生活の基本 衣と食と住
あい
間
穀物があまり実っていない時には、庭先で婆ちゃんが「今年の小豆はあいが多くて」と、「さい突き棒」を打ちながら世迷言をする。「あい」は実と滓(かす)の中間のもので、箕で振るえばようやく先端に残るようなものである。「あい」をさらに良く選別して、米は団子にしたり、小麦は煎餅などにして、無駄にすることはなかった。小麦の「あい」をさらに選別して、粉にした残りの外皮は馬に食わせる「麬(ふすま)」になった。決して無駄にすることはなかった。

動物や植物との関わり
あいそば
アイソ場
アイソ(ウグイ)の産卵場所。上流と下流側は幅1メートルほど、中程を膨らませて、両側を砂利で囲ってきれいな小石を並べ、アイソを産卵する場所に誘導した。アイソが中に入ったころを見計らい、二人で上下から藁束で閉鎖し、水を干して捕まえた。先人のアイソの習性を知った捕獲方で、きわめて効果的な漁法であった。河川改修前にはおもしろいように捕れたが、今はアイソがいなくなってしまった。きれいな婚姻色をしたアイソを「魚串(いおぐし)」に刺して囲炉裏で焼いて、山椒味噌で食べた。香ばしい味はふるさとの川そのもののである。

農家を支える日々のなりわい
あいま
合間
時間の途切れた間のこと。方言ではない。「あいま見てせーふる(据え風呂)ふっ炊けろ」と言われた。子どもは子どもで遊びに熱中し「あいま」がない。つい忘れてばあちゃんに怒られた。合間を見つけて勉強をすればよかったのに、学校の勉強より大事なものが周囲にはたくさんあった。

体の名称と病気やけが
あおるげ
仰向けになること。「じでんしゃ(自転車)ででんながって(転んで)、あおるげにになっちゃった(仰向けにひっくり返っちゃった)」となれば、勢いよい良く仰向けになるように転倒したことになる。動きが激しかったから「あおるげ」になることが多かった。

体の名称と病気やけが
あおんぞ
青んぞ
顔が青白く活気のない子どもを言う。戦後の25年頃の小学生には、栄養不足か「あおんぞ」が多かった。支援が必要な子どもたちであったろうが、遊びも仲間はずれになっていた。仲間はずれにする中心になっていた自分を振り返ると、何と配慮がなかったかと、反省している。

地域を取り巻く様々な生活
あかっぱとり
赤っ葉取り※
八溝の主産業であった煙草栽培は、山間の傾斜地を利用して家族総出での作業であった。葉煙草の一番下の「地づり」が色づくと、いよいよ「赤っ葉取り」の季節となる。下から順に、おぼっ葉 土葉 土中 間中 中葉 本葉、天葉と一枚ずつ、夏の蒸し暑い中、ヤニでべたべたする畝の中を腰を曲げながら一枚ずつ取って、背負籠(しょいかご)で急坂を家まで運び、庭先で縄に挟んでいった。
縄に挟み終えた葉煙草は、はって(煙草を干すための竹を渡した物干し)で干す「連干し」、乾いてから地面に干す「地干し」や、屋内の竹の桟に掛ける「幹干し」などの作業は子どもも重要な働き手であっ た。「地干し」は縄の先を持ちながら大人とタイミングを合わせて葉先を重ねながら麦藁の敷かれた地面に並べていった。暑さの厳しい中で、根気の要る作業であった。納付の日のお土産が楽しみであった。

動物や植物との関わり
あかはらどじょう
赤腹泥鰌
イモリのこと。腹が赤いので、アカハラドジョウと呼んでいた。田んぼや沢筋にたくさんいた。赤い腹部に黒い斑点があり、気持ちいい物ではなかった。子どものころは、腹の赤いヤモリも同じもので、イモリが池から陸に上がって、名前だけヤモリになるのかと思っていた。両棲類と爬虫類の違いなど全く分からなかった。ヤモリは時々梁から座敷に落ちてくることもあったが、家をも盛る「家守」であるから、いたずらなどせず、縁の下に戻しておいた。湿田から乾田になって、今ではイモリの生息場所も少なくなって、田んぼで泳ぐイモリを見ることもなくなった。

