生活の基本 衣と食と住
引き上げうどんのことで、一般に釜揚げうどんと言われている。茹でてから水で晒さず、そのまま食べるもの。原料の小麦粉は近くの精米所に頼み、挽き賃は小麦から差し引いた。婆ちゃんは、捏ね鉢の中の小麦粉に水を加え、程良い大きさのうどんの玉にして、厚い和紙を載せ、孫に踏ませるのであった。家族が揃った頃合いを見て、お湯がぐらぐらしている羽釜(鍔付の釜)に入れ、ゆであがるのを待って竹製の「しょうぎ」で引き上げ、けんちん汁に入れて食べた。婆ちゃんが打つうどんは硬い上に幅広であったので、麺類が苦手であったから「けっくけっく」して喉が通らなかった。時には食った振りをしてふて寝をしてしまった。
ひきあげ
引き上げ
冠婚葬祭と人々の繋がり
「引き出物」は標準語。祝儀や不祝儀の時の返礼品のこと。時代とともに内容が変わった。葬式の引き物は焼き饅頭に白砂糖の「太白」が定番であった。人の不幸とは別に、自家製の馬糞饅頭(まぐそまんじゅう)と違って、焼き饅頭と言われる楕円形の「葬式饅頭」は、滅多にない本物の饅頭であった。ところが、40年以降、テレビが普及も相俟って、植木等の「何であるアイデアル」のコマーシャルで人気となった折りたたみ傘が引物として流行した。文字どおり「アイデアル」であった。今は軽い海苔などのセットになり、結婚式の引物は商品サンプルの冊子になってしまった。鯛の形をした塩竃に餡の入ったものが懐かしい。引き物を振り返ると、戦後の世相ががよく分かる。
ひきもの
引き出物
冠婚葬祭と人々の繋がり
もともと信書を持って急送する職業の飛脚から来た言葉であるが、組内では、葬式が出来ると、亡くなった人の近親者に葬儀の日程などを知らせる役割を「ひきゃく」と言っていた。二人が組になって自転車に乗り、先方に出向いて行く。峠を越えて一日がかりで行くこともあった。「ひきゃく」を迎える側では、酒肴を振る舞ってもてなすことになっていた。「ひきゃく」が来た家ではさらに枝分かれした近くの親戚に触れを回した。「ひきゃく」に行けない遠方には郵便局から電報で沙汰をした。今は電話やメールで済まし、テレビのお悔やみ番組で確認している。
ひきゃく
飛脚
農家を支える日々のなりわい
蒲団は「ひく」であった。標準語の「しく」とならず、転訛して「すく」になったり、さらに耳慣れた「引く」という動詞に転訛したのであろうか。蒲団は「ひく」ものだと思っていた。「しく」という動詞は、どういう動作にも使うことがない単語である。
ひく
引く
子どもの世界と遊び
方言ではない。小刀を作るメーカーの商品名である。携帯用の小刀で鞘が付いていたので、学校にも携行した。鉛筆削りはもちろん、いたずらで机の天板に切り込みをして、ひどく叱られたこともあった。竹籤(たけひご)を作り、あるいはパチンコの木の枝を細工するなど、子どもたちの間では不可欠な道具であった。ポケットに入れて持ち歩いても咎(とが)められることはなかった。男の子たちにとって必需品であった。今も同じ名前で、ホームセンターなどで売られている。
ひごのかみ
肥後守り
体の名称と病気やけが
「膝株」で、膝頭を言う。「肘っこぎ」、「首ったま」、「脛っぱぎ」など、標準語の体の部位に接尾語風にさまざまな語が付いた。「膝っ株」もその一つで、「かぶ」は「かぶら」の意味で、脹れている部分を指すかもしれない。当時の子どもたちは、遊びが乱暴であったから「膝っ株」に大けがを負うこともしばしばであった。今も当時の勲章として怪我の跡がはっきりと残っている。
ひざっかぶ
膝っかぶ
子どもの世界と遊び
広辞苑には、押しつぶす、勢いを止めるとある。「ひしぎ」は、夏の闇夜に、川の縁の草に隠れている魚を手で強く潰すようにして捕まえること。手をしばらく川に浸し、水温と手の温度を同じくすると、魚は人の手と感じないので、少しずつ両手の間に誘導して一気に押しつぶす。草むらにはホタルが光を点滅させ、時には蛇が慌てて川を泳いで逃げって行った。魚はあまり上手には獲れなかった。
