農家を支える日々のなりわい
山間では少しでも耕地を確保するため、庭先から直ぐに畑地となっていた。当時の庭は収穫などの「作業場」であって、植木などを植える場所ではなかった。兼業農家であったからだろうか、我が家には、庭と畑の間に「うえきば」があった。樹木だけでなく福寿草などのも植栽されていた。今も観る人もいない庭に季節になると黄色い花を着ける。ただ、鍋磨きなどに必要で植えていた木賊(トクサ)が、植木場いっぱいに繁茂している。
うえきば
植木場
地域を取り巻く様々な生活
伐採する時に倒れる方向の根本に入れた切り込みで「うけ」とも言っていた。「受け皿」などの「受け」であろう。杉は素性が良い(真っ直ぐ伸びる)ので、片側からだけ鋸を入れると、反対側が大きく裂けてしまう。そこで、あらかじめ予想して、斧で「うけ」を切り込んで倒した。作業の効率化から、倒す方向性も「うけ」で決める。「受け口」の反対は「追い口」である。林業が盛んだった頃に育ったから、八溝の子どもは、山仕事の言葉を聞き知っていた。
うけぐち
受けくち
感情を表すことば
もともと東京近郊の方言であるという。気に触ること。なぜか目障りで気持ちがすっきりしない状態。人間関係の中で使い、物が目障りな時には使わない。存在そのものが鬱陶しいのである。「うざってからあっちいってろ」などという。
うざってー
うざい
感情を表すことば
標準語の「うそ」は「少しばかり」の意味で「うそ寒い」などで使うが、八溝では「うすばが」とか「うすのろ」と言えば、負の感情がより強調される。「うすばが」と叱られることもあったが、今は使われない言葉になった。
うす
薄
感情を表すことば
「うすうす感じる」とは違う意味である。うろうろして夜遊びして帰ると「いづまでもうすうすしてんだ(いつまでうろついてんじだ)」と叱られる。子どものころから「うすうする」ことが大好きであって、挙げ句の果て、ヒマラヤやコンロンの方まで出掛け、「うすうすして」落ち着かない人生を送ってしまった。これからも「うすうす」したいと思っている。
うすうす
感情を表すことば
嘘を言うことをさらに強調して「嘘放くんじゃねよ」という。「嘘っこけ」と言われた時は、嘘を言えと命令されているのでなく、「なんで今さら嘘言ってんだ、ちゃんと嘘だと分かってだ」と、最初から禁止の感情の表れである。
うそ(っ)こく
嘘放く
農家を支える日々のなりわい
歌謡曲の歌詞集。特に雑誌『平凡』や『明星』の付録に付いていた小型の冊子。春日八郎がマドロス姿で表紙になったものが今も手元になる。『平凡』も『明星』も廃刊になって久しい。それに伴って歌本も死語になってしまった。
うたぼん
歌本
生活の基本 衣と食と住
手押しの「がッちゃんポンプ」が入り、今まで釣瓶(つるべ)で汲み上げたものが、一押しするたびに水がほとばしり出るようになった。それでもまだ井戸から手桶で運んで水瓶(みずがめ)に貯めておかなければならなかった。さらにその後、高性能の手動ポンプが導入され、井戸から離れた炊事場やお風呂場まで導水管で繋がった。内井戸である。家の中で水が自由に使えるのは、革新的なことであった。その後山間まで町営水道が布設され、水の苦労から解放された。
うちいど
内井戸
生活の基本 衣と食と住
綿に弾力性がなくなり、保温性もなくなるので、何年に1度か「打ち返し」をした。布団屋の看板には「打ち返し」と書いてあった。布団屋の工場(こうば)の中にはモーターと綿打ち機械を繋ぐベルトがキシキシ音を立てて回っていた。どんな工程があるのかは分からない。後日、出来上がった蒲団が紙に包まれて届いた。洗っておいた「蒲団皮」に真綿でくるんだ綿を入れて作り直されたふわふわした蒲団は格別であった。
