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感情を表すことば

強情で、時に他人に攻撃的なで、素直でない性格。融通が「きかない」ではない。「利かんボー」は男だけだが、「女の癖してきかねんだから」と、男勝りの女の子もいた。「あそごの子どもは悪さばーしして、きかねんだがら(あそこの子どもは悪いことばかりして、意地悪するんだから)」と陰口を言われる。気が弱いくせして、やたらと「きかね」ことが多かったのは、気が弱いことを見せないための偽装だったろう。

きかね

利かね
地域を取り巻く様々な生活

葉煙草の幹に葉を着けたまま屋内の屋根裏に干す「幹干し」(かんぼし)の作業のことを言う。母屋の畳を剥がし、臨時の乾燥小屋になる。家中が煙草の脂(やに)の臭いがするうえに、葉に付いていた青虫が囲炉裏の煙で燻されて落ちてくる。梁の高い場所で竹の桟(さん)にかけるのは大人の仕事で、煙草の茎に竹釘を刺すのは女たち、そして梁から降りてくる縄に、葉の付いた幹を括り付けるのは子どもの仕事であった。時期を外すことができないので、真夏の一家総出の仕事であった。

きがけ

木掛け
農家を支える日々のなりわい

「きのう」の転訛。本来八溝の言葉では「や・ゆ・よ」の拗音が発音しないことが多いのに、この語は反対に拗音が付いて発音される。子どもの頃にも、すでに年寄りが使っていた言葉であった。

きぎょう

昨日
感情を表すことば

「気に入らない」こと。中学生にもなると「あの野郎きぎんねからぶっくらしっちゃべ(たたきのめしてしまおう」などという。何事にも感情が優先し、「きぎる(気に入る)」か「気ぎんね」が子どもたちの中心であった。

きぎんね

効果があることでなく、困り果てるとか疲れ果てること。「今日は暑くてきいだな」と、体に堪えたことを嘆く。また、「今度っきりは雨ばーしできーっちゃたなや(このところ雨ばっかりで困ったな)」と長雨に困り果てる。様々な場面で使った。良い言葉であった。杭が十分地中に固定されていると「効いている」ことになる。

きく

効く
感情を表すことば

聞く耳を持たないこと。長男であったから「おんぼこ(大切に)」育てられ、ついついわがままが出て、「なんぼ言っても聞くっちゃねんだから(いくら言っても聞かないのだから)」と、何度叱られたことか。人の話を聞く仕事に就いて、努力をして相手の言葉を聞き入れようとしているが、習い性となって、ついついせっかちになってしまう。

きくっちゃね

聞くっちゃね
体の名称と病気やけが

置き薬に対しての言葉で、町の薬局で買う薬のこと。「生」は「生そば」などと同じように、新鮮なという意味であろう。町には老舗の薬局があったが、余程でなければ買うことはなく、置き薬を使った。また、風邪を引けばネギを焼いて首に巻いたり、傷が化膿すればアオキの葉を焼いて貼り付けるなどの、民間療法で済ました。今でも風邪を引くと、ネギ味噌をたっぷり入れた汁を飲むと良くなるような気がする。

きぐすり

生薬
生活の基本 衣と食と住

広辞苑に「毛小屋」は物置小屋のこととして出ているが、「木小屋」は出ていない。母屋に差し掛けた片屋根の薪(たきぎ)置き場のことである。毎日の炊事や風呂に欠かせない薪や焚き付けの杉っ葉を、雨に当たらないように、母屋や納屋の庇(ひさし)にさっかけ(差し掛け)を作って保管した。竃(かまど)や風呂場に近いことが必須である。

きごや

木小屋
生活の基本 衣と食と住

囲炉裏の横座にはいつもじいさんが座っていた。一番煙いところであるが、当主はいつも渋い顔をしているのが一家を守る上で大事だと聞かされた。横座の反対が薪をくべる木尻である。木尻の意味は、木の元に対して先端の方をいう。囲炉裏には横座の方に薪の太い方からくべるから、木尻は反対側になる。薪の「木尻」が囲炉裏の席の名前になったと思われる。身上渡(しんしょうわたし)をして、家計は譲っても、横座は死ぬまで爺ちゃんの席である。縄文時代から変わらず、炉が一家の中心であった。

