農家を支える日々のなりわい
いい加減の意味であるが、加減が良いという意味では使わない。「何やってもいいからかなんだがら」と、きちんとしていないことを指摘された。県内ばかりか、広く関東一円で使われている。
いいからかん
感情を表すことば
気味が「きび」と変化したもので、相手を罵ったり、侮蔑するときに使う。「いい」がついているが、気持ちが良いのは、相手が不始末をした結果自分が良い気持ちになるからであろうか。「ざまみやがれ」という感情が内に含まれた、屈折した表現である。
いいきび
いい気味
生活の基本 衣と食と住
芋を刺す竹串は芋串、他に魚を刺す串は「よーぐし」と言っていた。古典には「うお」でなく「いお」と出てくる。「いおぐし」には古い日本の音声が残っているといえる。本来、「うお」は料理をする前のもの言い、料理した物が肴(さかな:酒菜)となる。魚河岸は「うおがし」はまだ料理しない鮮魚類を扱っている。子どもの時代に何気なく使っていた「いおぐし(ようぐし)」が古い日本語の流れを伝えている。「いおぐし」には川で捕獲したアイソ(ウグイ)などを刺して囲炉裏で焼いた。時にはクチハビ(マムシ)も串刺しになっていた。
いおぐし(よぐし)
魚串
地域を取り巻く様々な生活
今では鍋が傷めば直ぐに新しいものと交換する。昭和30年頃までは「鋳掛屋」が巡回して来て、鍋や釜の穴を塞いでくれた。鞴(ふいご)などの熱源まで持っていた。庭先に道具を並べて、穴に銅のようなものを溶かして、丁寧に叩いて伸ばしていた。しかしその後、物が潤沢になり、修理して使うこともなくなったから、すっかり姿を消した。「鋳掛け屋」はどんな仕事に転業したのだろうか。
いかけや
鋳掛け屋
生活の基本 衣と食と住
スルメのこと。「いが」と濁音化していた。イカといえば生の物も干物も含んでいたからスルメという言葉はなかった。八溝の30年代初めまでは、干した魚か中心で、生ものはほとんど無かったから、すべてが「いが」である。高校生になって、下宿をして、初めてイカとスルメの違いが分かった。
いが
烏賊
感情を表すことば
古い日本語で、江戸時代までは広く使われたが、標準語としては使われず、方言として残っている。大きい、厳めしいとか、厳(おごそ)かであると使ったが、今は「大きい」、「立派である」という意味とともに「甚だしい」とも使われる。久しぶりに親戚に行くと「ずいぶんいかぐなったなや」と驚き、褒められる。見かけが大きいだけでなく、態度も大人びてきたのである。一方で、「嵐で煙草がいがいごどやられっちゃった」(嵐で煙草が大きい被害になっちゃった)とも使う。大きいの意味では「でかい」「でっかい」が使われるが、いずれも「いかい」から変化したものである。
いがい
厳い
生活の基本 衣と食と住
喉越しが悪く、いぐいこと。ジャガイモの緑の部分を十分除去しないで煮たものは、「いがらっぽく」て食べられない。自宅で作るコンニャクもあく抜きが足りないものも「いがらっぽく」なる。スーパーで買ってくるものはきれいにあく抜きもされているから、これからの人たちには「いがらっぽい」という食味もなくなるであろう。
いがらっぽい
感情を表すことば
便所で息張ることではない。人の前で必要以上によく見せようとして力んでいることを言う。何事にも「息張る」人がいて、組内の常会などで自説を曲げないで頑張ると、長老から「いづまでいきばってんじゃねーよ」と注意される。今は注意る人もなくなり、「息張った」人の勝ちになるような近所付き合いになってしまった。
いきばる
息張る
冠婚葬祭と人々の繋がり
家計や個人の体調などの勢いのことをいう。「いきぶいがあがる」とか「いきぶいをふっかいし(吹き返す)た」などと使い、「あそこの家はずいぶん「いきぶい上がってんね」といえば、家政が盛んなことである。村落社会では他人の家の「いきぶい」は殊のほか気になり、常々自分の家と比較していた。