体の名称と病気やけが
あがむぐれ
赤むくれ
擦過傷で皮がむけたり腫れ上がった状態。ひどく出血しているのではない。砂利道というより玉石のような不揃いの石が敷いてある道路では、自転車とともに転倒して、膝を赤むくれにしたことが何度かあった。校庭で転んで転んで皮がむけてしまったこともある。保健室がなかったから、職員室で担任の先生に治療してもらった。職員室には叔母が別の学年の担任でいたので、「またか」という顔で見ていた。

生活の基本 衣と食と住
あがりっぱな
上がりっ端
入り口を入ると、台所と呼んでいた広い土間があり、その奥は広い板の間で、真ん中に囲炉裏があった。板の間に上がる縁が「上がりっ端」である。隣の婆ちゃんが来ると、「上がりっ端でなく、ながへおはいなんしょよ」(上がりっ端でなく、中にお入りなさいよ)と勧める。行商などの訪問時には上がりっ端で用を済ます。足も洗わず上がると、上がりっ端ばかりか、奥の方まで泥足の「あしっと」(足跡)が残ってしまった。

地域を取り巻く様々な生活
あがる
上がる
標準語の「上がる」と同じく、入学すること、さらには「おあがんなんしょ(お上がりなさい)」と囲炉裏の縁に上がるように勧めることもあった。ただ、「暗ぐなったがら、そろそろ上っぺや」と仕事を終える意味で使う「あがる」が一番印象に残っている。

動物や植物との関わり
あきび
アケビのこと。甘い物に飢えていた子どものころに 、あきびが一番の甘さだった。庭の柿の木に絡まった蔓は子どもの腕よりも太く、隣の梅の木にまで伸びていた。9月の末になると、目立たなかった茶色の皮が紫色に変わり、少しずつ口を開けてくる。数日後には食べ頃になる。学校から帰って食べようと思って木に登ってみると、「烏め」にやられた後だった。残りの「あきび」を口いっぱい頬張り、種を思い切り吐き出した。砂糖の甘さとは違う物である。今もあきびは健在だが、空き家になって「烏め」の独壇場である。

地域を取り巻く様々な生活
あきまで
秋まで
「までる」は、「全く」と同じ語源の「まてる」の濁音化したもので、片付けること。今よりも稲の植え付けが遅かったから、時には霜の降るころの稲刈りもあった。ようやく米の脱穀も終えると「秋まで」となり、いよいよ村総出の小学校の運動会である。日が短くなり、最後の種目の部落対抗リレーの時間のころになると、白いパンツと足袋裸足での応援は寒さに震えながらであった。「秋まで」は子ども心にもほっとする言葉であった。

感情を表すことば
あきれもしねで
飽きれもしないで
長時間飽きずに取り組むことに対すして、良い場面にも悪い場面に使う。「よぐまーあぎれもしねでやってこど(良くまあ飽きないでやっていること)」と、根気強くしていることへの褒め言葉である。反対に、「あぎれもしねで、いづまで遊んでんだが(飽きもしないで、いつまでも遊んでいるんだろ)」と小言になる。「あきれもしねで」と単独で使われる時は、非難される時である。

地域を取り巻く様々な生活
あさくさかり
朝草刈り
馬は早起きなので、前足で地面を蹴ったりして空腹を訴える。農家にとって、朝草を刈ってきて馬に与えるのは、文字どおり「朝飯前の仕事」である。畦の草は朝露で濡れている時の方が良く切れる。背負籠(しょいかご)いっぱいに背負って来て馬に食わせた。余れば保存用の干し草にした。30年代になると馬がいなくなり、叔父叔母も家を出て、大きな母屋は一気に寂しくなった。

農家を支える日々のなりわい
あさって:やなさって
明後日
「あさって」は明後日だが、明明後日は「やなさって」、その次は「しやさって」。「しやさって」は「四あさって」のことであろう。「さーさって」もあったが、今もって順序に自信がない。これでは3日後のことは約束できない。今でも混乱している。子どもの頃には「しあさって」は使っていなかったように思う。

子どもの世界と遊び
あしかけ(めんこ)
足掛け
鉄棒の足掛け周りでなく、「ぱーぶち(めんこ)」で、より風を集中させるため、「ぱー」の横に脚を添えることをいう。あらかじめ「足掛け無し」の約束をした。半纏(はんてん)の袖で風力を強めることもルールで禁止であった。地面に掌を叩き付ける「手打ち」は許容範囲であったので、右手の指の指紋がなくなってしまった。

