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なぜ今、八溝の言葉なのか
言葉は幾世代もの先人たちが暗黙の内に了解しあって継承してきたものです。時には意味を広め、反対に意味を狭めながら、生活の実態を反映してきました。言葉に焦点を当ててみると地域の変遷を探ることが出来ます。戦後の昭和30年という限定された時期の言葉によって、その時代の背景を知ることが出来るばかりか、過去も知ることができ、さらには未来も見えてきます。その意味では、過去の歴史を包含しながら地域の中で生き続けて来た言葉は、時代を反映した地域の財産といえます。
その後、昭和40年代に入り、高度成長時代を経て、八溝山地の狭隘な耕地での一次産業は壊滅的な状況となり、過疎化が一挙に進行し、若年層も減少の一途をただっていきました。さらに、地域に残っていた若い世代も多くは通勤という形態により、地域より職域を基盤にした生活をするようになりました。
生活が変わり、生産手段が変わり、農具などの多くは博物館や郷土資料館に行かなければみることが出来ません。それとともに、生産を支えていた道具の名称や使い方を表す言葉も不要になってしまいました。道具は過去の遺物として保存も出来ますし、写真にもすることが出来ます。しかし、言葉は無くなればそのまま消えてしまいます。結果として言葉が内包する地域の歴史も無くなります。
大きく社会が動き出す昭和30年代の言葉を残すことは、単に八溝に限らず、戦後日本の変遷を知ることができるという点で、大いに意義があるのではないかと思います。そのため、単に言葉の意味を記すのではなく、生きた証しとして「昭和30年の体験的八溝の言葉抄」にしてみました。
使われなくなった言葉を知ることは地域の歴史の理解にも繋がるはずです。
<鉤づるしと鉄瓶>
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