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子どもの世界と遊び

方言ではない。学校帰りなどにお店によってお菓子などを食べること。学校の近くに文房具や雑貨とともに駄菓子を売る店があったが、「買い食い」をすることは厳しく禁じられていたから、一度もしたことがなかった。そのせいか、今でも買い食いをすることはないし、一人で飲食店に入ることはない。子どもの頃から買い食いは悪いことだという教えが身に付いて、コンビニに寄ることもなく、まっすぐ帰る。

かいぐい

買い食い
体の名称と病気やけが

方言ではない。人に寄生する線虫である。今では全く無縁の存在だが、小学生のころは回虫検査があって、マッチの箱に便を入れて学校に持って行った。後日検査の結果を受けて「虫下し」を飲むことになる。しばらくして尻に違和感があり、母親に話したところ、30センチメートルもある白い回虫を引っ張り出してくれた。栄養が十分でない上に、回虫に住み着かれては成長に影響したことは言うまでもない。人糞を肥料に使っていたことから、生野菜などを通して人に寄生していたが、その後人糞を使うことがなくなり、日本の子どもからは回虫もほぼ絶滅した。

かいちゅう

回虫
農家を支える日々のなりわい

カギを掛けることで、方言ではないが、今は使われない言葉になった。錠前を掛けることも含むが、多くは支え(つっかえ)棒をして戸が開かないようにすることに使った。「ヤギ小屋のとんぼ(戸)にカギ支って来」と言われれば、ヤギが逃げ出さないように戸に横棒を渡す。厳重にカギを掛ける時には「固める」で「倉固めて来や」言われた。

かう

支う
動物や植物との関わり

オオバコのこと。人の通る道ばたに多く、背丈の高くなる他の雑草と生育場所を分ける。名前は葉形がカエルの姿に似ているからであろう。家の門場(かどば)の硬く踏みしめられた場所にもよく生える。ウサギを飼っていたので、毎日「カエルッパ」採りは欠かせなかった。舗装される前の轍(わだち)の間にはいくらでもあった。明治末に創刊された短歌結社「車前草社」が「かえるっぱ」からの名前だというのはずっと後で知った。道ばたの轍(わだち)の近くにあることから、踏まれても屈しないという意味であろう。吹き出物が出ると、婆ちゃんが火に炙って表皮をとって貼ってくれた。

かえるっぱ

蛙っ葉
動物や植物との関わり

馬だけでなく豚なども専門の種付師に依頼をして受胎をさせた。種付けに成功すれば「かかった」という。掛らなければ雌馬の様子を確認して又種馬を連れてやってくる。豚の種付けも来たが、馬ほどは興味がなかった。何といっても馬の迫力にはかなわない。、

かかる

掛る
生活の基本 衣と食と住

食事の準備のこと。「かきまし」がなぜ食事の準備の意味になったのか。「かきまわし」は家計のやりくり全体を指すが、狭く炊事のことの意味になったのであろう。嫁様方から「かきまし」の大変さをよく聞かされた。「かきまし」ばかりでなく、後片付けの「洗いまで」は、暗くて寒い土間の隅での仕事であったから、苦労も並大抵ではなかった。姑とぶつかるのも「かきまし」の際が一番多かった。育ちの違う女同士が一つ屋根で暮らすのは、どっちにとっても気骨の折れることである。「しゃもじ渡し」が済むまでは我慢の連続であったろう。

かきまし

掻き回し
動物や植物との関わり

繭玉を飾るミズキのこと。伐採すると切り株から水がしみでてくるほど水分を吸い上げる。このことから「水の木」とも呼んでいた。小正月の15日に枝先に繭玉を刺して竃の神「おかま様」にお供えする。水分を多く含むことから、火伏せの神様となったのであろう。繭玉は養蚕が順調であることを願った予祝である。また、ミズキは枝先が二股に分かれるので、子どもたちが「引っかけこ」をし、どちらが折れずに残るかを競う遊びに使ったので「かぎっこの木」と言っていた。

かぎっこのき

水の木
生活の基本 衣と食と住

自在鉤のことを指すが、鉄瓶や鍋の弦を直接掛ける鉤の部分だけでなく、ストッパーの役割の魚(横木)や、支え棒と言われる鉄の棒と、鉄の棒が上下する竹筒までの全体を「鉤っつるし」という。横木は魚をかたどったものが多いが、我が家のものは、一文字をデザイン化したシンプルなものである。一晩中鉄瓶を掛けたままにしておくと、「おともり(子守りのこと)と鉤っつるしは夜しか休めない」と婆ちゃんに叱られた。熾(おき)に灰をきれいに掛け、そのうえに鉄瓶を乗せておくと、翌朝まで余熱を保っていた。灰の下の燃えさしを掘り起こし、杉っ葉を乗せて息を吹きかければ燃えだし、マッチは不要であった。

かぎっつるし

鉤っ吊るし
生活の基本 衣と食と住

ポケットのこと。森鴎外の『舞姫』の中で、主人公がベルリン滞在中、洋服の「かくし」の中の金を女性に渡す場面が出てくる。明治になって洋服が普及するに従って、「隠し」と言うことばが作られた。我が家では叔母がミトンを編んでくれたが、多くの仲間たちは手袋が無いので、「かくし」に両手を入れていた。学校では「かくし」に手を入れていると叱られた。転倒の際に手が使えないからである。明治の新しい洋装とともに生まれた言葉は文学の世界に残るだけで、今は誰もがポケットと言う。短い生命の言葉であった。

かくし

隠し
子どもの世界と遊び

「かくれんぼ」のこと。ただ隠れている相手を探すのでなく、「缶蹴り」との組み合わせであった。庭の真ん中に空き缶を置いて、鬼が目をつぶっている間に、缶を蹴って、みんなが一斉に隠れる。見つけると「めっけた」といって戻って来て缶を踏む。探している間に他のメンバーが隙を見て缶を蹴れば捕まっていた仲間も隠れられる。隠れる場所はいくらでもあったので、鬼になったものの中には、なかなか見つからず半べそをかく子もいた。いつまで経っても終わらないのである。「かぐれっこ」にも、無意識の集団いじめの芽生えはあった。