うちっかえし
打ち返し
感情を表すことば
うるさいこと。騒いでいると「うっせい、静かにしろ」と注意をされる。人一倍ちょろちょろして「うっさい」存在で先生も困っていたに違いない。「うるさい」が「うっせい」にどのように転訛したのだろうか。存在そのものがわずらしいと「うっせい」ことにもなる。
うっせい
憂っせい
感情を表すことば
放り投げることだが、「泣いでもかまねがらうっちゃておげ(泣いても構わないからそのままにしておけ)」と、放置しておく。「かっぽる」にも投げ捨てることの意味とともに、放置しておくことの意味に使う。相撲の「うっちゃり」も同じ語源である。
うっちゃる
打ち遣る
地域を取り巻く様々な生活
田畑を深く耕すこと。耕地の土を反転し柔らかくすることで、必ずしも鍬(くわ)で耕すとは限らない。畜力でも、耕耘機でも「うなう」という。畑だけでなく田を「うなう」こともある。同じように耕すという言葉に「さくる」があるが、畜力の時は使わない。「さくりあげる」と言うように、一鍬ずつ土を上に掻き上げることをいい、田をさくるとは言わない。「うなう」と「さくる」には区別があった。
うなう
耡う
動物や植物との関わり
イタドリのこと。若芽の時に口にしたが、苦みが強くて食べられなかった。夏を過ぎると通学路の「うますっかんぼ」が背丈以上に伸びて、実が重くなるころは道路の方に倒れかかる。馬も食べなかった。春のすっかんぼ(スカンポ)はよく口にしたが、酸っぱいだけで決して美味しいものではなかった。
うますっかんぼ
感情を表すことば
うまのり
馬乗り
生活の基本 衣と食と住
薄めること。「お風呂熱いんで少しうめとこれ」と言われ、水を加える。今は水道の蛇口を捻れば温度の調整が出来るが、薪で沸かす「せーふろ」の温度調整は「かん混ぜ」、熱ければ外の井戸から手桶で汲んで「うめる」ので、少々のことでは我慢して入ることもあった。「塩っぺ」すぎる時なども、お湯で「うめる」ことになる。共通するのは熱いものであれ濃いものであれ、水によって希釈することにある。
うめる
地域を取り巻く様々な生活
表作に対する言葉で、標準語である。葉煙草を表作とし、盛夏に葉を摘み終えると、茎を刈り取って裏作として蕎麦を蒔いた。煙草は多肥作物であったから、十分堆肥や厩肥が鋤き込まれていた。痩せ地でも育つ蕎麦には好適であった。裏作の蕎麦は8月の半ばに播種すれば、90日で収穫できるので、日の短くなった11月には収穫できた。秋蕎麦である。蕎麦は畑に1年1度だけの一毛作にすることはなかった。耕地面積の少ないや山間地の知恵である。
うらさく
裏作
生活の基本 衣と食と住
仕切りもない開放された古い家屋で、六畳の「うらざ」は別であった。人寄せがあっても開放されることはない。年寄り夫婦は奥の間、あるいは入りの間という座敷で起居していた。、裏座は嫁様の唯一安住できる場所であり、母子センターが出来る前は自宅で出産する際の産室にもなった。昭和30年代になると生活改善運動が進められ、厩(うまや)が外になり、風呂と流しが衛生的になり、囲炉裏がコタツになってガラス戸で仕切りができ、さらに裏座も窓ができて明るくなった。一方で、婆さんが気軽に「お上がんなんしょ」と言っていたが、気軽に訪問することができない雰囲気になって来た。
うらざ
裏座
農家を支える日々のなりわい
裏表の「裏」でなく、先端部分をいう。「先っぺ」ともいう。キュウリの末成(うらな)りは最後のころに先端部分の小さなものをいう。「うら」には先端の意味があり、竹ん棒の先端も「うらっぺ」と言った。「うら」は「家の裏」のように表裏とともに、前後の意味になり、さらに先端にもなった。広い範囲を示す言葉である。
