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農家を支える日々のなりわい

大半、あるいは半分という意味。「ながら終わりそだな(あと少しで終わりそうだな)」とも言う。一方で「ながら終わったがな(半分ぐらいはおわったかな)」と、ぐっと割合が少なくなる表現もする。半分以上であれば「なから」で済んだのであろう。

なから

半ら
生活の基本 衣と食と住

土間にあった炊事場。畳半畳ほどの大きさの板製の流し台は、今の調理台などとはほど遠い。鍋や釜、さらには野菜など、水をたくさん使うものは井戸端で洗ったから、流しでは水瓶(みずがめ)に貯めていた水を柄杓で汲んで食器を洗う程度であった。八溝の農家では土間を台所と言って、そこに流しがあった。昭和30年代になって、新生活運動が起きて、ポンプで流しまで水が来るようになり、水汲みの必要がなくなり、流しの隣に調理台がついて、井戸端にまで行く必要なくなった。食器も箱膳に片付けるのでなく、毎日流しに持って行くようになった。

ながし

流し
冠婚葬祭と人々の繋がり

長居することで、婆ちゃん同士がお茶のみをしていると、半日(はんぴ)は囲炉裏端にぶちかって(座る)、讒訴(ざんぞ:悪口)を言って過ごす。最後に「長っ尻で悪がったね」と言っうと「なんで、まだ来ておごんなんしょ(またきてください)」という挨拶になる。組の集りでも最後まで飲んでいると「あんて(体:てい)はいつも長っ尻だがら(あの人はいつも長っ尻だから)」と言われる。

ながっちり

長っ尻
冠婚葬祭と人々の繋がり

人が死ぬこと。人の死を直接的に言わず「亡くなる」と言うのは一般的なことであるが、当地方では「なぐれる」という。「れる」は様々な言葉について、尊敬や受け身、さらには自然に物事が進む時などに使う。亡くなると違って「なぐれる」という表現には、人知や意志ではどうにもならない死という重大事を受け止め、また、死んだ人に敬意を表する気持ちが込められている。大切にしたい言葉である。

なぐれる

亡くれる
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「なにして」の短縮形か。「どうして」と、責めるように理由を聞く。「なしてこだごどになったんだ(どうしてこんなことになったのか)」と聞かれる。

なして

感情を表すことば

「どうして」とか「何とも」などの意味。「なじょうにも(どうにも)なんね」と、どうにもならないことに使うが、「なじょう(どう)したわけだか」と疑問の形にもなる。また、年配者は「なじょう(どう)すっぺか」と相手に意見を求める時にも使った。古く平安時代の源氏物語にも出てくる由緒ある言葉であるが、最近は耳にすることが少なくなった。

なじょにも

何じょうにも
動物や植物との関わり

卵を産むことで、それ以外には使わなかった。「卵なしてあっかどうがみで来(卵産んであるかどうか見て来い)」と言われて鶏小屋に入ると、雄鳥(おんどり)が羽を広げて勢いよく跳び掛ってくる。縄張りを守る責任である。ミカンの木箱で作った巣から卵をいただいてきた。

なす

感情を表すことば

時間を掛けゆっくりやる、さらには勢いなどよ緩やかにすること。せっかちに事を運ぼうとするとき「まだ時間があっからなせにやれ(まだ時間があるからゆっくりやれ)」と言われる。また「そうだに無理しないでなせにしたらよかんべ」と、物事を穏やかにやることを勧める。坂道も緩やかな坂は斜面が「なせ」である。

なせ

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

敬語で「なさい」の意味。「ゆっくりしてきなせ」と言われて、隣の年寄りは半日もお茶を飲みながら世間話をし、最後に「長っちり(尻)したね」と言って帰って行った。
ともすると関東地方の人たちは古くから都人に「坂東戎(板東えびす)」と侮られ、言葉が汚いとされたが、関西風の温かみのある敬語も多く存在した。

なせ

感情を表すことば

「どういうわけか」の意。「何した訳」が転じたものか。「なちたわげだが言ってみろ(どんな理由か言ってみろ)」と迫られる。また、理由が分からずに驚きの時も「なちたわげでこんなになっちゃたんだんべ(どうした訳でこんなふうになってしまったのだろうか)」という。親しみのある言葉であったが、今は使われなくなってしまった。

なちたわけ

生活の基本 衣と食と住

「とんがらし」は唐辛子の転訛。今は七味というが、その言葉はなかった。赤唐辛子に山椒(さんしょ)の実や胡麻、干したミカン、青のりなどが入っていた。福神漬けも7種類だが、実際に7種類が入っていないものもある。「七色」は多くのという意味であろう。我が家の「七色とんがらし」はすべて婆ちゃんの手作りであった。

なないろとんがらし

七色唐辛子
生活の基本 衣と食と住

竃(かまど)で煮炊きした釜や鍋をを板の間に持ってきて安定させるための藁の輪状の敷物。板の間が汚れないためにも、なくてはならない生活用具であった。新生活運動による台所改善が行われ、昭和30年代半ばまでは鍋敷きの必要がなくなった。

なべしき

鍋敷き
動物や植物との関わり

キノコの一種。黒くて縁が反り返ることから、「鍋被り」になったものであろう。あまり美味しいものではないが、大きな笠なので、ボリュームがあり、子どもでもよく採れた。藪山になってしまって、キノコがでなくなってしまった。

