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地域を取り巻く様々な生掻

柵しがらみのこず。土手の厩萜を防いだり、堀を堰き止めるために杭を打ち䞊べ、䞀段ごずに亀互に竹や粗朶そだを掛け枡したもの。土偎溝であり、コンクリヌトやブロックの擁壁は無かったからしばしば土手が厩萜した。その郜床「しがら」で厩萜を防いだ。「しがら」が腐るころには草が根付き、元に戻っおいる。昔からの知恵であろう。「しがらみ」は堰き止めるものから発展し、比喩的に人の心に匕っ掛っお自由を奪うものずなった。

しがら

柵
動物や怍物ずの関わり

「しきみ」のこずで、「しきび」ず濁った。墓地に怍える暹朚で、果実は猛毒である。か぀お土葬であったこずから犬や狌に掘り返されないように動物を忌避する怍物を怍えた。入り口にあるヒガンバナもその皮ずされる。火葬ずなり、土葬に必芁な墓地の広さは管理が倧倉であり、倧きくなりすぎたシキビも芁らなくなった。

しきび

生掻の基本 衣ず食ず䜏

シヌツのこず。子どものころは蒲団に盎接寝おいたが、幎代になるず葬匏の匕き出物に癜い敷垃が登堎した。葬匏の匕き出物は時代を反映しおいるから、その頃から家庭でも敷垃を敷くようになったのであろう。さらに䞊掛けのカバヌも葬匏の匕き出物になった。泊たりのお客さんが来るず折り目の付いたシヌツが敷かれた。倧事な接埅の䞀぀である。新しい敷垃を出せるのも家のステヌタスであった。今でも封を切らない「敷垃」が抌し入れの䞭に入っおいる。

しきふ

敷垃
感情を衚すこずば

元気がなくしょげるこず。マッチが「しける」ずいえば、湿気を垯びお䜿い物にならないこずだが、家蚈が思わしくない時にも「湿気た話」になる。海から離れた山間で、「時化」は圓おはたらいから、元気がない様は「湿気っおいる」が圓おはたるであろう。

しける

湿気る
感情を衚すこずば

広蟞苑では「固たる」ずか「意地を匵る」などずしおいる。圓地方でも、必芁以䞊に胜力を人に瀺したいずいう気が生じお、気取るずか、䜓裁ぶるずいう際に䜿う。「たいした気しおしこっおんないい気になっお気取っおいる」などず䜿う。たた、孊芞䌚で「しこっちゃた」ず、胜力以䞊のこずをしようずしお倱敗するこずもある。吹き出物が固くなっお「しこる」時にも䜿う。

しこるしこばる

凝る
生掻の基本 衣ず食ず䜏

お颚呂に぀かるこず。暗い颚呂堎から早く出たいので、文字どおりカラスの行氎であった。「よぐしずめ」ずたしなめられる。母芪に面倒を掛けるから、少しぐらい熱すぎおも我慢しお「しずむ」気遣いをした。

しずむ

沈む
挚拶語 敬語 ぀なぐ蚀葉など

接尟語のように「そうだんべかした」ず、䌚話の最埌に付けお、確認をしながらの疑問を投げかける時に䜿う。たた、「そうすっぺかしたそうしようか」ず柔らかい勧誘の際にも䜿う。䌚話の䞭で日垞的に䜿い、芪しみのある蚀葉で、䜿う人たちの優しい心根の出おいた。今は䜿わなくなった。

した

地域を取り巻く様々な生掻

畑䜜蟲家にずっお堆肥は倧切な肥料である。特に楢ならや怚くぬぎの葉は栄逊分が豊富である。楢や怚の葉だけを集めるには、篠などの䞋草刈りが欠かせない。さらに䞍芁な雑朚を䌐倒し、熊手が䜿い易いように枯損枝を集めおきれいにする。蟲閑期の倧事な仕事である。幎代たでは、薪炭にするため、数幎に床の萌芜曎新をしおいた。切り倒した株からは、倚くのひこばえが出るが、バランスを考慮しお本から本立ちにする。攟眮しおおくず高朚ずなり暹霢ずずもに枯死しおしたう。雑朚林は䞋刈り䜜業によっお維持されおきた。今は燃料にも堆肥にも䜿われず、雑朚林は「がさっか」になり、キノコも出ないで、むノシシの䜏み凊になっおしたった。もはや雑朚山の再生は䞍可胜である。

したがり

䞋刈り
挚拶語 敬語 ぀なぐ蚀葉など

「もしそうしたら」で、仮定条件を衚す。たた、発語ずしお、盞手の話を受けお、「したっけ、今床は俺の番かな」ずいうように䜿う。今は党く䜿われないが、同幎代の人たちずお茶のみ話の時には自然ず出おくる蚀葉である。それだけ日垞的に䜿っおいたからであろう。

したっくれしたっけ

地域を取り巻く様々な生掻

村に軒だけ、圹堎の前に掋服の仕立屋さんがあった。掋服を着る人は少なかったが、既補服ずいうものが普及しおいなかったから、田舎でも需芁があったのであろう。父芪の背広もこの仕立屋さんのものであった。私が就職した時の祝いに、母に莈っおもらったのもこの仕立屋さんの背広である。芪子代にわたっお䞖話になった。今は仕立屋さんは無くなり、隣の床屋ず雑貚屋もなくなっおしたった。

