挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
江戸言葉が残っていたもので、お茶飲み友だち が来ると、婆ちゃんは「おあがななんしょ(おあがりなさい)」と勧めた。「なんしょ」は「なさい」と同じ意味の尊敬の補助動詞である。「お座りなんしょ」とか、「おあたんなんしょ(お当たたりください)」と囲炉裏の火に当たるように勧める。「なんしょ」は響きが良くて、温かみがあった。
おあがんなんしょ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
座蒲団を使ってお座りくださいという意味。接頭語にさらに尊敬語表現の「なんしょ」を重ねたもの。祖父母との生活時間が長かったので、隣近所の年寄りのお茶のみ話の中で、その当時でもすでに年寄り語で あった敬語についても様々耳にすることがあった。その代表が「なんしょ」であった。まず人が訪ねてくれば「おはいんなんしょ(お入りなさい)」、次に「おがげんしょ(お掛けなさい)」と囲炉裏旗へ誘い、さらに「おぢゃおあがんなんしょ(お茶おあがりなさい)」と勧める。良い人間関係が見えてくる。
おあてなんしょ
お当てなんしょ
「よくお出でくださいました」の意味。すでに婆ちゃんたちの言葉であったが、「おいでなんしょ」よりも敬意が高い。婆ちゃんたちの会話には、古い言葉が使われ、中でも敬語にはその傾向が高い。八溝には、江戸ば かりでなく、海を通して関西から言葉が招来された。「お出で」などの言葉も都会風の感じがする。今は全く使われていない。
おいでなはりゃした
農家を支える日々のなりわい
八溝地区の山村を相手にする谷口町の馬頭は、江戸時代から煙草を中心とする農村の生産物の集積と、農具、荒物、肥料、呉服などを農村に供給する在郷町として栄えた。農村が活気のある時期はそれに応じて商店街も活況を呈し、農産物の収穫期やお盆の行事に合わせて大売り出しをして、山村の購買意欲を掻き立てた。特に煙草収納期に合わせての12月の大売り出しが一番盛大 だった。国鉄バスも夜まで臨時バスを運行した。景品は自転車や演芸大会への招待券、食料品などであった。夏の中元大売り出しでは海水浴招待もあった。しかし、農村が疲弊し始まった40年代になると、町には外部資本のスーパーが進出し、自動車の普及により地元商店街の空洞化が一気に進み、地域の協調失われ、大売り出しの商工祭も規模が小さくなり、一気に過疎化に拍車を掛けた。
おおうりだし
大売り出し
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
雨の大降りだが、挨拶用語として使われる。「いや今日は大降りだね」と、「いい天気だね」などとともに使われる。農業は天気に支配されるので、天気の善し悪し、寒暖などの挨拶用語も多い。「ちかあがりで困りやんしたね(長雨で困りましたね)」とか、「お湿りが欲しいね」とか、雨に関するものが多かった。雨が降るかどうかは農作業に影響するから、地域社会での挨拶用語にも取り入れられたのであろう。
おおぶり
大降り
冠婚葬祭と人々の繋がり
掛け字に「お」が付いたので語末が省略され「おかけじ」となったと思われるが、「掛け軸」の最後が脱落したとも考えられる。床の間には絵や書の掛け軸が飾ってあるが、敬称の付く「おかけじ」は猿田彦様などが描かれ、神事の日に掛けられる軸である。当番の宿が保管し、お庚申様の寄り合いが終われば丁寧に丸めて次の宿に引き継ぐ。神様が宿る大切な掛け軸であった。「掛け字」は、字だけでなく絵画のものまで含むようになった。
おかけじ
お掛け字
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「お稼ぎなさい」という意味で、これからまだ仕事が続くことへの慰労でもある。「さようなら」などの形式的な別れの言葉よりも生活実感がこもり、人と人との繋がりを強く感じる言葉である。「なんしょ」は尊敬の意味を表す補助動詞で、「おあがんなんしょ(お上がりください)」など、様々な場面で使っていた。
