地域を取り巻く様々な生活
「あくごや」とも言った。夜中に鳴るサイレンが谷間にこだまするのを聞き、怖いもの見たさに炎が闇夜を照らす方角に走って火事現場に行ったこともある。火事の原因の一つに取り灰の不始末があった。酸性の土地を中和するため、かまどやお風呂の焼却灰は不可欠であった。屋敷の一隅に木灰を溜めておく置く所があったが、冬の乾燥時期には北風が吹き、少しでも火の気があると「ふったかり(発火し)」、藁などに飛び火した。火事の防止のため、大谷石で半畳ほどの灰小屋が作られるようになった。
その後生活が変わり、灰が出なくなり、中和にも石灰が使われるようになり、灰小屋は不要になった。今でも屋敷の片隅に残っている農家がある。
はいごや
灰小屋
農家を支える日々のなりわい
標準語は「はえちょう」。棚付きの箱に網を張って開き戸を付けた本格的な物、さらには折りたたみ式のパラソル型の物もあった。日中は活動が活発であったから、蠅叩きを手にしながらの昼食であった。まだ冷蔵庫がないころは、通気性の良い場所に食べ物を置かなくてはならなかったから、四面がネットの蝿帳はなくてはならないものであった。学校から帰ってきてまず蝿帳を開けると蒸かしたジャガイモが入っていた。
はいちょう
蠅帳
農家を支える日々のなりわい
シート式の蠅取り紙で、粘着物がなく、皿の上に水を含ませて置けば、蝿がなめて死んだ。皿の上にたくさん死骸があったが、どのような成分であったかは分からない。「はい捕りリボン」より先に用いられていたが、見た目も汚いので、蝿捕りリボンに取って代わられた。
はいとりがみ
蝿取り紙
農家を支える日々のなりわい
ガラス製のハイトリ器。ガラスと言わず「ギヤマン」と言っていた。ガラスの中に飯粒を入れておびき寄せ、出られない蝿の習性を利用したもので、どの家にもあった。それだけハイが多かったが、30年代後半には馬を飼うことがなくなって、ハイの数が急激に減った。それにしても、対症療法的に物事に対処する知恵は発達していたのに、原因を除去するという考えを持たなかったのはなぜであろうか。現状を追認する農村の風土であろうか。
はいとりびん
蝿取り瓶
農家を支える日々のなりわい
「はえ」でなく「はい」と印刷されている。岡山県産であるから、「え」と「い」が区別出来なかったことはない。古語では「はへ」であるが、「はい」と表記されている例もある。「はい捕りリボン」は天井から提げておくこともあり、リボンが付いていたことか汚い感じがしなかった。蝿ばかりでなく蛾なども掛って、まだ動いていることもあった。今でも牛舎などで「はい捕りりぼん」が現役で活躍している。
はいとりりぼん
蝿取りリボン
生活の基本 衣と食と住
風呂を燃やせば、風呂釜の「ひょとこ釜」の中には「灰ぼ」が溜まり、燃えが悪くなる。その都度十能で掻き出さなくはならない。溜まった「灰ぼ」はバケツに入れて、防火のため庭先に作られた大谷石の「灰小屋」に運んだ。「灰ぼ」は土壌の酸性中和のために貴重なものだった。
はいぼ
灰ぼ
動物や植物との関わり
蝿(ハエ)のこと。ハエであるかハイであるか全く区別がつかなかった。ただし、岡山県で作られているものに「はいとりりぼん」がある。必ずしも八溝周辺で「エ」と「イ」の区別がつかないという問題ではないようだ。馬屋が家の中にあるから、家中「はいめ」だらけだった。はい捕りリボンか、はい捕りシート、キノコの「ハイトリシメジ」、ガラス製のはい捕り器を使って捕獲した。さらにはネットで作られた蝿帳に食べ物を入れるるなどして防衛しなくてはならなかった。その後折りたたみ式の蝿帳が普及した。食品ばかりでなく、寝ている子どもの顔一面にたかっていたこともある。毎日「はいめ」と格闘であった。
はいめ
蝿め
動物や植物との関わり