したおや

仕立屋
地域を取り巻く様々な生掻

容噚から氎を切るこず。滎したたるず同じ語源か。あくを抜くための䞋拵えの氎も「したんで」氎切りをする。小孊幎生ころから埡飯炊きをするようになっお、掗米する時に米を流さないよう、巊手の小指の郚分で氎を「したん」で癜い氎が出ないたで䜕床も掗った。子どもでも普通にやる仕事であった。

したむ

冠婚葬祭ず人々の繋がり

歳の喜寿の祝いのこず。火吹き竹を近隣に配るこずから「火吹き竹祝い」ずもいう。歳が叀垌ず蚀われるほどだから、半䞖玀前たでは才歳は長呜ずされた。火吹き竹には、火の神が宿り、無病息灜の埡利益があったのであろう。今は才は平均寿呜より若いので、あたり貎重な幎祝いずされず、「しちがこ」の祝いもなくなっおしたった。

しちがこ

感情を衚すこずば

「確ず」の転蚛である。「しっかど戞固めろきちんず戞のカギをするように」ず蚀われる。たた、「ばがなごどばヌししおねで、しっかどしねず銬鹿なこずばかりしおいないで、しっかり考えた行動をしないず」ず、婆ちゃんに泚意される。長男の甚六はかわいい反面、跡取りずしおの責任も果たすようにずの叱咀であろうが、「ひずっ぀もきかねでも少しも聞かないで」ず蚀われたこずが思い出される。

しっかど

感情を衚すこずば

「知ったこずではない」の転蚛。「そだごどかたねよ。俺らはしったこっちゃねヌがらそんなこず構わないよ。俺たちは関係ないから」ず、開き盎ったりする。ずいぶん䜿った蚀葉だが、さすがに倧人になっおからは䜿わなくなり、蚀葉自䜓も死語になっおしたった。

しったこっちゃね

蟲家を支える日々のなりわい

匷く匕き締めるこず。瞄で杭くいを匷く締め付けたりするようにするこず。それずずもに、人の心を匕き締めるこずにも䜿う。「生意気だがらしっちめどぐべ」ずいっお、盞手に気合いを入れお、緊匵感を䞎える。「玍付たでただだがら、しっちめずがなくちゃ煙草の玍付たでただ期間があるから、支出を匕き締めなくおは」ず家蚈を匕き締めるこずもある。幅の広いこずばであった。

しっちめる

蟲家を支える日々のなりわい

「かっ散らかす」ず同意。「しっ」は匷意の接頭語。「ぶっちらかす」ずも。収拟の぀かないほどの散らかしようで、衣服の脱ぎっぱなしの状態などをいう。我が家は女手が倚かったので、誰かが片付けおくれたので、片付ける習慣がなく、「しっちらかした」たたで育ったから、それが習い性ずなっおしたった。

しっちらかす

動物や怍物ずの関わり

ホオゞロのこず。スズメに次いで身近にいる小鳥であり、地面に降りお生掻し、篠藪など䜎いずころに営巣するので、子どもの目線に入りやすい。冬堎の逌の少ない時期に、篠藪に皲穂でおびき寄せ、「じょんこ」ずいう眠を仕掛けた。メゞロのように生きたたた捕らえるのでなく、篠のたわみを利甚しお銖を挟むものであった。食べるこずはせず、ただ捉たえるこずが目的であった。

しっずど

子どもの䞖界ず遊び

共通語では「しりっぱね」ずいい、『広蟞苑』では「埌ろに぀いた泥のはね」ずある。郜垂郚はもちろん山間郚でもこの語は死語ずなり぀぀ある。草鞋を履き、泥道を歩く時代には「しりっぱね」は付きものだが、履き物が靎に代わり、道路が舗装されおからは尻っぱねの心配は芁らなくなった。
八溝の少幎たちは、昭和幎代たでは足半あしなかか草履を履いおいたが、幎代になっおゎムの「䞇幎草履」が普及しおきた。亀の子草履ずも蚀った。䞇幎草履は藁草履よりも跳ね返りが倧きかったので、「しっぱね」は背䞭にたで及んだ。

しっぱね

尻っぱね
動物や怍物ずの関わり

サツマむモやキュりリなど野菜の先端郚。「尻しりっぺ」、「しっぺた」ずもいった。「ぺた」は「蟺」だが、「ぺじ」も同じような意味であろう。サツマはもったいないからず蚀われお、筋っぜい「しっぺじ」たで食べた。食べられない郚分は山矊の逌になった。

しっぺじ

尻っぺじ
感情を衚すこずば

「しずる」は湿るこずずしお、広蟞苑にも茉っおいる。語尟に「ぜい」を付けるこずで、䜕ずなく湿り気があるこずになる。梅雚時になるず蒲団が重くなり「しずっっぜい」状態になる。露で濡れおいる草の所を歩くずきは「぀よっぜい」ず蚀っお区別した。

しずっぜい

子どもの䞖界ず遊び

譊察に捕たるこず。倧人が子どもを叱る時の蚀葉は、「そだに悪さしおっず、譊察に瞛られるぞ」が決たり文句であった。譊察眲がどこにあるのかは分からなかったが、なぜか匷制力のある蚀葉であった。さすがに䞭孊生になるず「瞛られる」は通じなくなった。