いきぶい
息ぶい
体の名称と病気やけが
気管のこと。「めど」は針めどと同じように、狭い穴のこと。急いで飲んで「息めどに水入っちゃった」と、むせかえるのであった。年を取ってからは餅が息めどには入らないように注意をしている。
いきめど
息めど
体の名称と病気やけが
広辞苑には「熱る(いきる)」とあり、蒸し暑くなる、ほてるという古い用法が載っている。この用法がそのまま残り、「今日はなんぼにもえきれるね(今日はひどく蒸し暑いね)」などと使っていた。そんな日は、「え(い)きり」にならないよう、梅干しに砂糖つけて、いつもより多くお茶を飲んだ。スポーツドリンクと同じ原理である。熱中症など「いきれる」ことで罹る病気そのものを「えきり」と言った。医学的な知識のない時代に、年寄りの経験は今の生理学にかなったものであった。
いきれる
熱れる
感情を表すことば
「益」には役立つこととある。意味を強める副助詞「も」に否定の「ない」の転訛した「ねー」が付いて「仕方がない」、「役に立たない」などの意味になった。「そだごとしたっていぎもねー(そんなことしても仕方ない)」と言ったり、「いぎもねごとしゃべてねで、ごっこと仕事しろ(くだらないことしゃべってないで、さっささと仕事しろ)」ということになる。
いぎもね
益もねー
農家を支える日々のなりわい
数を聞く時の「いくつ」が転訛した。「いぐっつになったんだ」と、年齢を聞かれることもあるし、「いぐっつ欲しいんだ」と個数を聞かれることもある。「いくつ」よりも、八溝の言葉の「いぐっつ」の促音便の方が響きがいい。
いぐっつ
感情を表すことば
表現的には「良くない」であるが、「よい」ということ念を押す際に使う。「これ、いぐね(いいだろう)」と、尻上がり調をさらに上げて確認する。「これよがんべ」と直接的な表現に対して婉曲的表現である。
いぐね
地域を取り巻く様々な生活
冬になると、畑に穴を掘り、藁で屋根を掛け、あらぬか(粗糠)などで根菜類を保存するという大事な仕事がある。「霜降んねうちにサツマいけどけ」と、特にさつまは保存には気づかいをした。凍らせてはだめだが、温かくしすぎると春先までには「そち」て腐れが入り、種芋にも不自由する。大根(だいご)も「ずがい(すが入る)」て黒くなってしまう。また、「わたばむ(すじが入り編みのように白くなる)」こともある。
いける
埋ける
生活の基本 衣と食と住
燃えている薪や炭を灰の中に埋めることで、酸素を断ち、それ以上燃えないようにすること。囲炉裏の残り火を寝る前に灰の中に埋けて、鉄瓶を載せておくと、翌朝まで温もりを保ち、熾(おき)は灰を取り除くと再び燃え出す。マッチを使わなくても済む。これを種火として、十能で竈(かまど)に運び、御飯を炊いた。
いける
埋ける
感情を表すことば
「悪い」とか「つまらない」など、自分が気に入らない時に使う。「あいつはいしけ野郎だ」と言えば、気にくわないことになり、さらに、「今年のさづま(サツマ)はいしけね」と言えば出来映えが良くないことである。人柄を含めて悪いこと全体に幅広く使う言葉である。茨城県の大子町など八溝地方では広く使われるが、県央地区では使わない。残しておきたい八溝言葉である。
いしけ
地域を取り巻く様々な生活
土壌を酸性からアルカリ性に改良するために使用した石灰のこと。葉煙草にもコンニャクにも石灰を使ったので、畑一面が真っ白になることがあった。どちらも病害がでやすい作物なので、土壌づくりが収量や品質に直接影響したので、「いしばい」は不可欠であった。購入した石灰の袋には「消石灰」とあったが、意味は分からなかった。いつから「いしばい」が「せっかい」となったのだろうか。購入する石灰の代わりに、カマドで燃やした後の「木灰(もくばい)」も大切な中和剤であった。