種が芽を出したり、髪の毛生えることの他に、特に卵から雛がかえることに使った。ニワトリは放し飼いにしていた。日中は1羽の雄鶏と5羽ほどのメスのコーチンが庭先の「ごんどおきば」(藁かすなどを置く場所)をかっちらかし(掻きちらかす)たりミミズを食べていた。こじった(放卵期に入った)メスがいると、生(な)した卵をミカン箱に入れて、鳥小屋を暗くしておくと、21日後には数羽の雛が生える。生えた雛を育て、卵を生さなくなった古っ羽は祭りの際などのごちそうとして潰して食べた。
はえる
生える
感情を表すことば
「はか」は「量」や「料」とも書く。仕事などの進み具合。捗(はかど)ることよりも、捗らないことの「はがでね」が記憶に残っている。「今日暑ぐてはがいがね(今日は暑くてはかどらない)」と仕事の進捗が悪い言い訳をする。「そだごど言ってねでごっごとやれ(そんなことを言ってないでさっさとやれ)」と言われる。仕事のはかどり方ばかりでなく、「はがいがね」のは行動や考えが鈍重であることも指し、「なんでおめーはそだにはがいがねんだ(どうしてお前はそんなにテキパキしていないんだ)」となった。
はがいぐ(はがでる)
捗いく
農家を支える日々のなりわい
植え込みや頭髪など、伸びて不必要なっものを切ること。剪定鋏で植え込みの徒長枝を切って整枝する。髪の毛が伸びると、日曜の天気の良い日に軒の下に臨時の散髪所を開設する。風呂敷を首に掛けてはバリカンで「あだまはぎり」をする。時々バリカンに食われ(切れずに髪が挟まる)て、泣くように痛かった。中学卒業までは父親に頭を「はぎって」もらっていた。
はぎる
子どもの世界と遊び
丁度でなく、半端なこと。遊びの仲間の組み合わせで、対になるべきのに一人余ってしまうこと。数の関係で意図せずに余ってしまうこともあるが、わざわざ「はぐ」にしてしまうこともある。いつも「はぐ」になる子への気遣いもせずに仲間はずれにした。子どもの頃の思い出は良いことばかりではない。仲間への配慮が足りなかったことを今でも後悔している。
はぐ
子どもの世界と遊び
上部の口は大きく、途中を細くして紐を付け、下部を膨らませた腰に下げる竹であんだ容器。実用的な容器ではあったが、編み方に工夫があり、美的にも優れた物があった。捕獲した魚が跳ね上がって逃げないため川には必需品だった。また、山のキノコやクリ拾いにも、急斜面で少し体勢不安定になっても収穫物は落ちずにすんだ。また、竹製容器はキノコの胞子が落ちるので資源の保持にも役だった。
はけご
生活の基本 衣と食と住
家族が10人という家庭も珍しくない時期に、戸棚からそれぞれの箱膳を持って席に着く。箱膳には飯椀、汁椀の他に箸、皿はせいぜいおてしょ(手塩皿)程度であった。食べ終われば飯椀にお湯を注ぎ、お箸できれいにかき混ぜながら洗い、最後は飲んでまた箱膳に伏せて戸棚にしまう。何日おきにきれいに洗ったのであろうか、固くなった米粒が茶碗の縁にこびりついていた。何百年も変わらぬ生活であったろう。30年代になって「生活改善運動」により、台所や風呂の改善がなされ、箱膳は姿を消し、テーブルが文字どおり食卓となった。
はこぜん
箱膳
感情を表すことば
「はしこい」の転訛。行動が機敏であること。さらには頭が良くて機転が利くということにも使う。「隣のひろちゃんは、まずはしっけーね(隣の博君は、ほんとにかしこいね)」と、当てつけに話題にされた。一方で「はしっけー」は、機転が利きすぎて油断が出来ない、ずるがしこいという意味にもなった。
はしっけー
農家を支える日々のなりわい
お金の「はしっぱ」。お釣りなどで細かい端金(はしたがね)のこと。これは今でも使う言葉で、飲み会の会計で端数が出ると「端っぱは俺が出すから、集めんともいいよ(端数は俺が出すから、集めなくてもいいよ)」という。
はしっぱ
端
感情を表すことば