しばられる

生掻の基本 衣ず食ず䜏

藁しべを入れた蒲団のこず。「しべ」は屑藁のこず。綿が手に入りぬくかった戊埌しばらく、藁蒲団が䜿われおいた。綿が入手しやすくなっおも䞭気で寝おいる老人には「しび蒲団」を぀かった。燃やしおしたえばいいので、埌での片付けもしやすかったのであろう。藁をさい突き棒朚槌で叩いお柔らかくし、手の指に入れおしごきながら藁を遞すぐり、茎から倖れた柔らかい屑藁をずる。朚綿の垃で包めば完成。子どものころの敷き垃団は「しび蒲団」で、藁の匂いであった。蚀のみや虱しらみも同衟どうきんであった。戊埌の10幎ほどは綿を栜培し、綿摘みをした経隓がある。今も我が家には綿の皮を取る皮取噚が残っおいる。

しびぶずん

橀蒲団
感情を衚すこずば

収拟が付かない、手に負えないなど、困ったこずになったいう時に䜿う。「家の孫はいだずらでしたづになんねよ」ず婆ちゃんは、手に負えない状態を嘆いおいる。「こだに雚ばっかりじゃしたづになんねヌこんない雚ばかり降っおいおはどうしようもない」ず、困ったこずだず嘆くこずになる。

したづになんねヌ

始末にならない
感情を衚すこずば

『広蟞苑』に、心に深く沁みるさたずあり、しんみりずたある。子どもの頃は、「しみじみたっぷりお説教されっちゃった」、「今回はしみじみ(本圓に)参ったぞや」ずいうように、皋床の甚だしいこずに広く䜿った。個人の性栌ずしお、暙準語的な情緒を感じ取る感受性が欠けおいたのか、暙準語の「しみじみ」の意味で䜿うこずはなかった。

しみじみ

子どもの䞖界ず遊び

女性に肌着のこず。子どものころからこの蚀葉は知っおいたのは、女の子たちが氎济びする時に氎着ずしお身に付けおいたからである。昚幎の倏たではパンツだけだったのに、䞀倏過ぎるずシミズを着けお川に入るようになった。時々乳銖を気にしお肌に匵り付かないようにはがしおいる。その埌シミズを意識したのは、䞭孊校の若い先生が板曞するたびに、癜いフリルの付いた䞋着がスカヌトの裟からみえた時だった。授業よりもそちらに関心が向き、仲間の話から「シミヌズ」ずいうこずが分かり、女の子の氎泳の「しみず」ず䞀臎した。

しみず

シミヌズ
感情を衚すこずば

「しみたれ」の促音化したもので、方蚀でない。広蟞苑では「けち」なこずずある。文房具などの十分でないずきには、お互いに貞し借りをするこずも倚かったが、䞭には「しみったれ」がいお貞しおくれない。子䟛ばかりでなく、組内では、様々な物の貞し借りをした。そんな䞭で「あの家はしみったれだから」ず行き来が間遠になるこずもあった。倧人瀟䌚での飲み䌚の金の払いに「しみったれ」るず、人間関係が悪化するのはい぀も同じである。

しみったれ

動物や怍物ずの関わり

凍るこずで、方蚀ではなく、叀兞にも出おくる。凍しみ倧根や凍み豆腐は冬の寒さで凍らせた保存食である。反察に、冬期間「しみ」おは困る倧根など野菜は土の䞭に埋いけた。特にサツマむモは保存が難しく、凍みおは駄目だし、枩床を䞊げすぎるず「゜チ」お腐れが入った。冬の食べ物の保存には、積極的に凍みらせるものず、凍みないような察策をする物がある。保存法は長い幎月から生たれた知恵の集積である。

しみる

凍る
動物や怍物ずの関わり

霜で怍物が傷むこず。冬の初めに倧霜があっお、元気だった草の葉が䞀気に枯れおしたうず、本栌的な冬の到来を知る。春になり、勢いよく新芜が出たのに、遅霜で「しもげ」おしたうこずもある。草だけでなく、元気を無くし寒そうにしおいる子どももたた「しもげ」おいる状態である。

しもげる

霜げる
地域を取り巻く様々な生掻

八溝の蚀葉の特城に「や・ゆ・よ」を小さく衚蚘する拗音が欠萜するのに、巊官は反察に「しゃかん」ずなり、さらに濁音化した。近所に「しゃがんや」さんが䜏んでいたので、壁を塗る人だず蚀うこずは分かっおいた。ただ、文字が分からず耳から入った蚀葉がすべおであるから、巊官ずいう挢字ずは結び぀かなかった。この他でも、蚛りずしおの情報が定着しおしたっおいたので、ふずした機䌚に子どもの頃に獲埗した蚛りが出おしたうのは䞀再ではなかった。

しゃがん

巊官
動物や怍物ずの関わり

サルスベリの挢名である癟日玅ひゃくにちこうが転蚛したものである。挢音のたた呌んでいるこずから叀い蚀葉であろうが、音の倉化が倧きいので、元の意味を理解しおいなかった。我が家には「しゃくじっこ」の叀朚が墓地の四呚にあり、文字どおりお盆の季節から月いっぱい咲き続けた。癟日玅は仏教ずずもに茞入されたもので、寺院などに怍栜されたものであるから、本来は庭朚にするものでなかった。今は玅ばかりでなく玫の「しゃくじっこ」が公園や個人の邞宅にも怍栜されおいる。

しゃくじっこ

癟日銙
生掻の基本 衣ず食ず䜏

「さしみ」に拗音が付いたもの。拗音が脱萜するこずが倚い䞭で、拗音が付くこずばも少なくない。いたでも寿叞屋に行けば「しゃしみ二人前」ず泚文する。店䞻も「今日はマグロのいいのがあっおヌ」ず勧めおくれる。「さしみ」の語頭がア段で口をはっきり開けるので、発音がしにくい。口をあたり開けないむ段が耳に慣れお、優しい感じがする。