いしばい
石灰
子どもの世界と遊び
魚の漁獲法で一番シンプルなものである。石の陰にいる魚を気絶させるため、手頃な石を上から叩き付ける。ざこの類は直ぐに浮き上がってくるが、カジカやナマズなどは浮き上がってこない。浮き上がってきたものをいち早く捕まえて腰に下げた「はけご」に入れる。浮き上がった魚も、時間が経つと息を吹き返し逃げて行ってしまう。改修前の川は蛇行していて瀞場(とろば)も多く、魚影も濃く、どの石にも魚がいて空打ち(からぶち)になることはなかった。最も原始的で、しかも確率の良い漁法であった。
いしぶち
石打ち
感情を表すことば
「いじめ」は、一般的には、人が人に対する身体的あるいは精神的な苦痛を与えるときに使う。八溝では「いじめる」ことは人や動物に使うだけでなく、植物にも使っていた。「伸びてちゃみどもない(みっともない)から植木いじめておくか」と言って剪定をする。押さえつけると言うことで共通の意味になり、芯を止めることである。これなどは見栄えをよくするための作業で、決して悪意でない。
いじめる
苛める
感情を表すことば
広辞苑には、「茨城・栃木で腹が立つ」と出てくる。意地は仏教用語で、「心の働き」であるという。それがマイナスの感情になり、「手を焼く」などの焼くが付いたものである。親からは常々「先生にいじやかせちゃだめだぞ」と注意をされていた。父親が中学校に、叔母が同じ小学校に勤務していたのだから、当然である。また、会話の途中でなく、かなり感情が高ぶっている時に、「まったくいじやけんな」などと感嘆詞のように使うこともある。「いじやける」のは他人にばかりでない。自分自身がふがいない時にも「いじやけんな」と使う。
いじやける
意地焼ける
生活の基本 衣と食と住
挽き臼のことで、「いしうす」が転訛した。「Isiusu」の連母音のiが脱落して「いすす」となる。粉を買うようになったのは、高度経済成長期の昭和40年代に入ってからであろう。それまではどこの家庭でも石臼があり、団子を作る米粉、そばを打つためのそば粉など、すべて自家製であった。左手の親指で穀物を穴に入れて、右手で石臼の取っ手を回す。入れる量と回転する速度で粉の善し悪しが決まる。石臼の間から白い粉がこぼれ落ちる。石は御影石であった。「いすす」が家庭から消えたのに、そば屋では「石臼挽き」の看板を上げている所もある。製粉に際して高温にならない石臼の特徴を利用して、味の変化を抑えるためである。今は「いすす」が庭石のように植木の下に置かれている。
いすす
石臼
生活の基本 衣と食と住
囲炉裏のある部屋は仕切りがなく天井もない板の間であったから、夏は涼しくて良かったが、冬は雑巾が凍ってるほどの寒さであった。外から人が来れば丸見えである。爺さんは横座を動かなかったが、その他は序列に従って席があった。家族が一緒に食事を摂るが、憩いながら食事をするという雰囲気は無かった。早く「おわし」て席を立った。板の間は姉たちが雑巾掛けをしていたから、いつもピカピカだった。
いたのま
板の間
体の名称と病気やけが
怪我をすること。「痛い」という語がそのまま怪我をするという動詞になったもの。「転んで、膝っかぶいだぐしっちゃった(転んで膝頭を怪我してしまった)」と泣きべそをかいて職員室に行った。先生が水で洗って赤チンキを付けてくれた。直接的な表現で、生活実感が良く出ている言葉である。
いだぐする
痛くする
子どもの世界と遊び
一般に清音が濁音化する中で、反対に清音化している。先生から指示された当番が、「いちちかんめとさんちかんめが交代だと(1時間目と3時間目が交代だと)」という。自分が学校に勤めるようになってからも「いちちかん」と言っていた。漢字本来の字音とは違うが、清音の方がよい響きである。
