感情を表すことば
子どものころ、NHKのラジオは「やがて12時になります」と言って、すぐに時報が鳴った。「やがて」は、直ぐにの意味であった。今は「やがて」と言う時には少し時間に間がある時に使う。ただ、子どもの頃には「やがーて」と長音化して使われ、「やがーて買ってやっから」と言われれば限りなく遠い時間を指し、当てには出来ないことが多かった。「やがて」の表す時間が時代とともに変遷した。
やがーで
やがて
生活の基本 衣と食と住
七輪に乗せる四角や三角の網とは違って、囲炉裏の回りに置く、長さ50センチほどある曲線のもの。鍛冶屋で作ったもので、主に餅焼きなどに使った。囲炉裏の火力によって「焼きこ」の位置を移動する。直火で焼いた餅は、砂糖醤油を付けて食べると格別であった。
やきこ
焼きこ
生活の基本 衣と食と住
御飯のお焦げのこと。家族10人分を羽釜で炊くと、どうしても底の部分は焦げが貼り付く。この貼り付いた部分が「焼き付き」である。温かい「焼き付き」に味噌を塗って食べれば、なんのおかずも要らなかった。電気釜は出来不出来はないが、いつも同じ味で没個性である。
やきつき
焼き付き
子どもの世界と遊び
巨人軍のマークの入った野球帽子は子どもたちの憧れであった。小学4年生の時、母の実家の奉公人に連れられて宇都宮のデパート「上野さん」に行って野球帽を買ってもらった。うれしくて、庇(ひさし:つばのこと)を少し曲げてかっこつけて、これ見よがしに学校にも被って行った。家の中でもずっと被っていた。その習慣からか、今もどこに行くにも帽子がないと安心しないし、帽子には異常に執着している。家の中でも被っていて、子どもの頃の経験を知らない家人は軽蔑の眼差しで見ている。
やきゅうぼ
野球帽子
冠婚葬祭と人々の繋がり
「やくたいもねー」と否定の語として使われる。益体は役に立つこと、きちんとしていることの意味であるが、否定の語とともに用いて、役に立たない、さらには無駄、迷惑という意味に変化した。「そだもの買って、やくてーもね(そんなもの買って無駄だよ)」と使う。江戸時代の言葉が八溝に伝播し、遅くまで残っている言葉である。
やくてー
益体
感情を表すことば
賭け事などをする人たちのことではないが、語源は同じ。広辞苑にも「役に立たない」、「まともでない」とある。正業でないことから、きちんとしていないことの意味になった。「やぐざな縛り方してんだがら(いい加減縛り方してんいるんだから)」と、注意を受ける。普通に使われていたが、渡世人という意味では使わなかった。
やぐざ
体の名称と病気やけが
火傷(やけど)のことで、火傷によって出来た傷跡も「焼けっぱた」であった。囲炉裏などで裸火を使うことが多かったので火傷をする子どもが多かった。裸火だけでなく、鍋の熱湯を被ることもあり、足に火傷の跡が残っている友だちも多かった。余程でなければ病院に行くこともなかったから、傷跡もでこぼことしていて目立つものが多かった。「やけっぱた」が気になって、半袖ななるのを嫌がる女の子もいた。
やけっぱた
焼けっぱた
農家を支える日々のなりわい
『広辞苑』には、東日本の言葉として、「やち」は低湿地とある。「ぬがりっ田」とも言った。谷筋の狭い場所に「やぢった」が連なっていた。水が冷たい上に、日照時間も少ないことから収穫量は著しく劣っていたが、それでも米を作りたいという山間の農家の努力によって耕作が継続されてきた。耕作放棄地となって久しく、水田跡とは思えないような藪になっている。
やじった
谷地田
感情を表すことば
「やだ」は「いやだ」の短縮形。「やだくする」は嫌いであるよりも、迷惑を掛けられたとの意識が強い。「ありもしねごと言われで、やだぐしっちゃうよ(事実でないことを言われて、迷惑するよ)」と受け身で使う。「しっちゃう」がつくことで被害者意識が強くなる。
やだくしっちゃう
感情を表すことば
拒否の意を表明するのでなく、不愉快さを表す時に「やだぐしっちゃう」という。女の子で、それも小学校の上級生になると、男の子がちょっかいを出して「やだぐしっちゃう」と言う。それは、今風でいえば「エッチ」的な意味である。これがうれしくて、関心のある子には「やだぐしっちゃう」と言わせたくなる。
やだぐしっちゃう
感情を表すことば
面倒なこと。「こまっけごどまで書かなくちゃなんでやっけーだな(細かいことまで書かなくてはならないので面倒だ)」と嫌がる。一方「こんどっきりはやっかいかけたね(この度はお世話になったね)」と言う時は「やっけー」と訛らず、「やっかい」と言う。マイナスの感情からプラスの感情まで幅広く用いられた。
やっけー
厄介
感情を表すことば
