地域を取り巻く様々な生活
どの家にも、畑にならない斜面などにはお茶ぼら(株が集まっている所)があった。茶を摘む日はあらかじめ決めておき、組で1軒だけ焙炉を持っている我が家で製茶した。季節になると毎日のように人が集まってきた。ちょっと誇らしかったが、接待する母親が大変であったと、今になって気がつく。茶摘みが始まる前には、炉の傷みを粘土で補強し、木の枠には烏山和紙を貼り替えて準備をした。今は焙炉はない。親戚が茶摘みはしてくれているが、製茶は茨城の工場に頼んでいる。焙炉を知る最後の世代になってしまった。
ほいろ
焙炉

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「そうか分かった」の意味で、納得した時に使う。「ほーがや」、あるいは「ほうがい」という時は、疑問というより、納得しない時に使う。また、単なる言い出しの言葉として、「うん」というような意味で使い、「ほが、ほんじゃ続きは明日やっぺ」と勝負の続きは明日に持ち越す。相手も「ほが、そんだら(そうなら)学校けーたらやっぺ(学校帰ったらやろう)」と納得するのである。
ほが

動物や植物との関わり
新芽が勢いよく成長すること。「ほぎて来たからお茶摘みだ」と茶摘みの準備をする。雑草も一雨ごとに勢いよく「ほぎ」て、草むしりも大変になる。ただ、タラの芽など木の芽も大きく膨らんで来ることは「めめぐる」で、「ほぎる」とは言わない。どこが違うのであろうか。さらに、顔にニキビが出てくると、青春の象徴で、新芽のように情念が「めめぐって」くるのである。
ほぎる

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「そうなの」いう意味で、肯定や時には感嘆表現になり、イントネーションの違いで、「そうかい」と疑問になることもある。「ほーげ」と音変化する。会話の中でしばしば使い、八溝語にはなくてはならない言葉である。
ほげ

地域を取り巻く様々な生活
乾燥した鰯や鰊などの肥料。鰯は国字で音読みがないので「ほしか」と読むのは当て字である。煙草は多肥作物なので、金肥の干鰯が房総や鹿島方面から大量に移入された。化学肥料が普及されるまでの戦後間もなくまでは「ほしか」がかますに入れられて、八溝にも運ばれた。間に入った町の肥料屋に儲けられることになり、不作のため土地を取られる農家も少なくなかった。「ほしか」は高齢者にはまだ生きている言葉である。干鰯で出汁(だし)を取ったものは「干鰯汁」である。
ほしか
干鰯

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「そうだ」と肯定する時に使う。否定の時は「ほだげんと」、あるいは「ほだきっと」となる。「ほだほだ」と畳語にして使うと、相手の心情を十分に受け止めたことになる。友だちが「今度の喧嘩は一郎やんが悪いんだんべ」と聞くと「ほだよ。俺(おら)何にも悪い(わりー)ごとしてねんだよ」という会話になる。「ほんだら謝っごとあんめや(それなら謝ることはないだろう」と言われ、「ほんだきっと一郎やんが怪我しちまったからな」という会話である。
ほだ

生活の基本 衣と食と住
「ほおかぶり」が転訛したもの。冬になると手拭いで「ほっかぶり」をした。爺ちゃんは「ほっかぶり」をして囲炉裏の側に座っていた。子どもたちも風が吹く日には、「ほっかぶり」をして遊んだ。子どもの世界では、知らない振りをする意味での「ほっかぶり」は使わなかった。
ほっかぶり
頬被り

体の名称と病気やけが
「ほお」のこと。「ほっぺた」とも言う。「たぶ」は「みみたぶ」にも使うが、「ももった」も「ももたぶ」が変化したもので、同じ語源であろう。冬になると乾燥して、「ほったぶ」はかさかさであった。夏の終わりにヘチマの茎から採った「ヘチマ水」を保湿剤の代わりに「ほったぶ」に付けた。
ほったぶ(ほーったぶ)
頬たぶ

生活の基本 衣と食と住
広く使われた言葉で、方言ではない。囲炉裏で火を燃やすところの中心部で、真上には鉤吊しが下がっている。マッチは貴重品であったので、火種を切らさないように、夜には「ほど」のおきを集めて薄く灰を掛け、鉄瓶をはずして乗せておく。翌朝には灰を除け、火吹竹で息を吹っかければ枯れた杉っ葉は勢いよく燃え出す。つい半世紀前までは、囲炉裏の「火処」を中心として家族で食事をするのは、ほぼ縄文時代と変わらないような生活であった。
ほど
火処

