感情を表すことば
益もないの転訛。役に立たない、無駄であること。「そだごどやったてえぎもねよ(そのなことやっても仕方ないよ」いう。努力していることを否定されたり、自分ではよかれと思って買ったのに「えぎもねー」と言われるのは大いにがっかりするし、意欲を削がれることになる。
えぎもねー
益もない
冠婚葬祭と人々の繋がり
跡取り息子は親戚や近隣の付き合いのため、将棋や囲碁を嗜まなくてはならないので、爺ちゃんが将棋を教えてくれた。縁側の日溜まりで、駒の動かし方の基本からずいぶん仕込まれたが、さっぱり腕が上がらない。爺ちゃんも諦めたのであろう、中学生になる頃には全く縁側将棋をしなくなってしまった。骨董価値のある碁盤と碁石が床の間に置かれているが、今までついに使うことがなかった。自分でも勝負弱さと緻密さに欠けることを自覚しているから、学生間で流行っていた麻雀にも手を出さず、もっぱら体を動かすことに熱中した。そのため、香辛料の入っていない料理のような味気のない人生になってしまった。
えんがわしょうぎ
縁側将棋
生活の基本 衣と食と住
本来の蒲団(ふとん)は漢字が示すように、蒲(がま)を丸く編んで作った「円座」で、座蒲団のことであった。やがて四角の寝る蒲団を指すようになり、座る方はわざわざ「座蒲団」というようになった。今の座布団の中には綿が入っているが、綿花は高価でもあったから、子どもの頃は、藁で編んだ俵の「さんだらぼっち」の円座が座蒲団代わりに使われた。
えんざ
子どもの世界と遊び
「三番叟」が「さんばしょう」と転訛。本番で上がって実力を発揮できない時にいう。方言の中のさらに「地域語」かも知れない。かつて我が集落には薩摩系統の人形芝居があった。義太夫節に合わせての人形浄瑠璃であった。家の爺さんは笛の名手であったと良く聞かされた。大正年間に学校竣工の花火による大火で焼失してしまったという。それでも、三番叟という能や歌舞伎からの難解な言葉がこの地に古くから伝わっていたのであろう。学芸会ではいつものことで、上がってしまって実力を発揮できなかった。家の前だけで上手に出来た三番叟である。
えーのめーのさんばしょう
家の前の三番叟
体の名称と病気やけが
熱中症のこと。熱中症ということばはいつから普及してきたのか。幼稚園でも「こまめに水を飲みましょう」と熱中症対策が欠かせない。昔は水を飲むと疲れると言って、運動部の活動中は水を飲ませてもらえなかった。ただ、重労働の山仕事では汗をかくので、竹で出来た水筒「竹すっぽ」を腰に下げて出掛けた。経験から、汗をかく真夏の下刈りの時は「えきり」にならないために必要だったのである。婆ちゃんは「えきりになんねように」とすっぺー(酸っぱい)梅干しを食べていた。理にかなった対策であった。
え(い)きり
生活の基本 衣と食と住
標準語では「いぐい」こと。ジャガイモの青い部分を十分にそぎ落とさないと「何だって今日のお汁はいごってな」ということになる。「えぐい」が「いごい」になり、語末に「たい」が付き、状態がはなはだしくなっていることことを表した。自家製コンニャクのあく抜きが十分でないのも「いごったい」食べ物の典型である。子供のころの味が懐かしくなり、時にはエゴッタイ味のするお煮しめや、渋い味のする干した固いニシンが食べたくなる。
え(い)ごったい