なべっかぶり

鍋被り
感情を表すことば

標準語同様、触覚のすべすべ感、さらに柔らかく舌触りの良い食感にも使った。時には自家製の豆腐でなく買った豆腐を食べると「なめっこかった」と喜んだ。その他に人柄についても多く用いた。難しいことを言わずに柔軟に対応する人は「なめっこい」人である。「やっこい」人と同じよな感じである。今は「めっこい」豆腐ばかりで物足りなくなった。

なめっこい

生活の基本 衣と食と住

学校でのグランド均し棒はトンボと言っている。形が昆虫のトンボに似ているからであろう。農家では「たーかき(田搔き)」が終わると凹凸がないように、木製の「均し棒」で平にする。田植え前の最後の仕事である。今の「均し棒」は軽合金でできている。圃場整備が終わり、2反歩以上の大きさになり、トラクターの機能が優れ、均し棒必要なくなった来た。

ならしぼー

均し棒
感情を表すことば

標準語の「成り行きに任せる」とはニュアンスが違う。無理をしないで、ゆっくりやりなという時に使う。 「そだにごっことやんねで、なりきにやんなせ(そんなにせっせとやらず、ゆっくりやりな)」ということになる。

なりきに

感情を表すことば

外見などの「なり」は標準語で、形や身なりである。「なりわりー」と使い、みっともないとほぼ同意。「そだかっこしてっと、なりわるくてしゃね(そんな身なりをしていると、みっともなくて仕方がないよ)」と、婆ちゃんに言われる。知っている人ばかりの山間の集落では、「なり」を気にすることが多かった。

なりわりー

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

敬語「なさい」。「お座りなんしょ」など、お婆ちゃんが使っていた。爺ちゃんは使っていなかった。「お上がりなんしょ」、「お掛けなんしょ」など様々な場面で使い、子どもの頃は耳馴染みの言葉だったが、今は全く聞かなくなった。

なんしょ

感情を表すことば

簡単であるという意味で使い、「わっきゃない(訳ない)」、「造作(ぞうさ)ね」と重なるが、物事が簡単に進むという意味ばかりでなく、気持ちの上でも負担がないことに使う。「あんての言うことなんかなんちゃねよ(あいつの言っていることなんか気にすることないよ)」と、精神的負担がないことを表現する。「なんちゃね」は、性格からか、好きな言葉だった。

なんちゃね

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「なんつったて」とも。「なんといったって」の意で、下には肯定も否定もくる。肯定の時には称賛の意味が付加される。「なんちゅったてかなわねなや(なんといったってすごくてかなわないな)」という。反対に、「なんちゅたっていまさらしゃんめ(何と言ったって今さらしょうがないだろう)」と否定的なものになる。県央の宇都宮でも使われている。

なんちゅったって

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

標準語は「なんでもかでも」で、「どうしても」の意。「なんでかんで明日までにはおやさねと(どうしても明日までに終わりにしないと)」と使う。この言葉は今でも日常的に使われている。

なんでかんで

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

言い訳をすることで、「せ」は「人のせい」と言うように、理由や原因を示す「せい」の縮まったものと考えられる。共通語として「何の彼の」があるが、「なんのせかんのせ言って、いつになっても返してくれねんだ(あれこれ言い訳して、いつになっても返してくれないんだ)」と、八溝地域では語末に「せ」を付ける。一段と言い訳がましさが強調される。

なんのせかんのせ

何んのせ彼んせ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

標準語でも使われる。お店に行って「いくら」と聞く用法である。「このミカンはなんぼだい」と聞けば、お店の人は「4つで50円だ」と答える。「ほんじゃ100円がどご(がところ)おごれ(それじゃ100円分下さい)」といって、8個買ってくる。さらに「なんぼでも調子に乗って(いくらでも調子に乗って)」と、後ろにマイナスの心情を含ませる使い方もする。

なんぼ

感情を表すことば

「いくら何でも」の意で、下に否定的な感情の語がくる。「なんぼなんでも借りっぱなしって言うのはひどがっぺ(いくら何でも借りっぱなしというのはひどいだろう)」と、相手に言い寄る。

なんぼなんでも

感情を表すことば

標準語の「なんぼなんでも」と同じ使い方だが、多くは「本当に」という意味で、最後にはマイナスの感情の言葉で結ぶ。「今度っきりはなんぼにも参ったぞや(今度という今度は本当に参ったよ)」ということになる。似た表現の「なんぼか」は、少しはという限定的な意味で使い、「俺家(おらげ)の方でもなんぼか出すか(家の方でも少しは出すか)」と寄付に応じる。

なんぼにも

子どもの世界と遊び

泣くことを「なーぐ」と長音化した。どの場面でも長音化するとは限らない。「そだごどなぐんじゃね(そんなことで泣くんじゃない)」という時は、語気を強めて長音化しない。「この餓鬼(がぎ)めはなーぐんでやんなっちゃうよ(この子どもや泣くんで嫌になってしまう)」と婆ちゃんが孫の乙守をしている。餓鬼は子どものことで、親愛を込めていることもあり、蔑称とは限らない。

なーぐ

泣く
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