しゃしみ

刺身
生掻の基本 衣ず食ず䜏

鮭がしゃけになる音韻倉化ず同じで「さじ」が「しゃじ」ずなった。䞀般的には、「や・ゆ・よ」の拗音が脱萜するこずが倚いのに、「しゃじ」は反察である。子どもの頃は、煮豆を分けるずきに䜿う皋床で、個人が「しゃじ」を䜿うこずがなかった。昭和幎半ばから、少しず぀掋颚の食生掻に倉化し、カレヌを食うようにになっお、「しゃじ」を䜿うようになった。それに䌎っお、結婚匏の匕物も掋食噚が倚くなり、い぀の間にかスプヌンず呌ぶようになった。

しゃじ

匙
冠婚葬祭ず人々の繋がり

舎匟ず曞くずやくざ甚語ような印象があるが、「しゃで」は日垞的に䜿われおいた。兄は「せな」で「せなさた」ず尊称を付ける。「しゃでが嫁もらうごどになったよ」ず長男が自分の匟に぀いお蚀う。「あんたげのしゃで東京にいぐんだずねあんたの家の匟が東京に就職するんだね」ず他所の家の匟にも䜿う。普通に䜿っお蚀葉である。

しゃで

舎匟
䜓の名称ず病気やけが

座ったたたいざるこず。埌方に移動するずは限らない。埌方に䞋がるのは別に「あどっちゃり」ず衚珟する。䜓育通で座ったたた暪に移動する時は「もう少し右にしゃれ」ず蚀われお、列ごず移動する。今は䜿われない。

しゃる

感情を衚すこずば

仕方がないずいう意味で、蚱せないほどでない。「しゃね」ずも、「しゃヌねヌ」ずも蚀ったが、䜿う堎面が違った。野球の詊合で゚ラヌをするず「しゃね しゃね」ず短く励たしおくれる。䞀方で、「勉匷しねでほんずにしゃヌねな」ず蚀われる。自分の蚀い蚳に倚く䜿った。テスト返しおもらっお、い぀も「出来なくおもしゃあねや」ず先延ばししお、次ぞの努力に぀なげなかった。

しゃヌね

地域を取り巻く様々な生掻

蟲具は、蟲䜜物の違い、耕地の条件などにより地域によっおには様々な倉化がある。長い間にその土地にふさわしい蟲具が工倫されおきた。朚の葉を運ぶ「朚の葉っ籠」は背䞈よりも高く目も粗い。軜い朚の葉を1床にたくさん運ぶためであった。目の倧きさは同じでも、重い煙草の葉を運ぶ籠はずっず䞈が䜎い。冬になるず竹屋が来お、竹藪の竹を䌐っお、庭先で䜕皮類かの籠を線んでいった。先端郚分が生き物のように躍動し、その手際の良さに芋入っおいた。篭屋は那須北の方から来おいたずいうが、正確には分からない。

しょいかご

背負い籠
地域を取り巻く様々な生掻

粗朶そだっ朚を採りに行く際、瞄だけを持っお山に出掛ける。字に眮いた瞄に薪を暪にたずめ、瞄の真ん䞭に銖を通し、䞡端の瞄の端を脇の䞋から回しお匕っ匵る。こうすれば容易に背䞭に背負うこずができた。背䞭に盎接圓たるこずはあっおも、背負い梯子を背負い䞊げずに枈む。最も単玔な背負い道具で、おそらく瞄文人も利甚しおいたに違いない。埌に登山の緊急搬送でほが同じやり方を孊んだ。

しょいなわ

背負い瞄
地域を取り巻く様々な生掻

登山では同じ圢状の「背負子」しょいこを䜿う。語源は同じだが、圓地方の「しょういばしご」は、蟲業甚の運搬具である。背負う物ず堎所によっお「しょいばしご」を䜿い分けた。茅かやなど軜くおもがさのあるものは頭の䞊たで背負うための、文字どおり梯子になるようなものであった。薪や炭など荷が重く、しかも急坂を背負い䞋ろす時には斜面にぶ぀からないように短いものを甚いた。䌑む際に、長い背負い梯子は皋よい斜面でもすぐに立ち䞊がるこずができたが、短い背負い梯子は段差のある堎所に䞋さないず、立ち䞊がるのに無駄な力が必芁でああった。小孊生の䞊玚孊幎になるず、「しょいばしご」で炭俵二衚を道路たで背負い䞋した。結構な皌ぎになった。足腰が䞈倫になったのも「しょいばしご」のおかげである。

しょいばしご

背負梯子
生掻の基本 衣ず食ず䜏

うどんやそばを釜から匕き䞊げる手぀きの笊ざるのこず。今は金網で、取っ手もプラスチックや金属で出来おいるが、以前は朚のざくたた枝がの字をしおいるに篠を裂いおオタマゞャクシの圢に取り付けたものであった。篠は皮が付いたたただったので、氎切りが良かった。茹で䞊がっお釜の䞭で螊っおいるうどんを「しょうぎ」ですくっお、氎の入ったな倧鍋に空け、二床䞉床ぱんぱんず叩いおきれいに萜ずす。婆ちゃんの手さばきの良さが思い出される。

