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子どもの世界と遊び

農繁休業。かつての学校教育法施行規則に、年間10日以内で農繁期に休業とすることが出来るとあった。それだけ子どもの労働力を当てにしなくてはならないほど、春の田植期間と秋の稲刈りに期間は多忙であったのである。中学生になれば一人前であり、小学生の中学年以上は弟妹の世話をした。我が家は兼業農家であったので、農繁休業で手伝いをするほどでなかったから、近所の手伝いをした。お昼や晩ご飯をお呼ばれするのがうれしかった。「農休み」は「脳休み」とも言っていたが、脳が疲れるほど勉強はしなかった。いつからか農繁休業がなくなった。田植機と、稲刈りのバインダーが普及し、人手を要しなくなったことと、兼業農家が増えて来たこともあろう。

のうやすみ

農休み
体の名称と病気やけが

精神に変調を来した人のことを指した。大人同士の会話の中に出てくる言葉で、子どもたちは耳に入ってはいたが、実際に使うことはなかった。「気病み」という言葉もあり、耳にしていた。今日の心身症であろうか。

のうやみ

脳病み
生活の基本 衣と食と住

「のが」は、稲などの先にある細くて長い「芒(のぎ)」が転訛したもの。「ぽい」は、大人っぽいなどのように、何となくそれらしく感じる状態をいう。背中や首筋に入った芒はちくちくして痛痒い。藁ぼっちで遊んでいる時にも「のがっぽく」なることがあった。今はキャビン付きのコンバインで稲刈りをしているから「のがっぽぐ」なることはないであろう。

のがっぽい

芒っぽい
体の名称と病気やけが

「のだえる」とも。喉に食べ物を詰まらせたり吐き気を催すこと。サツマイモを急いで食べると唾液が出ないで喉に詰まらせることがあった。ケックケック言いながら「のざえる」のである。飲み物を摂らずに急いで食べることが多かったから、「のざえる」ことが多かった。

のざ(だ)える

農家を支える日々のなりわい

今の若者は立ちしょんが出来ない。道徳的なことかどうか、した経験がないからだろうか。時に道のよせ(端)で用を足そうとすると軽蔑をされる。違法行為であるから当然だが、昭和30年ごろまでは小便用の便所がなかった。朝起きれば屋敷の端のケヤキの根方で放尿するのが決まりであった。年寄り婆さんも腰巻きをまくって中腰で用を足した。男女を会わせていうので、立ちしょんべんと言わずに「野しょんべん」と言った。

のしょんべん

野小便
生活の基本 衣と食と住

伸すは広く標準語として使われている。気に入らない相手を「伸す」こともあるが、当地方で「伸す」と言えば、団塊の世代までは「煙草伸し」がすぐに思い起こされる。秋から冬に掛けての囲炉裏っ端での夜割りは、婆さんが乾いたタバコの葉に口で霧を吹きかけ、子供が葉先を伸しながら押さえることを繰り返した。タバコ伸しをすると指の指紋が消えてしまうほどであった。たばこ伸しをしながら年寄りの語る昔話を聞くのも楽しみであった。煙草伸しが終われば、間もなく納付の日となり、お土産が待ち遠しかった。

のす

伸す・熨す
子どもの世界と遊び

覗き見をすること。どの家も開放的であったから、わざわざ覗き見をしなくても家の中までよく見えてしまった。子どもたちは放課後になると窓枠に手を掛け、板壁に足を乗せて職員室を「のぞっくび」した。先生たちの仕事の様子を見ることが好きだった。先生方も笑顔で視線を送ってくれた。「のぞっくび」をした後で、先生の噂をするのが楽しかった。

のぞっくび

覗き首
動物や植物との関わり

『広辞苑』には「ぬたぐる」が掲載され、「うねりまわる」とある。ヘビやミミズがうねうねと這うこと。雨上がりの午後には、みみずが「のだぐった」跡が光って地面に残っていた。その先をたどるとミミズそのものは太陽に照らされて干からびていた。珍しい光景ではなかった。今は使われない。

のだぐる

地域を取り巻く様々な生活

水が堤防を乗り越えること。家のすぐ傍を川が流れ、川とともに生活をしていた。夜は川のせせらぎを聞きながら寝て、洗い物も川でし、一日の仕事を終えた馬の背を洗うのも川であった。日ごろは小さな清流であったが、ひとたび大水が出ると未整備な土の堤防を「のっこし」て田畑を押し流した。今では両岸がブロックで積み上げられ、堀割のようになり、瀞場(とろば)もなく、一直線に流れ落ちていく。「のっこす」ことはなくなったが、川は生活と切り離されてしまった。

のっこす

乗っ越す
農家を支える日々のなりわい

車に乗り込むのではないし、人の家に押し込んでいくことでもない。悪い意味で夢中になることをいう。当時盛んになりつつあったパチンコが山村にも進出し、何人もの人が入り浸っていた。メタルを入れると球が出て、手で弾くとチュウリップが咲いたりした。子ども心にもワクワクした。パチンコに「のっこんで」代々続いた身上(しんしょう:財産)を失ってしまった人がいた。

のっこむ

乗っ込む
体の名称と病気やけが

勃起すること。種馬の「のっ立つ」ことから知った言葉だが、やがて中学生になると、自身の「のったつ」ことも経験する。自分の体が自分でなくなるような感覚になる年齢であった。何か特別な語感を持ったことばである。

