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地域を取り巻く様々な生活

八溝の子どもたちの「前掛け」は、「まえかけ」でなく「まいかけ」であった。製材所の職工さんが丸太を担ぐ時に使った物が印象に残っている。職工さんは膝までの長い前掛けを肩に当てて、重い丸太を丸鋸がうなる台まで運んだ。肩には担ぎだこが大きく盛り上がっていた。事故のため職工さんの中には手の指のない人もいた。昨今は藍染めの前掛けがファッションとなってエプロン代わりになっている。八溝の少年たちにとって、おが屑の臭いは甘く懐かしい忘れられない臭いである。

まいかけ

前掛け
子どもの世界と遊び

体育の指導では「前へ倣え」が正しいが、「い」と「え」の区別がが付かないから、「まいならい」であったり、「まいならえ」であった。多くの先生が、師範学校へ行って地元戻って来たため、おそらく「い」と「え」の区別を意識せず、「まいならえー」であったし、子どもたちもまた、意味を考えず耳からの音をそのまま使っていた。

まいならい

前へ倣え
地域を取り巻く様々な生活

飼い葉を入れる桶で、馬小屋の馬塞棒の前に提げて置いた。馬は腹が空くと前足で地面を蹴ったり、空の馬桶に首を入れて餌を催促する。農繁期になれば栄養を付けるため、ふすま(小麦を挽いた時のかす)を与えたりする。冬は「飼葉切り:押し切り)」で切った藁を与え、寒さが厳しくなれば、竃(かまど)に掛けた大釜で温めた「馬水(まのみず)を与えた。同じ家畜でも、山羊などとは全く違った付き合いをした。家族同然であった。

まおけ

馬桶
体の名称と病気やけが

「まつげ」のこと。広辞苑には「まみげ」が睫毛(まつげ)の意味で載っている。「まぎめ」は「まみげ」の転訛であろう。目は「ま」とも言い「目深(まぶか)に」とか「まぶた(目蓋)」や「まぎめ」と言ったりする。しばしば逆さまつげになり、その都度目蓋をひっくり返して直してもらった。

まぎめ

睫毛
冠婚葬祭と人々の繋がり

建て前(上棟式)や祭礼時に撒く餅。子どもたちはすばしっこくキャッチしたり、地面に落ちた物を拾うが、婆ちゃんは前掛けを広げて落ちてくるのを待っている。右往左往している子どもたちよりも多く拾うこともある。おやつが乏しい時代に、まだ柔らかい紅白の餅を拾い、土を払いながら食べるのは格別であった。上棟式の撒き餅は焼かずに食べることが良いとされた。

まぎもぢ

撒き餅
地域を取り巻く様々な生活

種を蒔くだけでなく、ジャガイモやサトイモを植え付けすることも「まぐ」という。漢字に充てれば「蒔く」とともに「撒く」も当てはまるのではないか。4月の末になると「ジャガイモまいだけ(ジャガイモの植え付けしたか)」と話題になる。同じ時期、野菜の種を蒔いたので、芋類の植え付けも、広い意味で「まぐ」になったのであろうか。

まぐ

蒔く
生活の基本 衣と食と住

馬を飼っている昭和30年頃までは道のあちこちに馬糞が落ちていた。馬糞は牛糞と違って乾いていたから汚い感じもしなかった。馬糞には小さいキノコがすぐに生えてきた。「馬糞っきのこ」のことで、どこにでも出るもの、さらに必要以上に人前に顔を出す人の罵りの言葉となった。また、子どもの頃の饅頭と言えば、七月一日の「釜の蓋」に日に作る炭酸饅頭であった。馬糞に似ていたので「まぐそまんじょう」と言った。その他にも祭日には饅頭を蒸かしたが、皮が厚い「厚皮饅頭」であったから、あんこだけ食って皮を捨てることもあった。炭酸がたくさん入っていたので、胸が焼けた。

まぐそまんじゅう

馬糞饅頭
冠婚葬祭と人々の繋がり

血統、一族のことで、標準語でもあるが、小さな地域社会の八溝では特に重い意味を持つ。「まけ」を中心に繋がりを持ち、付き合いの中心ともなる。葬式があると「じゃーぼ親戚」と言って、普段はつながりが薄くなって疎遠にしていても、「まけ」の付き合いを欠かせない。施主は、代々保管する香典帳を見ながら、沙汰をする「まけ」の範囲を決定する。沙汰を受けた人たちは、他の弔問客と違い、早めに訪問して組内が用意したお昼のうどんを食うことになっている。「まけ」が村落の核になっている。

