毒揉み」になった。必ずしも効果的な持法ではなかった。

どくもみ

毒揉み
蟲家を支える日々のなりわい

倧きな声を出しお怒るこずで、共通語の「怒鳎る」よりも怒気の皋床がはなはだしい状態である。単に倧きな声を出すこずであれば「じなる」ず蚀うが、「じなる」に意味を匷める「ど」が付いおものかも知れない。集䞭力がなく、頌たれた仕事も盎ぐに飜きおしたっお「どしなられ」たこずもあった。

どしなる

生掻の基本 衣ず食ず䜏

「地べた」に接頭語が付いお転蚛したものであろう。ムシロやゎザなどを敷かない地面そのものを蚀う。地面に盎接座っおいるず「どじっぺらに座っお、ズボン汚れっちゃべ地べたに座っおズボンが汚れおしたうだろ」ず叱られた。今も若者たちは「どじっぺら」にすぐ座る。しかし、アスファルトだから、汚れるこずはない。なお、「地べた」は土地そのものを指し、「建物を地べたごず売った」ずいう蚀い方をする。この時は「どじっぺら」ずは蚀わない。

どじっぺら

ど地っぺら
子どもの䞖界ず遊び

冬になるず泥鰌が氎尻みなじりの泥の䞭でじっずしおいる。サブロスコップで掘り返えし、棒のようになっおいるドゞョりを匕き出す。ただ蟲薬を䜿う前であったし、也田に改良する前であったから、バケツいっぱい獲れた。倪くお骚っぜいものもいたが、枩かい泥鰌汁は自然からの莈り物であった。

どじょっぜり

泥鰌掘り
蟲家を支える日々のなりわい

土足のたた囲炉裏に入るこず。囲炉裏は家によっお造りが違い、板の間から炉を切っお、炉瞁を四角に回したものだず「どだっぱいり」が出来ず、長靎や草履を脱がなくおはならない。朚尻暪座の正面がなく、長靎などそのたたで囲炉裏に圓たれるようにしたものがあった。土足のたた螏ん蟌むこずを「どだっぱいり」ず蚀った。正面の暪座はじいちゃんがあぐらをかいお、煙いのを我慢しながら座っおいた。

どだっぱいり

どだっ入り
冠婚葬祭ず人々の繋がり

本来は富山の売薬を「毒消屋」ず蚀うのだろうが、八溝に来たのは富山ず奈良の売薬さんで、どちらも「毒消屋」であった。背䞭には数段になっおいる柳行李を背負い、各戞を回り、薬箱を点怜し、䜿ったものを補充しお粟算をする「先甚埌利」ずいう仕組みである。お土産の玙颚船などをもらうのが楜しみであった。背䞭に荷物を背負っおいるので、歩く際に手を䞡脇に振るこずが特城で、子どもたちも、手を暪に振る歩き方を真䌌た。薬品名の「ナむツ」、「ノヌシン」、「ケロリン」、「ムヒ」などのネヌミングも印象的で、床で芚えられた。空き家には薬箱が぀残っおいる。その内の䞀぀は奈良県の薬屋のもので、「陀矅尌助」ず曞いおある。倧峰山の修隓者の流れを汲むものであろう。今も日垰り枩泉には「ケロリン桶」が眮いおある。

どっけしや

毒消屋
挚拶語 敬語 ぀なぐ蚀葉など

「どっちみち」のこず。今は「どっちみっち」ずもいう。「早ぐやったからっお、どっちし同じこったから」ず急がない。この蚀葉も、若い人たちには通甚しない死語になり぀぀ある。

どっちし

䜓の名称ず病気やけが

暙準語で「どお腹」は腹のこずの蔑称ずある。ただ、八溝では、蔑みの意味は持たず、「どで腹䞀杯食いなせよ」ず蚀っお勧める。たた、自分の腹郚を匷打した時「どでっぱら思いっきりぶっ぀けちゃった」ずいう。音の「はら」では萜ち着かない。

どではら どでっぱら

動物や怍物ずの関わり

広蟞苑には「栃朚・矀銬県などで桑の実のこず」ずある。桑を土手の厩れを防ぐ土留めにしたからず蚀うが、刀然ずしない。逊蚕に䜿う桑は根刈りされおしたうので、桑の実がなるのは土手や河原などに自生しおいた山桑が倚い。桑の実を食べるず口や摘んだ手がドドメ色に染たった。桑の実が食べられるころ、氎济びをし過ぎおすっかり䜓が冷え切り、唇がドドメ色になっおしたった。倕焌け小焌けの歌にあるような桑の実を蚕籠こかごに摘むような情緒はなかった。

どどめ

動物や怍物ずの関わり

ミミズの䞭でも倪くお倧きいもので、特に皮類ずしお区別しおいるのではない。特に倧きなミミズを指した。ごみ山をほっくり返し、ぬるぬるする倪いのをバケツに取っお来た。倕方に仕掛ける䞋げ針でりナギを捕るのに最適である。今は逊殖もあるずいう。

どばめめず

土堎蚯蚓
蟲家を支える日々のなりわい

どぶの匂いがするこず。どぶを「どべ」ず蚀っおいた。䞋氎もしっかりしおいなくお、すべお垂れ流しであったから、梅雚の時期になるず「どべくさく」なる。田んがも湿田であったから、氎の流れが悪いずころは、「どべ」の匂いがした。

どべくせヌ

泥臭い
動物や怍物ずの関わり

零䜙子むかごのこずである。オニナリなどにも出来るが、特に山芋のむかごを指した。秋になっお葉が黄色くなるず、どんごが䞞く倧きくなるので、蔓から採っおざるに入れお持ち垰った。茹でお食べるこずもあったし、米に混ぜお食べるこずもあった。いずれも皮はむかなかったが、食べるのに邪魔にはならなかった。芋のようなほくほくした食感があった。食糧事情が乏しい時代の食べ物ず思っおいたら、最近は様々なレシピも出おいる。

どんご

零䜙子
䜓の名称ず病気やけが

盆の窪の蚛り。盆の窪は銖の埌ろのやや扁平なずころ。䞞い盆に芋立おおの呜名か。今の若い人たちは「どんのくが」そのものを䜿わず、「銖の埌ろ」ずいう。膝の埌ろの「ひかがみ」もすっかり消えおしたった䜓の郚䜍である。熱が出るずゎム補の氎枕で「どんのっくが」を冷やした。今はアむスノンである。

どんのっくが

動物や怍物ずの関わり

「ばばすこ」ずも蚀った。正しくは「シマドゞョり」ず蚀うそうである。ドゞョりのように倧きくならず、枅氎の湧く砂地に棲んいた。小さいからか、「どんばらすっこ」は、子どもたちの捕獲の察象にはならなかった。同じようなずころに棲んでいるスナサビはりケで獲っお卵ずじにしたが、「どんばらすっこ」は食べたこずがない。

どんばらすっこ

子どもの䞖界ず遊び

ブランコのこず。ブランコの語源は諞説あっお䞍明である。今はすっかりブランコになったが、子どものころはもっぱら「どうらんが」であった。ぎっこんばったんは、遊具ずしお英語のシヌ゜ヌになったのに、ブランコはsingにならず、ブランコのたたである。「どうらんが」を知っおいる䞖代は間もなくいなくなる。

どヌらんが

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