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挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

江戸言葉が残っていたもので、お茶飲み友だちが来ると、婆ちゃんは「おあがななんしょ(おあがりなさい)」と勧めた。「なんしょ」は「なさい」と同じ意味の尊敬の補助動詞である。「お座りなんしょ」とか、「おあたんなんしょ(お当たたりください)」と囲炉裏の火に当たるように勧める。「なんしょ」は響きが良くて、温かみがあった。

おあがんなんしょ

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

座蒲団を使ってお座りくださいという意味。接頭語にさらに尊敬語表現の「なんしょ」を重ねたもの。祖父母との生活時間が長かったので、隣近所の年寄りのお茶のみ話の中で、その当時でもすでに年寄り語であった敬語についても様々耳にすることがあった。その代表が「なんしょ」であった。まず人が訪ねてくれば「おはいんなんしょ(お入りなさい)」、次に「おがげんしょ(お掛けなさい)」と囲炉裏旗へ誘い、さらに「おぢゃおあがんなんしょ(お茶おあがりなさい)」と勧める。良い人間関係が見えてくる。

おあてなんしょ

お当てなんしょ

「よくお出でくださいました」の意味。すでに婆ちゃんたちの言葉であったが、「おいでなんしょ」よりも敬意が高い。婆ちゃんたちの会話には、古い言葉が使われ、中でも敬語にはその傾向が高い。八溝には、江戸ばかりでなく、海を通して関西から言葉が招来された。「お出で」などの言葉も都会風の感じがする。今は全く使われていない。

おいでなはりゃした

農家を支える日々のなりわい

八溝地区の山村を相手にする谷口町の馬頭は、江戸時代から煙草を中心とする農村の生産物の集積と、農具、荒物、肥料、呉服などを農村に供給する在郷町として栄えた。農村が活気のある時期はそれに応じて商店街も活況を呈し、農産物の収穫期やお盆の行事に合わせて大売り出しをして、山村の購買意欲を掻き立てた。特に煙草収納期に合わせての12月の大売り出しが一番盛大だった。国鉄バスも夜まで臨時バスを運行した。景品は自転車や演芸大会への招待券、食料品などであった。夏の中元大売り出しでは海水浴招待もあった。しかし、農村が疲弊し始まった40年代になると、町には外部資本のスーパーが進出し、自動車の普及により地元商店街の空洞化が一気に進み、地域の協調失われ、大売り出しの商工祭も規模が小さくなり、一気に過疎化に拍車を掛けた。

おおうりだし

大売り出し
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

雨の大降りだが、挨拶用語として使われる。「いや今日は大降りだね」と、「いい天気だね」などとともに使われる。農業は天気に支配されるので、天気の善し悪し、寒暖などの挨拶用語も多い。「ちかあがりで困りやんしたね(長雨で困りましたね)」とか、「お湿りが欲しいね」とか、雨に関するものが多かった。雨が降るかどうかは農作業に影響するから、地域社会での挨拶用語にも取り入れられたのであろう。

おおぶり

大降り
冠婚葬祭と人々の繋がり

掛け字に「お」が付いたので語末が省略され「おかけじ」となったと思われるが、「掛け軸」の最後が脱落したとも考えられる。床の間には絵や書の掛け軸が飾ってあるが、敬称の付く「おかけじ」は猿田彦様などが描かれ、神事の日に掛けられる軸である。当番の宿が保管し、お庚申様の寄り合いが終われば丁寧に丸めて次の宿に引き継ぐ。神様が宿る大切な掛け軸であった。「掛け字」は、字だけでなく絵画のものまで含むようになった。

おかけじ

お掛け字
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「お稼ぎなさい」という意味で、これからまだ仕事が続くことへの慰労でもある。「さようなら」などの形式的な別れの言葉よりも生活実感がこもり、人と人との繋がりを強く感じる言葉である。「なんしょ」は尊敬の意味を表す補助動詞で、「おあがんなんしょ(お上がりください)」など、様々な場面で使っていた。

おかせぎなんしょ

お稼ぎなんしょ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「お構えなく」の丁寧表現。当時でも年寄り婆さんが使った言葉であった。江戸の言葉などがそのまま残ったことも考えられる。八溝の言葉の中には、磐城方面の東北南部や常陸北部と共通する古い江戸言葉が、物とともに海をとおして入って来たと思われるものも珍しくない。男の人は使っていなかったから、遊里の言葉が伝播したとも考えられる。

おかまえはりゃすな

地域を取り巻く様々な生活

食事を運ぶ桶の「岡持」ではない。陸稲(おかぼ:八溝では「おかぶ」という)の餅のこと。田餅に対する言葉。田餅に比べて粘り気がなく、時間とともにひび割れが起きて、焼いても柔らかさが戻らない。それでも、砂糖醤油で焼いた餅は御馳走であった。田の少ない畑作地の作物であった。

おかもち

陸餅
生活の基本 衣と食と住

香辛料のこと。子どもの頃に、香辛料を買うことはなかった。赤く熟した唐辛子は軒の下の竹竿に干しておき、必要な時にすり潰して使った。ミカンの皮を干して粉にし、山椒の実などを加えた「七色とんがらし」は手作りであった。ネギや大根も「おからみ」の一部である。

おからみ

お辛味
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

隣近所お互いに融通しあい、物の貸し借りが多かった。借り物をする時は「おかりもしゃす」と挨拶した。また、庭を通って通過する時も、「おかりもしゃす」と言った。八溝の敬語の代表であったが、今は「お借りします」になり、めいめいで道具も持っているから、貸し借りも少なくなった。

おかりもしゃす

お借り申します
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「お粗末様でした」というのは、もてなしの内容への謙譲表現である。それに対して、盛りが軽いことを詫びながら「お軽うございました」と言った。味などの問題でなく、提供する量の問題が優先されたのは自然なことで、実感がこもっている。今でも年配者は使っている。敬語が少ないと言われる八溝の言葉で、残しておきたいものの一つである。

おかるーござんした

お軽うござんした
冠婚葬祭と人々の繋がり

語頭に敬称「お」を付け、語尾に蔑称になる「め」を付けた。勧進は寺院の寄進のため金品の喜捨を受けるために各地を歩くことで、僧そのものを指すことになった。次第に物乞いの意味となり、乞食を指すようになり、「おかんじん」が「おかんじめ」となった。五木の子守歌にある「おどみゃ(私は)勧進勧進」とあるのも、「良か衆」に対して自分の貧しい身の上を「カンジン」と言った。九州と同様、当地方に残る古い言葉である。

おかんじめ

お勧進め
地域を取り巻く様々な生活

「おがくず」のこと。製材所の丸鋸が「きーん」と音を立てながら丸太を板や角材にしていた。やがて丸鋸から帯鋸(おびのこ)になり、より太い丸太も製材できるようになった。製材所の職人は木を見ながら、どこから鋸を入れるかというプロの目で確かめていた。山林を中心とする八溝の子どもには、樹種によって違う「おがっくず」の匂いは懐かしい。