まけ

体の名称と病気やけが

漆などにかせることで、広辞苑にも載っているが、標準語では「かぶれる」が中心であろう。八溝では、漆ばかりでなく、ハゼの木やイラクサなど「負ける」植物はたくさんあった。「漆まけ」は今でも現役であり、「漆かぶれ」とは言わない。

まける

農家を支える日々のなりわい

容器の中の水や穀物などを空にすること。接頭語「ぶん」を付けて「ぶんまける」と、意味を強める。「バケツの雑巾水ぶんまけろ」と言われて、勢いよく庭に捨てる。広辞苑には、讃岐地方の方言として水が溢れることとある。基本的には共通するが、八溝では「溢れる」という意味では使わない。

まける

感情を表すことば

標準語では、下に否定の語と呼応して、「よもや〜あるまい」という意味で使い、予想以上だと驚嘆する際にも使う。この他に、八溝では「さすがに」という意味で、「まさがすげーなや(さすがにすごいな)」と称賛の際に使う。さらに、「まさがいっぱい持ってる人は違うなや(さすがにたくさん持っている人は違うね)」と、素直に評価するのでなく、羨ましさを内包している複雑な感情も表現する。

まさか(が)

正か
子どもの世界と遊び

仲間に入ること。米の中に石が混じった時使うが、子どもの世界では、仲間には入れるかどうかが大きな問題であったから、この意味での方が強く印象に残っている。「まぜろや」といっても、「はぐだがらだめだ(数が半端だからダメだ)」と言われて、アブラムシ(仲間はずれ)にされる。「まざれない」ことが何よりも辛かった。

まざる

交ざる
体の名称と病気やけが

「まじっぺ」とも。語源は「まぶしい」と同じである。相手の人格などが優れていて「まぶしく」感じることには使わなかった。そのような場面を経験しなかったかからかも知れない。光線が眩しいだけに使い、「まじっぽくてしゃねがらカーテン閉めろや(眩しくて仕方ないからカーテンしめろよ)と」窓際の仲間に頼む。「まぶしい」はよそよそしい言葉であった。

まじっぽい

眩しい
感情を表すことば

味がまずいことにも「うんまぐね」とともに「まじー」と言った。具合が良くない、不都合であることにも使う。「そんなにごうせ(強引)にやっちゃまじーじゃねが」と使う。「まじーごどになっちゃたな(まずいことになっちゃた)」と「まじー」はしばしば使った言葉だが、いまは標準語の「まずい」となっている。

まじー

まずい
子どもの世界と遊び

戦後いち早く発売された化粧品の商品名。小学生の頃には鏡台の上に置いてあった。中味に関心があるのでなく、ガラス製の容器が欲しかったのである。大きさも丁度、程良い脂分があってくっつかなかったから、メジロ捕りの鳥餅入れに最適であった。仲間たちがブリキ缶だったので、蓋にもくっついて時間が掛っている時に、いち早く「のでんぼ(ヌルデ)」の枝に鳥もちを巻き、良い場所を確保できた。

まだむじゅじゅ

マダムジュジュ
感情を表すことば

「もどかしい」の意味。「まだるっこい」ともいう。「なんだってまだるけなー。ごっことやれや(まあじれったいな。さっさとやれや)」と、イライラ感を表す。子どもの頃は普通に使われた言葉だが、今の若い世代には通じない。すべて「むかつく」で終わってしまう。

まだるけー

冠婚葬祭と人々の繋がり

「町に行く」と言えば馬頭に行くことであった。他の友だちよりは恵まれていて、月に一度は月刊の『おもしろブック』を買いに、国鉄バスに乗って町に行くことになっていた。町には先生をしていた叔母がいたので小遣いをもらう目的で必ず寄った。いつも取ってくれた出前の支那そばは町場の味がした。村にも、村役場があった辺りは雑貨屋や住宅が並んでいた「街村」があった。そういう場所を「町がかっている」と言った。字名に「町」という所もあった。

