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九州

1_06 裨搗(ひえつき)き節と焼き畑の村

<国重文指定の那須家住宅:山間の冬は日の出が遅い>

稗搗き節は、焼き畑による稗や粟が主食であった頃、標高1000メートル級の九州山地に囲まれた宮崎県椎葉村で、地域総出によって穂刈の稗を杵(きね)で搗くときの労働歌でもあり、男女の出会いの歌でもあります。住民の半分が那須と椎葉姓ですが、那須さんと椎葉さんの二人の御婦人を訪ねました。鉄道駅からバスで片道3時間かかりました。 

那須さん/壇ノ浦の合戦後、九州に落ち延びた平家の残党を追捕(ついぶ)するため、源頼朝の命で那須大八郎(那須宗久)が椎葉村の奥にまでやって来ます。しかし、平家残党に反乱を起こす気配もなく、平穏に村で生活している様子から、大八郎は平家残党を打ち取ったと鎌倉に報告、彼自身も椎葉に落ち着くつもりで、村の有力者の娘鶴富姫と恋仲となり、姫は懐妊します。

しかし、子が生まれる前に鎌倉から帰任に厳命があり、大八郎はやむなく村を離れることになりました。稗搗き節の中に「那須の大八鶴富捨てて 椎葉去る時ゃ目に涙」とあります。生まれた娘は那須姓を名乗り、今日まで家系が続き、重要文化財の「鶴富屋敷」を守っています。

史実は別として、都の方から尊い家柄の貴人が地方にやってきて子孫を残す「貴種伝説」は各地に残っています。伝説とは言え、そこには伝説を生む背景があったはずです。

栃木の那須郡の出身だと名乗ったら、奥様が歓待してくださり、手土産まで下さいました。

栃木県には那須姓が少ないのに、那須家の後裔であることに誇りを持って住んでいます。

なお、宇都宮を姓とする方も宇都宮に少なく、九州と四国に多く住んでいます。

椎葉さん/NHKスペシャル「クニ子おばばと不思議な森」が放映され、日本で唯一焼き畑農業をする人として知られる存在となりました。放映より前に、斜面が雪で覆われ山の中腹にあるオクニ婆さんの家を訪ねました。突然の訪問にもかかわらず、オロナミンでもてなしてくださり、冬は暇だからと、日の射す縁側で長い時間お付き合いくださいました。

大正生まれのおクニ婆ちゃんは、10歳から焼き畑をして蕎麦や稗を育て、自然から収奪するのでなく、恵みをいただくという古来日本の循環型農業の実践者です。環境問題が多発する中で、外国にまで講演に行き、世界中に知り合いがいるとおっしゃっていました。皇族方の御来駕もあったという村の著名人です。

結婚前も椎葉で結婚後も椎葉、10人の子育てをしたそうです。焼き畑などの大変な労苦を乗り越えてきた人の持つ穏やかなたたずまいが印象的でした。おクニ婆ちゃんが語った『おばあちゃんの植物図鑑』は、生活の中から長年にわたって体得した植物への愛が詰まった著書です。  

焼き畑の循環についても教えていただきました。最初の年にソバを蒔くのは、ソバの種の3角形の稜の1点が土に接していれば発芽するので、土を掛ける必要がないからだそうです。その次に稗や粟を育て、数年経って地力が衰えると別の山に移動します。炭焼きと同じシステムで、雑木は新しく萌芽し、強い森が維持されるそうです。  

仕事をとおして磨き上げられた知識と人柄に触れ、山奥で多くのことを学ぶ旅でした。(旅行の後、おクニ婆ちゃんは99歳でなくなったことを知りました)

<焼き畑のおクニ婆ちゃん:様々なことを教えていただいた(先年、天寿を全うし旅立った)>
<焼き畑のおクニ婆ちゃん:様々なことを教えていただいた(先年、天寿を全うし旅立った)>

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