おがっくず

動物や植物との関わり

「ガマガエル」に敬称のおを付けた。ヒキガエルのこと。蝦蟇は屋敷の縁の下などにいて害虫を食べることから、家族の一員のように大切にしていた。そんなことから敬称を付けて「おがまがえる」になったのであろう。両棲類でありながら、どうして水辺から離れて生活していたのであろうか。身近いに居たのに生態については関心がなかった。

おがまがえる

お蝦蟇
冠婚葬祭と人々の繋がり

竈(かまど)の神様。裸火を使うことから、火防の神にはいつも竈の近くにいてもらわないと困る。火防の神様は、近くは古峰ヶ原神社、さらに秩父の三峰神社、遠くは三州秋葉神社とか京の愛宕神社の神札までお飾りしてあった。愛宕神社は地域の神社として、大事に祀られていた。いつ頃、どのようにして京都の神様が小さな集落に勧請(かんじょう:迎え祀る)されたのであろうか、興味深いことである。

おがまさま

お竈さま
農家を支える日々のなりわい

起きて直ぐにという時間帯である。「むくる」は剥ぎ取ることでだが、「起きむぐれ」とどう繋がったのか。子どもの頃から「おきむぐれ」でも、ぼやぼやしていられなかった。それぞれに役割があって、雑巾掛け、水汲みも小学生の中学年になれば当たり前であった。この習慣は大人になって様々な場面で役立った。中でも、長期の登山などでは、寝起きがいいことがどんなに役立ったか、子どもの頃の習慣である。

おきむぐれ

起きむくれ
冠婚葬祭と人々の繋がり

来客が来た時に飲食の接待をすること。「お給仕」は、「手盆」でなく、小型の「お給仕盆」を使って勧める。「おぎゅうじ」の中には「お代り」を勧める心遣いも必要で、「一杯飯ちゃあんめよ。もっとおあがんなんしょよ(一杯飯ということはないよ。もっとお上がりくださいよ)」という。一杯飯は死人の食べ物だから、2杯食べるよう勧める。

おぎゅうじ

お給仕
感情を表すことば

「臆する」が標準語で、気持ちが引けてオドオドする、心配になってしまうこと。「宇都宮にいぐってゆって、そだにおくせっこどながっぺ(宇都宮に行くからといって、そんなにしんぱいすることないよ)」と言われたが、バスを2回、さらに氏家で汽車に乗り継いで片道2時間の宇都宮旅行では「おくせ」てしまい、まぐれないようにすることばかり考えていた。宇都宮に行けば、1週間は話題にすることが出来た。

おくせる

臆せる
地域を取り巻く様々な生活

蚕は家庭の中で一番風通し良い場所で飼われ、大切に扱われていたから、語頭に「お」を付け、語末には「様」と最大級の敬称を与えている。小学生の頃は、畳を上げたお勝手では桑の葉をワシャワシャと音を立てながら食べるオコサマと一緒に生活していた。早くに養蚕がなくなり、桑の木は、縦横に枝を伸ばし、密林のようになっている。我が家には代々続く紋付きの羽織袴があるが、布地は自家製の物で、所々に糸を繋いだ跡がある。

おこ(ご)さま

お蚕様
冠婚葬祭と人々の繋がり

60日に1度回ってくる庚申(かのえさる)日の夜、持ち回りの宿(やど)に、男たちが集まって飲食をする日。床の間には猿田彦のおかけじ(掛け軸)を掛ける。年6回あるが、本来の庚申信仰とは違って、組内の親睦と農事の休暇の意味あいがあった。中学生になると、父親が宿直で出られない時には「名代」として酒宴の席に出て、酒を勧められることもあった。酒のキャリアは相当なものである。その後、葉煙草が作られなくなり、家の改築が進み、組内全員が詰まる座敷もなくなってしまった。補助金で地域公民館が作られ、各戸持ち回りから公民館での集まりになった。やがて、年1回の「仕舞い庚申」だけとなり、それも今はなくなってしまった。猿田彦の掛け軸はどこに行ってしまったのか。

おごしんさま

御庚申様
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「ご馳走様」に、さらに敬語の「お」を付けて最高の敬意を表した。有り難い振る舞いに対して、御馳走様だけでは足りなかったので接頭語の「お」付けて、より敬意を表した。我々の世代はまだ「おごっつぉさん」と使っている。

おごっつぉさま

お御馳走様
農家を支える日々のなりわい

本来、護符は神社やお寺からいただいたお札のことである。神仏に対する敬意から「お」を付けたもので、「お札」よりも遙かに格調の高い言葉である。今は使わない言葉となってしまった。御護符は梁に縄で巻き付け、囲炉裏や風呂の煙で燻して虫に食われないよう保存していた。子どもたちにとっての「おごふ」はお札でなく、祭礼の時に神様に上げた餅のお下がりを指していた。お札から食べ物になっていた。

おごふ

御護符
感情を表すことば

食事を振る舞ったりするということでなく、古い用法に中にある驕り高ぶっている人に対する周囲の人たちの感情を表す。特に金銭を必要以上に使うように見えることの意味で使う。「あすこの家はごうせ(豪勢)で、おごっているね」と、他人の家が大きくなることへの羨望と嫉妬が入り交じっている言葉である。

おごる

奢る・驕る
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「おくれ」が濁音化した。腹が減れば「何がおごれ」と、何でも良いから腹の足しになるものをねだった。補助動詞ふうに、他の動詞について「してください」の意味にもなる。その際は「お」がなくなり「貸してごれ」となる。この言葉は今でも現役で使われ、「貸してください」と言うのはよそよそしくて気恥ずかしい。

おごれ

お下れ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「おくれなんしょ」が転訛した言葉であろう。婆ちゃんが使って、爺ちゃんは使ってない言葉であるから、女性の言葉であろう。八溝の言葉の中には、千葉や茨城を通して江戸言葉が移入され、戦後まで残っていたと思われる言葉が少なくない。近しい関係でも、改めての集まりの時は、婆ちゃんはいつもと違う言葉を使い、何かよそよそしさを感じることがあった。

おごんなんしょ

生活の基本 衣と食と住

副食の菜におが付いたもので、今はおかずという。広辞苑には、おかずはもともと宮中の女官である女房たちが使っていた女房ことばで、「数を取り合わせることから、飯の菜(さい)となった」とある。当地方でも丁寧な表現の「お」を付けて「お菜」と言っていた。いつから「おかず」になったのか、少なくとも子供のころは「お菜」であった。

おさい

お菜
子どもの世界と遊び

つかむ、捕らえること。小鳥を捕まえると、「籠持ってくるまで、よぐおさまえておげ(籠を持ってくるまで、よくつかまえておけ)」という。中学校の数学の年輩の先生は「この公式が大事だがら、よぐおさまえておけ(この公式が大事だから、よく把握しておけ)」と言っていた。「とらまえる」とも使っていた。

おさまえる(おさめる)