まぢば

町場
感情を表すことば

「真っ赤」なこと。出血で真っ赤になることは「ちだらまっか」であった。「まっかちか」は、真っ赤なものには対象を問わず使う。童謡『夕日』の「まっかっかっか空の雲」の「まっかっか」と語源は同じであろう。

まっかちか

子どもの世界と遊び

箱マッチでも、小箱でなく、虎印の大きな徳用マッチが使われた。小箱はそれだけ値段も高くなるから、大箱の蓋の真ん中を四角に切って、マッチを取り出して使った。それでもマッチは貴重であったから、十能で火種を移動しながら、竃(かまど)から風呂に移すなどの努力をした。検便の時に学校にはマッチ箱に入れて持って行ったが、中には徳用箱にたっぷり入れて持って来た友だちがいた。

まっちばこ

マッチ箱
生活の基本 衣と食と住

マッチの棒のことで、特に細い物の代名詞。「まっちぼうみでだ(マッチ棒みたいだ)」となれば、腕や足が極めて細いことを形容する。今でこそ「マッチ棒」みたいな足が好まれるが、戦後10年間は、痩せてて栄養失調と疑われた。マッチ棒は耳掻きにもし、メンタムを傷口に塗り込むときにも使った。子どもの火遊びから火事が起きたこともあり、ある時期から、子どもの手が届かない所にブリキにマッチ入れが各家庭に作られた。

まっちぼう

マッチ棒
感情を表すことば

真っ直ぐの転訛。道を聞かれれば「こごがらまっつぐいげばすぐわがるよ(ここから真っ直ぐ行けばすぐに分かるよ)」と答える。線を引くのも「まっつぐ」である。子どもの世界では、人間性が真っ直ぐであるとか、真面目であることで使ったことはなかった。

まっつぐ

真っ直ぐ
感情を表すことば

「もっと」の転訛。「なんだ、これっぱっかりげ。まっとおごれ(なんだい、これだけなの。もっと下さい)」と使う。物やお金を少しでも多く欲しいので「まっと」はしばしば使った。今は同年齢だけに通じる年寄り用語になってしまった。

まっと

動物や植物との関わり

松ぼっくり、あるいは松笠のこと。我が家には地域では珍しい海岸地方に多い黒松の大木があった。たくさんの松団子が庭に落ちたので、箒で掃き集めて焚き付けに使った。今は枯死して株も残っていない。「松団子」も死語で、「松ぼっくり」と呼ばれるようになった。なお、松ぼっくりは「まつふぐり」の転訛で、「松の睾丸」のことである。

まつだんご

松団子
地域を取り巻く様々な生活

片付けをすること。家事での「洗いまで」は主婦の仕事でも、水瓶(みずがめ)の水を使い、寒い中で裸電球の下では大変辛いことであったろう。農作業でも、秋の収穫での片付けは「秋まで」であり、農具などの収納も終えると、農作業も一段落である。別に「までに」と副詞的用法があり、「までにやる」は、丁寧にやることである。

までる

感情を表すことば

告げ口のこと。悪ふざけがあるとすぐに先生に「まねっくじ」する子がいて、そのためひどく叱られた。大人の世界でも、心に伏せておけないですぐに「まねっくじ」する人がいる。そういう人とは良い仲間にはなれない。口が固い人が安心である。

まねっくぢ

真似っ口
子どもの世界と遊び

我慢が出来ず大便を漏らすこと。「ま」は「間」で隙間のことで、「ひる」は「体外に出す」ことが語源と思われる。大便や屁(へ)は、「ひる」と言い、小便には使わない。同じ体外に出すにしても「ひる」には限定的な意味がある。食料の保存状態も良くないうえに、衛生に関する知識にも乏しかったため、下痢をすることがしばしばであった。排便をしないで学校へ行くことが多く、腹具合が悪くなり、教室から便所まで走ったが、バンドを外す段になってどうにも我慢出来ずにズボンを汚してしまった。早退しての帰路、家まで間ペンギンのような歩き方でで帰ったこともあった。

まびれる

間放る
感情を表すことば

誠実であり、真面目なこと、さらには物事が頻繁なことにもいう。「あそごの嫁様はまめだね」と言えば、働き者ということで褒め言葉である。「まめにまぢ(町)の方に出掛けているよ」と言う時は、遊んでばかりいうことで褒め言葉でない。さらに、異性に対して積極的なことにも使う。「あそこの若いのはまめで、何人も引っかけてるんだがら」と、女好きなことの批判である。村ではすぐに話題になる。

