地域を取り巻く様々な生活
堆肥を入れて、脇に抱える竹の笊(ざる)。堆肥は重いので、「たがら」で背負って畑まで運び、抱えられる大きさの竹の「肥ひご」に分けて作物の根もとに振りかける。紐を付けて肩に掛けたりもした。「こいひご」とは言え、様々な用途があり、ジャガイモなどの収穫に便利な大きさであった。肥は「こえ」と「こい」中間の発音で、多くの場合「エ」は大きく口を開けなかったから、「い」との区別がないことが多い。
こい(え)ひご
肥ひご
地域を取り巻く様々な生活
地域の後継者の中で、高校の農業科を卒業した若くて意欲のある長男は、機械の導入にも積極的であった。トーハツの発動機を導入し、足踏みの「がーこん」から発動機による脱穀機へと代わっていった。さらに芝浦の耕耘機が普及し、畑の耕耘はもちろん、トレーラーを連結して堆肥を運び、畑からは収穫物を庭先に運んだ。耕耘機が導入されると農道が改修され、圃場の整備も進み、一気に機械化が進んだ。兼業農家であった我が家は、ついに耕耘機は導入されないままに、家の周囲だけを耕す庭先農家になってしまった。ただ、その頃から半世紀で、兼業農家さえもなくなり、八溝の農村は一気に変貌した。今は耕耘機の代りに、管理機と言われる「こまめちゃん」を使い、庭先を耕している。
こううんき
耕耘機
生活の基本 衣と食と住
広辞苑では「香香」と表記され、漬け物、「こうこ」とある。こうこが濁り、「こうご」となり、さらに丁寧な「お」を付けて「おごーご」と濁った。沢庵も「たくわんこーご」である。「お新香」というと、小皿に丁寧に盛りつけされたものの感じが強く、「おごご」と言えば大皿にざっくりと切られた白菜の漬け物などを連想する。御飯を海苔巻きのようにして食べた白菜の真ん中の黄色い部分は甘くて美味しかった。古くなって酸っぱくなった「おごご」は油で炒めて食べた。無駄にはしなかった。
こうご(おごご)
お香香
感情を表すことば
「こうしゃく」は講釈から転じて、難しいことをしゃべる、さらには余計なおしゃべりのこととなった。「こうしゃぐばがしかだってねで、ごっことしごどしたらがんべ(余計なおしゃべりをしてないで、さっさと仕事したらどうだ)」と言われる。「講釈」は江戸期の言葉であるから、江戸から八溝に入り、どのように定着したのであろうか 。八溝地域と江戸との結びつきも気になる言葉である。
こうしゃく
講釈
地域を取り巻く様々な生活
「こうぞ」の転訛で楮のこと。田畑の少ない山間の地では、土手もまた生活費を生み出す場所であった。河岸段丘の急斜面にはこうず(こうぞ)を植えて、農閑期の冬の余業とした。楮は桑と同じく、根 刈りしても翌年にはまた株から同じように芽を吹き出した。煙草の納付を終えた12月になると楮を根元から切って、押し切りで長さを揃えて、大きな釜に入れて茹でる。釜の上にも蒸気を逃がさないように鍋のようなものを乗せた。茹で上がると、樹皮を剥ぎ取り、水に漬けて柔らかくしたところで、一番上の黒い表皮を刃物で剥いでいく。「表皮取り」である。白い部分だけになった紙の原料は仲買人によって烏山に運ばれ、「烏山和紙」となった。紙漉の苦労は知られているが、その土台には山間の婆ちゃんたちの知恵と汗の結晶があった。
こうず
楮
地域を取り巻く様々な生活
屈むこと。山間の畑作ではこう曲がっての作業が多く、特に傾斜地では腐葉土が下に流れないように上から下を向いて鍬で「さくりあげる」作業もある。その際はいっそう「こう曲がる」ことになる。山間地の年寄りの中には腰が「こう曲がって」いる人が多かった。今は畑は耕作放棄地となり、こう曲がる作業が無くなり、腰のこう曲がった人も少なくなった。
こうまがる
こう曲がる
地域を取り巻く様々な生活
馬屋から馬の糞尿の混じった藁を戸外の堆肥貯めに出すこと。葉煙草農家では、大量の肥料が必要であった。中でも、根張りを良くするため、土地を柔らかく保つ木の葉の類の堆肥と厩肥は不可欠であった。馬は、馬耕などの労役に使うだけでなく、厩肥を作る役割があった。しかし、同じ家の中にいることから、「肥出し」をしないと臭いがひどくなり、特に夏場は家中に馬小屋の臭いが充満した。