感情を表すことば
熱くなることで、「火照る(ほてる)」ことと語源は同じであろう。ただ、「ほてる」と「ほどる」は明確に使い分けていた。焚き火に当たっていて顔が「ほてる」こともあるし、風邪による発熱で「ほてる」こともある。一方、「ほどる」は、熱いお茶で体の内側から温まると「体がほどって」くる。また、堆肥が発酵して温度が上がると「ほどって」来たという。苗床に積んでいた木の葉に、米のとぎ汁を加えたり、馬小便(ましょんべん)を掛けて温度を上げた。温度計がないのでいずれも手の感覚が頼りであった。「熱らせる」ことが農事のスタートとも言える大事な作業であった。
ほどる
熱る

感情を表すことば
濁音の場所が違う。標準語「ほとんど」と同じ使い方であるが、若い世代も「ほどんと」と発音する。日常的に耳から入ってきていたので、学校での作文も「ほどんと」であった。こちらの方が耳に馴染むような気がする。
ほどんと
ほとんど

体の名称と病気やけが
接骨医。村には1軒だけ「骨接ぎ」があった。特に診療室があるわけでなく、普通の農家であった。体育の授業中に跳び箱を跳び損ねて左肘を脱臼した。同じ学校の教頭をしていた父親の自転車に乗せられて、3キロほど離れた「骨接ぎ」に行った。脇の下に足を入れて思い切り引っ張って元通りにしてくれた。しばらく副木をして布で吊っていたが、通院した記憶はない。当時の接骨医はどういう資格で看板を掲げていたのだろうか。
ほねつぎ
骨接ぎ

地域を取り巻く様々な生活
広辞苑に「帆待ち」も「外待ち」も当て字とある。隠れての本業以外の儲け、あるいはへそくりという意味が掲載されている。しかし、八溝では隠すべきものでなく、むしろ明確に「ほまちかせぎ」として、農閑期の余業として、土木作業などに従事して手間取りすることに使う。子どもも休業日には家の手伝いや炭俵運びなどをして「ほまぢ稼ぎ」をして、遊び道具を買ったりした。今「ほまぢ」の代わりにどんな言葉があるのだろうか。アルバイトでは何とも落ち着かない。
ほまぢ
帆待ち

動物や植物との関わり
フクロウのこと。夜遊びをして帰ると「ほろすけみでに(みたいに)いつまでもうすうす(ふらふら)して」と叱られた。「ほろすけ」は夜行性であったことから、夜遊びのことになった。五郎助(ごろすけ)と広辞苑に載っている。羽がボロに似ていることから「ぼろすけ」と説もある。子供のころの夜遊びはせいぜい八時までで、それ以降は暗くて、途中で「ほろすけ」が鳴いたりすると恐ろしくて、小走りで帰った。 今の「ほろすけ」は明るいコンビニの前に、深夜でもたむろしている。
ほろすけ

子どもの世界と遊び
ぱーぶち(めんこ)や玉っこ(びーだま)をする時に、あらかじめ勝ち負けによって所有が移ることを約束してから行うことが「ほんこ」である。反対に、遊び終えると、勝ったものを返してチャラにするのは「うそっこ」である。「本こ」と「嘘っこ」では自ずと真剣さに違いが出る。「本こ」のためメンコの後ろに蝋燭(ろうそく)を垂らして重くしたりしたり、周りに隙が出来ないように工夫した。子どもながらに勝ち負けに拘り、負けた時の悔しさを抑えるのができない性格であった。
ほんこ
本こ

子どもの世界と遊び
「本式」が訛ったもの。反対の語は「ちんこ」あるいは「うそっこ」である。遊びの中でも、負ければ「玉っこ(ビー玉)」や「ぱー(めんこ)」が相手に渡ってしまうことになる。子どもにとっては真剣にならざるを得なかったし、学校の勉強に比べても、ずっと重要なものであった。「ほんしこ」が人生勉強のスタートであった。
ほんしこ

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「それでは」という意味で、接続詞の働きをするし、さらには「ほんじゃね」と、「さようなら」と同じように感動詞として使われる。物事が一段落したので、「ほんじゃね」と言って分かれる。さらに、「ほんじゃまー、こん次にすべー(それじゃまあ、この次にしよう)」と、物事が一段落した時に使う。
ほんじゃ

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「そうだけれど」の意で、逆接の接続詞の働きをする。先生にお説教されても「ほんだきっど、おればっかりじゃあんめよ(それはそうだが、俺ばかりではないでしょう)」と反論する。素直な性格でなかったから、何かに付け「ほんだきっと」と反論した。
ほんだきっと

