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地域を取り巻く様々な生活

標準語には「才槌(さいづち)」とある。農具の中でも最も単純なもので、おそらく農耕を始めたころの弥生人も使っていたに違いない。長さ30センチほど、太さ15センチほどに丸太を切って、半分の所から握りやすい太さ削ったもので、小豆などを脱穀するのに使う。脱穀以外にも、杭打ち、藁打ち、さらに楮(こうぞ)を柔らかくして表皮を剥きやすきする時にも使った。単純であったが汎用性があった。

さいつきぼう

才突き棒
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

学校で先生に別れの挨拶をする時は標準語で「さようなら」と言っていた。その後で友達間では「さいな」と言って別れた。さようならの語源は「さようならば(そうならば別れましょう)」が縮まったもので、古くは「さらば(そうならば)」と言っていた。卒業式の式歌として使われていた「仰げば尊し」の中にも「いざさらば」がある。「さいな」も「さようなら」、「さらば」とつながるもので、今でも関西では「さいなら」と言っている。中学生になると「さいなっす」と語尾に「す」を付けた。何となく男らしさが出ている感じがした。今は「ほんじゃね」に取って代わられた。

さいな

地域を取り巻く様々な生活

雑木を一定の長さに切断し、太いものは斧(よき)で割って針金で束ねた薪のこと。「さいまき樵(こ)り」はガスや石油が普及する前までは、冬の農閑の仕事として、ほまち(帆待ち:余業)稼ぎとなった。ナラやクヌギなど広葉落葉樹の堅木は火力が強く長持ちし、炭とともに薪炭屋が買い付けた。決まったサイズの針金に差し込み、最後には緩まないように叩き込む。一束で10キロ程度であったから、小学生には二束が限度であった。山から道路まで背負梯子(しょいばしご)で下ろし、一冬の間頑張って町に行ってグローブを買った。30年代までの雑木山は、下刈りをして三本から四本程度の株立ちにして更新して、順に炭や薪にしていったので、きれいに維持され、キノコもたくさん採れた。今は薪は使われなくなり、荒れ放題である。町には薪炭店が何軒もあったが、やがて石炭やプロパンを扱う燃料店となり、さらにガソリンスタンドになったが、過疎化の中で廃業が続く。

さいまき

裂薪
動物や植物との関わり

動物が発情することの意味である。「ふけ猫」と言ったが、馬には「ふける」と言わなかった。春を過ぎると厩(うまや)の馬の様子が普通と違ってくる。その頃になると博労(ばくろう)が種馬を連れて農家を巡回する。村の下(しも)の方からやって来ることが伝わると、子どもたちはどきどきして待っていた。種馬は1日何頭を相手にしたのだろうか。草の豊富な来春に生まれるように時期を調整していた

さかる

盛る
生活の基本 衣と食と住

アブラザメの皮と内蔵を取り除いたムキサメのこと。普段の八溝地方の魚は塩がたっぷりかけられ、猫も食べないサケの「ねこまたぎ」か、棒のように固く乾燥したニシンなどが多く、刺身と言えば葬式の時に食べる酢ダコであった。そういう中で、ひときわおいしいものはサガンボであった。ぶつ切りにすると、真中に太い骨があり、周りには白身の肉が付いてた。砂糖と醤油で煮た煮凝りは飴色をしていて、とても魚から出てきたものとは思えなかった。サガンボの煮付けは冬の料理の代表で、懐かしい味の一つである。

さがんぼ

農家を支える日々のなりわい

つららのこと。雪解けの翌日の軒には「さがんぼ」が軒いっぱいぶら下がっていた。雨樋(あまどい)がない上に、藁屋根は水を含み易く、少しずつ流れ落ちるから「さがんぼ」のできる条件が揃っていた。今よりも気温が低かったこともあり、「さがんぼ」を目にする機会があった。