いちちかん
1時間
農家を支える日々のなりわい
人数を数えることでなく、一人分という意味である。「今日は昼過ぎ雨だけど、手間は一人だ」と言って、午後はお茶でも飲みながら程良い時間に帰っていく。半日(はんぴ)しか働かなくても、手間は「一人」である。音読みをすることから、他所から入って来た言葉が残っていたものであろう。
いちにん
一人
生活の基本 衣と食と住
1里は4キロ、徒歩だとほぼ1時間の距離である。固い黒飴はほぼ口の中で1時間ほど溶けずに楽しめた。なかなか減らないという意味の「むそい飴」であったが、最後まで舐めていられず、途中で「食っちゃし(噛み砕い)」てしまった。今も黒飴が売られているが、一里飴とは表記されていない。
いちりあめ
一里飴
農家を支える日々のなりわい
何時(いつ)と、日は二日(ふつか)など「か」と読むことから、「何日」が「いっか」と転訛した。時間的には過去にも未来にも使う。「こないだ来たのはいっ日前だったけ」(この前来たのは何日前だっけ)」と質問する。さらに「いっかも待たすんじゃね」(何日も待たすんじゃない)とも言われた。
いっか
いっ日
農家を支える日々のなりわい
載せることや高い所に乗ること。「自転車(じでんしゃ)で土手にいっかちゃった」は、運転を誤って土手に乗り上げたこと。一方「いっける」を他動詞で使うと、「リヤカーに荷物をいっける」という。「いっかる」と「乗っかる」はどう区別したのか判然としない。
いっかる
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「居るかい」の転で、「居ますか」という他家をを訪問するときの挨拶。中にいる婆ちゃんは「居るよー。お寄りなんしょ」と言って招き入れる。表面的には敬語的な表現ではないが、親しい近所の人の付き合いにはふさわしい挨拶の言葉である。
いっけー
冠婚葬祭と人々の繋がり
子どもの成長を祝う行事。誕生して1年が経つと、一升餅を背負わせて歩かせる。祖母は後々まで一升餅を背負(しょ)って歩いたことをうれしそうに話してくれた。ただ一升餅を背負ったままずっと歩いていると良くないというので、わざと転ばせたという。理由は何であろうか。今では誕生前に歩く子もは珍しくなく、一升餅の行事も少なくなり、餅も名入りなどにしてお菓子屋に発注している。餅が貴重な時代であった。
いっしょうもち
一升餅
冠婚葬祭と人々の繋がり
一人前の人として扱われること。そこからさらに、「子どものくせしていっちょうめーの口利いて(子どものくせに一人前の口を利いて)」と、否定的な意味で言われた。実力以上に生意気な口を利くことである。「ちょべちょべ」していることと同じである。
いっちょめー
一丁前
生活の基本 衣と食と住
外出用の一番良い衣服。「いっちょらい」は「一張羅(いっちょうら)」の転訛。一張羅の語源は不明だが、「羅」は上等な布地を指したから、特別な衣服であろう。江戸から入ってきた言葉であろうが、漢字の字音が耳から入って転訛したものであろう。町に行く時は普段着と違う「いっちょうらい」を着ていった。
いっちょらい
一張羅
感情を表すことば
「いと」は『枕草子』で「春はあけぼの、いとおかし」と用いらている。「たいそう」とか「ずいぶん」の意味で、年寄りは普通に使っていた。今は聞くことはない。「前から比べれば病気もいっと良くなったよ」と言えば、ずいぶんよくはなったが、完全ではない状態である。「今年は小豆はいっといいよ」と言えば、前年に比較してかなりいい結果であったことになる。「あの人がいっと勉強ができるんだ」という時には「一等」の意味である。
いっと(いと)
農家を支える日々のなりわい