子どもの世界と遊び

教えてもらうこと。本来の「教える」に受け身の「る」が付いたと思われる。「誰先生におさってんだ」と聞かれた。普通に使われていたが、いまは「誰先生に教えてもらってんだ」となっている。「おさる」の方がより古い使い方であろう。

おさる

教さる
冠婚葬祭と人々の繋がり

お互いに対等にして、お返しなどを省略すること。「俺家(おれげ)方でも爺ちゃんの快気祝いやんなくちゃなんえげど(やらなくちゃならないけれど)、お互いに押し合いにすっぺ」ということで、どちらも快気祝いのやり取りはしないことになる。株の市場の押し合いと同じで、相場が動かないことと同類。良い言葉である

おしあい

押し合い
地域を取り巻く様々な生活

飼い葉にする手押しの藁切り器械。始めは単純な台の上に刃が付いていたものであったが、やがて、刃を持ち上げるたびにベルトに乗った藁が自動的に供給されるものが普及してきた。「小野製作所」と焼き版が押されていた。当時は、各所に農機具製作所があって、それぞれ地方に合った農機具が作られていた。我が家では飼い葉以外に楮(こうぞ:こうずと言っていた)を切るために、昔ながらの押し切りを使って、同じ長さに切り揃いていた。エンジンがつく農機具が普及すると、地方の農機具メーカは衰退した。

おしぎり

押切り
生活の基本 衣と食と住

強盗ではなく、押し入れのこと。押し入れよりも、さらに無理に入れ込む感じがする。古い家には押し入れが付いていなかったから、納戸と言うべき「裏座」に、蒲団はもちろん何でもかんでも押し込んでいた。その習慣のため、畳んで入れるという習慣ができず、今も家庭のトラブルとなっている。

おしこみ

押し込み
生活の基本 衣と食と住

「下地」は基礎となるものの意。接頭語「お」を付けることで、料理の食べ物の味付けの「したじ」を指すようになった。一般には味付けの基本となる醤油をいうが、当地方では醤油ばかりでなく、味噌で下地を作ることもある。煮物の基礎となる汁のこと全般を指した。

おしたじ

お下地
動物や植物との関わり

「つくつくぼーし」のこと。「つくつくぼーし」の鳴き声は「おしーつくつく おしーつくつく むぐれんぎょす むぐれんぎょす」と擬音化され、そのまま「おしーつく」が名前となった。標準語は下の方の「つくつく」から命名されたが、八溝言葉の「おしーつく」の名前の方がふさわしい。

おしっつく

生活の基本 衣と食と住

藁葺き屋根で藁を内側と外側で挟んで抑える竹のこと。葺き替えをしないでいると、麦わらが腐って、外側の「おしぼこ」が露出する。いかにも「びーだれた」(落ちぶれた)感じがした。藁は葺き替えの度に入れ替えるが、おしぼこは何度も使う。家の中で火を焚いていることから、虫に食われることなく、黒光りしていた。この篠竹はどこから調達したのであろうか。家の周囲にはない。

おしぼこ

押し鉾
生活の基本 衣と食と住

「おむつ」は襁褓(むつき)のことで、語頭に「お」が付いて語尾の省略される例である。おむつは主に関西で使われ、関東では「おしめ」と言っていた。「おしめ」という語感が嫌われたのであろう。
「おしめ」は使え捨てでなく、子どもがいる家では白い晒しの「おしめ」が、家の前の目立つ物干しに通してあった。子どもが生まれた誇らしさが見える。爺ちゃんが中気で倒れてからは、婆ちゃんが古い着物で作った「おしめ」を川で洗って、屋敷の後ろに目立たないように干していた。

おしめ

お湿
農家を支える日々のなりわい

夏の乾燥の時期の程良い雨は干天の慈雨であった。畑作地帯では干ばつがあり、作物の立ち枯れも珍しくない。神様をお祀りして、嵐除けを祈願して、程良い夕立を期待した。天候だけでなく、町会議員の選挙になると「お湿り」が必要となり、銀行の支店に500円札がなくなってしまうこともあったと聞いていた。「お湿り」のタイミングが難しく、早すぎても遅すぎても効果がない。これは作物の「お湿り」と同じである。

おしめり

お湿り
農家を支える日々のなりわい

今に言う「おしゃれ」とはニュアンスが違う。きちんとした上品なお洒落(しゃれ)ではなく、周囲とはややマッチしないほど着飾ること。「ずいぶんおしゃらぐして。町(まじ)に行く(いぐ)のがな」という時は、「ちょっと派手すぎるんじゃねの」と言う気持ちが込められている。「おしゃらぐばしで、ろぐにはだらがねんだがら」(お洒落ばかりして、ろくに働かないんだから)と羨望の一方で、非難がましい田舎独特の気持ちがある。婚姻色のタナゴは「おしゃらくぶな」と言われていた。

おしゃらぐ

お洒落
農家を支える日々のなりわい

正座すること。共通語や漢字に当てる字はないが、ちゃんとと同じ「しゃんと」が語源で、丁寧な意を表す「お」が語頭について「おしゃんこら」になったのであろう。正座ということから、かしこまった雰囲気を与えることになる。他所に行って「おしゃんこら」していると、「どうぞ平にしとごんなんしょ」と、足を崩すことを勧められる。子どものころから「おしゃんこら」が苦手で、じゃんぼ(葬式)の時などは、すぐにもじもじして長くは座っていられなかった。

おしゃんこら

生活の基本 衣と食と住

味噌汁を椀に分ける際に用いる玉杓子。木製であったから角度が付いていないうえ、深さがない。やがて金属製の角度のついたものが普及して、1度で汁椀に分けることができるようになった。八溝の空き家に帰って食事をする時には、今でも木製の玉杓子を使っているが、オタマジャクシの語源ともなる「お玉」と言って、「おしるぐみ」とは言わなくなった。

おしるぐみ

お汁汲み
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

遠慮することをいう。挨拶の意味で辞宜から来た言葉。「そんなにおじぎ(遠慮)しないで、さくく(遠慮なく)お上がりなんしょ(なさい)」と言ってお茶や食べ物を勧める。反対に、「あの人はおじぎばかりしてん(しているの)で付き合いにくいね」などと言うことになる。隣近所の付き合いは程よい「おじぎ」が必要で、反対に「おじぎ」ばかりして「つっかけ持ち」になっては円滑に進まない。

おじぎ

辞宜か仁義
冠婚葬祭と人々の繋がり

「おじいちゃん」が転訛したもの。さらに「おじんつぁん」より「おじんつぁま」とすれば、丁寧な表現になる。自分の家族の祖父には「じいちゃん」と言って、よその家の爺ちゃんに対して「お」を付けて使った。「おじんつぁん」に対して「おばんつぁん」もいる。

おじんつぁん

感情を表すことば

行動が鈍い、鈍重であること。「のろっこい」とも。「遅い」に状態を表す接尾語の「こい」が付いたもの。「こい」は「あずっこい」「やっこい」などにも使う。友だち関係で何と言っても「はしっこい」者が尊敬された。ただ、あんまり「はしっこ過ぎ」て、素質に頼り、努力を惜しむ者もいた。