かぐれっこ(かんけり)

隠れっこ
子どもの世界と遊び

徒競走のこと。運動会の華である。工作や音楽では全く自己発揮ができないでいたので、運動会が一番の見せ場であった。村の収穫祭を兼ねたような運動会で多くの人の前でテープを切るのは誇らしかった。リレーを含め、賞品の帳面を何冊ももらえた。中学生になり、地区の代表で県の総合グラウンドに行って走ったら予選落ち。周囲の選手たちはパンツに赤い線が入ったり、サポーターというものを履いていることも分かり、すっかり気圧(けお)されてしまった。大会の帰りに先生が東武駅近くの運動具屋で、「DM」のサポーターを買ってくれた。その後成長とともに、村一番もそれ程才能があるとは思えない機会に多く遭遇した。大人になって、指導する立場にとして、補欠に気遣いができるようになったのはこんな経験があったからであろう。

かけっこ

駆けっこ
地域を取り巻く様々な生活

冬になると巡回してきた。竹は家の裏にある孟宗竹や真竹を使った。庭先に筵(むしろ)を敷いて、竹を割り、小さい笊(ざる)や目籠(めかい)、大きな木の葉っ籠まで美事な手さばきで作り上げる。その様子を飽きずに眺めていた。竹の先が生きもののように躍動していた。家には様々な職人さんが来たが、大工さんが来れば、鉋(かんな)の透き通るような鉋っくずを手にとって感心し、将来は大工になろうと考え、篭屋さんが来れば篭屋になってみようと思った。考えれば、最も才能がない分野であった。

かごや

籠屋
体の名称と病気やけが

「かさぶた」が「かさっぽ」になったのであろう。衛生状態が悪く、しかも栄養が悪い時代にあって、子どもたちには「かさっぽ」がよく出来た。富山のどっけしや(毒消し屋)の置き薬も付けたが、薬がもったいないので、カエルッパ(オオバコ)を焼いて張り付ける民間療法をした。時にはそのままにしていたので、顔から頭まで「かさっぽ」だらけの時もあった。頭にも「かさっぽ」が出来て、禿になっていた友だちもいた。「禿かんぱ」である。

かさっぽ

瘡っぽ
感情を表すことば

いつになくきちんとした行動を取ること。「そだにかしこばってねで、お楽にしとごんなんしょ(そんなに畏まらないで、楽にしてください)」と来客に正座を解くように勧める。「平にしとごれ」ともいう。座ることだけでなく、行動全般にわたって「畏ばる」こともある。人の行き来が少ない山村では「畏ばる」機会がないから、改めての席では、臆せてしまって、必要以上に「畏ばり」、ぎこちない動きになる。

かしこばる

畏こばる
動物や植物との関わり

柏餅を包む柏の葉。カシワは寒冷地に多く、近所では我が家だけにしかなかったから、柏餅(かしゃもち)の季節になると葉を取りに近所の人たちがやって来た。カシワは春に新芽が出るまで、古い葉が枝を離れないことから、家系が途切れないという縁起のいい木であった。ただ、今は新暦で節句を祝うことから、葉が出る前での「かしゃもち」であるから、「かしゃっぱ」では包めないし、餅を町の饅頭屋で買って済ましている。カシワの古木は健在だが、家は途切れて無人になっている。

かしゃっぱ

柏葉
生活の基本 衣と食と住

部屋の角のことだが、角は「かく」でなく「かず」であった。古い家には押し入れがなかったから、蒲団は部屋の「かずま」に畳んで置いた。寝間着は蒲団の上に脱ぎっぱなしである。何でも「かずま」に投げ置くのは今でも同じである。

かずま

体の名称と病気やけが

広辞苑に載っているが、漢字は充てられていない。かぶれることを言うが、特に漆に「かせ」た時は「漆負け」という。また、流行や人の影響を受けたりすることにも使い、「不良仲間と付き合ってかせちゃった」などと使った。流行のファッションに「かせ」てマンボズボンをはいていた高校生も多かった。

かせる

農家を支える日々のなりわい

「今日は風っ吹きで寒みねー」と挨拶する。冬場は那須颪(おろし)が谷筋に吹き込んでくるから、川風の寒さは格別であった。藁屋根の一部が「ふんむける(吹き剥ける:かぜでめくれる)」こともあった。生け虎落(もがり)だけでは風を防げなかったので、冬場は家の北側に軒の高さまで藁の囲いの風除けを作った。子どもの経験から、さまざまな自然現象の中で少しのことでは驚かないのに、「風っ吹き」には敏感に反応するようになってしまった。

かぜっぷき

風っ吹き
生活の基本 衣と食と住

古語辞書には「け」に食の字を当て、食物また食事のこととあり、食器の笥(け)が食事の意味になったとある。「おけ」は笥におが付いたもので、桶と書く。「け」は朝餉(あさげ)や夕餉の「け」とし残っている。「片」は食事がいつもの半分の回数のことで、1食のことをいう。兼業農家の我が家では母が農作業をしていたので、小学校の高学年いなると飯炊きの仕事を任された。「始めちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣くとも蓋取るな」の教えを守り、火加減も上手になった。今は、自動炊飯器でタイマーをセットし、保温にしていけば御飯も傷むことがないので、「ひとかたけ(1回分の食事)」ずつ炊く必要もなくなった。

かたけ(き)

片食
農家を支える日々のなりわい

片付けること。「かたす」には移動するの意味があるから、動かして片付けることの意味になったと思われる。特に使った道具などの後片付けにの時に使った言葉である。衣服などの整理には言わなかった。「かたす」ことは全く得意でなく、使いっぱなしで人に迷惑ををかける習慣が今もそのままである。