さがんぼ

下ん棒
冠婚葬祭と人々の繋がり

ものの先頭のこと。そこから、人に先駆けてやる、またその人。時には出過ぎた人のことも指す。「さきっぱな担いで調子込んで」と言うこともある。なにごとにつけ「さぎっぱな」は批判されることが多い。

さきっぱな

先っ端
農家を支える日々のなりわい

棒などの先端部。「ぺ」は辺の転訛したものか。鉛筆の芯の先端も「先っぺおっかけっちゃった(鉛筆の先端が折れてしまった)」と言って、肥後守(ひごのかみ)という小刀で削り直す。「尻っぺじ」の反対。「さぎっちょ」、あるいは「さぎっぽ」ともいう。

さきっぺ

先っ辺
地域を取り巻く様々な生活

「さくる」は広辞苑にもあり、「溝状に掘る」、さらには「すくうようにして上げる」という意味で、いずれも古い用法で、方言ではない。鍬で「さくる」ことは古来の用法に合致する。ただ、当地方では単に「さくる」でなく、傾斜地の畑であるから、上から下に「さくって」いると、上の方の土が薄くなってしまう。そのため、逆に「さくりあげる」必要がある。雑草を鋤込み畝立てするまで、力のいる仕事であった。平場の農家よりも腰の曲がった年寄りが多かったのも「さくる」作業が大きな負担であったからであろう。

さくりあげる

体の名称と病気やけが

開腹手術をすること。また、ウナギなどの腸(はらわた)を取るために腹部を切ることも含む。入院して、「盲腸で腹割いたんだと」ということになれば、隣近所に直ぐに知れ渡る。「割く」という言葉は重病という感じが強かった。今のように頭まで手術していたら「あたまさぐ」と言ったろうか。

さぐ

割く
感情を表すことば

「さくい」は方言ではない。気遣いをせず、気さくなこと。「どうぞお上がんなんしょ(どうぞお上がりください)」と言われれば、「ほんじゃさくくいただきます(遠慮なくいただきます)」と言ってお茶をいただく。「さくい人」は、気詰まりなことがなく、付き合いをしやすい人のことである。

さぐぐ

子どもの世界と遊び

玉糸に大きな針を結び、50cmほどの篠竹に結び付けた下げ針を10本くらい用意した。ゴミ置き場に行って「ドバミミズ」の太いのを取ってきて、下げ針に掛ける。子どもながらに、川にはテリトリーがあり、下げ針を掛ける場所が決まっていた。夜に活動するウナギが目当てであった。翌朝、川に行って下げ針を上げると、場所を忘れて本数が足りないこともあった。大きなウナギが糸にグルグル巻きに絡まっていることがあった。錐(きり)をウナギの目玉に刺して板に打ち付け、肥後の守で白い腹を割いて、串に刺して囲炉裏で焼いた。学校に行けば何倍もの大きさに誇張して自慢した。まだ子どもでも獲れるほど天然のウナギがいた時代であった。

さげばり

下げ針
感情を表すことば

めちゃくちゃなこと。「ささら」は竹を細かくしたもので、つまらないものの意味がある。細かいものがごちゃごちゃしている状況。「ほうさら」は不明。脱ぎっぱなしで片付けがなされていないと「ささらほーさらぶっちらかして(ぐじゃぐじゃに脱ぎっぱなしで)」と注意される。片付けの習慣がなく、今でも「ささらほーさら」の状態であるのは変わらない。

ささらほーさら

感情を表すことば

標準語「差し支えない」が転訛したもの。心配ない、あるいは問題ないと言う時に使い、同じ意味で「くらね」も使った。「さすけねーよ。だいじ(大丈夫)だから」と相手へ配慮をする。一方で、気にすることはないという意味で、「さすけねから、このまま逃げっちゃうべ」ということもある。