ひしぎ
農家を支える日々のなりわい
「へして」と発音する。「日一日」のことで、一日中の意味。夜は「よっぴてー」である。夏になると、農家では朝草刈りから始まって、日の長い夕方まで、「ひして」働き通しであった。一方で子どもたちは「ひして遊んでばっかりで、勉強しねんだがら」と、一日中遊んでいるとよめごと(世迷い言)される。「ひして」遊んでいて、勉強はしなかったから、町場の人子たちとの学力差は大きかった。それでも豊かな感受性を身に付けることが出来た。
ひして
体の名称と病気やけが
肘のこと。膝が「膝っかぶ」となり、首は「首っ玉」のように、2音では安定しないので、接尾語風に付け加えたものか。能力以上に人に認めて欲しくて、学校の跳び箱の時に「ひじっこぎ」をひっこぎり(捻挫)、村の接骨師に治療してもらった。その後遺症で「ひじっこぎ」がやや変形している。
ひじっこぎ
肘っこぎ
地域を取り巻く様々な生活
「空(す)く」は腹が空くなどと同じで、空間が出来ること。水を張ってない桶は、板が乾燥して、間に隙間が出来てしまう。「1年使わながったら、桶がひすきっちゃた」ということになり、もう一度水を張り直し、少しずつ「すき」を無くしていく。今は日常的に木製の桶や樽を使う生活が無くなり、「すきる」という言葉も不要になった。納屋の2階には「ひすき」たうえに、箍(たが)の外れた桶が残っている。
ひすきる
農家を支える日々のなりわい
標準語には浸すの意味はないが「おひたし」は汁などに浸した料理であることから、「ひたす」が「ひやす」に転訛したとも考えられる。「御飯茶碗水にひやしとけ(浸しておけ)」と言われ、流しのボールに入れておいた。普段に使っていた。
ひたす
体の名称と病気やけが
左利きのことで、「ぎっちょ」ともいう。肘のことを「ひじっこぎ」と言っていたから、「ひだりっこぎ」の「こぎ」と語源が通じるであろうか。巨人の川上選手が左利きであったから、野球少年はみんな左打ちの真似をした。中には、生まれつき「ひだりっこぎ」がいたので羨ましかった。ただ、学校には左利きのグローブがなかったので、右用を窮屈なまま利用していた。
ひだりっこぎ
子どもの世界と遊び
裏表が反対であること。ひっくり返っている状態。身体検査の日に、パンツを「ひっくりがえっちょ」のまま履いていって恥をかいたことがある。今でも脱ぎっぱなしにして、下着が「ひっくりがえっちょ」になっていることは日常である。年を取って、さらに面倒臭くなり、構わずにそのまま着ることもある。「ひっくりがえっちょ」に着ていると、婆ちゃんに「死んだ人と同じだ」と言われたが、間もなく「ひっくりがえっちょ」に着せられることになる。
ひっくりがえっちょ
体の名称と病気やけが
捻挫をすること。藁草履やゴム草履であったから足首を捻挫しやすかった。足首が紫色に地腫れすることも珍しくなかった。それでも、骨折や脱臼でなければ、「ひっこぎった」程度では診療所に行くことはなかった。藁草履や万年草履のお陰で足の指が鍛えられ、
ひっこぎる
地域を取り巻く様々な生活
強くしごくこと。「稲こき」は、脱穀機がない頃、千歯扱きなどで力を入れてもぎ取るように籾(もみ)を落とすことからが語源である。鳥かごを作る時の竹籤(たけひご)も、穴に通して力を入れて「ひっこい」て同じ太さに揃える(穴に通す道具は何と言ったか覚えていない)。「ひっこく」という行為が様々な場面で行われた。
ひっこく
引き扱く
感情を表すことば
広辞苑には「引き立つ」の音便形で「きわだつ」とある。八溝でも「見栄えがする」という意味で、「着るものが良いとひったつね」と使った。さらに、勢いよく持ち上がることに多用した。渡り廊下の簀(すのこ)の端を踏むと、反対側が勢いよく「ひったって」危ないことがあった。また、鋸で丸太を切るときには、「ひったねよに、よぐおさめておげ(持ち上がらないように、良く押さえておけ)」と指示された。今はあまり聞かない言葉になった。
ひったつ
引っ立つ
農家を支える日々のなりわい