標準語でもある。心が高揚していることにも使うが、八溝では生活用語として、乾燥することの意味で使われることが多かった。「おんどこ(温床:苗床のこと)はしゃがねように水ぶっとけ(乾かないように水を撒いておけ)」と言われ、如雨露で水撒きをする。「はしゃい」で、大騒ぎをするという使い方も健在である。
はしゃぐ
農家を支える日々のなりわい
「斜交い」の転訛、斜めのこと。「ぶっくりがえんねように、はすっけにつっかい(支え)棒しろ(ひっくり返らないように斜めに支え棒をしろ)」と使う。今は「斜め」という標準語が使われ、「はすっけ」は死語となってしまった。
はすっけ
斜交い
体の名称と病気やけが
方言ではない。今はきちんとした病名があり、「はたけ」の語は標準語としてもほぼ使われない言葉であろう。顔にできる白い斑点になる皮膚病で、多くの子どもたちが「はたけ」持ちであった。子どもだけの皮膚病で、治療しなくても治癒した。不潔にしていたからであろうか、多くの子どもたちの顔に斑点があった。
はたけ
疥
動物や植物との関わり
「発揮」は実力を十分出すこととであるから、「発揮掛ける」は力を発揮させるこということが語源であろうか。犬が他所の犬と一緒になった時には、自分の犬に「発揮を掛け」て闘争心を煽った。犬以外には使っていなかった。他所の犬に尻を噛まれてから、犬に対して異常な恐怖心を覚え、そのことに気づく犬の方もやたらと吠え掛る。犬も人を見るのであろう。
はっきかける
発揮かける
生活の基本 衣と食と住
広く「はさがけ」などと言われているが、八溝では「はって掛け」と言っている。刈り取った稲を乾燥させるため、二本の杭を交差させ、竹を指し渡して縛ったもの。一株ずつ刈り取り、指で持ち切れない大きさになると、腰に挟んだ藁でまるき、「はって」に掛けていく。「はって」を作ることを「ハッテ突き」といって、杭をしっかりと突き込まないと大風の時などに倒れて、泥の付いて稲をもう一度掛け直すことになる。脱穀が終われば「はって」で使われた竹や杭は縁の下に保管され、何年も使われた。コンバインを導入するだけの耕地面積のない山間の小さな田んぼでは、バインダーで刈り取ってハッテに稲を掛けている。「はって」に掛けられて「がぼし」された米の方が美味しいと言われている。
はって
生活の基本 衣と食と住
山梨県の名物である「ほうとう」と語源は同じと思われる。「法度」が語源と言われているが、御法度になるような贅沢な食べ物ではない。米が十分穫れない八溝地区では米の代わりに、自家製の味噌に季節の野菜を加え、良く煮込んだ汁に、うどん粉を練ってちぎりながら入れた「はっと」がしばしば食卓に上がった。腹がいっぱいになればいいという夕食であった。美味しいと思って食べたことはない。昨今は観光地に行くと「はっと汁」が売られているが、肉が入るなど子供のころの八溝の「はっと」とは似て非なる物である。
はっと
体の名称と病気やけが
勢いよく叩くこと。「ぶっ飛ばす」、「かっくらす」、「ぶっぱたく」など、同じような意味で使う言葉が数多くあった。日常的に「はっとばす」ようなことは行われていなかったのに、どうして多くの言葉があったのであろうか。なお、「たたく」という言葉は、単独では使われず、接頭語「ぶっ」「はっ」などとともに使われ、語気を強めて使われた。
はっとばす
張り飛ばす
冠婚葬祭と人々の繋がり
儀式や宴などを主催することをいう。冠婚葬祭を自宅で行っていたので、長男は、生涯に何度も「はなえる」機会があった。当日の接待だけでなく、事前の準備も「はなえる」ことに含まれる。蔵には客寄せするだけのお膳やお椀があり、座蒲団も20枚ほどあった(鼠の巣になっていたのもあった)。今は自宅で「はなえる」ことがなくなったから、お金のことだけを心配すればいい。当家のご婦人の負担が少なくなったことはなによりである。
はなえる
体の名称と病気やけが