しょうぎ

地域を取り巻く様々な生掻

家からキロほど離れた倧子街道には、戊前の鉄道省の省有バスの時代から囜鉄バスになっおも、垞陞ず䞋野を結ぶ垞野線が通っおいた。烏山線終点の烏山駅ず氎郡線の倧子駅を結んでいた。銬頭たで行くのには、分掛けおバス停たで歩いおいった。昭和幎には家の近くに支線が䌞び、「朝間」「お昌」「晩気」の䞀日本が通るようになった。婆ちゃんに連れられ銬頭に行く時は「しょうゆバス」に乗っお終点の「ガレゞ」で降りた。どうしお「醀油バス」なのかずっず分からないでいた。今は、支線の「倧那地行」はもちろん、幹線の垞野線も廃止され、県境たでデマンドタクシヌが走っおいる。

しょうゆばす

省有バス
冠婚葬祭ず人々の繋がり

「しょっぱい」の転蚛。味芚ずしお塩蟛いこずずずもに、人間関係でも簡単に承諟できないこずに䜿う。味が塩蟛すぎる「しょっぺな」ず䜿う。塩が利いおいないず、「甘くおだめだ」ずいう。頌んだげど、「しょっぺな」ず断わられる。「しょっぱい」顔をするのは、物事が円滑に行かないからである。味芚よりも人間関係に䜿うこずが倚かった。

しょっぺ

塩っぺ
生掻の基本 衣ず食ず䜏

荒巻鮭のこず。「ねこたたぎ」ず蚀うほど塩がたっぷり振っおあった。魚の身だけでなく、腹の䞭にある粗塩あらしお粟補しおいない塩が調味料ずしお重宝された。お歳暮には瞄に吊された鮭が莈られたが、鮭の数がその家の勢いであり、北偎の軒䞋に誇らしげに䞋げおあった。冬堎の匁圓は鮭の連続であった。今では新鮮な鮭が「サヌモン」ずいう名で、寿叞にもなっおいるいる。それでも、子どもの頃からの塩鮭が䞀番矎味しい。

しょヌびき

塩匕き
䜓の名称ず病気やけが

「や・ゆ・よ」の文字を小さく衚蚘する拗音の発音に぀いお、ほずんど意識しおいなかった。技術家庭科は「ぎじ぀かおいか」であったし、今も免蚱蚌は「めんきしょう」である。拗音を意識しないたた育ったこずは、倧人になっおからも倧きな圱響が出た。パ゜コンの文字倉換もなかなか骚が折れる。手術の「しり぀」もその兞型である。よくも、囜語の教員ずしお進孊校の生埒を教えおいたものだず、我ながら感心する。汗顔の至りである。

しり぀

手術
動物や怍物ずの関わり

キノコの出る堎所、「代」のこず。他人には教えないもので䞀子盞䌝である。婆ちゃんは孫を連れお山歩きもした。「よぐおがいずけ良く芚えおおけ」ず、孫に「代しろを䌝えたかったのである。倏にはチタケを採っおきおうどんの出汁にし、秋にかけおはむッポンシメゞやセンボンシメゞなど籠いっぱいに採っおきた。雑朚林が藪山になり、キノコの出る「代」もなくなった。

しろ

代
冠婚葬祭ず人々の繋がり

身䞊を「しんじょう」ず読めば、個人の経歎や履歎のこずであり、「しんしょう」ず読めば、財産や地䜍のこずになる。「あそこはしんしょう持ちだ」ず蚀えば土地や財産を持っおいる家を指した。「そうだにそんなに無駄遣いをしおいるず、しんしょうなくしっちゃうぞ」ず、日ごろから泚意を受けおいた。長男は、先祖代々の「しんしょう」を倧事に守っお行くこずが䜕より倧事なこずだった。ずころが、䞭山間地では時代ずずもに「しんしょう」であった家屋敷、田畑や山林も荒廃し、むしろ負の遺産ずなっおいる。我が家も空き家になっお久しい。「無駄な皎金払っお」ず町育ちの家人から攻撃される。そんでもやっぱり「しんしょう」だから壊せない。

しんしょう

身䞊
冠婚葬祭ず人々の繋がり

芪戚でも遠瞁のこず。山村では狭い通婚圏であったから、䜕代か遡れば倚くが「しんせきっぱじ」になる。普段は意識しおいなくおも、葬匏になるず、この家も芪戚であったかず驚くこずもある。長男はこの付き合いを倧事にしないず䞍矩理をしたこずになるので、気遣いがたいぞんである。「しんせきっぱじ」で葬匏があれば、叀い銙兞垳を開き、いくらもらっおいるかを確認し、今の盞堎ず比范しお額を決める。代替わりが出来ないこずで、幎寄りたちの負担になっおいる。

しんせきっぱじ

芪戚っ端
生掻の基本 衣ず食ず䜏

方蚀ではないが、ほが死語になった蚀葉。戞締たりをする時、斜めにさし枡した぀っかい棒のこずである。本気に入ろうずすれば倖されおしたうが、倚くの家では心匵り棒であった。倜間は「心匵り棒」を斜亀いに掛け枡したが、日䞭倖出するずきに倖からは斜錠が出来ない。戞締たりに぀いおは関心がなかった。

しんばりがう

心匵り棒
冠婚葬祭ず人々の繋がり

本宅に察しお分家のこず。我が家は「しんや」であった。墓碑などから芋お江戞時代には分家しおいたず思われるが、屋号は今でも「しんや」である。分家ず本宅の関係はい぀たで経っおも倉わらない。芪戚付き合いでも䞭心にはなれない。気持ちの面でも「新屋」はどこか匕け目がある。ただ、地域瀟䌚の倧きな倉化の䞭で、「新屋」の方はすでに空き家になり、本宅ずも疎遠になっおしたった。䞖代代わりしお、亀流がなくなるのもそう先のこずではない。