かたす

農家を支える日々のなりわい

片側のこと。「片」は促音化され、片一方が「かでっぽ」となると同じである。アンバランスな状態を指す。背負梯子(しょいばしご)は真ん中に積まないと「かだっつら」が重くなって因果みる(辛い思い)ことになる。

かたっつら

片っ面
生活の基本 衣と食と住

「倉の鍵固める」など、戸を閉め、しっかりと施錠をすることをいう。確かなことにするのが語源である。農家では余所(よそ)の人が来ることもなく、近所の顔見知りだけのつながりであったので、留守の時も戸を固めることはなかった。ある時期から「戸締まり運動」が展開されたが、それは農村の社会が変わったことの証である。婚約も「口固め」と言った。

かためる

固める
冠婚葬祭と人々の繋がり

倹約して無駄をしないこと。褒め言葉でもあるが、時として蔑視の感もある。「かだぐしてっからのごっぺ(倹約しているから、金が残るだろう)」という中には、あまり付き合いの良くないことも含まれる。農家で代々財産を減らさず受け渡していくことが何より大事なことだが、程度を越えて固すぎると組付き合いもうまくいかない。頭が固い人もいる。婆ちゃんの「かだくしろ」というのは、必要な時には無理してでも払い、一方で無駄な支出はするなと言う明治の教えであったろう。

かだい

固い
体の名称と病気やけが

「かじかむ」が標準語で、手やあしが凍えて動きにくくなること。今よりも寒さが厳しく、冬の朝は氷点下10度以下になることも珍しくなかったから、手足の先はいつも「かちけ」ていた。手はメナシだらけ、メンタムを擦り付けたが、時には血が滲み出てきた。踵(かかと)のアカギレには火であぶった膏薬(こうやく)をなすり込んだ。今はスクールバスで通い、運転手さんが温めてくれているから、手足が「かちける」こともなくなった。その分、季節感や寒暖への感受性や順応力が落ちてきているのではないかと心配である。

かちける

悴る
感情を表すことば

勢いよく殴ること。「かっ」は接頭語として多くの語と接続して意味を強める働きがあり、「かっ飛ばせ」と応援もする。「食らわす」に「かっ」が付いたもので、勢いよく殴りつけること。実際には殴られることはなかったが、「ごだごだゆって(あれこれ言っている)とかっくらすぞ」と、しばしば叱られた。こう言われると仕方なしに我慢するのである。「ぶっくらす」、「はっくらす」と同じ意味である。

かっくらす

体の名称と病気やけが

特に女性が内股で歩くことで、ガニマタの反対。わざと上品に見せるために内股にする人もいたが、生まれつきの人もいた。クラスの仲間にも「かっこみあし」がいたが、みんなで平気で話題にしていた。当時の社会のせいではあったろうか、身体的な欠陥を言うことに対して注意する大人もいなかった。自身の至らなさだったと改めて反省している。

かっこみあし

掻き込み足
生活の基本 衣と食と住

掻き込むの促音化したもの。急いで食事をすること。何時までも時間を掛けて食事をしていると、「とっとどかっ込んで勉強しろ(さっさと食って勉強始めろ)」と言われる。何事にも集中していなかったから、食事も家族の中では一番最後になっていた。仕事の出来る人の条件は「早食い早糞」だった。

かっこむ

掻っ込む
生活の基本 衣と食と住

御飯をよく混ぜること。炊き上がった麦飯は温かい内に「かっ立て」ておかないと良く混じらない。御飯だけでなく、地表の雑草や藁を地中に埋めながら鍬で平に耕していくことにも使った。炊事から畑仕事まで場面に応じてさまざまに使い分けた。

かったてる

掻っ立てる
子どもの世界と遊び

捻(ひね)るは広く使われ、捻挫は手足などを捻ることで、スイッチやガスの栓も捻る。ただ「かっちねる」は皮膚を強く指で摘んで捻る時に使う。「顔かっちねられっちゃった」などという。遊びで「かちねっこ」もあった。ただ捻るのでは遊びにならないから、相手が困るほど皮膚をつねるのである。

かっちねる

かっ捻る
体の名称と病気やけが

「しゃがむ」に接頭語「かっ」が付いて、音韻変化した。しゃがむことで、腰をすっかり下ろすことではなく、普通に座ることは「ぶちかる(腰を下ろす)」と言っていた。地面に腰を着けないで屈み、両膝を揃えて「かっちゃがむ」のはコンビニの前で高校生がよくやっている。若いからできるので、体が硬くなった年寄りには無理である。

かっちゃがむ

子どもの世界と遊び

搔き裂くの転訛。爪が伸びていて、何かの拍子に自分の顔を「かっつぁく」ことでがあった。こども同士で喧嘩すれば「かっつぁかれっちゃった」と泣いて訴えるのである。こども園では「ひっかかれた」と言っている。都市部では「かっつぁかれた」とは言わないようだ。意味明瞭で、きわめて良い言葉なのに、すでに死語となっている。

かっつぁく

掻っ裂く
子どもの世界と遊び

人のせいにすること。本来は「被く」ことから来ていて頭に乗せる意味であるが、やがて嫌がることを人に押しつける、責任転嫁の意味となった。当地方では多くの言葉が濁音化する中で、反対に濁音が清音になった例である。「かっつける」と促音化したことにより濁音が清音になった。級友と喧嘩して先生に呼びつけられた時、友達どうしで責任を「かっつけっこ」し、ますます怒られることとなった。

かっつける

被ける
生活の基本 衣と食と住

炊事をする「お勝手」とは違う。煙草農家の勝手は、畳は敷いてあって一家の中心になる広い部屋で、天井は張ってなく、梁が露出していた。農家の住まいは住居であるばかりでなく、作業場であり、農産物の保存場所でもあった。「勝手」は、タバコの季節になれば畳を取り払って乾燥の場となった。人寄せの時には帯戸や襖(ふすま)を外せば宴会場となり、村祭りには映画上映もされた。使い勝手の良い部屋の意味であろう。