「今夜の御飯はやっけくてうんまぐね(柔らかくて美味しくない)」と柔らかすぎの御飯に世迷い言(よめごと)を言う。ゴムのボールの空気が抜けると「やっけぐなっちゃっ」て弾まない。物事を柔軟に処理する人は「やっけ人」である。
やっけ(やっこい)
柔らかい
冠婚葬祭と人々の繋がり
回り番で組内の定会などの会場となる家のこと。特に60日に一度のお庚申様の「やど」は、煮付けなどの酒肴を用意する必要があり、宿では準備が大変だった。近所のお手伝いもあったから、家庭全体が丸見えになってしまう。やがて、30年代になると、各家庭に子供部屋が出来たり、若夫婦が住むため座敷を小さく仕切ったりして、家には地域全体が集まれる空間が無くなってしまった。地域に公民館が出来ると、「やど」の煩わしは無くなったが、地域の結束は急速に減少していった。お庚申様も、年1度の「終い庚申」だけとなり、今は全くやらなくなってしまった。
やど
宿
冠婚葬祭と人々の繋がり
屋根の葺き替えのこと。藁に茅を混ぜて草屋根であったから、10年を過ぎると痛みが出て、藁を抑える竹(おしぼこ)が露出してしまう。雀が巣を作ることもあり、見場悪くなってしまう。屋根は南側と北側では痛みの度合いが違う。北側は雪が解けなかったり、防風林の杉の葉が積もったりして痛みが激しい。屋根替えは半分ずつやって、家中の家具も片側に移動する。組内総出お手伝いで、接待も大変である。会津からやってくる茅手(かやで)が寝泊まりして、数日で葺き替える。親方が「ぐし(棟)」の両端に「水」の字を刈り込めば「屋普請」は終わりである。
やぶしん
屋普請
地域を取り巻く様々な生活
畑作地では畑のことを山という。田は「たんぼ」であった。「父ちゃんはどこ行ってんだい」と聞けば「やま行ってるよ」と言う。父ちゃんは畑仕事に行っているのである。山間地の耕地は畑作が主で、その畑も多くは傾斜地で、文字どおり「やま」であった。今は耕作放棄地となり、元の山に帰ってしまった。
やま
山
動物や植物との関わり
ヤマカガシのこと。シマヘビはそのままシマヘビで、特別な言い方はなかった。子どもたちの度胸試しで、尻っぽを持って振り回すことをやった。「やまがち」には毒がないと思い込んでいたから、特に恐ろしいものとは思っていなかった。蛇も遊び道具の一つであった。
やまがち
子どもの世界と遊び
霜柱を踏みながら、囮(おとり)籠をもって鳥屋(とや:山の頂上)まで行って、のでんぼ(ヌルデ)に鳥餅(もち)を巻き付けて小鳥を待った。かかったメジロは大人しくしているが、ヤマガラは暴れて鳥餅に羽が付いてしまうので、急いで引き離さなくてはならない。良く捕れる朝は、ついつい夢中になって遅刻をしてしまった。後で事情を知った親や先生に厳しく叱られた。しかし、山学校で学んだことは、学校で学んだことより役立っている。
やまがっこう
山学校
生活の基本 衣と食と住
本来の襦袢は肌着の意味だが、農作業には腰丈の作業着である山襦袢を着た。明治半ばの生まれで、昭和30年代半ばに亡くなった祖母は終生ズボンははかず、シャツを着ることがなかった。昔ながらの和装のままで、農作業には山襦袢にもんぺ、冬は綿入れ伴天に足袋であった。生地が傷めば洗い張りをし、仕立て直し、さらには継ぎ当てをして長く使った。いよいよダメになれば、中気で寝込んでいる爺ちゃんのおしめになった。
やまじばん
山襦袢
生活の基本 衣と食と住
農作業の支度。山仕事に着るものでなく、「やま」は畑のことで、畑仕事の作業着。戦前までは男女とも股引(ももひき)であったが、私がが子どもの頃は、女性はもんぺ姿であった。農作業がしやすいように、裾は細く、股引は紺色、もんぺは茶の縞模様や絣(かすり)、腰に紐が付いていた。もんぺは上着の着物が入るように股の処がゆったりとしていた。やがて、股引やもんぺから、町場で流行ってきたズボンに変わっていった。
やまっき
山っ着
体の名称と病気やけが
病み目が転訛したもの。衛生状態が悪く、室内にはかまどや囲炉裏の煙が充満し、眼病を患うことが多かった。ハンカチなどを持っていない時代であったので、手洗いもしなかった。学校の集団検診の際に眼科医が瞼をひっくり返して、担任に疾病名を告げていた。それが通知票に「流行性結膜炎」と書いてあった。その他に耳穴から膿の出る耳だれも多かった。学校は学習だけでなく、地域の保健センターの役割も担っていた。
やんめ
病み目
子どもの世界と遊び
「嫌らしい」の転訛。憎らしいとは違って、憎悪の感情はない。6年生くらいになると、女の子たちが教室で着替えをしているところに入っていくと、「やーらし」と言われる。この「やーらしー」が聞きたくてわざわざ時間を見計らって入っていくこともあった。「誰ちゃんがどうだった」など、ありもしないことを吹聴するのは、子どもの頃から得意だった。
やーらしー