動物や植物との関わり
穀物や果物が実を結んで十分熟すること。さらに、人が成熟することにも言う。トウモロコシが「実が入った」かどうかは毛の色の変化を見ながら判断する。日ごろの生活の中から「実が入った」かどうかの判断力は身に付いた。今ではスーパーが判断をして店頭に並べるから、これまでの経験が生かされない時代になってしまった。また、「あの人は苦労しているがら、わがい(若い)のに実が入っているよ」と、人格の優れていることにも使う。この用法も自然から離れては意味をなさなくなった。
みがいる
実が入る
冠婚葬祭と人々の繋がり
反対は「ひだりっか」。「か」は場所を指す接尾語。左右だけでなく上下にも「上っか」「下っか」と使う。同じく場所を示す「端っこ」「隅っこ」などのような接尾語「こ」がある。
みぎっか
右っ処
体の名称と病気やけが
虫歯、あるいは乳歯などで黒くなった歯のこと。広辞苑にも掲載されている。歯磨きの習慣はなかったから虫歯があるのは当然で、しかも歯医者に行くようなことはなかったので、永久歯も味噌っ歯になった。奥歯が化膿してほっぺたを腫らし膿が出るようなことも珍しくなかった。いつもどこかの歯が痛んでいた。その結果、早くから義歯の世話になり、今では大好きであった「たくわんこうご(沢庵)」は全く歯が立たない。子ども園で歯科検診に立ち会ったところ、「みそっぱ」を持った子は皆無である。
みそっぱ
味噌っ歯
生活の基本 衣と食と住
「みそべや」でなく「みそびや」であった。味噌を寝かせておく場所。独立の建物でなく、板倉の前に屋根を差し渡した小屋で、塩の保存、味噌樽、醤油の酛(もと)も保管した。「味噌部屋」に行くのは子どもの仕事であった。味噌の中にある野菜の味噌漬けを、手を入れて探し出す時には「めなし(あかぎれ)」が痛かった。味噌部屋には独特な甘い匂いが漂っていた。
みそびや
味噌部屋
冠婚葬祭と人々の繋がり
標準語である。地域が共同で道路の補修をすること。往還(県道)は木材を満載したトラックが走るようになり、砂利が敷かれて、時々ローダーが巡回して補修した。しかし、地域の道路は労働奉仕で補修をした。側溝の泥を上げたりへこんだ場所に土を入れたりして均した。馬が嫌うので、沢を渡るには板の上に筵(むしろ)を敷いて土をかぶせた土橋が架橋されてた。腐った板を取り替えるのも大きな仕事であった。今は何でも行政任せで、道のよせ刈りさえしなくなったので、背丈より高い野バラが狭い道をさらに狭くしている。山の挾間(はさま)の田は休耕して久しく、地域の人も通わなくなり、農道も藪に帰してしまった。
みちぶしん
道普請
冠婚葬祭と人々の繋がり
「みっともない」の転、で外聞が悪いこと。「みばわりー」は外見に表れることに多く言うが、「みどもねー」はもっと深い意味を持ち、家そのもののしつけの質が問われかねない。婆ちゃんには「そだごどしたら、みどもねくてしゃね(そんなことしたら、みっともなくて仕方がない)」と、ことのほか外聞を気にしていた。あまりに外聞を気遣いしすぎるのはいかがかと思うが、程良く「みどもねー」と思うことも必要である。
みどもね(ー)
農家を支える日々のなりわい
30年代、馬頭の町に、今で言うスパーマーケットのような店が進出してきた。「みなかい」である。誰もが買うので「みなかい」という店の名前かと思っていたが、後で近江商人の三中井であることが分かった。江戸時代から、那珂川流域にも醸造業を中心に近江商人が進出していたが、なぜ他町に先駆けて馬頭に出店したのであろうか。この頃から町の商店街にも変化が起き始めていた。谷筋の村落の人口が減り始め、購買力が落ち始めたのである。今の衰退の予兆がすでに見られた。
みなかい
三中井
冠婚葬祭と人々の繋がり
見場は標準語。外見や体裁のこと。「みばわりー」とみっともないという意味で使い、「みばいー」とは使わなかった。八溝地域社会では「見場」を非常に気にする。何事につけ「見場悪りーがらきちんとしろ(見た目が良くないからきちんとするように)」と服装の注意をされる。「げーぶわりー(ひとぎきがわるい)」とともに、婆ちゃんからいつも注意されていた。
みばわりー
見場悪ー
体の名称と病気やけが
ミミズのように細長く腫れること。方言ではない。木登りをしていて枝に引っかけて太股に「みみず腫れ」を作った。子どもにとって勲章のようなものであった。少しくらいのことでは家族に黙っていた。言えば「まだが(またか)」と言われるに決まっている。
みみずっぱれ
みみず腫れ
体の名称と病気やけが
「耳垂れみっちゃん目はやんめ」というはやし言葉があったほど、衛生状態が良くない時代であったので、様々な感染症に罹患した。水浴びの後、耳に入った水を出さなかったりして中耳炎になり、膿が出て耳の後ろ辺りが腫れ上がり、耐えられない痛みに襲われることがあった。耳鼻科に行くこともなく、綿棒もないので、綿を細く撚って置き薬の軟膏をつけることで、ひたすら痛みに耐えた。目にはものもらいがしばしば出来たが、こちらの方は鬱陶しかったが、耐えられない痛みではなかった。
みみだれ
耳垂れ
農家を支える日々のなりわい
八溝の小学4年生にとって「宮」に行くことは特別なことだった。馬頭の町まで国鉄バスで出て、東野バスに乗り換え、氏家から汽車に乗った。鬼怒川の鉄橋を渡る時には、海はもっと広いのかなと川と比較し、雪を被る男体山を遠望して、富士山が見えた、と感動した。澤姫会館で美味しいカレーをたべ、都会の味に驚き、デパートの上野さんの便所に入ったら便器に穴がないので、山にしたまま残して来てしまった。水洗便所を知らなかったのである。エレベータで降りるときは頭に血がすべて集中するようであった。母親は上野さんでは買わず、近くの鈴木呉服店で買い物をした。学校に行って1週間ほど自慢話になった。
みや