かって

勝手
体の名称と病気やけが

川にいる河童でなく、山仕事をして鎌で刈り払った後の鋭利な篠や木の株をいう。山仕事ばかりでなく、子供たちも川や山であ遊んでいる時、足中草履(あしなかぞうり:足半分の短いぞうり)なので、足に突き刺し、「血だら真っ赤」になることが多かった。
今は草刈り機であるため、切り跡が鋭利でないので、「かっぱ」を踏んでも突きとおすことはないし、靴底もしっかりしているので、よほどでないと「かっぱ」をふんぬき(踏み抜き)をすることはない。

かっぱ

生活の基本 衣と食と住

単に剥ぐだけでなく勢いよく剥ぎ取ることを言う。「布団かっぱかれちゃった」などと使う。また、畑仕事でも鍬で表面の雑草や藁などをカッパイてから丁寧に耕した。この仕事は力が要ったので単に剥ぐでなく、「かっぱいた」のである。今は力仕事が要らなくなったことから使わなくなった言葉である。

かっぱぐ

かっ剥ぐ
体の名称と病気やけが

「へずる」は、削り取ることで、「かっ」は意味を強める接頭語。「かっ飛ばす」などと同じ。体を「かっぺずる」は擦過傷を作ることである。膝っかぶ(膝頭)はよく「かっぺずり」、今も傷が残っている。

かっぺずる

感情を表すことば

「かっ」は接頭語で、意味を強める。「ぺなす」は「貶す(けなす)」ことの転訛。人の悪口を言ってさげすむ意味である。子ども同士のいさかいの原因は、「かっぺなした」とか「かっぺなされた」ことから起こることがしばしばだった。

かっぺなす

かっ貶す
体の名称と病気やけが

穴をほじることに「かっ」が付いたもので、意味が強まっている。注意散漫であったり、他人の通告を無視していたので、「いい加減に聞いてねで、耳かっぽじって聞いとけ」と注意された。地方の言葉らしい響きがある。

かっぼじる

かっ穿る
感情を表すことば

「かっ」は動作を勢いよくするときに使うので、「ホームランをかっ飛す」時にも使う。「かっぽる」は物を勢いよく放り投げることともに、「かまねからかっぽっとげ(構わないから放置しておけ)」と、良くない状態をそのまま放置しておくことにも使う。自分の都合の悪いものはどうしても「かっぽって」て先延ばしをしたくなる。
野球解説で「いいボールを放っている」と言うが、何か語感に違和感を覚える。ストライクゾーンに狙って投げるのだから「放る」とはずいぶん違う。

かっぽる

かっ放る
生活の基本 衣と食と住

「かてる」は加えること。「かてて加えて」と言う語がある。米不足で米を助けるため、大根やサトイモなどを混ぜた御飯のこと。農家でありながら、米の供出を出来るのはごく一部であった。自給が精一杯であったのに、国全体の食糧不足に対応するため、米の供出が義務づけられ、どの家でも「かて飯」が当然であった。うまいまずいなど言っていられなかった。誰もがそうだから不満もなかった。

かてめし

糅飯
農家を支える日々のなりわい

二つの中で片一方のこと。何事にもきちんとしていなかったから、手袋の「かでっぽ」をどこかにしてしまうのは日常的であった。「なんだ今日もが」と叱られる。育ちのせいで、今も靴下の「かでっぽ」がどこかに行ってしまうことが多い。

かでっぽ

片一方
生活の基本 衣と食と住

「生」の鰊(ニシン)のこと。今は生のものもニシンと括られているが、子どもの頃は区別していた。普段は干してカチカチになった鰊を、米の磨ぎ汁で灰汁抜きをして食べていた。時たま生の鰊が食膳に載った。時にはたっぷりと卵が入っていた。「かどの子」であり、今は数の子と言われている。熱々の「かど」に大根刷りと、醤油をたっぷり掛けて食べるものが最高の御馳走であった。海産物とは縁の薄い地域で「かど」と「にしん」がどうして区別されたのであろうか。

かど

生活の基本 衣と食と住

道路から庭先までの門道のこと。婆ちゃんは「いんなか(家の中)は見えねげど、門場きたねど(汚いないと)見場悪いーがら」と殊の外、門場を気にしていた。我が家の門場は50メートル以上あったので、草が生えると、草むしりが大変だった。無人になった今は除草剤の世話になっている。それでも門場だけはきれいにしている。婆ちゃんの教えである。

かどば

門場
動物や植物との関わり

ヒグラシのこと。「カナカナ」と聞こえるので、そのまま名前となった。ミンミンゼミは「みんみん」、ツクツクボウシは「おしっつく」である。その他のアブラゼミの類は「じり」である。形状や鳴き声での命名が一番感情を共有することができる。夕暮れに「かなかな」を聞くと、日中の暑さが忘れられる。うるさいほど鳴いた蝉の類が少なくなったのはなぜだろうか。夏の風情が一つ減った。

かなかな

地域を取り巻く様々な生活

「金沓」は蹄鉄(ていてつ)のこと。どの家にも馬がいたので、村に一件だけあった金沓屋が巡回して、伸びた爪を切り、新しい金沓に取り替えていった。金沓は大きな釘で留められていた。爪を切る独特の鎌状の刃物があった。取り外された古い金沓は回収して再び焼き直して使ったのであろう。兼業農家の我が家では昭和30年頃には馬がいなくなり、厩の跡は子どもたちの「勉強部屋」となった。

かなぐつや

鉄沓屋
感情を表すことば

標準語として、腕力や勉強で敵わないこともあったが、驚きの意味で「かなねよ」と言う時にも使った。さらに「悪さばーしして、あいつにはかなねよ(悪いことばかりして、あいつには参ったもんだ)」と、手に負えない、という時にもにも使う。

かなね(ー)

