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地域を取り巻く様々な生活

道の分岐点ではない。本家に対して、分家筋のことで、新宅あるいは新屋という。血縁関係であることから結びつきが強く、それぞれ血縁集団の「まけ」の付き合いは、隣組とは違ったもので、村落の核ともなる集団である。今では分家して代替わりをして時間が経ち、墓地や氏神様は一緒だが、次第に繋がりが薄れている。さらに、本家は農地解放で土地を失い、時代に対応しきれず、かえって身軽な分家の方が豊かになっている例が多い。また、本家は子ども教育に熱心であったから、長男が家に帰らず、家が無人となり、新宅や隠居の「わかされ」だけが残っている集落もある。

わかされ

分かされ
生活の基本 衣と食と住

標準語の「分配する」が、御飯や汁を、羽釜や鍋から取り分けて碗に盛るという限定された意味に使われる。「5年生になったんだがら、自分で分けろ」と言われる。「よそる」とも言い、「わける」より上品な響きを持つ言葉であった。

わける

分ける
子どもの世界と遊び

もてあそぶ、自分の好き勝手なことをすること。「いづまでもわすらしてねで片付けろ(いつまでもいじぐっていないで片付けろ)」と言われる。先生の話を聞かず「手わすら」をしていると注意を受ける。子ども園では集会の時に集中力を高めるために、先生の指示で「手遊び」をするが、「手わすら」のイメージと重なり、しっくっりと来ない言葉である。

わすら

冠婚葬祭と人々の繋がり

方言ではない。広辞苑では「移徒」の漢字を充てている。神様が新しい家に越したことの祝いと、新築の自宅を他人にお披露目をすることである。田舎のことだから、引っ越しも新築も滅多にないことで、御祝儀(結婚式)と「わだまし」が慶事の代表であった。この日は、普段着慣れない背広を着て集まった。ただ、「よそで蔵が建つと腹が立つ」と言うふうに、お呼ばれした人は、表と裏では心持ちが違った。

わだまし

農家を支える日々のなりわい

割ること。意図的に割ることは「わっかく」で、間違えて割れると「わっかける」である。「おっかく」ともいう。「御飯茶碗割っかけっちゃった」と使うが、実は自然に割れることがないから、不注意で「割っかく」ことになる。魚捕り用のガラス箱のガラスを「わっかく」と、町のガラス屋まで行かないと直らなかった。割れ目に蝋を塗り込んで修理したが、見にくいうえに、水圧が上がると、再び「わっかけ」てしまった。

わっかく

割っ欠く
感情を表すことば

「訳ない」が転訛したものである。簡単に物事が終えること。「なんちゃね(何と言うことはない)」と同じように使う。「そだごとわっきゃねよ」といえば、そんなくらいのことはたやすく終わることをいう。いつも「わっきゃねー」と言って、手早に処理していたが、丁寧さに欠けていることが常であった。

わっきゃねー

訳ない
子どもの世界と遊び

「輪っか」とも言う。桶の箍(たが)や自転車のリューム(リム)のような輪もあるし、糸や縄で結んだ「輪っこ」もある。リューム回しに熱中したし、縄で「輪っこ」を結んでさまざまな遊びに利用した。遊びはシンプルでないと長続きしないし、次の世代にも継承されない。

わっこ

輪っこ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「わっち」は「儂:わし」が訛ったもので、「わし」は江戸時代までは女性が使っていた一人称で、その後男性の一人称になったという。「わっち」は方言でなく、江戸で使われていた言葉であり、八溝地方にも伝播し、比較的最近まで女性の一人称として使われていた。富山県出身の育ちのいい女性が、自分を「わし」といっていてびっくりしたことがあるが、京言葉に近かったのであろう。子どもの頃、男は「おれ」を使っていたが、女子は「わっち」を使っていた。「私」は改まった時以外には使わない。中年以上の女性は「おれ」を使っていた。自宅を指すのも「おらち」あるいは「おらんち」であった。今でも叔母は「わっち」を使っている。由緒ある一人称である。

わっち

わたし
生活の基本 衣と食と住

「草鞋掛」のことで、地下足袋をいう。「わらじ」が清音化し、「わらち」となった。もとは草鞋を履く時に足を守る足袋のことだが、今はお祭りの時の足袋を指すようになった。さらに元の意味を失い、しかも、直に地面を歩くから「直(じか)足袋」であったものが「地下(ちか)足袋」になった。一般に清音が濁音化するのに「地下足袋」は反対に清音化している。ブリヂストンのルーツである久留米の会社の箱に「地下足袋」と書いてあったから、そのまま「ちかたび」読むようになり、全国に普及した。「地下足袋」の前の呼称の「草鞋掛」を聞き知っている最後の世代であろう。

わらちかけ

草鞋掛
地域を取り巻く様々な生活

藁しべのこと。「しべ」は屑藁のことで、実を落とした後の穂の部分。農家にとって藁は貴重であったから、「わらっちび」も無駄にしなかった。子どもたちは「わらっちび」で遊ぶと、後でちくちく(のがっぽい)してひどかった。今はコンバインで田んぼで脱穀かでするから、「わらっちび」ばかりでなく藁そのものも裁断され、やがて田んぼに鋤込まれてしまう。それだけに藁を使う必要がなくなったのである。

わらっちび

藁橤
感情を表すことば

古語辞書に、ばらばら、ちりぢりにと載っている。八溝では慌てることに使う。「先生に、急に指されてわらわらしっちゃった」という。予定外のことで、気持ちに焦りが出て、整理できないことから、古語の持つ意味「ばらばら」に繋がるのではないか。

わらわら

感情を表すことば

標準語では割方(わりかた)で、比較的という意味で使う。八溝でも同じように、「今度の試験はわりかしよがったよ(今度の試験は思ったよりも良かったよ)」と、「わりかし」で比較的ということである。一方で「今度の試験はわりかしくどかった(難しかった)」と言う時は、想定していたよりも難しかったという意味で、マイナス面で使う。良くも悪くも「わりかし」である。普通に使っていた言葉である。

わりかし

割方
感情を表すことば

悪口のこと。「わりぎ言われっちゃた(悪口を言われた)」という。「わりぎ」を言ったかどうかは子どもにとって大問題であり、しばしば喧嘩の種となった。日常的に身近な言葉であったから、標準語の「悪口」では落ち着かない。

わりぎ

悪気
感情を表すことば

謝罪だけでなく、遠慮しながら依頼する時、感謝する際も使う。「わりーわりーなかんべん(勘弁)して」と重語で誠意を込めて謝罪する。「わりげんとさ、明日までにおやしてもらいねげよ(申し訳ないけど、明日までに終わりにしておいてもらいないかな)」と、熱意を持って依頼する。「忙しのにわりがったね」と謝意をのべる。表向きの「悪い」と違って奥の深い言葉である。

わりー

悪い
感情を表すことば

予想以上にの意味。予想以上に程度の甚だしいこと全般に使う。「わるぐ酔っ払ってんじゃねの」という言い方には、非難の気持ちを込める心理が背景にある。一方で「今日はわるぐはしゃいでんじゃねーの(今日はずいぶんおしゃべりじゃないの)」と、予想以上であっても非難お気持ちはない。「悪い」というもとの意味でない使い方である。

わるぐ

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