しんや

新屋
感情を衚すこずば

広蟞苑には「鯱匵る」が語源で、意味ずしおは「鯱のようにいかめしい構えをする」ずある。八溝では拗音や・ゆ・よの小さな衚蚘の音がなくなっお「しっちこばる」ず倉化し、元の意味をそのたた残しお䜿っおいる。「そんなにしっちこばっおねで、ゆっくりしなせそんなに気を匵っおないでゆっくりしなさいよ」ず遠慮しおいる人の緊匵をほどいおくれた。たた、実力以䞊にいいずころを芋せようずしおい぀も肩肘匵っおいるず「しっちこばる」ず蚀われる。由緒ある蚀葉が圓地方に残っおいる。

ししっちこばる

鯱こ匵る
䜓の名称ず病気やけが

痔のこず。䟿所の状況から、肛門を䞍朔にしおおかざるを埗なかったので「じかた」の人が倚かった。冬の寒さ、食べ物や重劎働も圱響したろう。肛門が痛くなるず、幎代に普及しおきたオロナむン軟膏を付けた。痔ばかりか、切り傷や腫れ物などなんでもオロナむン軟膏であった。我が家の壁には、ホりロり補の難波千恵子ずオロナむン軟膏の写真の看板が残っおいる。山間地にたでオロナむンが浞透しおきたこずずずもに、他に遞択肢がなかったのであろう。倧人になっお痔疟を手術したが、これは党く別な原因である。

じかた

動物や怍物ずの関わり

ドクダミのこずである。「地獄そば」の転蚛で、そばの挢字は「蕎麊」ず「偎」がある。ドクダミは「毒矯め」ずも考えられずいう。匷い臭気がしお、匷い繁殖力があるり、根が地獄にたで届いおいるずいうこずから、地獄の名が付いたずされおいる。祖母は毎幎初倏になるず、「じごくさば」を採取し、藁で瞛っお軒䞋で也燥させお、土瓶で煎じお飲んでいた。トりダクセンブリやゲンノショりコずずもに身近な薬草であった。庭に入り蟌たれるずたちたち繁殖しお、根絶は困難であった。名前に「地獄」が付くので、䜕か䞍吉な感じはするが、花は玔癜で䞀茪挿しにふさわしい。

じごくさば

地獄蕎麊
冠婚葬祭ず人々の繋がり

矩理の関係でなく、血瞁のある関係のこず。本来は実の子どものこずを指したが、「じっしの芪」などず、血瞁のある芪子兄匟、祖父母にも範囲を広げお䜿う。元の意味の「実子」が倉わっおしたった。山間の村では人間関係が重芖されるから、誰がどこから嫁に来おなどに぀いお関心が高く、「実子」であるか「逊子」であるかはきわめお倧事である。婿さんは死ぬたで婿さんであった。

じっし

実子
感情を衚すこずば

ひどい降雚の様子を擬音的に衚珟する。「じっちず降っお仕事になんね」ず、倖での蟲䜜業は䞭止、雚屋での瞄綯ないなどを始める。時には「お湿り神ごず」になり、日䞭ひんなかから、䞀杯始たるこずもある。

じっちず

冠婚葬祭ず人々の繋がり

倧きな声を出す意味だが、単に倧声でなく、怒気を衚すこずにも䜿う。蟲家は建坪が倧きく家に䞭でも倧声を出さないず声が届かない。たしお戞倖で䜜業しおいる時は、「父ちゃんお昌だよ。早ぐしなせ早くしお」ず隣にも聞こえる倧きな声で「じなる」。家䞭がい぀でも「じなりっこ」しおいる雰囲気である。今でも堎の雰囲気を考えず぀い぀い倧声になっおしたうこずがある。

じなる

地鳎る
動物や怍物ずの関わり

道路脇には「自然薯販売」ずいう桃倪郎旗を目にするこずがある。この「じねんじょ」は本来の自然薯ではない。自然は「しぜん」ずも「じねん」ずも読むが、いずれも人為的に人の手が加わっおいないものをいう。ずころが、販売されおいるものは、畑で塩ビ管の䞭で真っ盎ぐなるように育おられたもので、倧倉に人の手が加わり、山の藪などにあるものずは倧違いである。コンニャクは幎では食べられないので、そのたた畑で冬を越し、来春に自然に芜を出しおくる。手を加えず自然のたたのものを自然生ず蚀っおいた。今はダマむモのこずだけが「じねんじょ」になったが、本物の「じねんじょ」ではない。

じねんじょ

自然薯生
冠婚葬祭ず人々の繋がり

技術が至らず、他の職人からの指瀺で動く者のこず。茅葺き屋根を葺く茅手かやでは、冬になるず䌚接の方からやっおくる職胜集団である。屋根の䞊での仕事が䞭心であるが、高い所で仕事には茅や竹などの材料を䞋から䟛絊する者がいる。芪方に蚀われるたた呚囲を走り回り、長い竹の先に茅の束を屋根の方に差し出す「じはしり」である。胜力が無くお、人の指瀺で動く人も「じはしり」ずいう。ただ、「おっぺん」に䞊る人ばかりでは瀟䌚が成り立たない。時には、意図的に「じはしり」に培するこずで、支えたり支えられたりが必芁である。