敵ねー
冠婚葬祭と人々の繋がり

馬頭の町は、周囲の農村を相手とする商業の町であった。さらに茨城県と那珂川の河岸を繋ぐ「大子街道」(茨城では馬頭街道)の中継地としての機能も持っていた。このような町の一般的な特徴として、出入り口は曲金(まがりかね:曲尺のこと)のように直角に曲がることになる。「かねんて」である。鉤の手でなく、大工道具の曲尺(かねじゃく)の「かね」である。町議会で「曲んての道路改良」について議題があった。今でも使われる言葉で、半ば地名になっている。

かねんて

曲ん手
冠婚葬祭と人々の繋がり

旧暦の12月1日の朝になると、祖母に連れられて下を流れる川に行った。パンツをまくられて尻を凍えるような水に漬けられた。子どもが水難に遭わないようにとの祈願であった。子どもの頃は、「川浸り」が「かぴたり」であることは分からなかった。「かぴたり餅」を搗いて川に流し、それを拾ってきて焼いて食べるのも習わしであった。

かぴたり

川浸り
動物や植物との関わり

株のことで、広く東北から北陸、中部地方まで使われているという。「かぶつ」の「つ」はどういう意味だろうか。「かぶつ」は単に切り株だけでなく、広く立っている草木の根方も指す。大きな神社のイチョウの根が盛り上がっていれば「でっけいかぶつだな」という。同じく、「稲のかぶつ」という時には、切り株も指し、また刈り取る前の株も「かぶつ」であった。

かぶつ

株つ
生活の基本 衣と食と住

標準語のかぶれるではない。御飯など食べ物にカビが生えて饐(す)え臭くなること。夏などは、煮ておいたサツマが翌日にはカビが生えていることがあった。夏場はすぐに痛んで「かぶれ」てしまうが、まず臭いをかぎ、さらに色が変わっていないかと、鼻と目で食べられるかどうか判断をした。時には口に入れて確かめ、酸っぱければ吐き出した。今は賞味期限を見ながら判断をするから、食べられるものまで捨てることになる。

かぶれる

子どもの世界と遊び

壁のように固まった垢(あか)や泥の汚れ。綿入れ半天の袖は洟(はな)で「かべっかす」だらけでペカペカであった。鼻紙などを持っている子はいなかったから、手鼻の上手でない子は袖で拭くことになる。風呂も毎日でない同級生もいて、肌に「かべっかす」が付いていた。ここ半世紀の日本は、何事にも過剰に潔癖になっているのではないか。神経質すぎる。

かべっかす

壁っ滓
地域を取り巻く様々な生活

目の細かい筵(むしろ)を袋状にしたもの。様々な穀物などを入れて保存した。塩もかますに入ったものを買った。1袋20kgほどあったろうか。塩は湿気を含んで大きな塊となり、少しずつ削るようにして使った。かますを2本の棒を渡した桶の上に置くと、水分を含んで苦汁(にがり)が出来て、溜まるので、自家製の豆腐を固めるのに使った。買うような豆腐にはならなかった。

かます

冠婚葬祭と人々の繋がり

旧暦の7月1日、地獄の釜の蓋が開き、先祖様が戻ってくるお盆の始まりとした日で、今は月遅れ盆に合わせて8月1日に行う。この日はおまんじ(おまんじゅう:炭酸饅頭)をお供えした。仏様には失礼だが、この日がどういう意味であるかは分からず、ただ饅頭が食べられることだけがうれしかった。饅頭はたくさん作って、ざるに入れて、風通しのよい北側の軒下にぶら下げて置いたが、翌日には餡こが饐(す)え臭かった。

かまっぷた

釜の蓋
感情を表すことば

標準語「構う」の打ち消しの「構わない」の転訛。接頭語「され」を付けて「されがまね」と、意味を強める。「それまじーんじゃねげ(それはまずいんじゃないか)」と制止されても、「なんで、されがまね(なんでかまうもんか)」と強行した。何事につけ、自制心がなく「かまごどね」と強引なのは今も変わらない。「かまう」は意地悪をしていじめたりすることや、ものごとにこだわることにも使う。「いづまでもかまってんじゃねよ」と注意される。

かまね

構ね
農家を支える日々のなりわい

『広辞苑』には、福島や茨城でも使われている言葉として、「物忌みの日。部落が共同で農作業を休む日」とある。農村では、横並びの意識が強く、1軒だけ農事を休むのは気が引ける。集落全体で農事を休む日を決めておけば気が引けず休むことが出来る。神社からもらう神宮暦には忌日がたくさん記されている。また、集落独自の祭日もあり、時には「雨っ降り神事」もあった。神様のせいにすれば、抜け駆けは出来ない。今は他人お休みには関心がない。

かみごと

神事
農家を支える日々のなりわい

無一文のことで、標準語である。「空」は何もないことで、「からっつね(空脛)」などの接頭語として使われる。「けつ」にはビリの意味があり、さらに「けつの穴が小さい」となれば小心でけちなことを指す。しかし、「何もない尻」が無一文の意味になるのはどうしてか。子どものころは誰もが「からっけつ」だったが、お金を使う場所もなかった。みんな平等に貧乏な時代は、かえって良かったのかも知れない。

からっけつ

空っけつ
冠婚葬祭と人々の繋がり

手土産なしの手ぶらで余所に行くことで、「からってんぼで来ちゃって」と言い訳する。初めから用意をするつもりでなくとも、挨拶用語として使い、もてなす家人も「なんで、そうだごとかまねんだよ(どうして、そんなこと構わないんだよ」と受け応える。当時は、家屋が中まで見える解放感のある構造であったから、隣近所の行き来も多く、年寄りたちも半日もおしゃべりしていた。今は玄関から上がり、客間もあるので、改めてでないと余所を訪問することに気兼ねが要り、「からってんぼ」では行きにくくなった。

からってんぼ

空手棒
冠婚葬祭と人々の繋がり

「3時絡まり」と言えば、3時前後のこと。時計がない時代だから30分遅れぐらいは許された。年齢や時間には使う。ただ、場所についての「付近」という意味では使わない。学校教育で時間に厳しく教育されるようになって、「からまり」では済まなくなって、言葉も死語になった。残しておきたい上品な言葉である。