「ひっつぁぐ」とも。「ひき裂く」、あるいは「引き破る」こと。帳面の間違いをゴム消し(消しゴム)で消している時に紙が破けると「ひっつぁぶけっちゃった」という。雑誌をページごと「ひっつぁぶいて」、良く揉んで便所紙にした。子どもの頃は普通に使っていたが、今は全く使わない。
ひっつぁぶく
冠婚葬祭と人々の繋がり
やや遠縁の血を引く親戚のこと。葬儀になると、今まで意識していなかった「死んだ爺ちゃんの姉様が嫁に行った家の息子だ」と思わぬ家が「引っ張り」であることを意識することになる。八溝では何と言っても血縁の「まけ」が人の繋がりの基本で、一家の長は、古い香典帳を開きながら「引っ張り」に沙汰をし、不義理をしないようにしなければならない。最近は「ひっぱり」を意識する機会が少なくなった。
ひっぱり
生活の基本 衣と食と住
「ひで」は松ヤニの含まれている部分で、全国で使われていることばである。「ぼっこ」は木の根の部分をいい、「ひでぼっこ」は松の根を掘り起こしたものである。戦時中は松根油を精製していたほどだから、油脂分が多く含まれて、灯火代りとなった。30年代までは電力事情が悪く、しばしば停電したので、「ひでぼっこ」の備蓄は欠かせなかった。じじーと音を立て、燃える「ひでぼっこ」の薄暗い灯火で夕ご飯を食べることもしばしばだった。宿題をしないことの言い訳になったから、停電はうれしいこともあった。
ひでぼっこ
感情を表すことば
「ひどい目に会う」は方言ではない。「ひどい目」が「ひでぃめ」になった。語尾の「つく」は「あう」よりも強い語感がある。「風邪引いてひでめついちゃった(風邪を引いてひどい目にあっちゃった)」と世迷い言をすることがあった。
ひでめつく
酷い目つく
感情を表すことば
「ひどいものだ」が転訛した。物事が甚だしいことをいうが、良い意味では使わない。「ひでなー」よりも、「ひでもんだ」は不具合の程度が甚だしいことに広く使う。学校帰りの会話で、「今日のテストは出来たがや」と聞くと、友だちは「なんだってひでもんだよ(なんとも出来が悪くてひどいものだ)」と応える。ところが、言葉と裏腹に、実際は良い点を取っていることが多かった。
ひでもんだ
酷いものだ
動物や植物との関わり
マツバボタンのこと。「天気草」とも。漢字では松葉牡丹である。葉が針葉樹のようであり、花がボタンのようであることから命名。苗を植えるのではなく、昨年の秋にこぼれた種からの実生で増えた。周囲の草をむしっていないと、雑草に負けてしまう。花は長持ちし、日が射すと開き夕方には閉じた。「日照草」の名がぴったりである。
ひでりそう
日照草
農家を支える日々のなりわい
『広辞苑』に「片食」は1日2度の食事のうち1回の食事、さらに食事の度数を数える語とあい、いずれも江戸時代の例を掲載している。現在はほとんど死語になっている。八溝では「かたげ」と濁音化している。「今夜はうどんにすっから、朝はひとかたげだけ炊ぐべ」という。婆ちゃんは「今日は二食(にじき)でいいや」と言っていたので、食を「じき」という言い方がまだ残っていた。「二かたげ」とは言わなかったので、二食の内の「ひとかたげ」が問題であったのであろう。
ひとかたぎ
一片食
地域を取り巻く様々な生活
背中で背負う一回分の量。「一背」「二背」と言ったが、それ以上の数には使わなかったから、 数詞のようには使わなかったと思われる。せいぜい「二背」までであった。馬を飼う農家では朝露のあるうちの方が鎌が切れるので、朝飯前に「朝草一背も刈ってくっぺ」と飼葉刈りに出かけた。
ひとせ
一背
農家を支える日々のなりわい
「ひとしきり」が「ひとっきり」と促音化されたもので、「しばらくの間」という意味で使うが、その期間の程度はきわめて曖昧である。「ひとっきりは、ずいぶん息ぶいがよがったよ(ひと頃はずいぶん勢いがあったよ)」と、年をまたいでの期間を指す。また、隣の婆ちゃんが「ひっときり」お茶のみ話をして帰るのは、長くても3時間程度である。
ひとっきり