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「それで」の意味で発語のように使う。「ほんでさ、頼みがあんだきっと(それでさ、頼みがあるんだけれど)」と使う。この言葉は大変便利で、さまざまな場面で使い、念を押す時にも使う。「ほんじゃ、こん次遊ぶ時はほんしこでやっぺ(それでは、この次遊ぶ時は正式のルールで遊ぼう)」と言う。今回は本気ではなかったのである。「ほんで」はまだ現役の言葉である。
ほんで(ほんじゃ)

感情を表すことば
遠くに投げる、あるいは勢いよく投げること。やや同じ語感の「ぶん投げる」は捨てることの意味を持つ。どちらも、時には物事を諦めることにも使う。
ほんなげる

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「ほう」は「そう」が転訛し、「げ」は疑問の助詞。「そうかい」と納得するが、「ほーげ」が尻上がりになるとと疑問の意味にもなる。「ほーげや」となることもある。中年以上の人たちの会話の中には現役として使われているが、だんだん「そーげ」から、さらに「そうかい」に移行している。
ほーげ

地域を取り巻く様々な生活
子どもの頃は意味も漢字も分からなかったが、後年、「奉公人」であることが分かった。近所の子が住み込みで働き、学校に通い、中学を卒業しても20歳ぐらいまではそのまま家に残っていた。お礼奉公である。20歳を過ぎて婿に行くものもいたし、東京に就職をして、後年財をなし、錦を飾って町に工場建てた人もいた。それに対して、土地があるばかりに家を出られなかった人は、山間の限界集落の中での生活を強いられている。「ほうごにん」も死語となってしまった。
ほーごにん
奉公人

動物や植物との関わり
ホタルのこと。家の中にも迷い込んできた。季節になれば沢の淵の草藪の中には点滅するホタルがいたので、捕まえたホタルを蚊帳の中に放して、しばし鑑賞をした。今は地域興しでホタル祭りをしているが、30年代の頃は家の周りを乱舞していた。今は河川改修で餌となるカワニナがいなくなってしまった。
ほーたる
蛍

生活の基本 衣と食と住
鰯を藁で頬を指し抜いて連ねているものをいう。今は串で目を刺し通す目刺が主流であるが、子どもの頃の鰯は、藁でえらを刺し抜いていたので「頬通し」であった。単調になりがちな冬の食卓に魚が上るのは、いくら塩っぱくとも、御馳走であった。節分の日には、頭を大豆の枝に刺して木戸口の柱の割れ目に突っ刺した。子どもの頃は、目刺しといわず、全部「頬通し」であった。囲炉裏の「焼きこ」に乗せておくとすぐに藁に火が着き、連なっていた鰯は一匹ずつバラに離れていく。熱い「頬通し」は麦飯に良く合った。
ほーどし
頬通し

子どもの世界と遊び
揺り動かすことの他に、物を失うことにも使う。子守りをしていてなかなか泣き止まないときは背中を「ほーろって」落ち着かせる。また「財布をほーろっちゃた」といえば紛失したことになる。競輪にのめり込み、家の財産を「ほうろって」しまった人もいる。様々な場面で使った。
ほーろく

生活の基本 衣と食と住
棒状の固形石鹸。泡立てを良くするために、温かさが残っている風呂の残り湯を使って洗濯をした。棒石鹸は洗濯だけでなく湯手拭によく擦り付けて体も洗った。顔や手を洗う専用の化粧石鹸は、30年代、英語でCOWと書かれ、牛の絵の包装紙に包まれた牛乳石鹸や三日月の花王石鹸などが贈答品の定番になった。化粧石鹸は洗い場に置き忘れると、烏に食べられてしまった。当時の化粧石鹸は今でも箱に入ったまま棚の奥に残っている。洗濯機の普及とともに粉石鹸が普及、棒石鹸は姿を消したかに見えたが、最近は100円店にも並んでいる。メリットは何であろうか。
ぼうせっけん
棒石鹸

動物や植物との関わり
藪がひどい場所。「か」は場所を指す接尾語。「ぼさっこ」ともいう。「ぼさぼさ」がそのまま「ぼさ」になったのであろう。毎年下刈りをすることで山はきれいになっていたが、すでに半世紀にわたって手入れをしない雑木山は「ぼさっか」だらけになってしまった。キノコも出なくなり、イノシシの棲みかとなっている。
ぼさっか

動物や植物との関わり
「切り株」のことで、枯れてすぐに燃えるようなもの。特に松の株は「ひでぼっこ」で、松の脂が灯火として使われたので、停電の日には重宝された。戦中戦後、食糧増産のため「開墾地」を開いたので、掘り起こされた杉の「ぼっこ」が軒下に干されていた。囲炉裏にくべておけば、朝から夕方まで長持ちしたが、よく燃えないので、煙も一通りでなかった。
ぼっこ

