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九州

1_09 関門海峡 海底歩道

<赤間神宮の竜宮門>

小学生のころからの野球マニアで、中でも、選手のメンコを集めるほど下関を本拠地とする大洋ホエールズのファンでした。対岸の門司にはノンプロ名門の門司鉄道管理局があるのも知っていました。今は、二球団とも名称が変わり、本拠地も変更されています。

下関/下関は明治まで赤間関(あかまがせき)とも呼ばれ、しばしば歴史に登場します。その第一幕は、壇ノ浦での源平合戦です。『平家物語』に、平清盛の妻二位の尼が孫の安徳天皇を抱いて「波の底にも都の候ぞ」と、入水する場面があります。海を望む高台には「波の底の都」をイメージした赤間神宮があり、安徳天皇を祀っています。

幕末に再び歴史に登場します。萩藩が関門海峡航行中の英船を砲撃したことから、英米仏蘭4か国連合軍が下関を占拠します。外国の戦力を目の当たりにした萩藩は、攘夷から倒幕へと転機し、明治維新への原動力となりました。

さらに、明治維新から四半世紀後、日清戦争で戦勝国となった日本は、下関で、台湾割譲などの講和会議を行い、「下関条約」を締結しました。

大洋ホエールズは、捕鯨業が盛んだったころの下関に誕生しました。その後、捕鯨が禁止されるなどして、下関は地理的優位性を失い、球団名が変わり、本拠地も移転しました。

横浜ベイスターズが下関発祥地であることを知る世代も少なくなりつつあります。

門司/海底トンネル開通前は、山陽本線と鹿児島本線は鉄道連絡船で結ばれ、門司港は九州の玄関口でした。また、筑豊炭田を控え、横浜や神戸とともに特別輸出港に指定され、一時は英国領事館も置かれました。

戦時下の昭和17年、国防上から関門鉄道トンネルが開鑿され、響灘寄りの西側に門司駅が新設、今までの門司駅は行き止まりになり、駅名も門司港駅となりました。

現在、門司周辺は、炭鉱の閉山、製鉄の不況などで、かつての勢いがみられません。民営化後、門鉄(もんてつ)野球部はJR九州野球部になりました。

海峡にはいくつかのトンネルがありますが、その中で、徒歩と自転車が通れるトンネルが1本あります。長さ780m、安徳天皇が入水した「都」の辺りが県境です。徒歩で海峡を横断できるのは日本でここだけ、徒歩は無料、自転車20円です。

門司駅から門司港駅一帯には、海峡という地ならではの歴史が詰まっています。海底を新幹線でなく、徒歩で歩いて越えてみましょう。

<門司赤煉瓦プレイス>
<門司赤煉瓦プレイス>

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