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農家を支える日々のなりわい

長雨。雨続きのこと。間もなく雨が上がるという意味とは違う。「近上がりで困りやんすね」と長雨で煙草の収穫が遅れることを心配する。近上がりがなぜ長雨になったのか、反対のような意味だが、しばしば使っていたから間違いない。

ちかあがり

近上がり
感情を表すことば

自分の意に添わない感情の時に、人に対しても自分自身を責める時にも使う。犬が吠え立てたりすれば、文字どおり「こんちきしょう」と石をぶん投げたりしたが、他人から意に添わない仕打ちを受ければ「こんちきしょう」と口に出すこともある。また、自分自身のふがいなさに対しても「ちきしょ」と怒りを自分に向けることがある。しばしば使った言葉である。

ちきしょ(う)

畜生
感情を表すことば

小さいものを罵っていう言葉ではない。けちのことを意味する「ちび」に、蔑称である「くそ」を付けたから、余程のけちのこと。ただ、子ども同士ではしばしば使う言葉で、相手に傷の付くような響きはない。「おん(俺)にもで半分下ろや(俺にも半分くれや」と言うと、「嫌(やだ)だよ。これっぱかししかないんだもん(これだけしかないんもの)」と断ると「なんだ、ちびくそ」と応答すす。しばしば使った言葉である。

ちびくそ

感情を表すことば

ちょこっと、少しの意味。小さいという意味の「ちび」と関係があるか。「ちびっとでいいがらおごれよ(少しでいいからください)」とせがむ。「どれぐらい欲しんだ」と聞かれれば、親指と人差し指をくっつけて「ほんのちびっとだ」という。

ちびっと

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「ということはない」の転訛したもので、その意味の後ろには「困ったもんだ」という気持ちが込められている。「何言っても聞くちゃない」とか「ひとっつも(少しも)勉強するちゃないんだから」と、言外に非難や叱責の気持ちがあった。一方で、叱られる子供の方も「いくら怒られたって知ったこっちゃない」と気に掛けることもなかった。

ちゃない

農家を支える日々のなりわい

「ちゃぶれる」と自動詞にも使う。「家がちゃぶれた」は建物が壊れたことと、破産したことにも使う。さらに、「卵なさなくなったがら、ちゃぶして食うべ」といって、ニワトリを殺して食べる。一番問題は「顔をちゃぶされる」ことで、面目を失ってしまう。さらに接頭語「ぶっ」をつけて「ぶっちゃぶす」となると、大きな力が加わったことになる。

ちゃぶす

農家を支える日々のなりわい

広辞苑にも出ていることから、かつては普通に使われていた言葉であろう。良くないものをよく見せるためには言葉の読み方も改めることが必要となる。車社会とともに、「古い」というイメージを払拭するために「ちゅうこ」という新しい言葉が生まれる。さらに「Used Car」となり、新古車ということばも生まれた。中身は変わらないのに言葉が変われば人の意識が変わる例である。「ちゅうぶる」は死語となった。

ちゅうぶる

中古
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「という」の転訛で、「線分ABをまっつぐ(まっすぐ)引くちゅうと」と中学校の先生が数学を教えていた。叱られて言い訳していると、「なんだちゅうの(何言ってんの)」と、さらに叱られる。八溝の懐かしい響きである。

ちゅー

農家を支える日々のなりわい

中間だが、もう少し広い範囲を示し、バランスが良く取れている辺り。良い点での中間で、中途半端という意味では使わない。「勉強ちゅうかんべまで進んだがな」と、程良いところまで進捗していることになる。音読みの「中間」であることから、もともとの八溝の言葉ではないだろう。

ちゅーかんべ

中間辺
体の名称と病気やけが

脳血栓とか脳出血などいう病名はなく、脳の病は全部「ちゅうぎ(中気)」であった。我が家は「中気」の系統で、家族や親族にも中気のものが多かった。食べ物が原因であったし、防寒が十分でなかった住居の問題もあった。しかし、一番は家系でないかと思う。我が家は中気の「まけ(血統)」である。