きじり

木尻
感情を表すことば

予想外であることで、良いことにも悪いことにも使う。「何でななぐなっちゃたのか、きたいだな」と無くなったことが不思議であり、意図的に隠されたのではないかと疑う。「小さいのによぐがんばって、きたいだね」と褒めてもらった。八溝に残る古い言葉の一つである。

きたい

奇態か稀代 不思議
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

「〜けれど」の意味で逆接の接続詞の働きをする。「そうだきっどさ(そうだけれどさ)」と使っていた。同じ意味に「ほ(ん)だって」や「そんだげんと」がある。言い訳が多く素直でなかったから、ついつい「そんだきっど」が多くなった。親や先生は扱いにくかったに違いない。

きっど

生活の基本 衣と食と住

木の端の「きっぱじ」のこと。大工さんが柱を切って余った先端は「きれっぱじ(切れ端)で別なものである。「きっぽっぱじ」はどういう漢字を当てたらよいか。「きっぽ」に木片の意味があり、さらに「端」が付いたものか。粗朶(そだ)を竃(かまど)にくべる時に膝で折ったりすれば、必ず「きっぽっぱじ」が出る。「きっぽっぱじ」を箒で集めて竃にくべる。毎日の仕事であった。

きっぽっぱじ

木っ端
農家を支える日々のなりわい

標準語で、広辞苑には、着物を着たまま仮寝することとある。農繁期の初夏を迎えると、農作業の時間も長くなり、重労働も増える。そんな時期に、大人たちは食後に、NHKの「昼の憩い」を聞きながら、小半時(30分ほど)「きどころね」をする。機械化される前の農業は重労働であった。子どもも、遊びすぎて、晩ご飯までに囲炉裏の近くで「きどころね」をしてしまう。

きどころね

感情を表すことば

布が燃えるときの臭いで、標準語である。絹地と木綿では違う臭いがした。ごみを回収することはなかったから、近所で燃やしていても、「きなくささ」が伝わってくる。何を燃やしているかが嗅覚で分かった。年寄りが死ぬと、使っていた蒲団を直ぐに燃やしたので、葬式が出来たことが分かった。今は燃やせないから、子どもたちは「きな臭さ」を実感できる機会がなくなってしまったろう。物騒であるの意味では使わない。

きなくさい

感情を表すことば

気ままにゆっくりやること。手を加えない地のままの「生成り」ではない。「そだにごっことやんねで、きなりにしなせ(そんなに急いでやらず、ゆっくりやりな)」と使う。「きなり」が不得手で、今でも何かにつけてせっかちになってしまう。結果として、着実でない分人よりも劣ることになる。今日も「きなり」にするよう、自分に言い聞かせている。

きなりに

気成り
農家を支える日々のなりわい

カ行変活活用の未然形「こない」が「きない」となり、「きね(−)」となった。最近でこそは「来たげ(きたかな)」と聞かれて「来(こ)ねー」という言い方が多くなった。ただ、大人の多くは「まだきねー」と言っている。その内、八溝の言葉も標準語ふうに統一され「こない」となるか、一方で、一語しかないカ行変格活用が八溝地域のような活用に変化していく先駆けなのか。

きねー

来ない
生活の基本 衣と食と住

落ち葉を熊手で集めること。畑作地帯では堆肥は不可欠な作業であった。初冬になると、「ナラやクヌギの木の葉山」の下刈り(下草刈り)を始める。刃が厚くて小ぶりな下刈り鎌を使って篠や藤蔓をきれいに刈り払う。少しでも切れなくなると、腰に下げた砥石で研ぎあげる。砥石は真ん中が減って三日月形になっていた。水はないから(唾つば)を吐いて代用した。子どもたちの仕事は、刈り取った粗朶(そだ)を所々のぼっちに集めることであた。長じて、昭和41年に新任で勤めた学校は、前身が農学校であったので、冬には全員で木の葉さらいをした。女子生徒は半纏(はんてん)にスカーフであった。私は、町場育ちの農業科の先生より上手に木のはさらいができた。キャリアが違う。

