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九州

1_03 新旧二つの世界遺産 キリシタンと炭坑節

<天草の大江天主堂:朝日に輝き荘厳でした>

学生時代に小説『沈黙』(遠藤周作)を読み、学割で夜行列車の堅い座席に座り、一昼夜掛けて長崎に行き、『沈黙』の舞台を廻り、厳しい拷問を受けながら死を選んだ理由を考えました。五島列島や平戸島に渡り、天草の乱の拠点の原城も訪ねましたが、無信心の私には「沈黙」の意味が解けませんでした。長崎市内に建つ二十六聖人は殉教者となり観光客が訪れていますが、ローマ法王庁は一揆で亡くなった天草や島原の人々を殉教者として認めず、単なる反乱者として扱っています。疑問が深まりました。

天草地方の潜在キリシタン遺跡 / 仕事に一区切りが付いたので、若い時分に訪れたキリシタン関係の地を再訪し、車中泊でゆっくりと天草や島原を廻り、多くのことを学びました。

南蛮貿易を求めてキリシタンとなった大友宗麟ら九州の大名は、積極的に領民の布教をしました。しかし、秀吉が禁教令を出すと、自ら棄教したばかりか、お家の存続を図り、栄達を求めるためキリシタンを弾圧しました。

江戸時代になると、日頃から苛政に苦しむ領民は、天国で生まれ変わることを選び、「神の子」益田四郎を中心に一揆を起こします。結果は悲惨なものでしたが、貿易独占を図ったオランダが幕府側に荷担し、キリシタンたちはなお一層悲惨な最期を遂げました。

現在も世界各地で宗教をめぐる戦いが繰り返されています。入江の小さな教会を訪ね、ステンドグラスの光に照らされた聖母を見上げ、改めて「沈黙」の疑問が深まりました。聖者は貧しい人たちに手を差し伸べてくれるのでしょうか。50年経っても相変わらず「沈黙」のままでした。

明治の産業革命遺産 「月が出た出た月が出た あんまり煙突が高いので さぞやお月さんも煙たかろ」という炭坑節は、昭和20年代の子どもたちには耳馴染みでした。明治以降、日本は近代国家に脱皮しようと殖産興業に邁進しました。炭鉱ばかりではありません。近代化の象徴が黒煙を空高く吹き上げる煙突は、国民の誇りでもありました。

明治初期に近代化の中で国営の基幹産業が誕生しましたが、その後多くの企業は国から財閥に払い下げら、その結果、資本家と労働者という階層社会がうまれ、さまざまな問題が顕在化しました。

昭和30年代になると石炭から石油へのエネルギー革命が起こり、廃坑をめぐり、全国の炭鉱で労働争議が起こりました。中でも筑豊の三井三池炭鉱の争議は組合内対立など、日本の近代化の矛盾の典型が表れたものです。テレビが出はじめた時代であったので、白黒画面から闘争の激しさが映し出されました。

九州の石炭産業は近代遺産として登録され、煙突をはじめ、積み出し港の施設などがしっかりと保存されています。その施設からは、近代化を下支えた人々の生活実感は伝わってきません。高い煙突の背後になる歴史も直視すべきだと改めて感じました。

有明海に臨む大牟田や内陸部の飯塚などに近代遺産の施設がよく保存されています。

<坑節 炭を入れる坑節のモデルとなった三井の煙突:左下に人影と対比してください>
<坑節 炭を入れる坑節のモデルとなった三井の煙突:左下に人影と対比してください>

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