鼾(いびき)のこと。「はなぐらをかく」と使う。鼻の疾病が多かったから、大人も子どもも「はなぐら」をかいた。棒鼻を垂らしていた子が多かったから、鼾とともに息するごとに鼻提灯が開いたり閉じたりした。今は標準語の「いびき」というようになった。
はなぐら
鼻ぐら
生活の基本 衣と食と住
口の中でどろどろと溶けてしまう食感のこと。そば粉の質が悪いのか、打ち方が悪いのか、あるいは茹で立てでないからか、そば専門店のそばも歯ぬかりのするものがある。祖母の手伝いで、うどん粉やそば粉を練るために脚で踏んだ。練りをいい加減にすると歯ぬかりするものになってしまう。そばやうどんだけでなく、歯の後ろについてさっぱりしないこと全般に使う。
はぬかり
歯ぬかり
動物や植物との関わり
狭くはイナゴのことを指したが、トノサマバッタ、ネギサマバッタなどもみんな「はねっこ」であった。昆虫や植物の名前は、生活と関わらないから区別も必要なかった。海外登山の際に、ポーターたちに花の名前を聞いても、日本人が花に関心を持つことを不思議がる。彼らにとって花はすべて花で、生活上区別する必要がないのである。同じように、八溝の子どもたちにとっても、生活に関係ない花や昆虫の名は必要がなかったのであろう。イナゴは教材費の足しにしていたから、稲刈りの終わった朝の田んぼで、まだ飛翔力がない内にたくさん捕まえて、学校に持って行った。
はねっこ
感情を表すことば
「腫れぼったい」という意味に限定される。「目がはばったい」といえば、目が浮腫んでいることの意味jである。入院中に看護師さんに「はばったくないですか」と聞かれ、思わず「だじです」と答えた。広く使われている言葉なのか、それとも県北出身の方だったのだろうか。
はばったい
生活の基本 衣と食と住
「くちい」は標準語で満腹の意である。それに腹を加えて「腹っくちー」となる。腹八分目という言葉は知っていたし、「腹も身の内」とも言われたが、いつも十二分に食べないと安心しなかった。今は様々な原因から、食べたいものを制限することで苦労しているが、昔の習慣から「はらくちー」と思うほど食べてしまう。
はらくちー
腹くちー
体の名称と病気やけが
下痢のこと。しばしば「はらっぴり」をした。食品衛生の問題もあったろうし、食い過ぎなどの問題もあったろう。小学生のころの学校帰り「はらっぴり」で、パンツを汚して、急いで家に帰った。少しくらいの「はらっぴりでは医者に行くと言うことはなかった。家に帰って正露丸を飲めば直ってしまった。
はらっぴり
腹っ放り
生活の基本 衣と食と住
空腹を一時しのぐ食べ物。「腹塞ぎ」の転。学校から帰ると「なにがねーげ(何かないの)」と聞けば、婆ちゃんは「はらっぷたぎにかんそいも(乾燥芋)でも食ってろ」と、寒竹笊(ざる)の乾燥芋出してくれた。食い飽きてはいたが、急いで口に押し込みながら遊びに走り出す。
はらっぷたぎ
腹っ塞ぎ
農家を支える日々のなりわい
時機、折りの意味。当時でも爺ちゃん婆ちゃん世代が使っていた言葉であった。ただ孫にとっては忘れられない言葉である。ものを頼んでも「次のはりには買ってやっから」と言われれば、「やがて(そのうち)」とともに、諦めざるをえない言葉であった。
はり
生活の基本 衣と食と住
幅40センチほどの洗い張りをする板。我が家には2枚あった。母の嫁入り道具であった。布地が貴重な時代は、着物をほどいて洗濯をして、板に貼り付けて干して、再び着物に「仕立て直し」をした。膝などの痛みやすい部分は、使用頻度の少ない背中にするなど使い回した。冬の農閑期の仕事であった。
はりいた
張り板
生活の基本 衣と食と住
洗い張りをするための板。農閑期になって、汚れた木綿の着物をほどいて川で洗って糊付けをし、「張り板」に良く伸ばして干す。洗い張りである。布は傷み具合を見ながら、仕立て直しの時に、別な所に移し替える。我が家には2枚の「張り板」が残っているが、母の嫁入り道具であったという。
