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九州

1_10 博多連泊その1 金印発見地と世界遺産の神社

<沖津宮の本社というべき宗像宮の辺津宮>

博多3連泊の福岡旅です。玄界灘に面する筥崎宮で、「敵国降伏」の扁額から元寇の歴史を知り、三韓征伐の神功皇后を祀る香椎宮に回り、金印発見地の志賀島(しかのしま)、さらに世界遺産の「海の正倉院」と言われる沖ノ島の辺津宮である宗像大社をめぐりました。

志賀島/8㌔に及ぶ砂州の「海の中道」によって陸繋島となった志賀島は、周囲10キロ余、果樹やイチゴ栽培が盛んで、玄海国立公園に指定され、近年リゾート地にもなっています。

志賀島は「漢委奴国王(かんのなのわのこくおう)」と刻まれた金印が発見されたことは教科書に載っています。紀元57年、奴国(なこく)が中国の後漢王朝に朝貢し、金印を賜ったことが『後漢書』東夷伝に残されていることも学びました。東夷とは東方の未開人のことです。

金印がなぜ志賀島で発見されたか、金印公園に行っても解決しません。この島に漢に朝貢する「奴国」があったとは考えらず、博多湾内陸の「奴国」の外交上の関門があったのでしょうか。金印公園から、海神である綿津見(わたつみ)を祀る志賀海(しかうみ)神社に回りました。日本書紀に神功皇后が三韓征伐に当たって、当神社で神事を行ったと記されています。半島は渡海の祭祀の関係があることから、志賀島と金印が関係するかとも考えました。

なお、金印は、領主の黒田家から福岡市に寄贈、福岡市博物館が所蔵展示しています。

<金印発見の地の碑:金印公園となっている>
<金印発見の地の碑:金印公園となっている>

宗像大社/古事記や日本書紀にも記載されている日本で最も古い神社の一つです。海上60㌔の対馬海峡に浮かぶ沖ノ島にある沖津宮と、海上10キロにある大島にある中津宮、さらに内陸の辺津宮の三宮を総称して宗像(むなかた)大社といいます。いずれも御祭神女神です。日光二荒山神社にも沖津宮の祭神の田心姫神(たごりひめかみ)が祀られています。

周囲4㌔の岩山からなる沖ノ島は、祭祀の奉献品である銅鏡や大陸性の馬具などが多数発見され、「海の正倉院」と言われています。日本と朝鮮半島との「海北道中」の中継地で、海路の安全を祈願する国家的祭祀が行われ、島全体がご神体で、普段は上陸できません。

宗像大社の三社は、弥生時代から、朝鮮半島、さらには中国王朝との日本接点ともいうべき場所だったのでしょう。「神宿る島宗像・沖ノ島と関連施設」が世界遺産に指定され、8万点に及ぶ遺物は一括して国宝になり、宗像大社の神宝館に展示されていました。

時間的に無理なため、中津宮の鎮座する大島への渡船を諦め、宗像市にある辺津宮だけを参拝して博多に戻り、屋台のラーメンを堪能しました。日本史の謎が深まった一日でした。

翌日は大宰府から吉野ケ里遺跡に回り、北九州と半島の関係を学びました。

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