おそっこい

感情を表すことば

疲れたることに使う「こわい」に、接頭語「おそ」が付いたもの。ただ身体の疲れではなく、面倒くさいという心理的なものを言う。根気の要る仕事を依頼されると「やんだ、おそっこわい」と言って断った。「こわい」もだんだん使われなくなった。

おそっこわい

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

婆ちゃん子であったので、今では使われなくなった年寄り言葉を耳にする機会が多かった。「おだのみしゃす(よろしくお願いします)」も、当時すでに婆ちゃんの言葉であって、若い人は使っていなかった。明治半ば生まれの婆ちゃんは、江戸言葉を使っていた。その古い言葉を耳にしていた最後の世代になってしまった。貴重な経験である。

おだのみしゃす

お頼みします
動物や植物との関わり

お茶叢(むら)か。耕地が狭い山村では、お茶は土手などに植えていたので、畑のように畝になっていないで、いくつかの株の塊が並んでいた。「おちゃぼら」である。かつては土間に焙炉(ほいろ)があって、集落の人が順に使っていた。今は、手入れのされていないお茶の株は徒長して、山茶花のように伸びて、晩秋から初冬に掛けて白い花を咲かせている。

おちゃぼら

お茶ぼら
感情を表すことば

恐ろしいこと。夜遊びして帰る時は真っ暗で、ホロスケ(ふくろう)が鳴いたりして「おっかない」思いをしながら帰路を急いだ。一方で「今度の先生はおっかねんだと」と新任の先生の話題になる。恐ろしいことだけでなく、畏敬の念も込めての「おっかね」である。我々児童ももきちんとしなくてはならなかった。

おっかね

感情を表すことば

上から力で無理に被せることで、「ちゃんとおっ被せないと風で飛んじゃうから」と言われた。ただ被せるのではなく、強を入れて被せることである。さらには物理的でなく、心理的にも、責任を他人に押しつける時に多く使う。特に責任を転嫁させられた時に、「おっかぶせられっちゃった」と受け身で使う。誰でも「おっかぶされた」ことより「おっかぶせた」方がずっと多いのに、被害者になった時の方が意識に強く残ったから、受け身で使うことが多い。

おっかぶせる

押っ被せる
動物や植物との関わり

「おらじのおっかは」と自分の妻を親しい人に言う時には「め」は付けない。「め」を付ける時は、動物の母親に対して使い、語末に卑しさや親近感もつ「め」を付けた。家の中に馬がいて、外には放し飼いのニワトリがいる時代には、「おっかめ」の子育ての様子を身近に見ることができた。特に馬のおっかめの出産の様子を間近で見ることにもなり、命の不思議さに触れることとなった。

おっかめ

生活の基本 衣と食と住

支えをすること。「心張り棒(戸口などのつっかえ棒)おっかっておけ」などと、しっかりと支える時に使う。語感としては、縦の物に斜めから支えをすることである。人を当てにして「おっかかり(押っ掛り)」、努力を惜しむこととは別な言葉である。

おっかる

子どもの世界と遊び

向こう側に無理やり押すことであるが、人事の左遷にも使う。4月になると「あの先生は町からこごの学校におっこくられて来たんだと」と話題になる。通勤が出来ない時代であったから、町から僻地に赴任して、教員住宅に住むことになったので、「おっこくられた」という感情は強かったであろう。ただ、「おっこくられ」て来た先生は、町の雰囲気をたくさん持ち込み、村への文化の伝道者でもあった。また、親とともに転校してきた子どもは、勉強はもちろん、身支度や言葉遣いも地域の子どもたちの憧れであった。

おっこくる

押っこくる
感情を表すことば

気が進まず面倒なことで、標準語は漢字音の「おっくう」。「今日はこわくて(疲れて)なにすんのもおっこーだ」と言うのは、気持ちまで意欲のない状態である。爺ちゃんは何事も「おっこー」がった。その分、婆ちゃんばかりが気を揉みながら家事や農事に勤しんだ。私は祖父の血を引いたのか、「おっこー」がる質(たち)になってしまった。

おっこー

億劫
感情を表すことば

遅いことであるが、促音化して「おっせいー」と言い、待ちきれないでいた時、「おっせーな、なにぐずぐずしてんだ」と、ひと言文句を言いたくなる時の表現である。

おっせー

遅い
感情を表すことば

強く押さえつけること。物にも人にも使う。重しの石を乗せて「おっちめて」菜っ葉の漬け物を作る。また、「あの野郎生意気だがら、少しおっちめどくか」と言って圧力を掛ける。

おっちめる

押っちめる
農家を支える日々のなりわい

潰すの転訛の「ちゃぶす」に接頭語「おっ」が付いたもので、強く力が作用したことを指す。完全に潰すことで、自動詞では「おっちゃぶれる」と使う。騎馬戦で馬が「おっちゃぶれ」れば負け。相手の強力な圧力によって押しつぶされたのである。

おっちゃぶす

農家を支える日々のなりわい

押し折るか。「ぶっちょる」とも言った。薪などを膝をテコにして半分にするのは文字どおり「おっちょる」ことだが、鉛筆の芯も「おっちょれ」てしまうことが多かった。今は標準語の「おれる」と言っているのが、ずいぶんニュアンスが違う。

おっちょる

冠婚葬祭と人々の繋がり

プラスとマイナスがちょうど合致すること。「少しぐれおっつげっちゃべ(少しくらいは合わせてしまおう)」とつじつま合わせをするが、あとでかえって「追っかなくなる」ことも多かった。人に追いつくこととは別な単語であろう。

おっつぐ

追いつく
冠婚葬祭と人々の繋がり

向こうに追い出すこと。「野良猫おっ飛ばせ」と言われ、戸外に追い出す。ただ追い出すのでなく、強引に追い出すことに使う。子どもも家中(いんなか)でコタツに当たっていると、「外で遊べ」とおっ飛ばされた。子どもたちの関心では、先生の異動で「あの先生はおっ飛ばされて別な学校に行ったんだと」と話題にする。

おっとばす

おっ飛ばす
農家を支える日々のなりわい

行き止まりのこと。集落が終わりになり、道が切れる所が「おっとまり」である。車が普及していなかったから、「おっとまり」の道が多かった。当地区は周囲を山に囲まれていたから、「おっとまり」の道が多く、他所の地区へ「つん抜ける」道は少なかった。そのことが独特の地域風土を醸成したのであろう。

おっとまり

感情を表すことば

「そろそろおっ始めっか」と、重い腰を上げて仕事に取りかかる。ただ始まるよりも、重労働が待っているのである。「勉強おっ始めっか」と言う時は、好きでないのに嫌々始めることになる。接頭語が強い働きをしている。