さすけね

差し支えない
冠婚葬祭と人々の繋がり

「さた」と言えば標準語で、「知らせ」という意味で、「ご無沙汰しています」と使われる。沙汰の中でも、葬儀の「さだ」は組内でも重要なことであった。班長さんを中心に、親戚の一覧を作り、親疎の別を当家に確認して、近い所は直接出向く「飛脚」が知らせ、遠いところは郵便局で電報を打つ。電話がない時代は「さだ」するのも大変であった。

さだ

沙汰
生活の基本 衣と食と住

母屋や納屋に差し掛けた簡便な片流れの建物。さらには野菜を貯蔵するために畑の隅、さらには炭窯の近くに臨時にこしらえたものなどをいう。「差し掛ける」という語源からも、独立した建造物ではない。建坪に入らないので、駐車場などにしている立派な「さっかけ」もある。

さっかけ

差っ掛け
生活の基本 衣と食と住

沢庵、刺身などを薄く切ったものを数える時の数詞である。沢庵を勧められ、好きでないので「そーだにいんねがら(そんなにいらないから)ひとさっぱだけでいいよ」といって遠慮する。刺身も「さっぱ」と数えるが、当時は刺身を食べたことがないから、数えたことがない。

さっぱ

地域を取り巻く様々な生活

英語のショベルが転訛して「さぶろ」になった。スコップは、オランダ語から入って来た古い外来語である。本来の英語表現「ショベル」に変えるべき若い人たちもスコップと言う。「サブロ」は全く使われなくなったが、子供のころはもっぱらサブロであった。明治に外国の文物が入って来た時、耳から聞いた言葉がそのまま使われた例である。さすがにインキはインクになったが、会社名はパイロットインキのままで、車もブレークでなくブレーキである。

さぶろ

感情を表すことば

戦後の昭和20年代後半までの山間の生活は「さみしー」思いをすることが多かった。何よりも暗かった。川や風の音などの自然音以外に聞こえてくるものがなかった。蒲団に入りながら、自動車や電車の音が聞こえていたらどんなに良いだろうかと想像していた。冬になると、4時過ぎの学校帰りには山に日が沈み「さみし」かった。この「さみしー」思いが、感受性を豊かにしてくれたのだろう。

さみしー

寂しい
農家を支える日々のなりわい

「いや今朝はさみねー」と冬の登校時の挨拶となっている。息を吐きかけて温めたが、後でかえって冷たさが増した。手袋はなかったから、ズボンの「隠し」(ポケット)に手を入れるか、半纏の中に入れて寒さをしのいだ。部屋の暖房や着衣の違いで、今は「さみー」という場面も少なくなったに違いない。

さみー

寒みー
動物や植物との関わり

落葉樹で雑木林に普通にあるリョウブのこと。「猿滑(猿なめし)」と書き、サルスベリと木肌が似ていることからの命名。炭材にもするが、材が固くしかも柔軟性があることから、斧(おの)などの柄に使われた。樫(かし)は固すぎて手に直接伝わるので、道具によっては力を吸収してくれる「さるなめし」が好まれた。「りょうぶ飯」として若芽を炊き込むということだが、食べたことはなかった。

さるなめし

感情を表すことば

「構わない」に「され」が付いて意味が強まって、「何があっても気にしない」とか、「もう面倒をみない」という意味で使い、場面や立場によって変わる。「怒られたってされがまね」(怒られたって知ったことでない)と平気でいる。一方で親の方では「そだに言うごと聞かねんだら、何があってもされがまねがら(そんなに言うことを聞かないなら、何があっても面倒みないぞ)」子どもを叱る。子どもの頃から、ことの重大さを考えず、いつも「されがまね」と強引に自己主張し、後でひどい目に合うことがしばしばであった。

されがまね

され構わね
感情を表すことば

共通語で「散々だ」と言う時には「ひどい」とか「みじめ」の意味に限定し、病気の時には「いやさんざんでしたね」とお見舞いをしたりする。一方で共通語にない用法として「さんざんぱら遊んだ」とか、「さんざん食べた」と、十分であるという意味で使うことがある。人の家でご馳走になった後「さんざんお呼ばれちゃったね」といってお礼をした。広く程度の甚だしいことに使った。