きのはさらい

木の葉さらい
生活の基本 衣と食と住

柄の長い刈り込み鋏や剪定ばさみだけでなく、植木を手入れする鋏の総称が「木鋏」であった。松を手入れする盆栽鋏も含めた。布を切る裁ちばさみなどとの対比であろう。爺さんの使っていた木鋏で針金を切って大目玉を食ったことがある。直ぐには買え換えることをせず、荒砥(あらと)を使って研ぎ直していた。道具を大事にする時代であった。

きばさみ

木鋏
感情を表すことば

自分が気持ち良いのではない。相手が失態をした時に「ざまみろ(様をみろ)」と罵る言葉と同意である。内心は自分の方でも小気味良いのであろう。「きび」は気味の転。しばしば使った言葉だが今は全く使われない言葉になった。

きびいい

気味いい
生活の基本 衣と食と住

急須のこと。広辞苑では「急焼」の唐音とある。唐音は鎌倉から室町時代に掛けて伝わった新しい音で、茶の習慣とともに新しい道具の名前も伝わった。「きびしょ」は年寄りたちは普通に使っていたが、今は使われない言葉になった。庭先には自家消費だけの茶畑があり、土間には焙炉(ほいろ)があり、すべて自給自足であった。日ごろから爺ちゃんは囲炉裏の横座に座り、「きびしょ」にたっぷり茶葉を入れ、鉄瓶からお湯を注ぎ、大きな茶碗でお茶を飲んでいた。

きびしょ

急焼
体の名称と病気やけが

「くるぶし」のこと。「きびすを返す」と言う時の「きびす」は踵のことであろうが、八溝地方では「くるぶし」を指す。踵は「かかと」という言葉があり、「くるぶし」という言葉はなかった。「きびすひっこぎっちゃった(くるぶしを捻挫してしまった)」という。一般的に踵は捻挫しない。きびすと踵が混乱しているのは全国に見られるという。

きびす

感情を表すことば

標準語の「気味悪い」と同じ。恐ろしいという意味で使う。年に何度か、煙草収納場で映画があった。外灯のない半里(2キロ)夜道を帰る時、映画の場面が思い出され、最後尾になるのが嫌で、いつも小走りで列の間に入ろうとする。誰も同じであった。路傍のギシギシが背丈よりも伸び、虫の声だけがやたらに響く。「きびわりなー」と思っているが、声には出さない。暗い山間の地では「きびわりー」ことが多かった。「きびいい」という言い方もあり、ざまみろ、それみたことかと、人を罵る際に使った。

きびわりー

気味悪りー
感情を表すことば

しないよりした方がいいとか、無いよりあった方がいい程度の時に使うこと。褒められた言葉ではないことが多い。ただ、感情でなく、客観的な場面でも使う。「味が薄いから気増し醤油足せや」とほんの少し塩を足すことになる。

きまし

気増し
地域を取り巻く様々な生活

正しい意味も漢字も知らなかったが、子ども心に恐ろしい言葉であった。タバコ栽培は専売制で確実に買い上げてくれる換金作物として、畑作中心の山間部では大切な収入源であった。乾燥した葉煙草を子どもまで動員して「煙草熨(の)し」をして、村役場の近くの煙草収納所に、荷車に載せて運び込む。(まだリヤカーは普及していなかった)検査員による厳しい選別が行われ、乾燥が不十分であれば「きゃっか」となった。当てにしていた収入が無くなり、もう一度手間を掛けて乾燥し直さなくてはならない。何より不名誉なことで、村中に知れ渡ることになる。

きゃっか

却下
農家を支える日々のなりわい

黄色の転。黄色が「kiiro」と母音が続くことから、音韻変化がおきやすく、「きゅうろ」になった。中学生までの母国語が八溝語であったため、高校生入学後に改めて「日本語」を聞くことになったが、もはや手遅れで、無理をして意識的に話そうとすると混乱が起きた。今になると、豊かな自然体験に裏打ちされた言葉を獲得したことは、学力などには代え難い財産となった。