おっぱじまる

おっ始まる
農家を支える日々のなりわい

接頭語「お」が付いたので、意味が強まる。集落のなかで一番最後の家のある場所を指した。大体は、川の崖や山際の場所であった。さらに、外れるということの意味で、自転車のチェーンが「おっぱずれる」と使った。勢いよく外れる状態である。手から物が外れて落とすときも「おっぱずれ」たという。

おっぱずれ

おっ外れ
動物や植物との関わり

ニワトリの放し飼いにしていたので、夕方は鳥小屋に入れて、イタチやキツネに襲われないように扉を石で押さえ、翌朝には庭に「おっぱなす」。犬も猫もおっ放したままで、半ば野生のようであった。子どもも忙しい時期には「おっ放された」ままであったが、友だち同士でつるんでいたことがで、かえって社会性が身に付いたように思う。

おっぱなす

おっ放す
冠婚葬祭と人々の繋がり

開くこと全般に使うが、多くは、秘密をしまっておけいないで、口外する時に使った。、いい場面では使わず、「あんて(あの人)は口が軽いんですぐにおっぴらかしちゃうんだ」などと言った。狭い地域であったため、「おっぴらかす」人がいるとすぐに話が広まった。同じような言葉に「おっぴろげる」があるが、こちらは物を広げることに多く使う。
 

おっぴらかす

おっ開かす
冠婚葬祭と人々の繋がり

思い切って押すこと。押し圧す対象はさまざまで、物にも人にも使う。「かまごどねがらおっぺしこんじゃべ」(構わないから押し込んでしまおう)と無理に入れると、後で収拾がつかなくなる。強引な性格であったから「押っペ仕込む」ことが多かった。

おっぺす(おっぺしこむ)

押っ圧す
農家を支える日々のなりわい

「放り出す」に接頭語「お」をつけたので「おっぽりだす」となった。勢いよく外に投げ出すこと。「いづまでも騒いでっと、おっぽりだすぞ(いつまでも騒いでいると、外に放り出すぞ)」と、先生に叱られる。家でも何度か「おっぽり出され」たが、なんちゃない(いっこうに構わない)。逆に家族が探す羽目になったこともある。

おっぽりだす

冠婚葬祭と人々の繋がり

身を寄せ合うこと。寒いから仲間と「おつかって」日向ぼっこをした。姉弟が多かったので、夜も一人でなく「おつかって」寝ていた。今は一人で寝ているので「おつかって」くれる人がいない。支えをする「おっかる」は「交う」のあて字を充てて意味が違う。

おつかる

生活の基本 衣と食と住

味噌汁のことで、もともと宮中の女官が使っていた女房言葉であるという。江戸から伝播してきたものであろう。標準語では「お味おつけ」と言う。「お付け」は、本来は本膳の添え物で、お吸い物のことだが、我が家の方では、御飯のおかずになるような塩っぱいものを指した。根菜や菜っ葉などの具がたくさん入っていて、主食の足しにもなるし、おかず代わりにもなった。味噌仕立ての汁で、宮中の女房たちの言うような上品な吸い物ではない。

おつけ

御付
子どもの世界と遊び

買い物時のお釣りではない。便所の跳ねっ返りである。学校の便所は自宅のものと違い、小便が多いうえに、高度差もあったから、大便をする時には跳ねっ返りがあった。「おつり」である。尻ばかりか、顔にまで掛ることがあった。落とす直前に尻を振って大便が斜めや横に着水すれば跳ね返りが少ない、ということを先生が教えてくれた。早速実行したら、効果が抜群であった。ボッチャントイレがなくなって、「おつり」もない。

おつり

お釣り
生活の基本 衣と食と住

手塩皿のこと。大家族では一人ひとりには盛りつけをせず、鍋や大皿のままだったので、自分のものだけ取り分ける皿が必要であった。お膳には、飯茶椀と汁椀の他に、おかずを取り分ける「おてしょ」の三点セットになっていた。もともとは不浄を払う塩を盛った皿であったが、今は名前も使われず、取り分け皿になってしまった。

おてしょ

お手塩
冠婚葬祭と人々の繋がり

出産をすること。産婦には「おとなしさま」と敬称を付ける。初産の時には実家に帰えってお産をすることもあった。村に一人だけの佐藤産婆さんが、自転車に乗ってやってきて取り上げた。裏座が産室であった。弟が生まれる度に、母親が遠くなったような気がした。

おとなし

感情を表すことば

広辞苑には「おだあげる」とあり、漢字は当てられていない。勝手に談笑する意として載っているが、八溝ではさらに発展して「でたらめ話」の意味になった。「何時までもおどあげてんだ、ごっこと勉強やれ(いつまでも冗談ばかり言ってんだ。さっさと勉強しろ)」と怒られた。とは言え、友だち同士で「おどあげて」、ごじゃっぺ話は至福の時間である。

おどあげる

農家を支える日々のなりわい

子守りのこと。畑作は、時期を外せば「節っ外れ」となり収穫にも大きく影響する。一家総出の農作業となり、子供の数も多かったので、小学生の上級学年ともなれば、弟や妹の「おともり」は当たり前であった。自分自身が遊びたい盛りなのに弟妹を負んぶしていては自由に遊べないし、勉強どころではなかった。今思えばそんな同級生たちへの配慮がなかったように思う。

おどもり

乙守
動物や植物との関わり

クワガタのこと。子どものころ昆虫採集をした記憶がない。昆虫を捕えたのは食用にするイナゴくらいで、カブトムシやクワガタを見つけて歩くことはなかった。川に行って魚を捕まえる、山に入って小鳥を捕ることが遊びの中心であった。昆虫の名前も良く判別しない。残念なことに、園児たちに教える知識を身煮付けず仕舞であった。

おにむし

鬼虫
子どもの世界と遊び

「おはじき」のこと。一円玉ほどの大きさの扁平な丸いガラスを指で弾いて他の「おはちこ」を当てて遊ぶ女の子の遊びで、遊びに加わったことはない。ガラスの表面には何本かの筋があり、中には色が施されているのは魅力であったろう。

おはちこ

農家を支える日々のなりわい

高度経済成長が始まる前の、昭和30年代半ばまでは、タバコやコンニャクを中心とする農業も盛んで、女性の中には中学を卒業してそのまま家に残り、家業の手伝いをし、年頃になると農家に嫁ぐ人も多かった。その女性たちが冬の農閑期になると、村の和裁の上手な人の所に通って嫁入りの準備にをした。この女性に敬称を付けて「おはりっこさん」と言っていた。普段と違ってこぎれいにして通う嫁入り前の女性は、子供たちにとってもまぶしく感じられた。しかし、高度成長とともに都市部に就職する人たちが増え、進学率も高くなり、洋裁学校や高校の家庭科に進学するようになり、それとともに「おはりっこさん」の姿は消えた。

おはりっこ

お針っ子
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「お晩です」は夜になってからの挨拶で、「今晩は」と同じ意味であるが、敬意を表す「お」が付いている分優しく聞こえる。子どものころは「お晩です」が当然であったが、現在は年寄りを含めてほとんどが「今晩は」になっている。