うらっぺ
末っ辺
生活の基本 衣と食と住
背戸口とも言った。木小屋に行って薪を持ってきたり、外便所にも出入りしたりと、日常生活では最も多く利用する出入り口であった。「背戸(せど)っ口」とも言い、真北でなく雨屋に繋がる西側にあった。戸車が不調であったから、戸を手で持ち上げながら開け閉めをした。何事に付け、不便だから直そうという気はなく、現状を受け止めていくことが基本であった。
うらど
裏戸
地域を取り巻く様々な生活
耕地の少ない地域では、斜面の土手に生える楮(こうぞ:こうずといっていた)や漆で少しでも現金収入を得る工夫をした。楮は冬の仕事として、刈り取りから表皮取りまで自家で行っていたが、漆は立ち木のまま専門の漆搔きに売った。漆掻きは「ひっ掻鎌」で樹皮に傷を付け、数日おきに巡回し、しみ出た樹液をへらで採っていった。漆の木の下を通るだけで肌が地腫れして痒くなるのに、漆掻きは樹液を扱いながらどうして漆負けにならなのか不思議であった。国産漆が重宝され、今でも漆?きをしている。
うるしかき
漆かき
生活の基本 衣と食と住
板の間にある囲炉裏に対して、畳の敷いてある「勝手」にある囲炉裏。夏場は使わず、普段は畳が敷いてあったが、冬になると畳を剥がして、囲炉裏の熾(おき)を運んでコタツにした。囲炉裏と違って煙いこともなく、居心地が良かったので、首っきり入ってズボンを焦がしたこともあった。
うわいろり
上囲炉裏
生活の基本 衣と食と住
一番奥の畳の部屋で、杉板の天井があり、床の間も付いている。普段は使わず、祝儀不祝儀の際に襖を外して2部屋続きの人寄せの場となった。泊まりの来客のためにも使われた。地域公民館がない時代は、各戸が持ち回りで宿(やど)になったから、床の間に掛け軸を掛けてお庚申様の集まりも上座敷でやった。日ごろは無駄な空間であったが、外見を大事にする田舎の家では大事な空間であった。
うわざしき
上座敷
農家を支える日々のなりわい
上の方。「か」は場所を示す接尾語で、「下っか」、「もごっか」(向こう側)、「こっちか」などに使う。表面という意味で、皮の意味でも使い、饅頭の「餡こ(あんこ)ばかし食って、「うわっか」を捨てることもあった。
うわっか
上っ処
生活の基本 衣と食と住
屋外の外便所に対して、家の中の一番奥に張り出したように便所が上便所である。お客さんと年寄り夫婦だけが使っていた。外便所には電気(電燈)がないので、夜中の小便はついつい縁側からすることになり、敷居を濡らすことになって叱られた。今でも腰に手を当て前につきだして手放しでやる習慣が抜けないで、サービスエリアなどで恥ずかしい思いをすることがある。人糞が大切な肥料であった頃は、汲み取りやすいことから、外便所が使われた。
うわべんじょ
上便所
農家を支える日々のなりわい
カートやリヤカーではない。自転車の中でも重い荷物を付けるため、荷台がしっかりしていて、スタンドが頑丈にできているものを言った。魚の行商をする赤松さんの運搬車にはいつも大きな木箱が載っていて、塩水が垂れていたので、赤さびができていた。自転車がどうして「運搬車」と呼ばれたか。自転車が大事な移動手段であったことから、運搬車という名前が山間に入って来たのであろう。
うんぱんしゃ
運搬車
感情を表すことば
標準語の「うまい」の否定語「うまくない」の転訛。味が悪いことや、「このさずまうんまぐね(このサツマは美味しいね)」と多く使われるが、さらに「うんまくいったかい」と聞かれれば「うんまぐねーな(弱った)」と答える。技術の巧拙とともに、物事の不首尾に首を傾けることの方に使うことが多かった。「うまぐない」は幅の広い意味で使われた。
うんまぐね