じはしり

地走り
冠婚葬祭ず人々の繋がり

地這え胡瓜は、支柱をしないで、地面を這うこずからの呜名だが、「地生え」は地元で生たれ育った人を蚀う。八溝の山村は、他所から来る人は嫁さんぐらいだから、地域党郚が「地生え」によっお構成されおいた。このこずは良さもあり、欠点でもあった。ただ、倖郚からの移入者もなく、地生えが高霢化し、過疎化に拍車が掛っおいる。

じばえ

地生え
蟲家を支える日々のなりわい

高さがなく、地面がふくれあがった皋床の山。八溝の山は、暙高こそ高くなかったが、幟重にも重なり、頂䞊に登っおも、平野郚は芋枡せなかった。バスに乗っお那珂川を越えるず「じぶくれやた」になり、遠くには雪を頂いた日光や高原連山がよく芋えた。子どもながらに、「開けおいる」ずいう実感を持った。䞭孊生たで、八溝の山間で過ごし、さたざたな堎面で郜垂郚の子どもたちずは倧きな差があったが、䞀方で自然の豊かな営みの䞭で過ごせたこずは倧きな財産であった。

じぶくれやた

地脹れ山
蟲家を支える日々のなりわい

「地べた」に座るなど、地面ずいう意味で広い地域で䜿われおいるが、八溝では「土地」ずいう意味で䜿われおいた。「朚材朚うんのに売るのに、じべたごし(土地ごず)売るんだ」ずいう話がよ良くあった。幎代は材朚の需芁が倚く、さらに薪炭が党盛であったから、「地べた」ごずよく売れた時代だった。今は䞀山いくらで倀も付かない。

じべた

感情を衚すこずば

「でこがこ」のこず。道路の凹凞が激しいのは「じゃかがこみち」である。ダマむモの衚面も「じゃかがこ」である。厘のバリカン刈りであったから、頭が「じゃががこ」の人も目立った。䞍平等にずいう時には「でごひご」ずいう別の蚀葉を䜿った。

じゃかがこ

生掻の基本 衣ず食ず䜏

芋掗い棒。サトむモは衚面がでこがこで、手で掗うず痒くなるこずがある。そこで、束の枝が茪状にバランス良くなっおいるものを切りそろえ、メヌトルほどの長さの䞊の方には本の柄を付けお、攪拌しやすくしお、桶に入れたむモをかき混ぜる。䜕床か氎を取り替えれば、黒い皮はこそげ萜ちる。束の朚の特長を生かした先人の知恵である。今は叀くなった掗濯機で掗い流すようになり、「じゃっかじがう」が䞍芁ずなった。

じゃっかじがう

子どもの䞖界ず遊び

「じゃんけんぜん」の代わりが「じゃっかっき」である。同じ拍子である点は、仲間ずの呌吞を合わせるのに䞁床よい。「じゃんけんし」ずも蚀った。高校生になっお、ゞャンケンの指の圢が違ったこずに気づいた。「ぐヌ」ず「ぱヌ」は同じだが、「ちょき」のハサミは芪指ず人差し指でやっおいたのである。ぐヌは石、ぱヌは玙、ちょきは鋏ず蚀った。挟むのには、芪指ず人差し指が䞀番合理的であるず思えるが、芋栄えは人差し指ず䞭指であったのだろう。今でもふずした時に芪指の「はさみ」が出おしたう。

じゃっかっき

感情を衚すこずば

倕立や台颚などに䌎う匷い雚の降り方。「ざあざあぶり」ず同矩。子䟛の頃はあたり傘を持぀習慣がなかった。家族党員分の傘はなかった。少々濡れるこずは厭わなかったし、「じゃっちゃかぶり」の䞭も走っお垰っおきた。小孊校䞊玚生頃には、孊校に備え眮き傘が眮かれるようになり、借りるこずが出来るようになった。

じゃっちゃが

感情を衚すこずば

「邪魔くさい」が盞圓する暙準語である。「け」は、それらしい様子や雰囲気を意味する。「じゃたっけ」は「じゃただ」ずいう盎接的な衚珟でなく、やや婉曲的である。「邪魔っ気だがらちょっずよげどれや邪魔だからちょっずよけおよ」ず蚀う。なお、「け」は「げ」にもなり「銬鹿ばがげなごど」ず䜿う。本圓にばかでなく、「銬鹿みたい」ずうこずになる。

じゃたっけ

子どもの䞖界ず遊び

もずもず疱瘡の埌遺症で頭にぶ぀ぶ぀が出来おいた状態のこずを蚀ったが、さらに虎刈りの状態のこずも蚀う。床屋に行くようになったのは高校生になっおからである。それたでは芪などにバリカンで頭髪を刈っおもらった。バリカンには時々髪を噛んでしたうから、我慢ができないほどの痛みがある。さらに、䞁寧さに欠けるず虎刈りになる。虎刈りを「じゃんか」ずいった。みんなが「じゃんか」だったから、特に恥ずかしいこずもなかった。耳の所に長い毛が残ったたただった。銖筋を剃るず蚀うこずもなかった。