さんざん(っぱら)

散々
地域を取り巻く様々な生活

標準語は桟俵(さんだわら)。俵の両端の丸い蓋のことをいう。俵を編むのも夜なべ仕事だったし、「さんだらぼっちも」すべて自家製であった。ぼっちは「藁ぼっち」というように、ひとかたまりの山の状態を言うが、さんだらぼっちは円座のように、扁平でありながら、なぜ「さんだらぼっち」か。

さんだらぼっち

桟俵ぼっち
地域を取り巻く様々な生活

標準語では備中鍬と言っている。馬耕が出来ない不整形な山間の田の耕起は三本鍬の出番である。粘りのある田の土が張り付かないので、三本鍬が欠かせない。田起こしは重労働であったが、今は耕作放棄地になっているので三本鍬の出番はなくなった。ただ、畑の芋掘りには芋を傷つけないために三本鍬が今も使われている。三本鍬と言っていたが、刃が短く4本のものもあった。

さんぼんぐわ

三本鍬
冠婚葬祭と人々の繋がり

陰暦23日の月待ち講。女性だけの集まりで、1月、3月、7月、10月に行われ、お念仏を唱える。順番に宿が回ってくる。当時すでに母親が宿主になっていたが、いつどのようなタイミングで交代してのであろうか。女衆だけの集まりであったから、組内の人間関係もよく分かった。母親と同世代で、町の方から嫁に来ていた人がいたので、農業経験のない母とは何かと気が合っていた。どちらの夫も公務員であったから、組内でも他のご婦人からの当たりがあったことは、子どもにも想像が付いた。

さんやさま

三夜様
農家を支える日々のなりわい

4日後かと思われが自信がない。「やなさって」があり、「しやさって」もあり、「さーさって」はどこに落ち着くのか。「あした」の次が「あさって」で、その次が「やなさって」か。それとも逆に「しやさって」の次が「やなさって」か。「あさって」までは明確だが、その次が曖昧である。「あさっての方を向いている」と言えば、見当違いな方向を向いていることを指したが、「やなさって」までになるとどこを向いているのかさえ不明である。

さーさって

子どもの世界と遊び

沢に接尾語が付いたもの。本流に対して横に入り込む小さな沢のこと。川に劣らず子どもの遊び場として重要な場所であった。それぞれテリトリーが決まっていて「自分のもの」という場所を持っていたた。流れが小さいから、子どもでも水路を変えることが可能で、竹の導水管で落差を付けてミニチュアの水車も回した。段丘面の下を流れる本流は生活と離れていたが、沢沿いには洗い場もあり、田んぼの水利としても欠かせない生活の場であった。今は草に覆われ、遊ぶ子もいない。集落には20代以下は一人もいない。

さーっこ

沢っこ
冠婚葬祭と人々の繋がり

田舎っぺのことで、「ペ」は蔑視の接尾語である。在は町に対する言葉で、農村部を指した。在に郷を付けた在郷は「ざいご」と言い、何かにつけ遅れていることを意味していた。町の子どもからは「在郷っぺ」と蔑まれた。高校で下宿をして、食生活や言葉のなど、改めて自分が「在郷っぺ」であることを自覚した。今は町の中学校までスクールバスで通っているから情報量が同じで、在郷に住んでいても「在郷っぺ」とは言われない。

ざいごっぺ

在郷っぺ
生活の基本 衣と食と住

ざくざく切って煮込む意味か。年に何度か、「こと日」など特別な日に作った。すべて自家製のダイコン ニンジン ゴボウ サトイモなどを三角形に切り、コンニャクも入れて煮る。時には油揚げが入っていると、それだけを拾い出して食べた。煮干しの出汁と醤油だけの味付けだが、素材の味がよく出ていた。