はりいた
張り板
農家を支える日々のなりわい
標準語にない、仕事に精を出すという意味があり、「朝っからずいぶん張りごんでんね」という。反対に標準語にある「散財する」という意味でも使う。「パチンコにはりごんちゃったんだと(はまり込んじゃた)」と言うこともしばしば聞いた。プラスでもマイナスにも使う言葉であった。
はりごむ
張り込む
生活の基本 衣と食と住
針の穴のこと。小さな穴は「めど」や「めどっこ」であった。婆ちゃんが縁側でお針をしていると、時々「針めど通し」をさせられた。針めど通しは目の良い孫の仕事であった。なお、目処と書く「めど」は目標のこと、針穴の「めど」とは違う。
はりめど
地域を取り巻く様々な生活
葉煙草納付前の仕上げの作業。一枚ずつ品質を選別して 枚ずつまとめて藁で束ねること。ばあちゃんの熟練のいる作業であった。
はわけ
葉分け
生活の基本 衣と食と住
広辞苑には袢衣の字が当てられ、「半纏(はんてん)のこと、袖のないものもある」とある。子供や年寄りは半纏を着ていることが多かったが、半纏は袖があり、丈が長いので農作業には不便であった。仕事をする大人たちは「はんこ」を着ることが多かったが、子供たちも、遊びやすい「はんこ」を着て学校に通った。
はんこ
袢衣
生活の基本 衣と食と住
ぼたもちを作る時に、餅米の粒が半分残っている状態に潰すこと。人を徹底的に痛めつけることではない。米を完全に潰さず、半分ほど粒が残すことからの命名。餅米は収量が少ないことから、ぼた餅などは1年に何度もないことであった。餅米の粘りと餡この甘さが最高の御馳走であった。今でもスーパーで売っているものをしばしば買ってくるが、「半殺し」のものは少ない。
はんごろし
半殺し
冠婚葬祭と人々の繋がり
「はんにち」というのが普通だが、八溝では「はんぴ」という。「雨が降ってきたから今日は半日(はんぴ)で上がっぺ(雨が降ってきたから今日は半日で仕事を終わりにしよう)」と、普通に使っていた。音読みの「半」と訓読みの「日」が一緒になってやや不自然だが、耳にはよく響く。学校も午前中授業の時は「半日」で帰る。
はんぴ
半日
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「早(はや)」の転訛。「はー5時になっちゃった」は、もう5時になってしまったの意味である。会話の最後に使うこともある。「5時だぜはー(5時だよもう)」となる。「はー」は、今の「もう」よりも上品な感じがする。八溝の言葉の中には、古い日本語の雰囲気を内包したものが多いが、消えていくのは残念である。
はー
動物や植物との関わり
正しくは「カマツカ」という名前であったが、そういう名前も知らなかった。近づくと砂の中に潜って身を隠す。カジカに比べ行動が緩慢であったから、ヤスで突きやすかった。雑魚(ハヤ)などの骨っぽい魚に比べ、脂分があり、美味しい魚であった。
ばかぞ(う)
感情を表すことば
人を罵る言葉として使うのでなく、「ばがにさみねー(ひどく寒いね)」と修飾語として使う。「ばがにこんどっきりいっしょけんめいやってんじゃねの(ずいぶんこのごろは一生懸命頑張ってるんじゃないの)」と褒める時にも使う。日ごろから多用していたが、今は「ばかに」の語感が悪いので使われなくなっている。
ばがに
動物や植物との関わり
蜂のこと。他の昆虫に関心がなかったが、蜂に関しては生活に直結していたから、種類や生態にも強い関心を持っていた。ジバチ(地蜂)を捕まえて、紙縒(こより)を尻に付けて放して巣の在りかを見つけ、サナギを掘り出し、フライパンで煎って食べた。藪に入ってアシナガバチに刺されたし、蔵の軒下に数段もある巣を作っていたクマンバチに頭を刺されたこともある。自然のミツバチの巣を見つけ、少しずつ掠め取ってお裾分けをしてもらったこともあった。