子どもの世界と遊び
あしっと
足っと
「足跡」の転訛。わら草履やゴムでできた万年草履では足が汚れてしまう。足を洗わずに上がると、板の間に指型まではっきりとした足跡が残った。これが「あしっと」である。いつも叱られた。今は靴に靴下、家ではスリッパ、足の指を使うことも少なくなった。もちろん「あしっと」などは付くことはない。

生活の基本 衣と食と住
あしなが
足半
足の半分の藁草履。川に入る時に滑り止め手水切りを考慮して、「足半」を履いた。耐久性がないから、農家の「夜わり」仕事で、「足半」や草履作りは欠かせない仕事であった。爺ちゃんの真似をして、藁縄を足の指に掛けて編んでみたが、形の良いものは出来なかった。「足半」を編んだ最後の世代であろう。

生活の基本 衣と食と住
あじのもと
味の素
商品名で方言ではない。戦後、少しずつ物が豊かになって来た象徴が「味の素」である。客が来ると漬け物の表面が見えないほど味の素を掛けた。頭が良くなるということで、砂糖のようになめた。いつの間にか容器の穴が大きくなり、消費を増やそうとしていることに気づいた。果たして「グルタミン酸」が効いたのかどうか、今は使わなくなった。

感情を表すことば
あじー
熱い 暑い
「あつい」の連母音の一つが脱落することによる音韻変化。Atuiがatiとなり「あぢー」と濁音化したもの。お風呂が熱い時にも「あじー」と言い、気温の高い日には「今日はなん だってあじねー」という挨拶が交わされた

農家を支える日々のなりわい
あすく
「あそこ」の転訛。「あすくら辺」とも言った。ただ余所の家を指す際は「あそこんち」と言っていた。八溝方言としての全体的な特徴として、口唇をあまり活動させない傾向からの転訛であろうか。

農家を支える日々のなりわい
あすのさ
明日の朝
「の」の母音オと朝のアが母音(アイウエオのこと)であるから、連母音(母音が重なる)になり、その結果一字が欠落する。「あすのあさ」が「あすのさ」となるのは音韻上の法則である。日常では言いやすいこと第一であり、八溝では出来るだけ口を開ける「あ」の音は使わない傾向にある。

生活の基本 衣と食と住
あずきめし
小豆飯
餅米で蒸かす赤飯でなく、粳(うるち)に小豆を入れた御飯。餅米は収量が少なく高価であったからである。あらかじめ塩味で煮ておいた小豆を汁とともに炊き込んで、赤い色を出すようにしていた。「こと日(お祝いの日:農事を休む)」に炊かれた。日本人が赤米を食べていた古い時代の名残であろうか。

感情を表すことば
あずっけ
厚い
「厚い」に「こい」がついたもの。「やっこい」や「すばしっこい」などの「こい」と共通。羊羹を切る時も「もっとあずっこく切っとごれ」とお願いする。中学生になると「まさか教科書があずっけな(さすがに厚いな)」とため息をついた。

冠婚葬祭と人々の繋がり
あずばり
集まり
「集まり」が濁音化したもの。集会のことで、「今夜7時っからあずばりがある」と言い継ぎが回ってくる。人が集まるのも「あずばってくる」と濁った。

感情を表すことば
あずぼってー
特に周囲とのバランスが悪いほど厚く感じられる時に「あずぼったい」という。「ぼったい」は「はれぼったい」などにも使うから、通常に比べてバランスを崩している状態である。服装などでも、セーターなどが厚過ぎる時は「厚ぼったい」という。

生活の基本 衣と食と住
あだじょっぱい
あだ塩っぱい
粗塩(あらじお)の塩辛さが直接舌に感じられるような味。煮物などでいつまでも塩っぱさが残るようなもので、「あだ」は、むやみにという接頭語であろう。調味料など無い時代には、塩加減が難しい。塩が少なければ「うすら塩っぱい」ので物足りないものになる。塩の加減が味の決め手であった。