のったつ

伸び立つ
動物や植物との関わり

秋になるといち早く紅葉するウルシの仲間で、メジロ捕りの鳥もちを巻くのに使った。鳥もちを巻く前に、湿らすために、唾液を着けたので、直接なめることになる。稀にかせる子もいたが、かせていてはメジロ捕りにならない。小正月の15日の小豆がゆは「のでんぼ」で作った孕み箸(真ん中が膨らんでいる)で食べた。御幣に用いられた縁起のよい木である。

のでんぼ

ヌルデ
動物や植物との関わり

ノビルのこと。ヒルがヒロに転訛して「ののひろ」になった。『古事記』に、日本武尊が敵にノビルを投げて撃退したことが出てくる。もともとニンニクやノビルなどには魔力が宿っていると信じられていた。
「ののひろ」はそのまま引き抜くと球根が地中に残ってしまうので、鎌を使って丁寧に引き抜いた。土の付いた一番上の皮をむいてそのまま食べると苦みがあり、いかにも野草の感じがした。婆ちゃんがおいしいゴマ汚しを作ってくれた。「ののひろ」は春の息吹を感じる野草で、今も大好物の一つである。

ののひろ

野蒜
生活の基本 衣と食と住

刈り取り後の藁を円錐形に重ねたもの。藁ぼっちとも言い、田んぼにあることから「ののぼっち」である。「ののぼっち」が並んでいると北風を防いでくれるから、子どもたちの絶好の遊び場であった。今はコンバインで細かく切ってしまうから、「ののぼっち」を見ることがなくなった。

ののぼっち

生活の基本 衣と食と住

敷物を「伸べる」などと古くから使われている言葉で、源氏物語や平家物語にも出てくる。古典的な意味を継承して、今でも「布団を伸べる」と使う。お風呂が熱いので水で「のべる」とも使い、そばつゆの味が濃すぎる時はお湯で「のべて」薄くする。時間を延長するという意味では使わなかった。今では風呂は自動的に温度調整するし、そばつゆも「薄める」と言い、やがて「のべる」は使われなくなるであろう。

のべる

伸べる・延べる
体の名称と病気やけが

標準語同様「のぼる」に様々な意味があり、八溝でも同じように使っていたが、特に問題は踏みつけることであった。子ども同士では、意識して踏まなくても「足踏ん上られた」と言って喧嘩のもとになった。また、大事に育てていた苗などを「踏ん上って」叱られたこともある。多動性の注意緩慢性であったから、様々な場面で「踏ん上る」ことがあったのぼられる」ことがあった。

のぼる

上る
農家を支える日々のなりわい

埋まること。自分の意志でなく埋まってしまうことに多く使う。「ぶんのまる」と強調する。「ぐじゃっこにぶんのまっちゃた(ぬかるみに入ってしまった)」と、意図しないのに泥の中に入ってしまうことになる。タイヤが雪の中に「ぶんのまって」しまうこともある。

のまる

埋まる
冠婚葬祭と人々の繋がり

埋めること。前のめりになることではない。土葬の時には、床掘りをして棺箱ぐし(がんばごごと)「のめる」のが当たり前であった。土葬もなくなり、「埋(の)める」という言葉もなくなった。大根などを土に埋めておくのも「のめる」とともに「生ける」と言った。瑞々しいまま地中に「のめた」からであろう。

のめる

子どもの世界と遊び

怠け者、努力しない横着者という他に、外でやたら御飯を呼ばれたりしている者の蔑称でもあった。「のらぼみでにうすうすしてんじゃねよ(野良坊みたいにうろうろしてんではないよ)と言われた。いつもあちこちと遊んでいたから「浮浪児」とも言われた。戦後、都市部にはまだ浮浪児がいた時代であったのだろう。子どものころから他所でお呼ばれするのが上手で、「のらぼ」そのものであった。

のらぼ(う)

野良坊
動物や植物との関わり

苔(こけ)のこと。川の石に付いているは「のろ」で、軒下の日陰にも「のろ」が張っていた。雨樋(あまどい)がなかったから、梅雨時になれば軒下は緑の「のろ」で覆われるようになる。山の林床に生えているスギゴケのようなものは「のろ」とは言わなかった。すべすべしたものだけが「のろ」であった。

のろ

感情を表すことば

標準語では「のろい」ことで、行動が機敏でなく、鈍重で、気がつかないこと。反対は、機敏であることの「はしっけー(はしこい)」である。子どもの頃から、表面的には「はしっこぐ」動いていたが、実は丁寧さに欠け、雑なだけだったように思える。

のろっけー(のろっこい)

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

のちが「のーじ」になった。時間の後のことだが、長短にはそれぞれ立場が長短がある。子どもにとって「のーじ」は当てにならない時間である。「早ぐ買っておごれよ」と言っても、「のーじ買ってやっから」と言われれば、ほとんどダメなことで諦めなくてはならなかった。

のーじ

生活の基本 衣と食と住

標準語である。思慮のない人のこと。文字どおり脳が足りないのである。しばしば、「脳足りんなんだがら」と叱られたが、あまり身に浸みなかった。八溝の言葉では「でれすけ」の方が多く使われ、こちらが馴染みのある言葉で、叱られれば心に沁みた。

のーたりんる

脳足りん
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