こえだし
肥出し
生活の基本 衣と食と住
板の間や座敷に続く幅の狭い、板敷きの縁のこと。縁側と言えば外部と建物の境をなす外縁を言うが、小縁は室内にあり、30センチほどと幅が狭く、腰を下ろして休んだり、一時的に道具や野良着を置くことに使う。新しい家には「小縁」が作られなくなったので、言葉も不要になってしまった。
こえん
小縁

生活の基本 衣と食と住
標準語では「粉を吹く」というが、八溝では「粉が吹く」という。干し芋や干し柿の表面に糖分が白く吹き出てくることである。正月に合わせ、干していたものを取り込んで、煎餅缶に入れておくと、真っ白に粉が吹いた。甘い物に飢えていたから、「粉が吹いて」固い干し芋を囲炉裏で炙って食べるのが楽しみであった。
こがふく
粉が吹く
感情を表すことば
接頭語「こ」があるからと言って、汚さが減少する訳ではない。整理整頓が出来ていないことや身なりにも使うし、心の有り様にも使う。衣類は綿が多かったから、洗うと縮まってしまうので、「こきたなく」なるまで着ていた。衣類はまだ許せるが、「金にこきたないんだから」といわれ、誰もが出すべき時に出さないのは人格と関わり、「意地汚い」ことになってしまう。
こきたねー
地域を取り巻く様々な生活
物を小さく切ることで、藁を「こぎって」飼い葉にして馬に与えたし、木の枝もほどよい長さに「こぎって」薪にした。農家では既製品を買うことを減らすため、自らの手で加工し、保存しながら利用した。「こぎる」作業は日常的なことであった。一方で、農作業でなく、値引きを求めることを「こぎる」と言った。町に行って、お店で「もうすこしまけどこれ(もう少し安 くしてください)」と「こぎる」交渉をしたが、山間の農家は情報量も少なく、「こぎった」としてもたかが知れたもので、商店では織り込み済みの「正札」をつけていたことであろう。
こぎる
小切る
感情を表すことば
「虚仮」が語源で、もともとは仏教用語で、考えが浅はかであるとか、内心と行動が違ったりすることの意味である。「ぽ」は「坊」のことで、子どもを卑しめたり親しみを込める言葉。いつまでも寝足りずぐずぐずしている「ねごんぼ」というのと同じ。「馬鹿」や「虚仮」は、日ごろからしばしば使われていたから、あまり気になる言葉ではなかった。
こげっぽ
動物や植物との関わり
魚の鱗(うろこ)のこと。「こけら」が濁音化した。広く東北南部から関東一円に使われている。柿落(こけらおとし)の「こけら」とは違うが、形状が似ていることから、どちらも「こけら」と言ったのであろう。川にいる魚のカジカやスナサビには「こげら」はないが、鯉の仲間には「こげら」があった。
こげら
冠婚葬祭と人々の繋がり
どの家も漏れなくという意味。「家ごめ」ともいう。組内ではなにごとにつけ連帯感が重視されたから、共同作業の時には抜けることができない。出られない時には手間賃相当の「割金」を出さなければならなかった。男手でないとダメな時には、父親が日直があって出られなかったこともあったので、中学生の時には一人前として、道普請にも出ることになった。大人よりは真面目にしっかり働いたので非常に疲れた。次第に、大人の仕事ぶりを見て、要領よく休みながらやることを覚えた。
こごめ
戸籠め
農家を支える日々のなりわい
「煮凝り」のように凝固することであるが、八溝では、凝固する程でなく、1か所に集まっていることにも使う。「ふかんぼにざごめ(深みに雑魚)がこごっているぞ(あつまっているぞ)」と言って石をぶん投げて浅瀬に追い立てる。体育の時に、先生に「ほら、そごんとここごっていねで(そこのところ固まっていないで)」と声が掛った。普通に使っていた言葉である。
こごる
凝る
地域を取り巻く様々な生活