一頻り
感情を表すことば
「少しも」の意で、下に否定の語が呼応して、意味を強める。「ひとっつもやぐ(役)た(立)だねんだがら」と、無能さを指摘される。「ひとつも」よりも「ひとっつも」の方が強い意味を持つ。
ひとっつも
一っつも
生活の基本 衣と食と住
お箸一挟みのことで、「少しだけでも食べてください」と、相手に食べ物を勧める時に使う。「ひとっぱさみでもおわげよ(お箸一挟みのわずかでもお上がりください)」と使う。「お上がり」は「おあがり」でなく、「おわがり」となる。良い言葉だが、今は年寄りだけの言葉になってしまった。
ひとっぱさみ
一挟み
子どもの世界と遊び
人見知りをすること。本来「まめ」は、誠実であったり勤勉であることで「まめに働ぐね」使われる。しかし、「ひとまめ」は、初対面の人に対して強く人見知りすることである。初めての人が来ると泣き出す孫に「この子どもはひとまめしてしょうがねんだよ(この子は人見知りしてしょうがないんだよ)」という。普通に使っていたが、若い人たちには通じない言葉となった。
ひとまめ
人まめ
生活の基本 衣と食と住
「ひね」は穀物では昨年収穫したもののこと。ただ、人が「ひねる」という時には、老成している、悪く言えば、活気がないという意味で使う。農家では自家製の味噌や醤油を使っていたが、凶作に備えて、当年のものを使い切ってしまうことはない。2年も3年も前の味噌を使うのが普通である。新しいものに比べて黒みを帯びて、文字どおり熟成したもので、一段とコクがあった。ただ、新味噌のような香りはない。
ひねみそ
ひね味噌
生活の基本 衣と食と住
今は、ゴミを拾う時や、バーベキューの際に炭を挟んで火力の調整をしたりする時に使っている。火挟みは、幅が広いうえに、Uの字になっているから火を挟みやすかった。囲炉裏い置いてある火箸は鍛冶屋が作ったもので、手元の方がリングで繋がっていた。太い薪まで挟んで動かすから、太くて長いものであったが、子どもでは扱いきれなかった。やたらに火箸でを火を弄んでいると、「火箸いじっていると嫁いじりするようになるから(火箸をわすらしていると、嫁をいじるようになるから)」と婆ちゃんに言われた。その危惧は全く当たらなかった。
ひばさみ
火挟み
生活の基本 衣と食と住
勢いよく燃え上がった炎のこと。なかなか燃えないので、囲炉裏の中に杉っ葉を入れると、急に強く燃え出し、1間(約2メートル)ほども火が燃え上がって、灰が板の間一杯に散って真っ白になる。家族に気づかれる前に掃き出しておかなくてはならない。庭先で藁のゴミなどを燃やしている時も、自分ではどうにもならないほども「火ぼえ」が上がることがあった。子どもの頃から火を使うことが多かったから、火の扱いは上手である。
ひぼえ
生活の基本 衣と食と住
ひものこと。クモ:蜘蛛が「くぼ」に転訛することと同じ。さらに、小さいことや細いことに対して、親しみを込める「こ」をつけた。従って長い紐は「ひぼっこ」ではない。靴紐は「ひぼっこ」であり、半纏(はんてん)の前を結ぶのも「ひぼっこ」である。洋服でなかったので、ボタンが少なく、毎日「ひぼっこと」と格闘であったが、きれいな蝶結びが出来なくて、葬式の縦結びになってしまったり、解きにくい「くそ結び」になってしまった。
ひぼっこ
紐
体の名称と病気やけが
単に「むろ」とも言った。辞書的な意味での氷を保存する場所ではない。土壁でできていた味噌部屋のことを言った。一般的な氷室と同様、夏の温度を上げないため建物であったことから「ひむろ」の名前となったのであろう。土壁であったことから雨が吹き付ければ土が剥げ落ち中の縄が露出し、人が住まなくなって一番先に傷んだ建物で、今は跡形もない
ひむろ
氷室
動物や植物との関わり