おばん

お晩
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

夜になりきらない薄暮の時の挨拶である。「方」の用法には方向だけでなく、時間も表すこともあったので、その用法が今に残ったのであろう。晩に向かう時間が「お晩方」であり、挨拶用語となった。「方」は「かた」でなく「がた」である。

おばんがた

お晩方
農家を支える日々のなりわい

稲妻のこと。接頭語を付けることで敬意を表している。畑作地帯では夏の夕立は欠かせないものであった。中でも、稲妻は豊作をもたらすもので「稲荷」として信仰の対象にもなった。雷鳴がなり、稲妻が走ると、土煙を立てて乾いた地面を叩き付ける雷雨がやってくる。土と草が混じった甘い匂いがした。雨宿りをしながら稲光(いなびか)りを見ているのが好きで、それは今も変わらない。

おひかり

お光り
生活の基本 衣と食と住

飯櫃(めしびつ、あるいはいいびつともいう)のこと。炊いた御飯が傷まないように、木製の桶に入れて水分を吸収させた。その後、花柄模様の電気保温ジャーが登場し、どの家庭にも普及した。いつでも温かい御飯が食べられるのは画期的であった。それに伴って「おひつ」不要になってしまった。以前は、どの家にも常備されたものであった。

おひつ

お櫃
子どもの世界と遊び

お手玉のこと。小豆を入れて、端切れを縫い合わせて掌で握れるほどの大きさに作った玉。上手になると玉を増やし、片手で2つ、両手で3つを、代わる代わる頭の高さぐらいに投げ上げて落とさないようにしていた。根気強さがなかったから、すぐに諦めてしまうので、少しも上手にならなかった。女の子の遊びで良かった。

おひとつ

農家を支える日々のなりわい

お手玉のこと。小豆を詰めた布の玉を2つ、さらには3つを投げ上げて右左に持ち変える女の子遊びであった。今で言うジャグリングで、野球ではジャッグルすると「お手玉」という。2つ3つ使うのになぜ「おひとつ」と言うのであろうか。

おひとつ

冠婚葬祭と人々の繋がり

農事を休んで、集落の人が飲食などを共にする日のこと。「日待ち」は標準語である。町の商店からもらう暦には、大安や仏滅だけでなく、不成就日だから種を蒔かないとか、反対に一粒万倍日といって種蒔きをするのに好都合などと、様々な情報が記載されていた。「おひまじ」の回り番の宿に、集落全部があずばって(集まって)会食をした。中でも男衆の酒席は、普段は大人しい人が酔いの勢いで、畑の地境(じざかい)の不満を吐き出して言い争いになることも一再でなかった。その都度そこの母ちゃんが「ほら父ちゃん早く帰っぺ」と言っても、帰るっちゃね、連れ帰すのに一苦労していた。今はみんな勤め人になり、さらには年寄り世帯となって、寄り合いもなく、時に地区の集会場で常会をする程度になってしまった。

おひまじ

お日待ち
冠婚葬祭と人々の繋がり

産後21日間は、出産で血を流したことから、忌まれるものとして、産婦は産室にこもることになり、外便所に行く時も太陽に当たらないように顔を笠で隠しながら産屋を出た。21日経てば、汚れた蒲団を上げる床上げをして、新しい蒲団にかえる。産婦が家事などの仕事に復帰することになる。実家に帰ってお産をした産婦も婚家に帰る。本来は子どもの無事の誕生と産婦の肥立ちに配慮して、お祝いの日であった。農繁期の出産は、産婦の健康よりも家事や農事が優先され、ゆっくりと「産休」をとっていることは出来なかった。

おびあぎ(げ)

帯揚げ 産屋空け
農家を支える日々のなりわい

新聞を取っている世帯は少なかったから、村には新聞販売店がなかった。新聞は昼近い時間に郵便と一緒に配達された。新聞は封筒の大きさに折られ、真ん中に茶色の帯封が巻かれていた。我が家は村で数少ない帯封で配達される中央紙購読者であった。石川達三の連載小説『人間の壁』の主人公が父親と同じ仕事であったからであろうか、夜になるといつも暗い表情で読んでいた。中学生であった私は、父親が帰宅する前に読んで、父親の気持ちが少しは分かった。親と同じ仕事に就いて、父親の苦悩が現実となった。

おびふう

帯封
生活の基本 衣と食と住

座敷と板の間を仕切る板戸で、真ん中付近に帯び幅程度の縦の桟(さん)が通っていたもの。風通しや採光には好かったが、冬の寒さが直接入り込むので、囲炉裏を使わなくなってコタツになるとともに、障子紙で塞いでしまった。日本の住居は、『徒然草』にもあるとおり、「夏をむねとすべし(夏の暑さを中心する)」ことから、寒さ対策は二の次であった。

おぴと

帯戸
生活の基本 衣と食と住

赤飯のことである。お祭りに赤飯をお供えするのは、古代の赤米を食べた名残であり、釜で炊くのでなく、蒸籠(せいろ)で蒸かすことも古い食文化の名残であろう。我が家の赤飯は陸稲(おかぼ:おかぶと言っていた)であったから、今食べる赤飯のように粘り気はなく、こそっぱかった(食感が悪い)。それでも麦が入っていない「こわめし」は美味しかった。蒸籠はすでに金属製のもので、今も残っている。

おふかし

お蒸かし
農家を支える日々のなりわい

背負うことだが、荷物には使わないで、ゆつこび(負んぶ紐)で子どもを背負う時にだけに使う。今の若いお母さんは抱っこ紐を使っているが、両手を使って仕事をする人たちにとって、どうしても背負うことが必要であった。小学校の4年生くらいになると、奉公先の子どもを背負って登校する同級生もいた。戦後の八溝の山間地には「五木の子守歌」の世界と通じるものがあった。

おぶー

負ぶう
農家を支える日々のなりわい

自然に対する畏敬から、「お天道様」「お月様」などとともに、星も「おほっしゃま」と敬意を持って呼ばれる。地区によっては星宮(ほしのみや)神社をお祀りしている所もある。「おほしさま」が転訛して「おほっさま」となり、さらに「おほっしゃま」となった。豊かな夜空の星に恵まれ過ぎて、当たり前と思っていたので、星座や星の名前を覚えることがなかった。教えてくれる人もいなかった。

おほっしゃま

お星様
生活の基本 衣と食と住

「まんじゅう」に接頭語「お」が付いて、語尾が省略された。「強飯(こわめし)」が「おこわ」になったり、「玉杓子」が「おたま」になることと同じである。子どもの頃の饅頭と言えば、小麦の皮に包まれた「炭酸饅頭」であった。釜の蓋(8月1日)などの祭事に作るもので、甘い物に飢えていた子どもたちにとって、待ちきれない御馳走であった。ただ、小麦の皮の部分が厚くて、餡が少ないのが不満であった。餡を食べて、気づかれないように皮は捨てることもあった。「薄皮饅頭」と称してお土産に売られているのは、家で作るのが「厚皮」であったから、人気となったものであろう。