冠婚葬祭と人々の繋がり
「ぼっこす」は壊すことだが、大工の中にも、技術が無く、家を壊すだけの「ぼっこし大工」がいた。また、人為的でなく経年劣化で壊れる時は、自動詞として「小屋がぼっこれっちゃった」という。エンジンも「ぼっこれて」しまうこともある。人間関係も、「ぼっこし屋」がいて、うまくいくところもダメにしてしまう人がいた。結納までして破談になるのも「ぼっこれた」ことになる。
ぼっこす

感情を表すことば
質の悪いこと、性能が良くないことをいう。「あだま(頭)ぼっこれてんじゃねが(頭がおかしいんじゃないか)」と言うこともあるし、「俺家(おれげ)のラジオはぼっこれなんだよ」と性能の悪さを嘆く。ずいぶん使った言葉であるが、今の若い人には通じない。
ぼっこれ

地域を取り巻く様々な生活
うどんの一塊にも使うし、藁を重ねたものも「ぼっち」という。盛り上がった形が共通している。山名にも「高ぼっち山」がある。秋の収穫が終わると藁を積んだ「わらぼっち」があちこちにできる。刈り取った稻藁は、縄や筵(むしろ)などにするために、程良く乾燥させなくてはならない。さらには馬の餌にもなる。藁は全く無駄にしないものであった。藁ぼっちが並んでいるところは北風の風除けにもなり子どもたちの遊び場でもあった。藁ぼっちは20年代から30年代の農村の原風景である。
ぼっち

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「もしかすると」の意味。ぼんやりするという「ぼーっと」する意味ではない。「ぼっとすっと今晩は雨が降っかも知んねぞ」と、空模様からかなりの確信をもって仮定する。若い人は使わないが、同世代ではまだまだ現役の言葉である。
ぼっとすっと

農家を支える日々のなりわい
行商のこと。
ぼてふり

農家を支える日々のなりわい
急須の蓋の持ち手の突起のようなものを「ぼんちゃま」という。葱坊主は「ネギのぼんちゃま」である。いずれも形状が似ていることから、坊主頭からの「坊様」の転訛か。「ぼっちん」とも言っていたが、「藁ぼっち」やうどんのの「ぼっち」と同様、丸く一塊になっているものの形状と同じことからの名前であろう。
ぼんちゃま

動物や植物との関わり
広くはお盆ころに咲く野の花のことを言うが、地域によって花種が違う。我が家では宿根草のオイランバナを言った。他にキキョウやオミナエシの秋の七草も含む。いずれも、手入れはしなくてもお盆の季節になると花を着けた。今は仏花は農産物直売所やスーパーでも売っているが、かつての八溝の盆花は山野草であった。毎年お盆に季節に咲くオイランバナは仏前に飾るのにふさわしい。
ぼんばな
盆花

農家を支える日々のなりわい
髪を短髪にするように、きれいに刈り取った状態。茶の株を剪定する際も思い切って「ぼんぼうず」にするし、杉を皆伐されると「山がぼんぼーずになった」いう。「ぼん」は盆で丸いこと、さらに「ぼーず」は坊主頭からのイメージか。
ぼんぼーず

農家を支える日々のなりわい
単1の電池を直列にした懐中電燈のこと。棒状の縦長であったから「棒電気」であったろう。懐中電気(電灯)は、提灯や松明と違って、懐に入れられからの命名である。今までは真っ暗な中を「夜目」を利かせ田舎道を歩いていたので、「棒電気」の登場は画期的であった。しかし乾電池の液漏れが多く、気づくと錆が出て、スイッチの接続が悪く、よく故障した。電池が高価だったこともあって、もったいないから慣れた道の近所までの用足しには使わなかった。
ぼーでんき
棒電気

子どもの世界と遊び
青っ洟のこと。戦後の子どもたちはみんな青っ洟を垂らしていた。2本垂らしていたから、文字どおり「二本棒」である。鼻紙を持っていなかったから、片手の指で鼻を押さえて勢いよく洟を吹き出す「手鼻」で済ましたが、なかなか上手になれず、最後は袖口でぬぐうことになる。勤務していた子ども園の子どもたちに、棒洟を垂らしている子を見つけることが出来ない。
ぼーばな
棒洟

生活の基本 衣と食と住
柱などが朽ちること。風雨にさらされたり、シロアリなどに食われて、家の土台が「ぽける」ことがある。木の芯がスカスカになっている状態である。空き家になっているふるさとの家はあちこちが「ぽけて」しまっている。
ぽける
