冠婚葬祭と人々の繋がり
戦後、洋装化が急速に進み、昭和30年の頃には、若い女性たちは競って洋服を着るようになった。嫁入り道具にミシンが加わり、若い女性たちにが洋裁を学ぶ場所が必要となり、町に洋裁学校が開校した。近所の多くの若い女性は、中学を卒業すると洋裁学校に通った。子どもたちに取っても洋裁学校に通っているお姉さんたちは眩しい存在だった。しかし、40年代に入ると、高校への進学率が高まり、既製服が安価で買えることから、専門的な洋裁技術は必要なくなり、洋裁学校も閉校した。「洋裁学校」は、成長し、変化していく戦後経済の象徴のような存在であった。
ようさいがっこう
洋裁学校
農家を支える日々のなりわい
古語の「避(よ)く」に使役の助動詞を付け、邪魔な所にある物を移動することの意味になった。それがやがて「片付ける」ことの意味に変化した。今でも子ども園では若い先生が、行事で使ったステージの道具類を片付ける時に「よかし」ましょうと声を掛けている。
よかす
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
江戸言葉の「よございます」の転訛したものであろう。明治半ば生まれの婆ちゃんたちは、江戸言葉の名残の敬語を使っていた。婆ちゃん子であったから、同じ世代の中でもより多く耳にする機会があった。昭和30年代に世代が代わるととも、婆ちゃんたちの言葉は次の世代には引き継がれなかった。学校教育ばかりでなく、ラジオ、テレビの影響により、地域に残っていた言葉は「きたない」ものとして駆逐されてしまった。「よがんす」は、敬語が少ないと言われる八溝の貴重な言葉であった。
よがんす
感情を表すことば
「よくよく」が濁音化したものだが、「よくよく考えて」というような、「十分に」という意味でも使った記憶がない。「テストどうしたい」と聞かれれば「いやよぐよぐだったよ」言い、それだけでひどい成績だったことが分かり、「よぐよぐおごられっちゃた」は、ひどく怒られたことになり、いずれも負の感情が優先される。
よぐよぐ
生活の基本 衣と食と住
下駄や草履で、鼻緒に対して横緒のこと。ただ、八溝では鼻緒を含めて全部を「よこ」と言っていた。本来は、鼻緒は足指の親指と人差し指で挟むものを言い、横は鼻緒から左右に分かれているものである。鼻緒が切れた時には簡単に直せるが、横が切れると草履そのものがダメになる時である。戦後の物資不足の時代とは言え、藁を中心とする自家製の履き物で済ますのは、古代人とあまり変わらないにではないかと思えてしまう。
よこ
横
農家を支える日々のなりわい
「よこだんぼ」ともいう。立っているものが倒れて横向きになる、人が寝ることもにも使い、「横になる」と同意である。「梯子(はしご)たたで(立て)ておぐ(置く)と危(あぶね)ねがら、横だにしとげ」と他動詞としても使う。「そだに座って居眠りしてねで、蒲団によごだになったらよかんべ(そんない座って居眠りしていないで、蒲団に横になったらいいんじゃない)」と勧められる。
よごだ
横だ
農家を支える日々のなりわい
家などの建物が傾いて、倒壊すること。稲を干すハッテが傾いたり倒れたりすることも「よじゃぶれ」ることである。さらには、重い物を乗せると、下の箱が潰れて傾くのも「よじゃぶれる」である。学校での組み体操もうまくいかないと「よじゃぶれ」てしまう。
よじゃぶれる
地域を取り巻く様々な生活
端のことをいうが、主に田の畦(あぜ)のことに多く使っていた。ただ、「掘ったさづま(サツマイモ)畑のよせに並べておげ」というから、必ずしも田の畦とは限らない。夏になれば、田の畦の雑草を刈る「よせ刈り」は朝飯前の「朝草刈り」である。馬を飼っていたから飼葉(かいば)は不可欠であった。
よせ
地域を取り巻く様々な生活
寄せ豆腐の語源ともなている「豆腐よせる」と言い、 農作業の「土寄せ」にもつながる。標準語にない使い方として、農家では「そろそろネギ寄せすっか」と言って、ネギの植え替えをする。標準語では「寄せる」は一か所に集める意味であるが、逆に間隔を広げて、成長を促す作業である。
よせる
寄せる
農家を支える日々のなりわい
標準語にある、不良のような行動を取ることでない。ふらつくこと、よたよたすること。与太者が体を左右にして歩くことが語源か。八溝では「急に立ったらよたっちゃった(急に立ったらふらついちゃった)」と立ちくらみの時などに使う。地域には不良と言われる「よたっている人」はいなかった。
よたる
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
比較の「よりか」の転訛。助詞「よりも」と同じく、「より」に助詞の「か」がついて意味を強めている。「これよっかあっちがいい(こっちよりもあっちの方がよい)」という。まだ会話の中に普通に使われる現役のことばである。
よっか
子どもの世界と遊び
