挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
さまざまな場面で使い、「そんでせ」と、語調を整えるだけでなく、念を押す時にも使う。同じ接尾語の「さ」はア段で口をはっきり開けるので、エ段の「せ」は口をはっきり開けないから、顔も穏やかである。残したい八溝の言葉である。
せ
農家を支える日々のなりわい
季節外れのこと。「節っ外れ」になると、作物の収量に大きな影響がある。適時適作が原則である。農業以外でも、節句の祝いが遅れたりすれば「せずっぱずれ」になる。近所付き合いでもタイミングを逃してしまうと、「せずっぱずれ」で不義理になる。親しいがゆえに気配りは欠かせない。
せずっぱずれ
節っ外れ
感情を表すことば
「いつも」の意味。近所からもらい物をすると「せっせつ済まねねよ(いつもすみませんね)」とお礼を言う。エ段の「せ」が重なり、音読みの響きを含め、古い雰囲気を残した良い言葉である。ずいぶん使った言葉だが、今は聞くことがなくなってしまった。
せっせつ
節々
感情を表すことば
「さっさと」の意味。ぐずぐずしていつまでも取りかからないと、「せっせど終わりにしっちめ(さっさとおわりにしてしまえ)」と急かされる。若い世代には通じない言葉となった。
せっせど
地域を取り巻く様々な生活
水苗代と陸(おか)苗代の良さを取り入れた育苗方法。ビニールが普及する前であったので、油紙で夜間の温度を下げないようにしたから、保温折衷苗代とも言う。今までの育苗方では気温に左右され、田植え時期が遅れて収量に影響が出たり、病害が出たりすることもあった。折衷苗代が考案されてからは、田植えの時期を逆算して苗代しめをする。今はビニールハウスで育苗するから、さらに発芽の時期が早まり、二百十日前には収穫が終わる。「二百十日」という大事な言葉も不要になった。我が家は苗をもらって田植えをする兼業農家であった。
せっちゅうなわしろ
折衷苗代
感情を表すことば
標準語の「苦しくて堪らない」とともに、心が晴れず辛い心情をいう。日が短くなると早く日が陰り、言葉にはできない「せつねー」という寂しさに襲われる。心の問題ばかりでなく、金策に苦労することもまた「せつない」ことで、「出来秋(収穫期)までなんぼ(いくら)も残っていなくて、せつなくなっちゃた」と、懐が寂しいことにも言う。むしろ、辛く切ないのは金策に困ることの方が強かったとも言えよう。全体的に率直すぎる言い方が多い地域で、優しい物言いの言葉である。
せつねー
生活の基本 衣と食と住
背戸は屋敷の裏の防風林や竹藪の場所。童謡にも、鳴かなくなったカナリアは「お背戸」に捨てるとある。表の出入り口に対して、通用口のことで、北側にあるとは限らない。木小屋に囲炉裏の薪を取りに行ったり、台所ゴミを捨てに行ったりするのは西側にある「瀬戸口」であった。家の作りによっては東側に「せどっくち」がある家もある。
せどっくち
背戸口
冠婚葬祭と人々の繋がり
古語辞書では「夫な」、「兄な」とあり、万葉集の東歌には妻から夫を呼ぶ時に「せ」の用例を載せている。時代が下がり、「兄」の意味で用いられるようになった。ただ、兄弟でも長兄にのみ使う。一家の家長となるべき長男は、家屋敷を守り、神仏の祭祀を継承し、隣近所の付き合いもしていくという大事な存在であった。子供のころから特別扱いされ、親戚に行けば、次男三男とは小遣いの額も違った。そのため「長男の甚六」と呼ばれるように、のんびり育ってしまうことも多い。次男三男は外に出るのだから、「はしっこい」くらいでちょうどよい。「せな」に対して姉様は「あんね」であった。
せな
農家を支える日々のなりわい
古典での学習では「せばし」と習う。八溝には古語の状態で残ってきたのであろう。普段は「せまい」が使われていたが、「せばい」も並行して使われていた。
せばい
狭い
子どもの世界と遊び
標準語では「せびる」。無理にせがんで要求すること。「孫に小遣いせびられて」と、爺ちゃんはうれしそうに言う。悪意で「せぶる」のでなく、断れない爺ちゃんの心理を巧みに捉えて「せぶる」のである。
せぶる
地域を取り巻く様々な生活
庭先の畑で作る野菜のこと。前栽は、もともと庭の植え込みなどを指すが、庭先で作った野菜の類を指すようになった。売り物などでなく、家庭で日常的に使う野菜である。八溝の山間では、消費地が遠く、輸送手段がないから、販売用の野菜栽培は不可能であった。それぞれの家庭で自家消費するものが、「せんざいもの」であった。前栽物を作るのは「前栽畑(せんざいばたけ)」である。国道に面したところには野菜直売所があり、交流人口の増加とともに賑わいを見せているが、おっとまり(行き止まり)の集落には恩恵がない。