おかせぎなんしょ
お稼ぎなんしょ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「お構えなく」の丁寧表現。当時でも年寄り婆さんが使った言葉であった。江戸の言葉などがそのまま残ったことも考えられる。八溝の言葉の中には、磐城方面の東北南部や常陸北部と共通する古い江戸言葉が、物とともに海をとおして入って来たと思われるものも珍しくない。男の人は使っていなかったから、遊里の言葉が伝播したとも考えられる。
おかまえはりゃすな
地域を取り巻く様々な生活
食事を運ぶ桶の「岡持」ではない。陸稲(おかぼ:八溝では「おかぶ」という)の餅のこと。田餅に対する言葉。田餅に比べて粘り気がなく、時間とともにひび割れが起きて、焼いても柔らかさが戻らない。それでも、砂糖醤油で焼いた餅は御馳走であった。田の少ない畑作地の作物であった。
おかもち
陸餅
生活の基本 衣と食と住
香辛料のこと。子どもの頃に、香辛料を買うことはなかった。赤く熟した唐辛子は軒の下の竹竿に干しておき、必要な時にすり潰して使った。ミカンの皮を干して粉にし、山椒の実などを加えた「七色とんがらし」は手作りであった。ネギや大根も「おからみ」の一部である。
おからみ
お辛味
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
隣近所お互いに融通しあい、物の貸し借りが多かった。借り物をする時は「おかりもしゃす」と挨拶した。また、庭を通って通過する時も、「おかりもしゃす」と言った。八溝の敬語の代表であったが、今は「お借りします」になり、めいめいで道具も持っているから、貸し借りも少なくなった。
おかりもしゃす
お借り申します
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「お粗末様でした」というのは、もてなしの内容への謙譲表現である。それに対して、盛りが軽いことを詫びながら「お軽うございました」と言った。味などの問題でなく、提供する量の問題が優先されたのは自然なことで、実感がこもっている。今でも年配者は使っている。敬語が少ないと言われる八溝の言葉で、残しておきたいものの一つである。
おかるーござんした
お軽うござんした
冠婚葬祭と人々の繋がり
語頭に敬称「お」を付け、語尾に蔑称になる「め」を付けた。勧進は寺院の寄進のため金品の喜捨を受けるために各地を歩くことで、僧そのものを指すことになった。次第に物乞いの意味となり、乞食を指すようになり、「おかんじん」が「おかんじめ」となった。五木の子守歌にある「おどみゃ(私は)勧進勧進」とあるのも、「良か衆」に対して自分の貧しい身の上を「カンジン」と言った。九州と同様、当地方に残る古い言葉である。
おかんじめ
お勧進め
地域を取り巻く様々な生活
「おがくず」のこと。製材所の丸鋸が「きーん」と音を立てながら丸太を板や角材にしていた。やがて丸鋸から帯鋸(おびのこ)になり、より太い丸太も製材できるようになった。製材所の職人は木を見ながら、どこから鋸を入れるかというプロの目で確かめていた。山林を中心とする八溝の子どもには、樹種によって違う「おがっくず」の匂いは懐かしい。
おがっくず
動物や植物との関わり
「ガマガエル」に敬称のおを付けた。ヒキガエルのこと。蝦蟇は屋敷の縁の下などにいて害虫を食べることから、家族の一員のように大切にしていた。そんなことから敬称を付けて「おがまがえる」になったのであろう。両棲類でありながら、どうして水辺から離れて生活していたのであろうか。身近いに居たのに生態については関心がなかった。
おがまがえる
お蝦蟇
冠婚葬祭と人々の繋がり
竈(かまど)の神様。裸火を使うことから、火防の神にはいつも竈の近くにいてもらわないと困る。火防の神様は、近くは古峰ヶ原神社、さらに秩父の三峰神社、遠くは三州秋葉神社とか京の愛宕神社の神札までお飾りしてあった。愛宕神社は地域の神社として、大事に祀られていた。いつ頃、どのようにして京都の神様が小さな集落に勧請(かんじょう:迎え祀る)されたのであろうか、興味深いことである。