ざくに

ざく煮
動物や植物との関わり

木の枝が分かれていることで、特にきれいにYの字になっているものを言う。パチンコを作るの台木であるから、左右均等に分かれていなくてはならない。遊びの場だけでなく、生活の場でも様々な場面で利用され、野菜保存の屋根を作る時の棟を渡すのにも利用した。復元された縄文人の竪穴住居でも「ざくまた」を上手に利用していたことが窺える。

ざくまた

裂股
動物や植物との関わり

茅(かや)など切り株で、何本も株立ちしているもの。背丈の伸びた「がさやぶ」は藪そのもので、「がさがさ」音がすることからの擬音語であろうが、「ざざっかぶ」は切り株のことである。ビーバー(草刈り機)で刈り払ったのでなく、鎌で刈り払ったので、鋭い切り株がのこり、踏み抜きをして足の裏を怪我することがあった。

ざざっかぶ

生活の基本 衣と食と住

箒を何本も背負った箒売りが巡回してきた。庭を掃くたかぼうき(竹箒)は自家製であったが、座敷箒は家を回って歩く箒売りから購入した。竹の柄の短いものと長いものがあって、板の間を掃く時は柄の短いもの、畳を掃く時の柄の長いものを使い分けしていた。「掃き出す」という言葉は普段に使われていたが、掃除機が普及して死語となった。民芸品のようなきれいな糸で編まれた座敷箒が今も柱に掛けられている。

ざしきぼうき

座敷箒
生活の基本 衣と食と住

特別な種類を指すのでなく、ザラザラと音がするような日持ちする安い菓子類。コタツのお盆にはいつも来客用のザラ菓子が入っていた。子どもたちにとっても魅力的なものでなく、手を出さなかった。婆ちゃん同士が茶飲み話で、「ザラ菓子でわりぎっと(ザラ菓子で悪いけれど)」と勧めるが、隣の婆ちゃんは手を出さない。義理で勧めていることが分かっているからである。ザラ菓子は一種の飾りでもあった。

ざらがし

冠婚葬祭と人々の繋がり

「ざんそ」が濁音化した。菅原道真は藤原氏の讒訴によって太宰府に流された。事実でないことを目上の人に告げ口をすることを讒言(ざんげん)という。きわめて難しい言葉でありながら、陰口と言う意味で当地方に伝播し定着したのはどうしてだろうか。海を通して千葉や茨城から関西の言葉が伝播してきたのであろう。年寄りが寄り合えば嫁の「ざんぞ」話になることが多かった。

ざんぞ

讒訴
冠婚葬祭と人々の繋がり

最後の残り飯を食うこと。また、最後まで残って飲食をしている人のこと。「ござっぱたき」ともいう。祭りの直会(なおらい)があり、酒が入ると、普段は大人しく黙っているのに、勢いがついて、日ごろの鬱憤を晴らすように地境のことで難癖を付けたり、悪口を言って周囲を困らせる。女達はいつまでも片付けが終わらず、茣蓙を叩いて「茣蓙っ叩(ぱた)き」をするが、それでも席を立たない。困り果てたおっかが「とうちゃん早ぐ帰っぺ」と急かすが、聞くっちゃない。次の日にはケロッとしているから周囲はいっそうおもしろくない。そんな田舎での残払いの習慣からか、今でも宴会では最後まで残ることが多い。

ざんばらい

残払い
地域を取り巻く様々な生活

竹や寒竹、藤蔓などで編んだ「ざーる」は、身近な家庭生活でなくてはならないものであった。食器やうどん、そばなどの水切り、さらには乾燥(かんそ)芋や大根の干物を作るなど、用途が多用であった。用途に合わせて、形状や大きさも種々で、大きくて扁平なもの、やや深みのあるもの、さらには編み目が細かい物から六角形の粗いものまで使い分けた。今では金属やプラスチック製となったが、まだ古い竹の「ざーる」は物置にしまわれたまま残っている。

ざーる

笊(ざる)
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