寄り道のこと。学校帰りでも、用足しに出掛けても、必ず「よっこより」して注意された。関心が移るので、家族からは「多動児」と言われていた。今も変わらず、気が向く方に行ってしまって、肝心の用件さえ忘れてしまうことがある。家人とはスーパーに行けない。すぐに関心が移り、別なところに「よっこより」してしまう。
よっこより
横っこ寄り
感情を表すことば
立ち上がる時など、一呼吸をしながら行動に移す際に使う。ばあちゃんが座り仕事から立ち上がる時などに使っていた。「どっこいしょ」は聞かなかった。重いものを背負ったりする際に大きな力を急激に使う時は使わない。
よっこらせ
感情を表すことば
十分であるとか、たくさんであるという意味で、「よっぱら食べて行きなせ」と、人に御飯を勧める時などに使う。また、「よっぱら遊んだんだからみっちり勉強もしろ(たくさん遊んだのだからしっかり勉強もしろ)」と言われる。身近な言葉であった。
よっぱら
農家を支える日々のなりわい
古くは「よひとよ」(夜一夜)といい、やがて「よっぴとい」から「よっぴてー」になり、今は方言のようになって残っている。農家では、煙草の納付の日が決められていたので、なんでかんで朝までには「おやさ」なくてはならなかった。文字どおり「よっぴてー」の仕事となった。親世代の仕事ぶりを見ていたのに、「よっぴてー」根気よく仕事をすることがないままになってしまった。なお、一日中は「ひして」である
よっぴてー
夜っぴてー
農家を支える日々のなりわい
他のものや人のこと。「余の人にわがんねよにしろ(他の人に分からないようにしろ)」と言って、こっそり小遣いをもらうことがあった。「余の食べ物食ってから御飯が食えねんだぞ(別な物食ってるから御飯が食えないのだぞ)」とも使われた。30年頃には普通に使われていた言葉だが、今耳にすると新鮮に聞こえる。
よの
余の
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
現在の「呼ぶ」よりも古い言葉「よばふ」の意味に近い。招待するの意味があり、「隣の父ちゃん呼ばって酒飲みすっぺ」ということもあるし、「父ちゃんこと呼ばって来(こ)」は「呼んでくる」ことである。単に声を出して呼ぶことではない。
よばる よばれる
呼ばる
子どもの世界と遊び
広辞苑には、夜間に松明などを灯して漁をすること、とあり、「火振り」の字を充てている。当地方では火振りとは言わず「よぼり」と言っていた。「夜振り」の漢字を当てるのか不明。ただ、那珂川本流の方では投網や舟に乗っての漁もあったから、そちらからの言葉である可能性が高い。夜間に活動する魚もいるが、一般的には夜間は石の下や草の中でじっとしているので、ガラス箱の縁を口でくわえ、ヤスでそっと突き刺した。昼も夜も、屋敷の直ぐ下を流れる川が遊びの中心であった。
よぼり(ひぶり)
夜振り
感情を表すことば
本人には直接聞こえないようにいう愚痴のこと。家の婆ちゃんが隣の婆ちゃんと二人でお茶を飲んでいると、「今頃の若いもんは」と「よめごと」をしていた。「よめごと」するのは婆ちゃんだけではない。仕事を命じられて、やるのが嫌でぐずぐず言い訳をしていると「いづまでよめごといってんだ。ごっごとやれ(いつまでぐずぐず言い訳をしてるんだ。ささっと仕事に取りかかれ)」と言われる。心に残っている言葉である。今でも大人同士では普通に使われているが、若い人は使わない。
よめごと
世迷い言
冠婚葬祭と人々の繋がり
組内の集まり。組内の決めごとは、「寄り合い」での話し合いによる。直接民主主義の原形であるが、概ねしゃべる人がしゃべり、他は聞き役と言うことで、積極的に発言する人は少なく、民主主義にはほど遠い雰囲気であった。父親が宿直の日には、中学生でも名代として会に参加して、「寄り合い」の微妙な雰囲気を感じ取る機会があった。地域には、表にはあらわなない人間関係が残っていたのだろう。
よりあい
寄り合い
感情を表すことば
「よほど」と言う語と合致する。「よんどの時はしゃーないけど」(余程の時は仕方ないけど)と、「よんど」の中にはマイナスの感情が含まれる。一方で、「よんどうれしかったんだんべ(よほどうれしかったんだろう)」とプラスの感情を表現をする。幅の広い使い方をした。
よんど
地域を取り巻く様々な生活
夜鍋仕事のことである。夜鍋は文字通り夜食のことを指したが、夜割と言えば夜に割り当てられた厳しい仕事という感じがする。夏の土用も過ぎて、涼しさが増し、日が少しずつ短くなると、そろそろ「よわり」が始まる。秋の収穫期を迎えて、土間の裸電球の下で、俵造り、縄もじりなど、昼には出来ない「よーわり」仕事がいくらでもあった。中でもタバコ農家は葉の選別やタバコ伸しが本格化する。子供もタバコ伸しを手伝った。ラジオから「母さんの歌」が聞こえ、「よなべして」とあり、「よーわり」よりも高級に聞こえたが、漢字に置き換えれば、「よなべ」という食べ物由来よりも、「よーわり」の方がずっと上品である。
よ(う)わり