からまり

絡まり
農家を支える日々のなりわい

雨が降らない雷のこと。県内の平野部ほどではないが、「八溝雷」の発雷が多かった。煙草農家などは空を見ながらの農作業であった。雷雨は時として乾燥していた畑地を潤す慈雨でもあった。ただ、「空雷様」は、お湿りにもならず、「空雷様は落っこちるから」と恐れら、金属の農具を持つ作業などは早めに切り上げた。

かららいさま

空雷様
体の名称と病気やけが

「からわけ」は装飾のない食器で、京都のお寺で「かわらけ」投げをしている所もある。古代の釉薬(ゆうやく:うわぐすり)を使わなかった時代の名残であろう。この装飾のない土器から、まだ陰毛が生えてなく状態を指す言葉となった。「おめーまあだかわらけだ(お前はまだ陰毛が生えていない)」と言われ、何事につけ奥手であったため、川遊びなどの時には恥ずかしい思いをした。少年時代には、相手が「かわらけ」であるかどうか意識しながら、必要以上に股間に関心を持っていた。

かわらけ

瓦笥
子どもの世界と遊び

空き缶のこと。「かんかん」とも言った。今は危険物として毎週ゴミに出しているが、当時は缶詰を食う機会が少なかったから、空き缶も重要な遊び道具であった。缶蹴りはなぜ缶でなくてはならなかったのか。他にも同じ機能を果たすものはあったはずだが、自然素材でなく、「買ったもの」の一部であることに意味があったからであろう。同じ大きさの缶を左右に紐で結ぶ「ぽっくり」も作った。

かんから(かんかん)

動物や植物との関わり

一般に八溝地方では、言葉を短くする傾向があるが、逆に一音では落ち着かないで「かんめ」とか「かんかんめ」となった。蚊取り線香や網戸も無い中で、背戸の竹藪からヤブ蚊が侵入し、羽音をさせながら家中を飛び回った。夕方になると家の中で青い杉っぱを燃やして煙を立てて蚊を追い出していた。中にいる家人も煙くてたまらなかった。古典にも「蚊遣火(かやりび)」と出てくるが、そんな上等な言葉は使わなかった。当時はキンチョウの蚊取り線香などは見たこともなかった。ただ、その後にスプレー式の殺虫剤が出回ったが、広い家では効果がなかった。夜は戸を開け放し、蚊帳の中に固まって寝た。

かんかんめ

農家を支える日々のなりわい

代金を払ったりでなく、数を数えること使う。「いぐっつあるがかんじょうしとげ(いくつあるかかぞえておけ)」と言われる。勘定という江戸言葉が、金銭出納の勘定の意味でなく、数を数えるという面だけに使われるのはどうしであろう。日常的に金の出し入れをしない村の生活からであろうか。買い物も年に1回の煙草の納付払いにしていた。ずいぶん割高な買い物をしていたのである。利子などを「勘定」していなかったのである。

かんじょ

勘定
生活の基本 衣と食と住

「かんそういも」でなく「かんそいも」である。太白(たいはく)という白色の品種のサツマイモは「かんそいも」のために作付けしたもので、普通に食べては甘みが無く粘り気もなかった。収穫したサツマイモをしばらく乾燥させ、蒸籠(せいろ)で茹でて、斜め切りして筵(むしろ)に並べて庭中に干した。放し飼いのニワトリに「かっちらかされない(蹴散らかされない)」ように気をつけなくてはならない。干し上がったイモを缶に入れておくと白く粉が吹いた。晩秋から冬のおやつとして最高であった。固くなったものを囲炉裏で焼いて食べると、またひと味違った。最近の「かんそいも」はお菓子のように甘い。昔の味ではない。

かんそいも

乾燥芋
地域を取り巻く様々な生活

煙草農家では、母屋よりも大きな乾燥場が必要であった。葉煙草の幹に竹釘を打って竹の竿につり下げて火を焚いて乾かす「幹干し」をすることにも使い、一枚ずつ縄に挟んで庭先で乾燥させるたものを取り込んでおくことにも使った。耕作面積の大きな農家は、その分大きな納屋が必要であった。煙草の収納が終われば子どもの遊び場にもなった。今はタバコの耕作者皆無となり、トタン屋根が赤さびた大きな「かんそば」が目立っている。国策で勧められたものが、時代に取り残されている施設の典型である。

かんそば

乾燥場
冠婚葬祭と人々の繋がり

かわいい跡取りは「かんぞう息子」である。可愛がられた分、気遣いの出来ないのんびりな性格になる。「ぞう」は、可愛がられて育った「末子の馬鹿ぞう」と共通するものか。やや蔑視されるような点も共通している。

かんぞ(う)

生活の基本 衣と食と住

今でいうワンピースのこと。洋裁を習ったものなら、誰でも簡単にできることからの命名。もちろん子どものころは意味が分からなかったが、旧来のものとは違って新しいファッションで新鮮であった。町の洋裁学校に通っていた人たちが広めたのであろう、旧来の「もんぺ」などとは違って柄も大胆でカラフルであった。我が家では叔母が学校に勤めていたので、近所では珍しかったミシンを買って「かんたんふく」ばかりでなく、甥っ子のズボンなども縫ってくれた。当時のミシンは今でも座敷の良い場所に残している。

かんたんふく

簡単服
生活の基本 衣と食と住

寒竹笊(ざる)のこと。細くて丈夫な寒竹は近くの土手に生えていたので材料には事欠かなかった。冬になると年寄りが庭先で大小様々な寒竹笊を編んだ。竹を割って編んだ笊より丈夫で、しかも水切りがよかったので、うどんやそばを茹で、水で洗った後にぼっち(小さな山)にしておくのには最適であった。葬式の時にはうどんをたくさん茹でて、寒竹に並べて会葬の近親者の昼食にした。ただ、時間が経って表面が乾いたうどんは、喉に詰まってどうしても好きになれなかった。子どもの頃の体験から、幅の広いうどんが嫌いになってしまった。