ちゅーぎ

中気
冠婚葬祭と人々の繋がり

駐在所のこと。合併前の村役場があった集落に駐在所もあった。警察官は村の名士で卒業式などの時にはいつも来賓席に座っていた。悪さをしていると家人から「警察に縛られっちゃうぞ」と脅かされていたから怖い存在でもあった。一方で家族で赴任する駐在所は、村にはない町の雰囲気を持ってきた。駐在所に女子中学生がいたが、バスで町の中学校に通っていて、村の中学校には転校しなかった。駐在所の近所の同級生が、「笛みでの吹いてたぞ(笛のような物を吹いていたぞ)」などと何かと話題を提供したので、想像を膨らませたが、田舎の中学生にとって遠い存在であった。

ちゅーざい

駐在
感情を表すことば

簡単にという意味だが、急にという意味もあるが、どちらも短時間であることで通底している。「角でちょいら出てくるがら危ながったよ」と急に飛び出したので、事故にでもなるのではないかという危機であった。

ちょいら

感情を表すことば

得意がること。「こく」は言うことだが、軽蔑の気持ちを内包する。調子に乗って軽はずみなことを放言したり行動に表したりすること。時に立場や場面を理解しないで、調子に乗りすぎると、「調子こいでんじゃねーよ」と、先輩から一発かまされる。

ちょうしこく

調子放く
地域を取り巻く様々な生活

重機のないの時代は土砂の運搬に畚(もっこ)が使われた。畚は二人で担ぎ、後棒が先に肩に掛け、その後で先棒が肩に掛けて調子を合わせながら土砂を運ぶ。先棒担ぎは後ろの指示に従って調子を合わせることから「お先棒担ぎ」とされた。人の顔を見ながら調子を合わせる人を、軽蔑の意を込めて「調子畚」と言っていた。戦後間もない頃の大きな台風で堤防が決壊し、その補強工事では畚が用いられていた。
畚が民俗史料となって、畚担ぎはいなくなったが、「調子畚」はいつの時代もなくならない。子どもの頃から工事現場を見ることが大好きであった。

ちょうしもっこ

調子畚
感情を表すことば

「少し」のことだが、時間がわずかであること。「ちょっくら出掛けてくっから」と近所に出掛けて、半日(はんぴ)もお茶のみしてくる。「ちょっくら」は人によって許容範囲が違い、「ちょっくら飲んでいぐが」と言って、飲み過ぎることもある。

ちょっくら

感情を表すことば

少しの意味だが、「ほんの少し」であること。甘い物が欲しい時に「ちょびっとでいいがら羊羹おごれよ」とせがむ。「ちょごっと」ともいう。物の量だけでなく、時間や感情など広汎な場面で使う。

ちょびっと

感情を表すことば

子どもの癖して大人っぽい振る舞いをすると「ちょべすけ」と言われた。やたら大人の会話に口を挟めば「ちょべちょべすんな」と叱られた。悪い意味で大人びて出しゃばること。大人でも、やたら人前に出て口を挟めば「ちょべちょべしてる」と言われる。

ちょべちょべ

生活の基本 衣と食と住

日常的には「おんこば」であったが、少し改まった時には「ちょうずば」と言った。便所は時代とともに何度も呼称が変化してきた。古くは「かわや」と言い、川の上に造った小屋のことである。さらに、「御不浄(ごふじょ)」といったり「憚り(はばかり)」と言ったり、禅寺では「東司(とうす)」と呼ぶなど、大小便が直接イメージされない呼び方となり、絶えず新しい名前に変わっていった。
「ちょうず」は手水のことで、元もと神社仏閣の手を洗う水のことで、手を洗うことから厠となり、便所そのものを指すようになった。人糞として畑に施すので、汲み取りに便利なように、便壺に二枚の板が差し渡してあるだけだった。しゃれて「日本橋またがり町」と言っていた。我々世代が「手水場」の最後の世代で、その後はお手洗いと言い、今は学校でも「トイレの時間にします」と言っている。これからどんなふうに変わるのであろうか。

ちょーずば

手水場
動物や植物との関わり

蝶々類は「蝶まんぼ」で括られた。アゲハはでかい蝶々程度にしか意識していないから、名前も知らなかった。昆虫採集などは全く「益もね(役立たない)」ことだったから、関心がなかったのである。モンシロチョウなどは菜っ葉の大敵だから、菜の花にたかっていれば柏手をするようにして、ちゃぶし(つぶし)ていた。オオムラサキで地域興しをしているところもあるが、どんな「ちょーまんぼ」か、生態も分からないい。