ばぢ
蜂
子どもの世界と遊び
バットと棒が合わさった。「バット」という言葉はなく、「バット」も「バッター」も一緒であった。「バッター」が持っている棒が「バッタ棒」になった。小学生は野球でなくソフトボールであったが、使うのは、劣化してかちかちなボールと「バッタ棒」だけである。もちろんグラブはない。ソフトボールでグラブを使うようになったのは30年以降であろう。冬場のソフトボールは手が痛かった。
ばったぼう
バット
子どもの世界と遊び
ヤマガラを捕るための籠。メジロは鳥餅でもおとなしくしているので羽を痛めたりしないが、ヤマガラは暴れて羽が鳥餅について、みすぼらしい姿となり「飼い物」にならない。そのためバッタン籠というトラップを使う。おとりに誘われて籠に入ると自重で蓋が落ちるようになっている。メジロを捕った時よりもはるかにうれしい。ヤマガラは縦長の「ヤマガラ籠」で飼うと回転する芸も覚え、良く馴れる。夏に干しておいたエゴの実を与えると、足に挟んで上手に割る。学校での自慢話になった。
ばったんかご
冠婚葬祭と人々の繋がり
「ばっち」は末の子を「ばっし」と読むのが訛ったものである。戦後はどの家でも子供が多く、四人や五人は普通であった。長男はぼんやり育ってお人好しのため「甚六」と呼ばれ、次男は「はしっこく(すばしっこく)」て要領よく振る舞った。「ばっち」はいつまでも甘えているので「ばっちのバカゾウ」と呼ばれていた。遊んでいても「小さいんだから」と特別扱いを受けた。
ばっちっこ
末子っ子
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「としても」の意味で、接続助詞の働きをして、文末は打ち消しになる。「貧乏するばって悪りことしちゃなんねがら」(貧乏したからといって悪いことしてはならないから)と言い聞かされて育った。日常の会話の中でよく使われ、今もまだ使われている。九州の「ばってん」も同じ意味である。
ばって
冠婚葬祭と人々の繋がり
祖母のことだけでなく、広く年寄りの女性を指し、敬意を包含している。男性は「じっち」という。「ばっぱ元気かい」と聞いたところ、母親を「ばっぱ」と言われたことで相手に嫌な顔をされたことがある。八溝では「ばっぱ」には「おばあちゃん」とともに「お袋さん」という意味も含んでいる。祖母を「ばあちゃん」というのとは範囲が違う。八溝同士であれば「おがげさんで(お陰様で)」と返してくれる。同じように、こども園で、「餓鬼めらと遊んでくるか」と言うと、若い先生に厳しくたしなめられた。子どものことを親愛をこめた表現であることが通用しない。
ばっぱ
婆っぱ
動物や植物との関わり
ホトケドジョウのこと。「どんばらすっこ」とも言った。スナサビやドジョウに似ているが、ドジョウのように大きくならず、清水が湧き出るような砂地にいた。棲息数は多くはなかったが、なぜか捕まえることもなかったし、食べる対象でもなかった。
ばばすこ(どんばらすっこ)
動物や植物との関わり
木イチゴの実。春に白い野バラのような花が咲き、初夏には黄色いイチゴのようなつぶつぶの核果をたくさん着ける。沢筋のやや湿り気のある場所にまとまってあった。名前のとおり棘があったので、引っ掻き傷を作らないよう注意しながら、自然の恵みを思う存分食べることが出来た。種類は分からないが、赤い実の「バラ茱萸」は実が小ぶりで、しかも固くて食べられないものもあった。
ばらぐみ
バラ茱萸
地域を取り巻く様々な生活
橇道(そりみち)に敷く横木。昭和30年代の初めまでは、山で伐採した杉や桧の丸太は、往還(県道)脇にある土場(どば:丸太の集積所)までは橇で運ばれた。谷筋の橇道には雑木で作られた「番木」が敷き並べられ、橇の幅に潤滑油の廃油が塗られて滑りを良くした。谷を渡る時には桟橋を架けた。カーブを曲がる時の力の入れ具合など、熟練のいる仕事であった。子どもたちにとって橇道の桟橋の上を歩くのはちょっとした冒険であった。