かんちく

寒竹
体の名称と病気やけが

禿げのことだが、年寄りの禿には使わなかった。傷などで毛の生えていない仲間を「はげかんぱ」と言っていた。所々に禿げたところがある場合は「砂利かんぱ」である。多くは病気の後遺症であったのだろう。五厘の短髪であったから余計に目立った。

かんぱ

生活の基本 衣と食と住

本来「干瓢」は、ユウガオを薄くそいで乾かした食品を言うが、八溝ではユウガオそのものも「かんぴょう」である。石橋や壬生の方から栽培法が伝播した物であろうが、ユウガオという名前は伝わらなかったか、伝わっても定着しなかったのか。天気の良い日の早朝に実を取ってきて、庭先で特別大きい専用の包丁で輪切りにし、中心部の綿を除いて、掌に入るほどの小さな鉋(かんな)を左手に持ち、右手で外側に回しながら薄く削(そ)いでいく。竹竿に干したかんぴょうは竹に貼り付いてしまわないようにひっくり返す。家庭用の保存食で、翌春の遠足の干瓢巻きにも使われた。「ワタ」の部分は汁の実にした。婆ちゃんの手伝いの「かんぴょう」干しの作業は好きだった。

かんぴょう

干瓢
生活の基本 衣と食と住

ジャガイモのこと。福島県より北の東北地方から茨城県、さらに栃木県の那珂川沿いの芳賀郡を中心に使われる。「かんぷら」は八溝方言がどこの地域との関連が多いかを考えるうえで貴重な言葉である。かんぷらの語源はオランダ語の「あんぷら」が転訛したものという。今はジャガイモであるが、この言葉もインドネシアのジャカルタが語源であるという。塩を入れた五郎太煮の熱々の「かんぷら」は美味しかった。

かんぷら

地域を取り巻く様々な生活

葉煙草を幹に葉を着けたまま屋内の屋根裏に干ほすこと。この作業を「きがけ」と言った。字は「木掛け」であろうか。縄のより目に合わせて一枚ずつ挟んで屋外で乾かす「連干し」と作業が重ならないようにしたもので、ゆっくりと屋内で乾燥させた。干上がると屋根裏から下ろして、幹から外して何枚かまとめて藁で縛っていく。手間の掛る仕事であった。我々世代の農家の後継者は、労働力を必要とする葉タバコからコンニャク栽培に切り替えるようになった。それでも田所の農家との収入差は歴然であった。

かんぼし

幹干し
生活の基本 衣と食と住

今の我が家で一番優しい声はは「お風呂が沸きました」という自動アナウンスである。そのまま適温の中に浸かることが出来る。子どもの頃のお風呂は、薪が豊富であったことからか、木の桶の中に鉄製の釜が埋め込まれている「ひょっとこ風呂」であった。釜の外形にが「ひょっとこ」に似ていたことでの命名。風呂燃ししながら何度か風呂の中を攪拌して上下の温度差を無くし適温にする。そのため「かんまし棒」が必要であった。町の荒物屋などでも売っていたが、我が家では棒の先に板を打ち付けただけの手製であった。一番風呂は決まって爺ちゃんで、熱いのぬるいのとうるさかった。

かんましぼう

搔き回し棒
生活の基本 衣と食と住

掻き回すの転。お風呂を「かんまし」て、上と下の温度差を調整する。ただ、鍋の中の具は「かんまぜる」で、「かきます」とは言わなかった。「回す」と「混ぜる」の違いであろう。「かんます」は人ばかりでなく、「かんまし屋」といって、人間関係を複雑にすること喜びとする人もいる。

かんます

掻ん回す
農家を支える日々のなりわい

人の皮膚、果物の皮などを含む。語源は「皮」に、場所を指す「辺」が付いたもので、表面のこと。怪我して膝の「かーべ」が剥けてしまうこともあるし、夜なべをして、干し柿を作るため、蜂屋柿の「かーべ」剥きもした。和紙の原料となる楮(こうぞ)の皮は「表皮(ひょうひ)取り」と言っていた。業界用語であったろう。

かーべ

子どもの世界と遊び

川幅も狭く水量も多くない川は、子どもたちに取って格好の遊び場であった。所々にトロ場もあり魚影も濃かった。子どもたちが協力しあって「土木工事」をして流路を替え、川を干上げて魚を捕ることもあった。流れに負けない大きな石を中央にして積み上げ、水漏れのないよう砂利で間をふさいだ。いわばロックヒルダムである。だんだん水が減っていく時のわくわく感はたまらなかった。子どもたちの協調性が育つ場面であった。一番捕れたのは雑魚であったが、後に正式な名前がウグイであることを知った。

かーぼし

川干し
感情を表すことば

がおる

我折る

『広辞苑』には、「閉口する、あきれる」とあり、さらに東北地方では「衰弱する」と、記されている。八溝地方のことばを含めて栃木県の大半は東北地方の南部と共通する言語圏であるので、「閉口する」という意味でなく、心身ともに元気がない様子を表す際に用いる。成績が振るわず先生に叱られて「がおる」こともあるし、風邪を引いて「がおる」こともある。今は使わない言葉になってしまった。

子どもの世界と遊び

がぎめ

餓鬼め

餓鬼道に落ちた人のことから、さらに子どものことを罵って言う言葉で、「この糞餓鬼」と怒鳴られることがある。しかし、罵り言葉でなく親愛の意味を含めて子ども全般を指すこともあり、爺ちゃんは「餓鬼(がぎ)めらの分も取っとけ」と孫たちにに対して配慮をしてくれた。「がき」には親愛の情を込めている印象があり、ついついこども園で「餓鬼めらの分も取っておいて」などと言ってしまうことがある。お母さん方が聞き及んだら、親愛さを感じ取ってもらうどころか、差別言葉にとられてしまう。