もともと中国原産で、仏教とともに輸入されたため、寺院や墓地に植栽されていた。そのイメージから庭木にはされなかった。今は庭木となり、公園にも植栽されている。普通は、木肌がスベスベしているので「猿滑り」の名が付いた。長い期間紅色の花を付けていることから、漢字では「百日紅」と書く。「ひゃくにちこう」が訛って「ひゃくじっこ」となった。。我が家の墓地の四方に「ひゃくじっこ」の古木があり、毎年冬には徒長した枝を切り落とすことが習わしであった。サルスベリよりも格調ある漢名からの呼び方であり、「ひゃくじっこ」がふさわしい。
ひゃくじっこ
百日香
農家を支える日々のなりわい
冷たいこと。味噌汁が冷えてしまうと「ひゃっけな」というが、氷に触れば「ちみでー」と言い、「ひゃっけー」とは言わない。風が吹いて気温が下がれば「さみー(寒い)」で、やはり「ひゃっけ」とは言わない。「ひゃけー」と「ちみてー」では、「ちみでー」の方が温度が低い感覚がする。どう使い分けしていたのだろうか。「冷や奴」よりも「かき氷」の方が「ちみでー」感じがする。
ひゃっけ(ひゃっこい)
冷やっけ
感情を表すことば
「百もしない」の転訛した「ひゃもしない」がさらに「ひゃーもしない」となった。百は数の多いことに使われるが、「百もしない」は何の問題もないことの意味になり、さらに発展して「全く気にも掛けない」となった。「そだごといわれだってひゃもしねー(そんなここと言われたって、まったく気にしないよ)」という。良い場面では使わない。
ひゃーもしね
百もしない
地域を取り巻く様々な生活
八溝地区は烏山和紙の原料の楮(こうぞ)の供給地で、冬場における年寄りの現金収入であった。楮は畑に植えるのでなく、土手の斜面にあり、根刈りしても桑と同様一年ごとに伸びてくる。刈り取ったものを同じ長さに切って釜で茹で、柔らかくなった皮を木質部から外し、水に漬けておく。さらに白い繊維質から表皮の黒い部分をそぎ落とす。この作業を「ひょうひとり」と言った。風の当たらない日向で、小さな包丁を使って一枚一枚きれいにしていくことは根気の要る仕事であった。婆ちゃんの「ほまちかせぎ」である。今では烏山和紙の原料が、同じ八溝でも茨城県産になってしまっている。
ひょうひとり
表皮取り
子どもの世界と遊び
小便などが勢いよくはじけ出ること。立ち小便の時は、足許を汚さないようにして腰を思い切って前に出して「ひょごら」せなければならない。ポンプから勢いよく水が出てくることも「ひょうごる」で、ごく普通に使っていた言葉だが、今は聞かなくなった。
ひょごる
生活の基本 衣と食と住
「はじきいも」ともいう。サトイモの中で、小ぶりで丸いものをいう。煮物にもならないものを皮ごと煮たもので、ぬめりがあって皮がするりとむける。ぬめりがあっても大きいものには使わないことから、皮が1度でむける程度の大きさのものに限ったのであろう。砂糖味噌を着けたり、ゆず味噌でたべると特別の味がした。
ひょろいも
ひょろ芋
冠婚葬祭と人々の繋がり
高脚膳や箱膳に対して、脚のない黒漆で塗られた四角のお膳。祝儀や不祝儀の振る舞いに、一般の訪問客に用いた。上客は脚付きの高脚膳である。日常の家族が使っているのは箱膳であった。今は家で宴会をするときも座卓の上に仕出しの御馳走をパックのまま出すので、お膳は入らなくなった。ただ、そば屋などで今でも平膳に乗せて出してくれるお店がある。丼(どんぶり)だけでない心遣いがうれしい。
ひらぜん
平膳
地域を取り巻く様々な生活
古い標準語である。水が干からびること。「しばらぐ雨がふんねんで川の水が干ちゃったぞ(しばらく雨が降らないので、川の水が少なくなってしまったぞ)」ということになる。子どもにとっては、魚が1か所に集まるので、川遊びには好都合であった。ただ、畑も干上がり、葉がよれよれになってしまって、作物にも影響する。バケツで一畝ずつ水を掛けなけなければならないのは、畑作地の宿命であった。
ひる
干る
地域を取り巻く様々な生活
力を込めて引き出すこと。馬屋から馬を戸外に出す時には、手綱を引いて「ひん出す」という。轡(くつわ)を食わせ、勢いよく引っ張って出すので、接頭語「ひん」で意味を強める。「ひん」は、ひん曲げる、ひんむくなど様々な場面で使う。力仕事をする人たちにとっては大切な言葉である。