せんざいもの
前栽物
生活の基本 衣と食と住
山からわき出る水を「とよ(樋)」で引いて池に水を落とす。池のことを「いけんぼ」というが、泉水はやや違う。真ん中に島をしつらえたりして、庭園のような趣をしているものをいう。我が家でも「せんすい」と言っていて、大きな鯉が泳いでいた。周囲に大きな石を据え、単なる「いけんぼ」ではなかった。小扇状地の扇端に立地したことが泉水を可能にしたのであろう。空き家になった泉水の鯉は足音がすると一斉に寄って来て餌をねだる。
せんすい
泉水
農家を支える日々のなりわい
冬の冷たい水を使って、棒石けんを擦り付け、横線が彫り込まれている洗濯板を使いながら、家族十人分を手で洗っていた。農家の主婦にとって重労働で、母ちゃんの手は、いつも「めなし」だらけであった。すり減った洗濯板が今も残っているが、井戸端で洗濯していた母の姿と重なる。我が家では、昭和30年頃、地域では一番先に「手回し洗濯機」が導入された。画期的なことであったが、やがて手回しの脱水ローラーがついた「電気洗濯機」が普及して、すぐに廃れてしまった。洗濯板は何百年と続いたものであろうが、この後の10年で全く別な世界に変化した。
せんたくいた
洗濯板
農家を支える日々のなりわい
時間的に過去のことをいう。「せんに」が「せんぎ」となった。「せんぎ借りたやつ返すかんね」(さきごろ借りたものを返すよ)という。「先」は「先日」と同じように、音読みにしてることから、八溝以外の言葉が移入されたものであろう。古い用法が残っていたが、いまは標準語の語「先頃」になった。
せんに(せんぎ)
先に
農家を支える日々のなりわい
先ごろと同じ。「先の頃は済まなかったね(先頃はありがとうございました)」と、お礼を言う。今は「先頃」が当然のようになってしまっているが、「せんのころ」方が上品な感じがする。江戸言葉が残っていたものであろう。そろそろ使う人がいなくなってしまう言葉だが、良い言葉である。
せんのころ
先の頃
生活の基本 衣と食と住
煎餅屋が使っているものより柄の長い煎餅焼き器があった。把っ手が長いのは囲炉裏の火で焼いたことからで、村の鍛冶屋の特製であろう。ハサミの先の皿状のものの表面にはでこぼこがあったが、焼き上がると直ぐに剥がせる工夫であった。他におやつらしいものがない時代だたから、甘みのある焼け立ての熱々の煎餅は極上の味であった。古いものは不要とばかり一気に捨てた時代があり、煎餅焼きも見つからない。
せんべ
煎餅
農家を支える日々のなりわい
毎朝婆ちゃんは、井戸の際で、洗面器に水を入れて洗顔を終えると東の空に向かって手を合わせていた。洗面器は一つしかないので、交代に使うことになるが、婆ちゃんが一番先であった。爺ちゃんはどうしていたのか記憶にない。子どもたちは洗顔を済まさないと朝飯を食わせてもらえない。井戸端から湯気の出ているほどの寒い中でも戸外で洗顔は、目やにを取るくらいで済ませてしまった。今でも洗面器が残っている。
せんめんき
洗面器
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
標準語の「清々と」が転訛したもので、きれいさっぱりの意。庭の草むしりが終わると「せーせどした」と安堵する。人間関係にも多く用いられ、感情的なもつれが解決すると「せーせーど」する。古い雰囲気を持っている良い言葉である。
せーせど
農家を支える日々のなりわい
「据える」の転訛。きちんと片付ける、収納すること。「お膳戸棚にせーどけ(お膳を戸棚にしまっておけ)」と言われる。まだ箱膳で、1回ずつ流しで食器を洗うことがなかったので、各自が食器ごとお膳は戸棚に入れた。家族全員分が収納できるようにするのには、きちんと「せーる」必要があった。
せーる
据える
感情を表すことば
「ぜんたい」が転訛したものである。広辞苑には、副詞的用法として、「もともと」と、疑問の「いったい」が載っている。当地域でも「ぜんてあの人は他人の悪口を言うかんね(全くいつでもあの人は他人の悪口を言うんだからね)」と、元来そういう質(たち)の人であることをを暗示している。いい意味では使わない。また、「ぜんてひでめついた(ひどい目にあった)よ」と言えば、何でこんな結果になったのかと、心中に否定の気持ちを込めている。今は年寄りの言葉になってしまっている。
ぜんて