きゅうろ

農家を支える日々のなりわい

方言ではない。今でも和菓子を包むものとして用いられている。桧を薄く削り、紙状にしたもの。もとは紙の代わりにお経を書いたことからの名前である。材料が杉材であったことから安く出来たこともあって、包装紙の代わりになっていた。紙が手に入らない時代、赤飯などを近所に分ける時に普通に使っていた。今は高級和菓子の包みになっている。

きょうぎ

経木
地域を取り巻く様々な生活

今も変わらず発音は「きょうしつ」である。狭い沢筋の田圃で作った米も自家消費だけで終わってしまう収量にも関わらず、食糧難の20年代は供出が割り当てられていた。農家でもサツマ混じりのご飯だったり、ムギの方が多い麦飯であった。それでも弁当を持たずに登校する級友もいたことからすれば恵まれていたとも言える。小学生で「供出」の制度は分からなかったが、周囲の大人の雰囲気から、無理でも出さなくてはならないという意識を感じ取った。今では農協に出しているのにもかかわらず、「供出」の言葉は生きている。

きょうしつ

供出
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

体育(たいく)の時間に掛ける号令。「気をつけ」が転訛した表現。先生の号令が「きょうつけ。みぎーならい」と聞こ「気をつけ 右倣え」の意味は分からなかった。標準語を身に付けた先生はきちんと言っていたはずだが、聞く側の耳が八溝言葉に翻訳してしまっているのだろうか。

きょうつけ

気を付け
農家を支える日々のなりわい

「きょうび」は、「今日」に日を重ねたもので、広辞苑にもある。今日そのものよりも「近頃」の意で、より長いスパンになる。年寄りは、「きょうびの若いてい(者)は夜遊びばし(ばかり)して」と言って、夜なべ仕事をしないことに対して世迷い言をしていた。いつの時代でも年配者の「きょうび」の若者への世迷い言は同じである。

きょうび

今日日
地域を取り巻く様々な生活

発酵を均一化するため、堆肥を農業用のフォークで天地替えをすること。まだ元の形状を残している下側の木の葉と、すでに発酵の進んだ上部の葉を入れ替える。体力も気力も要る仕事であった。堆肥づくりは農業の基本であった。我が家では、堆肥づくりが出来なくなって、兼業農家も終わりとなった。堆肥を作らなくなったので「きりかえし」も不要の言葉となった。今は、全く別の意味で、車の切り返しで使われる。

きりかえし

切り返し
生活の基本 衣と食と住

まな板のこと。本来まな板は「俎板」のことで、魚を調理するものを指した。魚を料理することの少なかった八溝地区では「まな板」でなく、「菜板」(さいぱん)ともいった。切り板は野菜も含め、食材全体を包丁で切る板でのことである。両端付近に脚が差し渡した厚いヒノキの板で、真ん中がへこめば、鉋(かんな)で削って使った。板を「ばん」と音読みする方が格調のある呼称の印象がする。

きりぱん

切り板
地域を取り巻く様々な生活

スプレーではない。口に水を含んで乾燥した葉煙草に霧を吹きかけること。乾燥の状態を見て吹きかける量を加減し、縮れている葉を傷めずに伸ばすために湿り気を与えた。熟練のいる仕事であったから婆ちゃんがやった。婆ちゃんが葉の元の方を持ち、孫は葉先の方を持って、一枚ずつ熨していった。婆ちゃんができなくなる頃には、煙草作りを止めた。農休みの時は、近所の農家に手伝いに行っていた。

きりふき

霧吹き
動物や植物との関わり

青曽(あおそ)という種類の細長い渋柿。我が家には干し柿用の蜂屋柿の古木が10本以上あった。蜂屋柿の中に混じって、実がやや小ぶりで細長いものが1本あり、金玉柿と呼ばれていた。これは干し柿にしなかったので、最後は小鳥の餌になった。受粉用の渋柿であったのだろう。晩秋には軒の下に何百連も干し柿が並んだ。今では温暖化で良く乾燥する前に腐ってしまい、ましてマンションのベランダでは風通しが悪く干し柿は出来ない。金玉柿は枯死してしまった。