ひんだす
引き出す
農家を支える日々のなりわい
接頭語「ひん」を付けることで、太い針金など、曲げにくい物を力を強く加えて曲げること。竹や木の枝なども、その性質を良く理解して、使い勝手が良いように「ひん曲げる」のは遊びの原点である。一方で、本来曲がっては困るものものが曲がってしまうと、「ひん曲がちゃった」と自動詞として使う。人も環境によってはひんまがった性格になってしまうことがある。
ひんまげる
ひん曲げる
農家を支える日々のなりわい
「ひん」は「引く」の転訛で、意味を強める。今までの方向とは違った方向に向かせる。荷車を方向転換させるには、力を入れて「ひんまーす」ことが必要であった。トラックが村に入り始めた頃は、Uターンを「ひんまーる」と言っていた。荷物を積載すると、ハンドルが重く腰を浮かせながら全身で回していたから「ひんまーす」という言葉がふさわしかった。
ひんまーす
ひん回す
農家を支える日々のなりわい
「むくる」は、はがすの意味であるが、語頭に「ひん」が付けば意味が強くなる。「いつまでも寝でっと布団をひんむぐうちゃぞ」と、起きることを急かされる。人為でなく怪我で皮膚が「ひんむける」こともあるし、風で麦わら屋根が「ふんむける」こともある。「ひん」や「ふん」がさまざまな言葉について用いられた。
ひんむくる
地域を取り巻く様々な生活
「むしる」は方言ではない。強く引き抜くという意味で、さらに接頭語の働きの「ひん」を付けることで意味を強める。今は学校では校庭の除草作業と言い、また草取りという。別に草引きともいう。しかし、石の多い山間の畑では、少しくらいでは草が抜けない。力を入れて「むしり」取らことになる。特に春から夏の草が「ほきる」ころには、草と戦いが続く。腰を曲げ膝をつきながら作物の間の畝の中を這うようにして草を「ひんむしる」のは根気の要る仕事であった。また、お子守りは赤ん坊に髪の毛を「ひんむし」られないように、手拭いで髪を包んで額の所で縛っていた。子守りの定番の恰好であった。
ひんむしる
ひん毟る
感情を表すことば
ひどく疲れるて、息が絶え絶えである状態。「走って帰って来たがらひーこらしっちゃたよ」と息をはずませる。「へーこら」は、へつらって頭を下げることで、近似の発音であったが、使う場面が違うので、混乱することはなかった。
ひーこら
感情を表すことば
「酷い」に「なし」が付いたもの。「ひどい」が語源だが、発音は「へでなし」である。「へでなしで、ひとっつも役立ねんだから(能力がなくて、少しも役立たないんだから)」と能力が問題となる。また、人でなしの薄情な人を罵る時に「ひでなし」だと言う。他方で、おもしろおかしく、あることないことを話して人を笑わせていると「いづもへでなしかだってんだがら(いつも嘘半分のようなことを言っているんだから)」と言われる。子どもの頃から「へでなし」語るのは得意であった。「ごじゃっぺ」とともに、八溝の言葉の代表である。
ひ(へ)でなし
体の名称と病気やけが
「びだ胡座」のこと。広辞苑に「かく」は「構く」とある。胡座(あぐら)を強調した表現で、足を組んでどっかりと座り込んでるこという。ただ胡座をかいているだけでなく、身も心も「びだっと」(べたっと)として座る状態で、時にはだらしなさも伴う。「びだぐらをかく」と使う。いつ頃からか、「びだぐら」をかくと、腰が痛くなり、「おしゃんこら(正座)」の方が楽になった。他所に行くと「楽にしてください」と胡座(あぐら)を勧められるが、言い訳をして正座のままでいる。
びだぐら
体の名称と病気やけが
甘えることを意味し、「長男なんだから、いつまでもびだけてじゃだめだ(長男だから、いつまでも甘えていてはだめだ)」と言われた。「そばえる」などとともに、甘えることを指した。ハ行の濁音の持つ響きからであろうか、「びだける」方がいっそう甘え方が強いように思える。
びだける
体の名称と病気やけが