ちょーまんぼ

蝶まんぼ
感情を表すことば

「重六」の語源は、双六で二つの采がともに六の「ぞろ目」が出ること、とある。双六のことには疎いので、否定の文末の呼応によって、悪い意味で使われたかは不明である。江戸で使われていた博徒の用語がなぜ八溝に伝わったのであろうか。ふてくさって黙っていると「重六に話も出来ねんだがら」とさらに言われた。「ろくに」が否定の文末と呼応して「十分でない」ということと同じであろうか。

ちょーろく

重六
生活の基本 衣と食と住

携帯して鼻紙にする物は、上品に「ちりし」とも言った。本来の和紙で作られたちり紙でなく、低質な再生紙であった。ちり紙が普及して便所紙や鼻紙としても用いられた。婆ちゃんはちり紙の半分で鼻をかんで、二つ折りにして懐に入れて、半分でもう一度鼻をかんだ。それを見て育ったから、テッシュで鼻をかんでも1度で捨てることはない。端の方で鼻をかみ、ポケットに入れて、何度か使って団子状態になって捨てることが習慣となっている。ポケットに入れた状態で洗濯機に入れて怒られることも稀でない。

ちりがみ

チリ紙
体の名称と病気やけが

唾(つば)のこと。「ちわ」、「つばき」とも言った。唾は古く「つはき」と言われ、「つば」は語末の「き」が脱落し、「は」が濁音化したものと言われている。「先生(せんせ)が試験の紙を配っ時、指なめっから、ちわぎついでんだ」と、子どもたちは世迷い言をする。「ちわぎ」は、古い用法を今日に残している言葉と言える。由緒ある方言も今や死語となってしまった。

ちわぎ

子どもの世界と遊び

シーソーのこと。「ぎーちこばったん」、「ぎーこんばったん」とも。いずれもシーソーの上下する様子や音から生まれた言葉であろう。近代教育の中に遊具が外国から導入された時に、和訳が進んだのに、なぜシーソーは適語がなかったのか。また、遊動円木など、強いて難しい名前を付けたと思われる遊具もある中で、「ちんかんぱんかん」は30年代まで残っていた。物事がうまくいかず、ちぐはぐなことにも「ちんかんぱんかん」という。

ちんかんぱんかん

子どもの世界と遊び

「ちんけ」は小さいことで、広く使われている「器量が小さい」という意味ではない。兄弟が多かったから、三男以下が兄を呼ぶときに、長兄を「でかあんちゃん」といい、次兄を「ちんけあんちゃん」と呼んで区別した。私は長男であるから、「でがあんちゃん」である。

ちんけあんちゃん

子どもの世界と遊び

「ほんこ」の反対。「うそっこ」とも。遊びで、勝ち負けの際に所有権が移ることことに対して、遊びが終われば、取ったものを敗者に戻すという遊び方。自ずと真剣みが違う。年齢による技量差が著しい時には「ちんこ」が行われた。

ちんこ

感情を表すことば

小さいの意味。兄弟が多かったから、年長の兄は「でっけあんちゃん」次兄は「ちんこあんちゃん」であった。また、股間を見せ合って「なんだお前(めい)のはちんけな」と比べ合った。さまざまな場面で使われた言葉である。

ちんこい(ちっけ:ちんけ)

動物や植物との関わり

蟻地獄のこと。軒の下の乾いた所に幾つも穴が掘られていた。普段は姿を見せないので、わざわざ蟻を捕まえてきてきて穴に落とすと、顔を出したかと思う瞬間、蟻とともに土の中に消えていく。この蟻地獄がやがて羽化してウスバカゲロウになることは知らなかった。そんなことを教えてくれる人はいなかった。

ちんころたんころ

動物や植物との関わり

スズメのことを指すこともあるし、小鳥はすべて「ちんちめ」と言うこともある。スズメは今よりも数が多かった。スズメはカラスなどの天敵から身を守るため人と生活空間をともにしてきたが、最近の家屋は藁屋根が少なくなり、さらに無人の家が多くなったからスズメの居場所がなくなった。「ちんちめ」は家族のような一番身近な小鳥であった。

ちんちめ

体の名称と病気やけが

出血でひどい状態のこと。他所から来る人がびっくりする方言である。子どもたちは外での遊びの中でも山に行ったり川に入ったりとワイルドに行動していたからケガをすることも多かった。少しぐらいの出血は気にしていなかった。しかし、「ちーだらまっか」になると家に駆け込み、婆ちゃんに赤チンを塗ってもらい、包帯代わりに手拭いを裂いて縛ってもらった。

ちーだらまっか

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