凍上すること。八溝地区は中生層の地質であったから、黒のっぽ地域の県央や県北に比べて霜柱が立つことが無く、地面が凍上することは少なかった。それでも、「いであがった」場所が「霜どけ」の時間になるとぬかるので、藁を敷いたり、あらぬかを撒いて、歩きやすくしていた。
いであがる
凍で上がる
体の名称と病気やけが
リンパ腺などにできる腫れ物を「いねご」と言った。脚の関節や耳の後ろにしこりができて、時には熱を出すこともある。裸足で遊ぶこともあり、けがをしても、十分な治療もしなかったから、傷の場所から細菌が入り込み、股の付け根のリンパが腫れて、しばしば「いねご」ができた。
いねご
生活の基本 衣と食と住
「燻(いぶ)す」は広く使われ、秋田名物は「燻りがっこ」である。これは意識的に燻すことで、保存食を作ることだが、意識的に燻すのでなく、風のない夕方、囲炉裏の他にカマド、風呂釜でも火を焚いているので、煙が家中にこもってしまう。目をしばたたかせながら「いびーな」と言って戸を開け放つ。この煙は藁屋根の燻蒸効果とともに、時には蚊遣火(かやりび)の代りともなった。
いぶい (いびー)
燻い
感情を表すことば
「今」に強意の「し」が付いたもので、「ちょうど今」の意味。「今し方帰ったばがしだ(今ちょうど帰ったばかりだ)」と言う使い方をした。「いましゃ」と転訛し、「今となっては」の意味で使われ、「いましゃ、子供らさづま(サツマ)じゃ喜ばねんだ(今は、子供らサツマでは喜ばないだ)」と婆ちゃんが世迷い言をしていた。
いまし
今し
生活の基本 衣と食と住
当てる漢字は不明である。米と麦を一緒に炊くと麦は半煮えになってしまう。そこで、米より先に「洗麦」して水に浸し、囲炉裏にかけて煮ておく。イマシ麦である。その後、米と一緒に焚けるつぶし麦(押麦)が登場し、「います」必要がなくなった。米よりも麦が多いご飯は、温かい時にはネギ味噌でおいしく食べられたが、冷えると粘り気がなくなってしまった。特に弁当にするとぽろぽろになって箸から落ちてしまうほどであった。麦は軽いので、炊き上がると、上の方になるから、4人分のお弁当は、下の方の米を詰めて、残りを米と麦を混ぜるので、朝飯は麦ばかりであった。
います
感情を表すことば
「いまよりもっと」の意。甘いお菓子に飢えていた時代に、米粉で出来た鯛の形をした引き物の「しおがま」などは文字どおり垂涎の対象であった。姉弟4人で分けると、残りは箱に入れて手の届かない戸棚の高い場所に隠される。「いまっとおごれ(もっとください)」とせがむのであった。
いまっと
農家を支える日々のなりわい
直近の今すぐから、かなり遠い将来まで時間的に幅が広い使い方をする。「いまに見でろ」となれば、近々にでも反撃したい気持ちを表す。親に物をねだった時「いまーに買ってやっから」と言われると、口約束で、半ば諦めることになる。それぞれ自分の都合に合わせて時間を伸縮させた。
いまに
今に
生活の基本 衣と食と住
米が十分でない山村の正月は芋串で過ごすのが習いでった。芋と言えばサトイモのことである。子供のころには、三が日が早く明けないかとばかり願っていた。正月に米でなく芋を食べる風習は畑作中心地で広く行われ、今でも正月には餅をつかない地域もある。「串芋」とは言わなかった。
いもぐし
芋串
子どもの世界と遊び
食い意地が汚い子どもを言った。「ぼ」は「食いしん坊」などの坊が変化したもので、蔑みの意味を持つ。戦後の窮乏期は、山間の農村では食糧事情は単調で、食うことに異常に関心があり、食い意地が張って、食える時には「腹十二分」食わないと気が済まなかった。決して人格的に「卑しい」のではない。時代がそうさせた。その結果、大人になってもゆったりと上品に食事をすることが出来ない。
いやしんぼ
卑しん坊