子どもの世界と遊び
あだまはぎる
頭端切る
頭髪を刈ることで、「端切る」は先端を切ることである。村にも床屋があったが、中学生までは家で父親に「端切って」もらっていた。晴れた日に庭先で椅子に座り、大きなふるしき(風呂敷)を首に巻いてバリカンで切ってもらったが、時々刃の間に毛が食い込んでてしまうと、引っ張って外すことになる。痛いのなんのって。その都度バリカンを分解し、刷毛でブラッシングして、ミシン油を塗って再開。中学生になると5厘のピカピカ頭は恥ずかしくて、アタッチメントを使って1分の長さにしてもらった。床屋の同級生のヒロちゃんは裾を少し刈り上げて、いつもきれいにしていた。耳の所に長いのを何本か残したままの田舎の子どもたちとは違っていた。

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
あったか
温っか
挨拶の言葉として「今日はあったかだね」と言う。暖房機の無かった時代、風っ吹きの日が続いた冬、年寄りたちにとって「温っか」な日は何よりで、縁側の日溜まりでお茶のみ話に花が咲いた。「あったかだ」が挨拶になるのは自然なことであった。

感情を表すことば
あったらもん
可惜もん
古く『古事記』にも「あらたし」とあり、今も「新たに」と言う言葉が残っている。この「あらたしい」には「可惜し」という漢字が当てられている。古く「あらたしい」と「あたらしい」は同じように用いられた。今は「新しい」だけで使われるが、「あったらもん」として、「もったいない」の意味で方言として残っている。30年代までは物を大事に使い、何かに付け「あったらもん」という生活であった。良い言葉である。

感情を表すことば
あっつーまに
「あっというまに」の転訛。瞬く間にという意味である。連母音の欠落して音韻が変化した典型である。この場合は「Attoiu」の「oi」が欠落した。「あっというまに」より、ずっと発音しやすい。八溝の言葉にはこのような音韻変化は数多く見られる。

冠婚葬祭と人々の繋がり
あて(で)がいぶち
宛行扶持
「あてがい」は方言でなく、元は武将が家臣に対して所領を与えたことも意味し、その証書が宛行状(あてがいじょう)であった。部下の意見を聞かずに決めたことより、一方的に宛行することから生まれた言葉である。今でも、「あてがいぶちで悪いげんと、今日んとこはこれで」と言って、先方の都合を聞かず、こちらで判断して手間賃などを払う。食事についても、相手の好みを聞かず、当家の都合で出す時には「あてがいぶち」でと、形だけ謝りを入れるのが礼儀である。古い時代の雰囲気を感じさせる言葉である。

感情を表すことば
あでごとほーでーもねー
当て事放題もねー
「当て」は「宛」とも書き、目当てや見込みのこと。「あてこともない」とは、自分の予想を越えているときの驚きをいう。「今年の蒟蒻(こんにゃく)はあでごどねほど安いんだよ」と年寄りが世迷をしていた。さらに「放題」がつくことで意味を強める。「そうだにもらっちゃあでごどもね」と予想以上の好意を受けた時にも使う。放題という意味には「思う存分」の意味がある。最近「飲み放題」や「食べ放題」の店が多くなった。実際は店の側は元が取れる想定内の値段で提供しているから、予想以上にサービスしてもらったという気はしない。

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
あどくち
後口
後味が悪いという意味では使わない。家庭では、食後の味のことなどを話題にすることはなかった。1度出した御馳走の後で「一緒に出さねで、後口になっちゃったけど」と勧める。出し遅れた時の挨拶にもなった。

農家を支える日々のなりわい
あどしり
後尻
人の後ろを追いかけるようにくっついていること。さらに、次々と連続することにも使った。自主性がなく「あどしりいつもくっついているんだから」と、人の後ばかりくっついていている子もいた。連続する意味では、「あどしり3人目が生まれた」とも使い、年子のように3人連続して誕生したことになる。

農家を支える日々のなりわい
あどっちゃり
後ずさりの意。「しゃる」は敏速に動く感じはないから、ゆっくりと後ろ向きのままに下がる。「座ったまま後ろにずって行くことになる。学校での映画鑑賞の時に、前にばかり凝(こご)ると、「もう少しあどちゃりして広がるように」と指示された。「しゃる」は前後左右にいざること。

農家を支える日々のなりわい
あどっつぎ
後次ぎ
後継者の後継ぎではない。一つの布団に互いに反対向いて寝ることをいう。孫と寝ると温かいので、爺ちゃんと「あとっつぎ」で寝ていた。寝相が悪かったので、爺ちゃんの股間に蹴りを入れることもあったようで、翌朝盛んに世迷言をしていた。夜中に尿瓶(しびん)の音がする。朝になって外便所に捨てに行くのは孫の役目であった。