畑や道路に張り出してきた枝を「木障(こさ)」と言う。日照時間が少なくなるので作物の収穫に影響するから「木障切り」は山間の農家では毎年の仕事であった。畑の隣の山際の樹木は光を求めて畑の方にどんどん枝を伸ばしてくる。毎年の大事な作業である。今は、耕作放棄地が多くなり、畑は「こさ」でなく、林や篠藪になりイノシシの格好の隠れ場所になっている。道路も道普請で集落全体が「木障切り」をしていたが、共同の作業をしなくなったので、道路まで木が覆い被さってしまっている。
こさぎり
木障切り
農家を支える日々のなりわい
「拵える」の転訛。工作物だけでなく広汎な意味で作り上げることに使われる。料理も「こしゃう」し、借金も「こしゃう」という。子どもたちも、日常の遊びの中で様々なものを「こしゃえた」。そのことが大人になって大いに役立った。
こしゃえる(こしゃう)
生活の基本 衣と食と住
ネギ味噌をお湯で溶いただけの味噌汁。今で言うインスタント食品である。人を卑しめる「乞食」が付いていることから、粗末な食べ物のことであろう。かつぶし(鰹節)が入っていれば最高の味で、時には少量の砂糖も入れた。風邪気味の時はいつも飲まされたので、今でも喉が痛くなると作ってもらって飲んでいる。
こじきじる
乞食汁
感情を表すことば
ひねくれることで、問題が「こじぐれる」とは使わなかった。特に気に入らずふてくされると「まだこじぐれで(またふてくされて)」と追い打ちを掛けられた。なにごとにつけ直ぐに「こじぐれる」質であったから、親も扱いにくかったろう。「こじれる」は標準語。
こじぐれる
生活の基本 衣と食と住
主食の間に摂る食事。日の長い農繁期は、朝飯前に秣(まぐさ)を刈り、早い朝食を済ませると畑や田んぼに出かけた。力仕事をする人たちにとって、ただお茶菓子程度では済まない。こみっちり食べてしっかど(しっかり)働かなくてはならない。そうかと言って家まで戻っては時間の無駄にもなるので「こじはん」持参で田畑に出掛けた。特に午後の三時頃に食べるものを「こじはん」と言っていた。
なお、時計などもっていない時期には、サイレンが大きな役割をしている。合併前の馬頭では昼のサイレンは11時30分に鳴った。お昼のサイレンが鳴ってヤマ(畑)から帰ってくるとちょうど12時頃になる。合併後は12時に、今風のチャイムが鳴る。平場の農家は、チャイムが鳴れば軽トラですぐ戻れ る。「こじはん」という言葉もなくなり、合併により、山間の地はまた大きく変わった。
こじはん
小中飯・小昼飯
農家を支える日々のなりわい
粉砕したり潰(つぶ)したりすることすること。ニワトリの餌に貝殻を「こじゃし」て混ぜて、固い殻の卵を産ませた。煮た小豆を「こじゃし」てあんこを作 った。最近の「こじゃれた」とう語と基本的に通じているのではないかと思う。固いところがなく、年齢不相応に気の付くことやお洒落をしていることで、時にはマイナスの評価にもなる。
こじゃす
動物や植物との関わり
雌のニワトリが抱卵期に入ること。納屋の軒下に鶏小屋を作り雄鳥(おんどり)1羽と雌鳥(めんどり)数羽を飼っていた。日中は外での放し飼いにして、夕方になると小屋に戻るようにしつけておいた。オスはしばしば辺り構わずメスの背中に乗り交尾をしていた。ところが、メスの鳴き声が変わり、羽を下げるようにして歩き出し、オスを受け付けなくなり、卵も産まなくなる。「こじった」のである。食べずに残しておいた有精卵数個を箱に入れておくと抱卵が始まる。21日経つとひなが誕生する。やがて、ひなが親鳥について庭に出て遊ぶようになる。成長しても卵を産まないオスの雛はどうしたのだろうか。
こじる
感情を表すことば
「ずるい」という意味だが、単なるずるさでなく、少しでも自分利益になるよう画策することに使う。特に耕地の少ない山間地では畑と畑の地境については、一鍬一鍬ずつへずっていく人もいる。そんな時に、「あそこの家はこすいんだから」と言った。多くの人はお人好しで、周囲に気遣いをしながら生活していたから、組内に一人でも「こすい」人がいると、かえってぎくしゃくすることも多かった。「こすい」よりも「こすっからい」となるとよりたちが悪くなる。
こすい(こすっけー)