きんたまがき

金玉柿
地域を取り巻く様々な生活

今は化学肥料など農協やホームセンターで買うものを指すが、かつては堆肥や厩肥などの自家製の肥料に対し、鰯を干した干鰯(ほしか)や油粕など、金を出して飼う肥料を言った。江戸時代に始まった葉煙草栽培は肥料をたくさん必要とすることから、金肥」が必要であった。そのため肥料屋への払いが大変で、不作の年には肥料代が払えず、土地を取られる農家もあった。どの町でも肥料屋は質屋も兼ねていた。干鰯はすでに江戸時代から茨城や千葉の海から移入された。八溝の言葉も海側の地域の影響を受けたものが多いはずである。今は化学肥料のことを金肥と言うようになった。

きんぴ

金肥
地域を取り巻く様々な生活

薪を集めること。子どもの仕事としては、杉っ葉とか、枯れ枝などの焚き付けを集めて背負ってくることであって、鉈(なた)を持って枝を切るのはは大人の仕事であった。ガスや石油のない時代、「きーこり」は小学生の中学年になれば誰でもやらなくてはならない仕事であった。背負い縄1本でうまく背負うためには、枝の端を中に折り込んで長さを揃え、きれいに「まるか(束ねる)」なくてはならない。暗い杉山に入っていくのは心細かった。子どもたちの成長には欠かせない仕事の一つであった。

きーこり

木樵り
地域を取り巻く様々な生活

伐採した丸太を土場(どば)まで運ぶこと。林道も整備されていないし、他に運搬手段がなかったので、もっぱら橇(そり)が用いられた。腰にバンギが滑るようにするための油(使い切ったエンジンオイルか)を提げ、橇を担いで伐採地まで行って、丸太を橇に乗せて橇道を滑らせて運ぶ。熟練と体力の要る仕事であった。昭和30年代後半には木材の好景気が終わり、橇引きの姿も見えなくなった。今では伐採期を過ぎた杉や桧が枝打ちされないままになり、商品価値を失い、売っても木主の収入にはならなくなってしまった。林道が奥深くまで延伸されたが、管理されないまま崩落している場所も目立つようになった。「きーだし」をしなくなってしまったからである。

きーだし

木出し
感情を表すことば

動かずじっとしていること。授業中に落ち着かないでいたので、「きーっとしてろ」と先生に注意されることが多かった。集中力がない性格は大人になってからも同じで、すぐに関心が移ってしまう。その代り好奇心は旺盛であった。

きーっと

冠婚葬祭と人々の繋がり

「ぎゃくえん」とは発音しなかった。長男が若くして死んだ際に、弟が義姉と結婚すること。標準語の、子どもの供養を親がするという逆縁ではない。家系を絶やさないために農村では「逆縁」が珍しいことではなかった。夫婦二人ともどんな気持ちであったろうか。家を中心とする当時の風習として多く行われたから、今思うほど抵抗はなかったのだろうか。

ぎゃくいん

逆縁
動物や植物との関わり

魚の名前。捕まえるとギギーと声を出した。正式にはギバチという。捕まえると刺すことから「蜂」の名前が付いている。食べては美味しくなかった。今は河川改修で「ぎんばち」の住む環境が無くなってしまった。

ぎんばち

感情を表すことば

形が不揃いで、据わりが悪いこと。工作で箱を作ったりする際、丁寧さに欠けると歪んで「ぎーっかた」になってしまう。仲間が素晴らしいメジロっ籠を作るのに、いつも形の悪いものしかできず、途中で投げ出すことも多かった。心の歪みも「ぎーっかた」であったかも知れない。

ぎーっかた

子どもの世界と遊び

シーソーのこと。擬音語か擬態語か、いずれにしても校庭の遊具の名前は「ぎーっこんばったん」であった。シーソーは英語であり、シーソーゲームなどと使い、行ったり来たりすることの意味である。今ではすっかりシーソーになり、古い日本語は忘れられてしまっている。ブランコの「どーらんぼ」とともに遊具の定番である。

ぎーっこんばったん

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