おまんじ

お饅頭
感情を表すことば

「おもしろくない」の転訛。「おもしかねー」と言った方が「気にくわない」という感情が率直にでる。心の中にわだかまりがある時に使うことが多い。反対に「おもしれ映画だった」となれば、晴れ晴れとして心に響いたのである。先生に叱られても、納得しない時は「おもしかねー」と言う感情が残った。

おもしかねー

感情を表すことば

場違いでおもしろがること。良い場面では使わない。真剣な場面でふざけていると「おもしろじくにすることじゃね(おもしろ半分ですることではない)」と叱られた。今もって場面の切り替えが不得手であるから、昔であったら「いつまでおもしろじぐでやってんだ」と叱られそうである。

おもしろじく

生活の基本 衣と食と住

つば釜で大人数の御飯を炊くのは、とろ火にして「蒸す」のが、美味しく炊くコツであった。下の方には焦げが出来る程度が一番いい。「おもす」は米などを蒸す以外にも、心の中にしまっておいたり、腫れ物をしばらく放置して置くなどの際にも使う。「もう少しおもして置けば膿が出っから」などと使った。本心を表に出さず、心の中におもしていることもあり、時々爆発した。電気炊飯器が登場して、おもすことも必要なくなった。さらに心の中に我慢して「おもす」ことも少なくなって、ストレートに自己表現をする人が増えた。別に、ニワトリが抱卵することにも使った。

おもす

お蒸す
冠婚葬祭と人々の繋がり

家庭の主、戸主のことで、現場監督や大工の棟梁ではない。親しい仲では「おやがたいるげ(おやじさんはいるか)」と訪問する。「たいしょう」とも言う。「大将」も一家の中心である。今でも近所付き合いの中で使われている。

おやがた

親方かお館
冠婚葬祭と人々の繋がり

昭和20年代から30年代にかけての日本人の平均寿命は60歳に到達していなかった。また、父親が戦死した家もあった。結婚の年齢も低かったうえに子供も多く、父親は下の方の子供が成人する前に亡くなることも多かった。親が亡くなれば、弟妹の結婚式も長男が親代わりとして一家を代表するのである。年齢の問題でなく、ポジションが人を造り、振るまい方も身につけていく。少子高齢化の時代には親代わりは不要になっている。それとともに、いつまでも大人の付き合いを知らない人たちも増えてきた。

おやがわり

親代り
冠婚葬祭と人々の繋がり

親の葬儀を行うこと。長男が喪主を務めるが、家を出た姉弟妹もそれぞれ帳場を設けてお返しもする。喪主だけの帳場の場合、葬儀の後に兄弟分の香典をそれぞれで弔問客によって分けることになる。経費もまた分担する。今は喪主が葬儀代やお寺の払いもする代り、香典は喪主が預かることになる。費用に過不足があっても喪主の責任である。葬儀場で告別式をするようになって、地域独自の葬儀のしきたりもなくなり、「親仕舞い」という言葉もなくなった。

おやしまい

親仕舞い
農家を支える日々のなりわい

仕事などを終わりにすること、さらには体や道具を壊してしまったりすることにも使う。「はやぐおやすべ(早く終わりにしよう)」と仕事をせかせる。「仕事しすぎて体おやしちゃった」となれば、体を壊したことになり、「エンジンおやしちゃった」となれば、エンジンをだめにすることである。もっと深刻なのは「遊んでばがしで(ばかりで)身上(しんしょう)おやしちゃった」と言うことは、賭け事などで財産をなくしてしまったことになる。「終わりにする」ことの幅は広い。便利な言葉であった。

おやす

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「おやすみなさい」のこと。婆ちゃんが使っていたが、当時でも若い人は使わなかった。爺ちゃんは使っていなかったから女性だけが使う言葉であったろう。「なんしょ」は尊敬表現で、標準語は「なさい」である。「おあがんなんしょ(お上がりなさい)」、「おはいりなんしょ」など、さまざまな場面で使われた。

おやすみなんしょ

冠婚葬祭と人々の繋がり

越後一の宮の弥彦神社を勧請した3地区の小さな神社である。祭礼のお札には「伊弥比古神」と書かれていた。嵐除けの神である。伊弥比古がなぜ「おやひこさん」であったかは知らないままであったし、また、日本海側の神が関東の、それも内陸の山間にお出ましになったのか不明である。年に1度の祭日には赤飯を炊いて神棚に上げた。祭礼の日は農事を休む「こと日」でもあったから、農家にとって重要な日であったのであろう。

おやひこさん

お弥彦さん
生活の基本 衣と食と住

夕食に丁寧の「お」を付けた。「おいはん」ともいう。男の人たちは「晩飯(ばんめし)」と言っていた。うどんやすいとんなどの麺類と、自家製の野菜などが入った汁が中心であった。副食があるわけでもなかったから、食後の語らいもなく、さっさと「おやし」(終わりにし)て席を立った。腹が満たされれば十分であった。迷い箸をするほど何品も出る今と比べたら、半世紀前は全く別世界である。

おゆはん

お夕飯
生活の基本 衣と食と住

「汚し」に接頭語の「お」を付けた。「ごま汚し」などの和え物をいう。ゴマなどばかりでなく、クルミは、金槌で割って串の先でほじくり出した。婆ちゃんの指示で、擂(す)り鉢を股の間に挟み、山椒の木で作った擂りこぎ棒を使って、和え物の材料作った。砂糖が少しでも入っていると格別に美味しかった。

およごし

お汚し
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「お楽に」だけ単独で使わず、「お楽にしとごんなん しょ」という。くつろいでくださいというのではなく、「平にしとごんなんしょ」と同じく、膝を崩して胡座をかくことや、囲炉裏に足を入れることを勧める。30年頃にもすでに年寄り語になっていた。今は「平にしとごれ」という。

おらぐにしとごんなんしょ

冠婚葬祭と人々の繋がり

自分の家のこと。家庭内や家格のことまでに及ぶ。子どもたちが「俺家(おらげ)に遊びに来や」と、自宅に招待する。大人は、「あそごと違うんだから、おれげじゃそうだに息張ってお付き合いでぎねよ(あそことは違うのだから、家じゃそんなに無理してお付き合いはできなよ)」と、釣り合わない交際はしないことにしている。何事につけ昔からのしきたりが優先し、「俺家」と「あんた家」のバランスを取らなくてはならない。

おらげ(おれげ)

俺家
冠婚葬祭と人々の繋がり

ホウレン草や菜っ葉の「おろぬき」は、今でもそのまま使っているが、仕事で手加減をしたり、人を仲間から外す時にも言う。「おろぬき」は共通語であるが、八溝のような広い意味での使い方はしない。日常の農作業が生活や人間関係まで広がった言葉である。近所付き合いでも「おろぬかれない」ように気遣いが大変である。

おろぬく

疎抜く
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

飲食のすることの尊敬語の「あがる」に接頭語「お」が付き、さらに尊敬の補助動詞「なんしょ」で、きわめて高い敬意を表す。江戸から伝わった言葉であろう。栃木県一帯は無敬語地帯と言われるが、上品な敬語である。土間から囲炉裏の場所に上がってもらう時にも「おわがりなんしょ」を使った。