冠婚葬祭と人々の繋がり
一番奥の場所。特に沢筋の奥などの場所を指した。屋号が「いり」という家もあり、回覧板回しも大変な所であった。「いにさわ」と言っていたのは「入沢」のことで、一番奥の沢のことである。「入郷」など八溝の地形にあった地名の「入り」がつく所が多かったが、今はどこも空き家なっている。
いり
入り
農家を支える日々のなりわい
「うろ」の転訛。樹木の空洞や、浸食によって出来た川の崖の穴も「いろっこ」である。木の「いろっこ」には「ほろすけ(フクロウ)」がいたし、川の「いろっこ」には魚がいた。「いろっこ」に、ミミズを付けた釣り針を入れて根気よく待つと、思わぬことにウナギが掛ったこともあった。中が見えない分、子どもたちを惹きつけた。
いろっこ
洞
感情を表すことば
思わぬことでひどい思いをすること。「え」と「い」が混同し、「え」の方に近い発音であった。「お時雨(しぐれ)でえんがみっちゃた」と、「ひでめついた(ひどい目にあった)」と同じように用いる。仏教の因果応報に由来する言葉であるが、もとの意味はなく、自分の過失とは関係なく、ひどく困った時に使う。原因は自分のほうにありながら、結果が悪いと人のせいにして「えんがみる」と考えることが多い。時代とともに、言葉も自分の都合に合わせて使うようになり、信仰の力が薄れてきた。
いんがみる
因果見る
動物や植物との関わり
外来種のムラサキツユクサのこと。庭植えにすると丈夫で繁殖力もあり、切り花にしてもすぐに回復する。花が紫色をしていて、ブルーブラックのインキに似ていたのでインキ草と言っていた。「インク」でなく「インキ」と言っていたが、今でも会社の名前は「インキ」が使われている。
いんきぐさ
インキ草
冠婚葬祭と人々の繋がり
印鑑のこと。「印形付く」と言った。子どもの時期にも大人の世界では印形を押す機会があったのかも知れないが、宅配を含めて時代が進んだ今の方が印鑑を使用する機会が多くなった。家の中に三文判あちこちにある時代ではなかったから、印形は大事な時にだけ使った。すでに印形は死語となった。
いんぎょう
印形
子どもの世界と遊び
家の中は「いんなか」である。標準語では「内弁慶」のことである。学芸会で、家での練習はしっかり出来るのに、本番では上がってしまってを実力が発揮できないと、「おらちの子どもはいんなかべんけいで」と、親が、家では出来ているんだと弁解していた。外では大人しいのに、家庭では威張っていることにも使った。今も本番に弱く、「いんなかべんけい」の性格は直っていない。
いんなかべんけい
家中弁慶
感情を表すことば
「要らない」の転訛。大盛り御飯が出ると「俺(おら)そーだにいんえー」と断る。「いんねことすんじゃねー」と言われれば、必要以外のことをするなと言うことである。「要ること」と「要んねーこと」をきちんと区別するのは難しい。
いんね(ー)
要らない
農家を支える日々のなりわい
「犬の糞」が転訛したもの。「日の中」が「ひんなか」になるのと同じ。犬を放し飼いにしていたので、どこにでも「いんのくそ(犬の糞)」があった。役立たないものの代表であった。「いんのくそのようだ」と言われれば、本当につまらない人のことである。ただ、どこにもあったから汚いという感じはしなかった。
いんのくそ
犬の糞
冠婚葬祭と人々の繋がり
回覧板はあったが、急ぎの常会の開催などは伝言であった。大人が留守の時に、隣の婆ちゃんが言い継ぎに来て、何度も「だいじか。忘れねでいーつぎすんだぞ(大丈夫か。忘れないで言い継ぎするんだぞ)」と念を押された。家人に伝えることはもちろん、言い継ぎをしなくてはならないので、緊張したものである。隣に行って「今夜7時っから常会があんだと。言い継ぎお願いします」と間違いなく言い継ぎしてほっとしたものである。
いーつぎ