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九州

1_07 日本三大霊山とカルスト台地

<記念碑の隣には入植当時の苦労と入植者一覧が刻まれている>

福岡県は、北九州市の小倉から大分県の北半分の豊前、福岡市を中心とする筑前、さらに有明湾に臨む筑後の3つの国からなっています。新幹線小倉駅からJR日田英彦山(ひこさん)線で、福岡県のカルスト台地と、日本三大修験の一つの彦英山のある旧豊前国を回りました。

平尾台/地図帳を開くと、北九州市の平尾台のところに「カルスト台地」と付記されています。カルスト台地の美しい風景の背後に、戦中戦後の二重の苦難の歴史が詰まっています。

戦後の引揚者の多くは軍用地の払い下げを受けました。本県でも清原地区や大田原の金丸原の飛行場跡地が払い下げられました。その他でも、戦場ヶ原や那須など、厳しい自然条件の開拓地に入植した人も多くいます。

北九州市のカルスト台地の平尾台も軍用地でした。石灰岩の台地は保水力がなく、浸食で残った岩を砕いて畑地にするという困難な開拓事業でした。交通不便地で、中学校へは片道3時間半かかり、5時に家を出て、帰宅は夜になったそうです。戦前の満蒙開拓の苦労に加わり、引揚げ後の二重苦を負った人たちの苦難の歴史が凝縮されています。

今は交通の便が良くなり、平尾台には多くの観光客が訪れ、山焼きでも知られるようになり、北九州の観光地となっています。また、「重要里地里山」として国の指定を受けています。しかし、高齢化とともに、台地を下りる人も増えています。

カルスト台地の美しい風景を通り過ぎるだけでは、開拓の苦難は見えてきません。この他にも日本3代カルストの一つ四国の大野が原も標高1200メートルにあるカルスト台地を切り開いた開拓地です。今は羊が草を食む牧歌的な観光地として多くの観光客が訪れていますが、厳しい開拓の歴史を思いやる人は多くありません。

英彦山/東北の出羽、紀州の大峰とともに、日本三大修験の道場で、多くの僧兵を抱え、その数は戦国大名と比肩するほどでした。

冬の訪問のため、訪れた人は誰もいなくて、積雪のあり閑散としていました。今は10軒ほどの宿坊と、壊れかけた宿坊跡と石垣が残るだけでした。

英彦山は、玄界灘に流れる遠賀川、筑紫平野を潤す筑後川、さらに大分県の豊後平野の源流域に当たり、農耕とともに、麓の人から崇拝されてきた山です。奈良時代、山に入って悟りを開き、呪術的な力を得るという信仰が役行者(えんのぎょうじゃ)によって唱導されました。さらに、平安時代には仏教と習合した独自の「修験道」が確立、英彦山は早くから一大霊場となりました。

江戸時代、世の中が安定すると、英彦山は九州一円に信仰圏を広げ、集落や職能集団などで組織された講員を宿泊させる800の宿坊が開かれ、山麓には大きな門前町が形成されました。盛時には酒造屋をはじめ、宗教関係者3000人が在住したとの記録があります。

明治になって、神仏分離令により、修験道は禁止され、仏教色は一掃され、門前町は急速に消滅ました。現在は、福岡県で唯一の神宮号をもつ英彦山神宮となっています。

真冬の登拝のため、玄界灘から吹き付ける雪と滑りやすい階段に難儀しました。山頂のお宮は改築により立ち入り禁止、そのためお賽銭を入れられず、「乞食参り」になりました。

<雪の英彦山山頂:登拝者は同行者と二人だけ>
<雪の英彦山山頂:登拝者は同行者と二人だけ>

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