おわがんなんしょ

お上がりなんしょ
農家を支える日々のなりわい

終わりにする。終わるは自動詞で、自然に終わりになることだが、「おわす」は他動詞で目的語が入る。「終わりにする」よりも、「終わす」の方が言葉が単純で、「早ぐ仕事おわすべ」と急かされると本気になる。

おわす

冠婚葬祭と人々の繋がり

京都の愛宕神社のことだが、子どものころは意味は分からず、ただ火防(ひぶせ)の神様であることだけは知っていた。村の中心にある均整のとれた山を「おわだご山」と呼び、村社の戸隠神社の境内社として愛宕神社が祀られていた。竃(かまど)の柱に貼られていたお札は難しくて読めなかったが、「おわだごさん」という神であることは知っていた。火防の神様が村にとって大切な神であった。

おわだごさん

お愛宕さん
生活の基本 衣と食と住

トイレットペパーのことである。とは言え、今のペーパーとは全く違い、新聞紙を切って箱に入れておくとか、「家の光」などの雑誌そのものが置いてあって、それを破りながら使った。硬い紙でしかも腰がないから破けて汚物が手に付くこともあった。鼻紙も新聞紙や雑誌であったから、インクが顔に付くことも稀でなかった。やがて、茶色くて固いチリ紙が出回るようになり、劇的に変化した。婆ちゃんはチリ紙で鼻をかんでも捨てずに乾かしてまた使っていた。そういう姿を見て育ったせいか、テッシュペーパーは1度で捨てずに、団子のように固まりになりまで何度も使う習慣が身に付いてしまった。いつからか日本人はみんな潔癖症になってしまった。

おんこがみ

生活の基本 衣と食と住

子どものころの思い出は何と言っても食事と排便のことが一番である。戦後の子どもたちにとって「おんこば」は何と言っても強烈に記憶に残っている場所である。人糞が肥料として大事な物であったから、排便の行為は二次的なもので、汲み取りやすさの方が重視された。便壷に2本の板を差し渡しただけの簡単なものであった。子どものころは恐ろしい場所でもあり、直ぐにでも終わりにして出ていった。夏には銀色の便所蜂がいて飛び回り、夜にはかんかんめ(蚊)に責められ、便壷の中にははい(蝿:はえ)の幼虫のウジ虫がウヨウヨしていた。我が家では、父親が「新し物好き」であったから、改良便所を取り入れ、くみ取りと排便の場所が違うものになり、恐怖から解放された。古代の「かわや」からほとんど変わっていないのではないかと思われる。

おんこば

おんこ場
冠婚葬祭と人々の繋がり

伯父や叔父の敬称で、さらに「おんちさま」と敬意を高めることもある。父親の世代は兄弟が多く、叔父が同じ家に生活しているということは珍しくなかった。同じように「おんば」も同居し、家によっては叔父叔母より年上の甥や姪がいることもあった。「おんじ」と言う時には特に父親の弟をさし、就職や結婚で余所に出ていっても、叔父と甥の関係は特別で、せな(兄)よりも格上であった。

おんじ

叔父
農家を支える日々のなりわい

力を入れて外に出すこと。蒲団を押し入れから「おん出し」たり、納屋に込んであった穀物も時には「おん出し」て乾燥した。家畜や穀物ならばいいが、人に使う時には穏やかでない。「嫁おん出しちゃった」となれば、嫁を離縁して実家に返すことで、夫婦の意志というよりも、働きが悪いとか親とそりが合わないため、無理に離縁させたということでになる。

おんだす

押し出す
子どもの世界と遊び

怒られること。先生や年寄りの言うことを聞かずに「おんちゃれる」ることも多かった、だんだん「おんちゃれ」慣れると、少しぐらいでは効き目がなくなった。それでも「おんちゃれる」ことで、少しずつ成長した。今は「おんちゃる」大人が少なくなり、我慢することの不得意な子供が多くなっている。

おんちゃ(つぁ)れる

生活の基本 衣と食と住

八溝の「おんどこ」は、サツマノの苗や煙草の苗を育てるための苗床。周囲を藁で囲い、木の葉をしっかり踏み固め、時々馬小便(ましょんべん)を掛けて発酵を促した。最後には種をまくため、篩い(ふるい)にかけた細かい土をかぶせる。菰(こも)を掛けて保温に努め、乾燥しないように水を打(ぶ)った。現金収入に直接響く作柄を決める大事な作業なので、経験のある婆ちゃんが管理していた。

おんどこ

温床
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

私が通っていた小学校が大内小学校、隣の小さな小学校が大那地小学校であったので、「おーじもおーなじもおんなじだ(大内も大那地も同じだ)」と、ともに山の中であることを自虐的に言っていた。「おんなじ」は今も使われている。

おんなじ

同じ
冠婚葬祭と人々の繋がり

「長男の甚六」とともに、大事にされて育った子どものこと。言外に機敏でない跡取り息子のことになる。家を守る長男は、あんまり「はしっこく」て利に聡いようでは人が寄りつかないから、「おんぼこ」くらいでちょうど良い。

おんぼこ

農家を支える日々のなりわい

街道のこと。中でも集落を貫通する県道を「おーがん」と呼んでいた。意味は分からなかったが、家の前を通る道とは違って、バスも通る幹線道路であることは理解できた。砂利と言うよりも玉石が敷かれていて、自転車の時は良い場所を選びながらの通行であった。昭和40年代になって学校前だけ100mほど舗装され、横断歩道のゼブラのマーク引かれた。町場に行って困らないように、交通指導をするためのものだったという。「おうがん」と言っている時代は、まだまだ交通量の少ない時代だった。その内県道と言うようになった。

おーがん

往還
農家を支える日々のなりわい

大雨で川や沢が氾濫し、いつもと違った流路を流れ、堤防乗り越えると「おうかんまーし」になる。「回わす」は向きを変えることに使から、川筋が変わることを指すのであろう。水が引くと、水溜まりに取り残され魚を手掴みすることが出来た。堤防が不十分な時期には竹の蛇籠がぶっ切れて「おーがんまーし」が起きた。今は、ブロックによる護岸工事で、「おうかんまーし」はなくなったが、川は堀割りのようになり直線化し、魚も住めなくなり、情緒がなくなってしまった。川遊びをする子どもの姿もなくなった。

おーがんまーし

大川回し
動物や植物との関わり

オニヤンマのこと。トンボ全体は「げんざんぼ」と総称する。トンボなどの昆虫や植物の名前には関心がなかった。これは、地域社会の育む文化の違いで、生活に関わらないものの名前は必要なかったからであろう。一方では、生活に関わる農事に関わるものには細部の名前があり、それぞれ使い分けていた。子どもたちも親世代が話す生活用語は耳から聞き知って、今でも良く覚えている。

おーやまとんぼ

大山トンボ
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