子どもの世界と遊び
あぶらむし
昆虫ではない。遊び仲間の中で、年齢が小さいとか、能力に問題があり、遊びの仲間に加えながらも、配慮する存在がいる。配慮が善意であることもあるが、煩わしいので仲間はずれにしてしまうこともあった。大人にもあぶら虫が居て、全っとうな仕事に就けない人のことである。

生活の基本 衣と食と住
あぼこ
「あぶく」と同じで、泡(あわ)のこと。「あぶく立った煮立つった」という童謡は「あぶく」だが、八溝では「あぼこ」であった。御飯の釜が吹き上がった状態を見る目安も「あぼこ」の立ち方である。そろそろ薪を引いて余熱で蒸らすことになる。

生活の基本 衣と食と住
あまい
甘い
実際に「甘い」のでなく、塩味が不足している時に使う。「味噌はいいあんべか(味噌はちょうど良いか)」と聞かれると、「甘くてダメだね」と答える。砂糖が入りすぎたのではない。塩味が足りないのである。さらに味噌を加える。今の甘いとは違い、しょっぱいの反対語ではない。味が薄いのである。

動物や植物との関わり
あまな
甘菜
ヤブカンゾウの仲間の総称で、正式な意味の「アマナ」とは違う。子どもの頃、豊かな 自然の中に住んでいながら、植物に関心が無かった。これは個人の問題でなく、生活に関わりないものには関心が薄かったという地域の人々の関心度がそのまま子どもたちにも影響したものである。「アマナ」は土手に咲き、身近なものであったが、正式名と違ったまま覚えて今に至っている。

生活の基本 衣と食と住
あまや
雨屋か天屋か
納屋のことだが、煙草農家では乾燥場(かんそば)という。乾燥場の床面の半分は堆肥を発酵し保存する場所に使い、隅には便所があった。雨天の際の子どもの遊び場にもなった。煙草農家では母屋よりも雨屋の方が大きい家も多かった。乾燥のために炉が切ってあり、煙草熨(の)しなどの夜なべの鍋を突っ掛けておいた。たばこの耕作がなくなった今、痛んだトタン屋根の大きな雨屋が目立っている。過疎化の象徴の感がする。

子どもの世界と遊び
あみさげ
編み下げ
髪の「お下げ」のこと。3つ編みにして1本にまとめたので「編み下げ」と言った。昭和30年代になると「花王シャンプー」が普及し出した。髪への関心が高まる年頃の中学生は、「おかっぱ」から、長い髪の「編み下げ」にしても、清潔に保てるようになった。「お下げ」が大変はやった。

生活の基本 衣と食と住
あらいまで
洗いまで
食事の後片付けのこと。「までる」は整理をすることなので、食事の後にきれいに整理することをいう。30年代までは水道がなかったので、土間の片隅で、暗い電球の下、洗剤もない「洗いまで」は苦労も多かった。母の手は、冬はあかぎれだらけであった。そのうえ、炊事にはそれぞれの家庭の風習があったから、嫁と姑の確執の多くは、「流し」での「洗いまで」に起因した。

地域を取り巻く様々な生活
あらぐれかき
荒くれ掻き
「荒」は整地されていないこと、「くれ」は大きな塊をいう。すでに水が入っている田を、田植えまでには「荒くれ搔き」をして、その後に「代掻き」をする。米作りは八十八手の手間が掛るという。「あらぐれかき」は、まだ細かくなっていない田んぼの土を細かくし、土に水を馴染ませる作業で、田植えの準備大事な仕事である。

地域を取り巻く様々な生活
あらこ
荒粉
冬の凍害を防ぐため、コンニャクイモを輪切りにして、竹に通して乾燥させものをいう。粉の前の段階であるから「荒粉」である。さらに粉にした物が「上粉(じょうこ)となる。コンニャクは冬の保存が難しく、囲炉裏の上の天棚で保存したり、大作りの農家では専用の室(むろ)を作って保温した。コンニャクは農協を通さず、業者との庭先取引をしたので、「今年は下仁田の方が安いんで」など、仲買の言い値で買われてしまっていた。その後は補助事業で共同で乾燥用の倉庫を作るなどの協業化も進め、目揃い会で品質の向上にも努めたが、過疎化の中でコンニャク農家は1軒もない。