ばんぎ
番木
冠婚葬祭と人々の繋がり
飯を切る桶のことを飯切(はんぎり)といい、それが濁音化した。さらに、入れ物から御飯そのものになり、「ばんぎりばんぎり」と重複することで「御飯のたびごとに」という意味となった。やがて食事以外のことにも使い、「いくら誘われたってばんぎりばんぎり(その都度)は行けねいよ」と、頻繁にとか常にという意味で使う。同じ断り方でも情緒がある。
ばんぎり
飯切
動物や植物との関わり
夜に活動するからの名前か。ムササビのことで、鳥の名が付くが、鳥類ではなくネズミの仲間である。夕方、昆虫を求めて滑空するバンドリを見つけ、子どもたち数人で追いかける。「バンドリ」は滑空だけしかできないので、次に移動する時は高い木に登らなくてはならない。この時間を利用して子どもたちは追いつく。捕まえたことは一度もなかったが、皮膜を広げて飛ぶバンドリは特別興奮する生き物であった。
ばんどり
晩鳥
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
江戸言葉の「ばかし」の転訛で、「ばかり」、「だけ」の意味。「おればーしおごられてる」と言えば、自分ばかり叱られていることへの不満になる。「くったばーし(食ったばーし)」は時間の限定で、食べたばかりの意味である。
ばーし
ばーし
地域を取り巻く様々な生活
機械などが壊れて動かなくなること。特に老朽化したものがダメになることに使う。「バイクが途中でぱだぐれっちゃってひでめついた(バイクが途中で故障してひどい目にあった)」いう。このバイクは中古(ちゅうぶる)で買ったものかも知れない。新品が動かなくなったら「ぱたぐれる」とは言わなかった。人もまた、老齢になって使い物にならないと「ぱたぐれる」ことになる。
ぱたぐれる
子どもの世界と遊び
遊び道具は季節によって変わる。パチンコは小鳥が集団で渡る冬季に多く使われた。ゴムが貴重品で、手に入らないので、自転車のチューブの古くなったものを平ゴム状に切って、ミズキのざくまたに縛り付けて作った。かなり威力があり、庭先の雀を射当てたこともある。やがて丸い管状のゴムが出回り、弾力性も格段に増してた。小学生にとって興奮する遊びであった。
ぱちんこ
農家を支える日々のなりわい
「固くなる」ことで「ぱっかた」とも言う。冬になって、バケツに汲んで置いた水は「ぱっかちか」に凍っている。濡れ雑巾も「ぱっかた」であった。半纏(はんてん)の袖も、棒鼻を拭いたので「ぱっかちか」になっていた。今、これに代わる言葉は何というか。これ以外の言葉では十分表現できない。
ぱっかちか
感情を表すことば
着衣が体にぴったりと付いている状態。新任の男の先生が赴任し、都会風のトレパンで体育の授業をしたところ、「今度の先生はぱっつらした股引で授業をしている」と話題になった。子どもながらに先生の股間に目が行ってしまった。あまりにも「ぱっつら」していたからである。裾の細いマンボズボンが流行ると、「ぱっつら」が普通になってしまった。
ぱっつら
子どもの世界と遊び
メンコのことである。プロ野球の川上選手や大下選手が印刷されたもの、あるいは源義経などもあった。紙が粗雑であったことから、買った時から反り反り、すぐにでもひっくり返されそうなものもある。周囲に蝋を塗り対策をした。「ほんこ」は負ければ相手に取られてしまうが、「うそっこ」は終われば自分のものは手元に戻る。その分緊張感に欠けるが、年上が年下に対する思いやりでもあった。手を地面にたたきつけて風圧を上げる「てぶち」や袖を使って風を起こす「袖打ち」など様々な工夫をした。
ぱーぶち