おがまさま
お竈さま
農家を支える日々のなりわい
起きて直ぐにという時間帯である。「むくる」は剥ぎ取ることでだが、「起きむぐれ」とどう繋がったのか。子どもの頃から「おきむぐれ」でも、ぼやぼやしていられなかった。それぞれに役割があって、雑巾掛け、水汲みも小学生の中学年になれば当たり前であった。この習慣は大人になって様々な場面で役立った。中でも、長期の登山などでは、寝起きがいいことがどんなに役立ったか、子どもの頃の習慣である。
おきむぐれ
起きむくれ
冠婚葬祭と人々の繋がり
来客が来た時に飲食の接待をすること。「お給仕」は、「手盆」でなく、小型の「お給仕盆」を使って勧める。「おぎゅうじ」の中には「お代り」を勧める心遣いも必要で、「一杯飯ちゃあんめよ。もっとおあがんなんしょよ(一杯飯ということはないよ。もっとお上がりくださいよ)」という。一杯飯は死人の食べ物だから、2杯食べるよう勧める。
おぎゅうじ
お給仕
感情を表すことば
「臆する」が標準語で、気持ちが引けてオドオドする、心配になってしまうこと。「宇都宮にいぐってゆって、そだにおくせっこどながっぺ(宇都宮に行くからといって、そんなにしんぱいすることないよ)」と言われたが、バスを2回、さらに氏家で汽車に乗り継いで片道2時間の宇都宮旅行では「おくせ」てしまい、まぐれないようにすることばかり考えていた。宇都宮に行けば、1週間は話題にすることが出来た。
おくせる
臆せる
地域を取り巻く様々な生活
蚕は家庭の中で 一番風通し良い場所で飼われ、大切に扱われていたから、語頭に「お」を付け、語末には「様」と最大級の敬称を与えている。小学生の頃は、畳を上げたお勝手では桑の葉をワシャワシャと音を立てながら食べるオコサマと一緒に生活していた。早くに養蚕がなくなり、桑の木は、縦横に枝を伸ばし、密林のようになっている。我が家には代々続く紋付きの羽織袴があるが、布地は自家製の物で、所々に糸を繋いだ跡がある。
おこ(ご)さま
お蚕様
冠婚葬祭と人々の繋がり
60日に1度回ってくる庚申(かのえさる)日の夜、持ち回りの宿(やど)に、男たちが集まって飲食をする日。床の間には猿田彦のおかけじ(掛け軸)を掛ける。年6回あるが、本来の庚申信仰とは違って、組内の親睦と農事の休暇の意味あいがあった。中学生になると、父親が宿直で出られない時には「名代」として酒宴の席に出て、酒を勧められることもあった。酒のキャリアは相当なものである。その後、葉煙草が作られなくなり、家の改築が進み、組内全員が詰まる座敷もなくなってしまった。補助金で地域公民館が作られ、各戸持ち回りから公民館での集まりになった。やがて、年1回の「仕舞い庚申」だけとなり、それも今はなくなってしまった。猿田彦の掛け軸はどこに行ってしまったのか。
おごしんさま
御庚申様
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「ご馳走様」に、さらに敬語の「お」を付けて最高の敬意を表した。有り難い振る舞いに対して、御馳走様だけでは足りなかったので接頭語の「お」付けて、より敬意を表した。我々の世代はまだ「おごっつぉさん」と使っている。
おごっつぉさま
お御馳走様
農家を支える日々のなりわい
本来、護符は神社やお寺からいただいたお札のことである。神仏に対する敬意から「お」を付けたもので、「お札」よりも遙かに格調の高い言葉である。今は使わない言葉となってしまった。御護符は梁に縄で巻き付け、囲炉裏や風呂の煙で燻して虫に食われないよう保存していた。子どもたちにとっての「おごふ」はお札でなく、祭礼の時に神様に上げた餅のお下がりを指していた。お札から食べ物になっていた。
おごふ
御護符
感情を表すことば
食事を振る舞ったりするということでなく、古い用法に中にある驕り高ぶっている人に対する周囲の人たちの感情を表す。特に金銭を必要以上に使うように見えることの意味で使う。「あすこの家はごうせ(豪勢)で、おごっているね」と、他人の家が大きくなることへの羨望と嫉妬が入り交じっている言葉である。
おごる