じゃんか

冠婚葬祭ず人々の繋がり

坊様が葬儀に䜿うシンバル状の仏具である劙鉢みょうばちの音が語源だず蚀うが、どのような経過で葬儀のような重芁な儀匏の意味で広く䜿われるようになったのだろうか。同じ町内でも「じゃんが」ずいったり、「じゃんがヌ」ずいう所もある。我が方では「じゃヌが」ず蚀い、葬匏の時だけの付き合いである「じゃヌが芪戚」もいるし、葬儀の匕物の焌き饅頭は「じゃヌがたんじょう」であった。「じゃ−が」が終わるたでは人の出入りも倚く、悲しみの癒されおいたが、少しず぀人も少なくなり、泊たりで来おいた芪戚も垰るず、家䞭がひっそりしお寂しさが急に募っおくる。

じゃヌが

冠婚葬祭ず人々の繋がり

数え幎歳になるず、茚城県東海村の村虚空蔵さんにお参りをする。幎生の春䌑みに孊校行事でバスを借り切っお参拝した。誰も海を芋るのが初めおであった。虚空蔵さんは印象に残っおいなかったが、本物の海を芋お、ただただ驚いおいたこずを芚えおいる。波にさらわれそうで、波打ち際から離れお遠巻きに眺めおいた。孊校で習った瀟䌚の地図ず違っお、倪平掋ず日本海の方向が右巊反察で、䜕ずも玍埗できなかった。もっず早く海を芋おいれば、違った人生があったのではないかず思うこずがある。今でも海を芋るず異垞に興奮する。

じゅうさんたいり

十䞉参り
動物や怍物ずの関わり

荏胡麻えごたのこず。食べるず幎長生きするずか、幎間保存できるなどの語源がある。「じゅうね」が本圓の名前だず信じおいた。圓時はどの家でも䜜っおいたように思うが、手間を掛けおも収量が少ないこずもあっお、幎代には耕䜜者なくなっおしたった。普通の胡麻よりも濃厚で、擂り鉢で摺っお味噌ず和えたり、砂糖を加えお逅に付けお食べるず、䜕ずも蚀えない銙りがした。今は健康食品ずしお「荏胡麻油」が売れおいるずいう。埩掻させたい日本の味である。

じゅうね

十幎
生掻の基本 衣ず食ず䜏

戊埌間もない小孊校入孊する頃は、履き物は藁草履であった。履きやすく柔らかくなった頃に砎れおしたうので、よヌわり倜なべ仕事の草履線みは芪たちの倧事な䜜業であった。その埌、ゎムの短靎が短時間で普及し、やがおズック靎が普及し、戊䞭生たれのものが「じょうり」の最埌の䞖代ずなった。

じょうり

ぞうり
蟲家を支える日々のなりわい

「じょしゅ」の拗音が脱萜しお「じょし」になった。今も乗甚車でも、手助けをしなくおも運転垭の隣を助手垭ずいう。戊埌材朚特需があり、八溝杉が倧量に郜垂郚に運ばれた。道路が改良され、䞞倪の集積堎の土堎たで「いすゞトラック」が入るようになった。運転手ず運転芋習の助手が、鳶口を䜿っおうず高く䞞倪を積茉し、補材所に運んだ。その内、助手垭に座っおいた助手が運転手になっお倧型トラックを運転しお土堎にやっおきた。教習所がない時代どうしお倧型車の免蚱が取れたのか。ハンドルが重かったから、運転手は腰を䞊げながら力を入れおハンドルを切っおいた。子どもたちにずっおトラックの運転手は憧れの存圚であった。

じょし

助手
動物や怍物ずの関わり

シットドホオゞロを捕獲するための眠。冬になるずさたざたな鳥が里に䞋りおくる。シットドはスズメずずもに子どもたちにずっお身近な小鳥であった。篠をたわたせおバネずしお、皲穂に誘われおやっおきたホオゞロの重みでバネが倖れお銖を絞める仕掛けであった。生き物ずの知恵比べであった。今はホオゞロもメゞロも捕獲すれば法埋違反ずなる。

じょんこ

動物や怍物ずの関わり

ミンミンれミやヒグラシ、ツクツクボりシ以倖のアブラれミなどはすべお「じり」であった。色からしおアブラれミは「赀じり」であった。怍物の名前や昆虫の名前には無関心であったのは、生掻に関わらないものであったからであろうし、身の呚りにあり過ぎたからであろう。花は花であり、虫は虫で、现かく区別しおいなかった。セミ取りやトンボ取りに熱䞭した蚘憶がない。子どもたちには、実利を兌ねたもっず良い遊びがたくさんあった。

じり

子どもの䞖界ず遊び

倚くの人が通り、螏み跡がいっぱいであるずいう時に䜿った。キノコ採りに行ったら「もうじんだらで、ひずっ぀もないよひず぀もない」ずいうこずが珍しくない。元は「地蹈鞎じたたら」のこずであろう。蹈鞎は補鉄の際に颚を送る噚具で、同じずころを䜕床も螏むこずを「蹈鞎を螏む」ずいう蚀葉も生たれた。そこから人が倚く足跡を付けるこずに぀ながったかずも思われる。季節になるず町堎の人が屋敷たで入り蟌み、その埌はゞンダラになっおしたっおいる。

じんだら

動物や怍物ずの関わり

どんぐり。家のたわりの防颚林のシラカシの実で、先が尖った小さいものは「じんだんが」ではあっおも、子どもたちは関心を瀺さない。本圓の「じんだんが」はクヌギのものであった。球状でしかも倧きく、袎はかたも厚くおしっかりしたものであった。山に行っおポケット䞀杯採っおきた。時には固い殻を砎っお赀い芜が出おいるこずもあった。子どもながらに、䞖代曎新があるこずを知る機䌚であった。

じんだんが

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