まめ

動物や植物との関わり

なめくじのこと。「まめっくじ」とも言った。先輩諸氏の話では蝸牛(かたつむり)のことを指したというが、「でんでんむしむしかたつむり」の歌のとおり、カタツムリはカタツムリであったように記憶している。梅雨時になると、家の中にも大きな「まめくじ」が這い回り、その跡がくっきり残っていた。手では掴めなかったので、塩を振りかけると、いつの間にか溶けていなくなってしまう。

まめくじ

地域を取り巻く様々な生活

「丸く」と関わるか。稲の束など「まるぐ」というが、片手で持てるほどの束にするのは「しばる」と言い、その束ねたものを10束ほどにひとまとめに束ねることを「まるぐ」と言った。粗朶(そだ)や茅などを大きな束にまとめることも「まるぐ」である。

まるぐ

感情を表すことば

全部、すっかりの意味。「まるっきり」、「まるまる」などの「まる」と同根の語であろう。「まるっと忘れっちまった」という。

まるっと

生活の基本 衣と食と住

大洋漁業の商標。いくつかの会社があったのであろうが、子どもの頃から親しんでいるのは、〇の中に「は」の「まるは」ソーセージであった。平仮名であったこと、さらにはプロ野球の大洋ホエールズの親会社であることからの親しみもあったのであろう。ヱスビーのカレー粉と魚肉ソーセージ入りのカレーが大家族では一番手軽にできる料理であった。普段からカレーを食べる30年代になると、「箱膳」の御飯茶碗でなく、カレー皿が食卓に並んだ。ところが、高校生になって、下宿屋の町場の肉入りカレーが出た時はショックであった。今までの八溝のカレーの味はなんだったのだろうか。これは、我が家だけの問題だったろうか。今でも、登山には「まるは」のソーセージは欠かさない。

まるは

丸は
地域を取り巻く様々な生活

馬耕の際に馬の鼻を取る「はなどり」に対して鋤(すき)を持つ人。まんがは馬鍬(まぐわ)の転。「まんぐわとり」は熟練した大人がやったが、「はなどり」は中学生でも出来た。昭和30年代半ばには耕耘機が普及し、馬を飼う農家が激減、馬鍬も必要としなくなり、「鼻取り」もなくなったし、「まんがんとり」もなくなった。私は「まんがんとり」はしなかったが、最後の「鼻取り」で世代であろう。

まんが(ん)とり

馬鍬とり
生活の基本 衣と食と住

どの家でも夜なべ仕事で藁草履を作っていた。学校に行くのも藁草履であったし、川遊びは土踏まずまでの「足中(あしなか)」が、滑らずしかも水切りがよかったので便利であった。藁草履は雨天の日などは水を吸って重くなるうえ、鼻緒が良く切れた。戦後10年ほどしたころ、ゴム製の「万年草履」が普及してきた。地域によっては「千年履き」とも言うほど、藁草履に比べものにならないほど耐久性があり、汚れても洗えばすぐにきれいになった。ただ、一体成形でなく、鼻緒を穴に通してあったので、次第に穴が大きくなり、外れ易くなってしまう。それでも藁草履から比べれば、文字どおり「万年草履」であった。

まんねんぞうり

万年草履
感情を表すことば

標準語の「先ず」にはない意味で使う。「全くもって」という意味で、程度の甚だしいことには、良いことにも悪いことにも使う。「まーずすごいなや(ほんとにすごいね)」と称賛し、反対に「まーず悪ガキでしまずになんねよ(まったく悪さする子どもで始末にならない)」と世迷い言になる。きわめて身近な言葉で、言い出しの言葉の発語的な用法であった。

まーず

地域を取り巻く様々な生活

標準語では「馬塞棒(ませんぼう)である。馬は牛と違って、背の所に棒が当たれば下をくぐって外に出ることをしない。飼葉を食う時も棒の上から顔を出していたから、「まーせんぼー」は1本で用が足りた。厳しく叱られる時の言葉は「まーせんぼくらすぞ」であった。馬塞ん棒で叩かれたら大変なことになる。

まーせんぼー

馬塞ん棒
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