動物や植物との関わり

がさやぶ

がさ藪

藪を通れば葉擦れの音が「がさがさ」することからの擬音語であろう。日常的に野山が遊び場であったから、がさ藪を気にしていられない。キノコ採りのためには、できるだけ人のいないところに行くために、両手を顔の前にして、篠や藤蔓を分けながら泳ぐように前進する。軍手など無いから、手はいつも引っ掻き傷だらけであった。登山の藪こぎは苦にならないし、誰よりの上手であった。子どもの頃のがさ藪で遊んだ経験がものをいっている。

農家を支える日々のなりわい

がっちゃんぽんぷ

がっちゃんポンプ

ポンプの操作音からの通称で、正式名は「○○式手押しポンプ」というのであろう。30年代には村内にも、鍛冶屋から転業したポンプ屋が出来た。新生活運動により、婦人会を中心にしてポンプの導入が進められ、一気に普及した。ポンプは時々弁が故障して空気が漏れ、上から薬缶(やかん)で水を入れ、バルブを湿らせ何度か小刻みに上下させて復活させた。その後直ぐに高性能のポンプが出現し、さらにモーターのポンプに代り、「がっちゃんポンプ」は姿を消した。町の水道が布設されてからは井戸は顧みられず、我が家には動かなくなったモーターとがっちゃんポンプが放置されている。

農家を支える日々のなりわい

がと

「がところ」の転訛。助詞「が」は数を表す言葉に付いて分量を表し、さらに値段の範囲を示す。「100円がとおごれ」と、難しい漢字の「寶」と書いてある焼酎の量り売りを買ってくる。店では量り売りや個包装されていないばら売りが多かったから、「がと」を使うことが多かった。

子どもの世界と遊び

がばん

鞄(かばん)

「かばん」の濁音化。子供の頃から耳慣れていたので 勤めてからも「がばん」の発音が出て、「がばん持って帰れ」と八溝語が出てしまった。子供の頃に「画板」は使ったことがないから言葉もなかった。昭和25年入学、親戚が買ってくれたのか、数少ないランドセル通学であった。

地域を取り巻く様々な生活

がぼし

手刈りした稲束を「はって(稲竿)」に掛けて露天干しをすること。「架干し」の意味か。コンバインが普及するまではどの農家でも「がぼし」をした。今でも乾燥機よりも天日干しの「が干し」が美味しいと、わざわざ「はってがけ」をする農家もある。最近の稲作の機械化はめざましいものがある反面、稲作文化の伝統がすっかり失われてしまっている感じがする。

感情を表すことば

がらんぽ

人や物の存在が希薄であるとか、空虚である状態。学校から帰っても誰もいない家は「がらんぽ」で自分の家とはいえ、寂しさを感じた。物がない場所も「がらんぽ」で、米びつに米が入っていなければ「がらんぽ」の状態である。ただ、瓶など小さなものに、何も入っていなければ「からっぽ」と言っていた。

農家を支える日々のなりわい

がれじ

ガレージ

バスの車庫。婆ちゃんは国鉄バスを「しょうゆバス」と言っていた。鉄道省のバスの名残がまだ戦後も使われていた。馬頭の町まで行く時に、終点の「がれじ」で降りた。小学生で、「がれじ」が英語であることは全く意識していなかったが、婆ちゃん世代もバスの終点が「がれじ」であって、英語だとは思っていなかった。バスという新しい交通手段と新しい言葉が一般に普及したのであろう。その後、何でも英語表現にする風潮の中で、停留所は「馬頭車庫前」になったのはどうしてだろうか。

冠婚葬祭と人々の繋がり

がわ

当事者以外の周囲の人。「がわがうるせから(周囲がやっかいだから)」と近所に気を遣うことが多かった。「がわ」は人だけに使うのでなく、機械のカバーなどにも使った。当時の農機具はよく壊れた。「エンジンのがわが外れちゃう」ことも多く、農家の人は農機具修理にも精通していた。

農家を支える日々のなりわい

がん

岩盤ば露出しているところ。また露出している岩盤。我が家は、浸食された段丘上にあったから、地面を掘ると直ぐ「岩」に突き当たった。杭を打つのも一苦労で、鉄ん棒で穴を掘ってから打ち込んだ。大人たちが話していた「がん」という響きが今も残っている。

農家を支える日々のなりわい

がんくび

雁首

標準語である。煙管(きせる)の頭の形が雁の首に似ていることからの命名。爺ちゃんが刻み煙草「みのり」を吸っていたので、雁首の火皿に詰めて囲炉裏の燠(おき)を火箸に挟んで火を着ける。吸い終わると囲炉裏の炉縁(ろぶち:お茶道具ではない)に雁首を叩き付け、灰を落とす。時々煙管に溜まった脂(やに)を取るのが孫の仕事であった。細い藁を吸い口から雁首に通して擦り取る。煙草を吸う爺ちゃんを見ていて、大人になっても煙草は吸わないようにしようと思って、ずっと吸わないで済んだ。

感情を表すことば

がんす

「ございます」の意。子どもの頃にはすでに年寄りの言葉であった。江戸時代に使われ言葉が八溝に伝播し、戦後まで使われていた。「孫が学校上がって、よがんしたね(孫が学校に入学して、よかったですね)」と婆ちゃん同士が話す。無敬語地帯と言われる八溝でも「なんしょ」などとともに貴重な敬語表現であった。

生活の基本 衣と食と住

がーこん

脱穀機

足踏み脱穀機のこと。音がガーコンと鳴ることから、通称ガーコン、あるいはガーコンガーコンといっていた。千歯扱きから脱穀機への転換は大きな変化であった。お陰で「稲扱き(いねこき)」が言葉だけになった。足でペダルを押しながら、籾が残らないように、稲束を手で回転させながら、V字状の金具が埋め込まれているドラムに当てた。稲だけでなく大豆や小豆の脱穀にも使った。その後モーター式のものに替わったが、兼業農家の我が家では、足踏み脱穀機の「がーこん」で終わりであった。

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