「びだっちー」も「べだっちー」もほぼ同じに聞こえ、区別ができない。ヘビ(蛇)を「ひび」と発音し、耳では聞き分けられなかった。「蛇姫様」は発音できなかったし、表記も間違える。「びだちー」は凹凸がなく平板であることで、顔も平板で特徴がないと「びだっちー顔」である。
びだっちー(べだっちー)
体の名称と病気やけが
すっかり元気をなくしたり、勢いを失うこと。1日働いて、疲れたときには「今日は暑くてよぐよぐびだまっちゃた(今日は暑くてひどく疲れ果ててしまった)」という。ただ、身体的ばかりでなく、「あそこの家はびだまりそうだと」と、家計が行き詰まるような時に使った。語感と意味がぴったりの言葉である。
びだまる
農家を支える日々のなりわい
左右がちぐはぐで、揃っていないこと。広辞苑に「びっこ」は不揃いの意味とある。靴下を左右で色の違うものを取り違えて履けば「びっこたっこ」になる。気がついても1度履いてしまえば、めんど(面倒)くさくて取り替えないのは今も同じで、「ひっくりがえっちょ」や「びっこたっこ」のまま履いていることも珍しくない。
びっこたっこ
地域を取り巻く様々な生活
ストレスが溜まり、馬が足を高くあげて足掻(あが)くこと。外に出さずに馬小屋に入れたままにすると、広い戸外で運動させろとばかり「びらっぱね」をして訴える。子どもたちも雨が続いて外に出られないでいると、家の中で「びらっぱね」して、障子を破いてしまうこともあった。
びらっぱね
子どもの世界と遊び
「びれ」だけでも一番最後なのに、さらに「けつ」が付くことから、最下位のことを強調する言い方。駆け足で最後の時は「びりっけつ」、遊びなどで技術が下手なのは「びりっかす」である。好んで「びれっけつ」になるなる人はいないのに、心ない言葉を投げつけたことをひどく反省している。
びれっけつ びれっかす
冠婚葬祭と人々の繋がり
家計がうまくいかず、衰えてしまうこと。身体の疲労などには使わない。ただ、体力が弱って働かない馬は「びーだれ馬」と言った。「あそこんち(あそこの家)は昔(むがし)息ぶい(勢い)が上がっていたが、息子の代でびーだれっちゃった」と、没落してしまうことの意味で使う。八溝では、土地に残る人たちが時代の流れに取り残されて、いかにも「びーだれた」感じがする。早く村を出た次男や三男の方が「いきぶい(勢い)」が上がっている。愛媛県の方言に「びんだれ」が同じ意味で残っている。
びーだれる
農家を支える日々のなりわい
潰れて変形するの意味。広辞苑にも「ひしゃげる」が古い標準語として掲載。接頭語を付けて「おっぴしゃげる」とも言い、より力が加わったことになる。「つぶれる」の転訛した「ちゃぶれる」と同じような意味で使っていたが、家は「ちゃぶれる」ことはあってもが、「ぴしゃげる」とは言わない。壊れる対象が違うのであろうか。
ぴしゃげる
感情を表すことば
肌寒いときや、体の芯が冷える時に使う。「なんだって今日はぴやぴやすんね」と言って、綿入れ半纏を着て登校したが、ストーブが入る前の教室は特に「ぴやぴや」した。「冷や冷や」の転訛か。
ぴやぴや
子どもの世界と遊び
夏になると毎日のようにガラス箱とヤスを持って川に降りていった。橋の「ぴんや」は流木が引っかかっていたりして魚の溜まり場でもあったから狙い場所であった。「ぴんや」が橋脚であることは分かっていたが、英語の「pier」であることは知らなかった。子どもたちの生活の中にもすっかり溶け込んでいた言葉である。なぜ建築用語が子どもの世界にまで定着していたのか。
ぴんや
pier(英)
子どもの世界と遊び
笛、ホイッスルのこと。体育の授業や運動会などでは不可欠のものだが、先生は「笛が鳴ったら動くように」と言っていた。しかし、子どもたちの間では「ぴーぴ」であった。その音色からそのまま「ぴーぴ」になったものであろうが、「ぴーぴー」より音程が低くなり、子どもの頃に耳に馴染んだ音とは違うような気がする。今は小学校でもホィッスルというのであろうが、やっぱり「ぴーぴ」とはイメージが違う。
ぴーぴ