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甲信

6_04 御坂(みさか)峠 天下茶屋と太宰治

<天下茶屋から河口湖と富士山を望む>

倭建命(やまとたけるのみこと)が東征したことの由来から、神の住む峠の名になっています。峠に建つ天下茶屋の名は、徳富蘇峰が、「富士の眺めは天下第一」と称賛したことによります。太宰を知るため、富士急河口湖駅からバスで天下茶屋を訪ねました。

天下茶屋/太宰治は、薬物中毒や心中未遂事件、さらに作家として行き詰まりを感じていた時、先輩の井伏鱒二に誘われ、天下茶屋に滞在しました。約3か月の生活は『富岳百景』にまとめられています。

「昭和13年初秋、思ひを新たにする覚悟で、私はかばん一つ下げて旅に出た。御坂峠海抜1300米。この峠の頂上に天下茶屋といふ小さな茶店があって、井伏鱒二氏が初夏のころからここの二階にこもって仕事をしておられる。私はそれを知ってここに来た」とあり、「それから毎日いやでも富士を真正面から、向き合ってゐなければならなかった」(現文のまま)と記しています。

太宰とは違って、私が天下茶屋を訪ねた折は桜が満開、雪を頂く富士山と眼下の河口湖の眺めは、文字通り天下一でした。今は新トンネルが開鑿され、狭い旧トンネルの手前にある天下茶屋は、ほとんど車が通りません。その分、富士の眺めを独り占めしてきました。太宰ファンの方は是非訪ねてください。

富士と月見草/太宰は、留め置き郵便を受け取るため河口湖からに帰路、バス同乗者の「あら月見草」という言葉を聞き、その時のことを「富士の山と立派に対峙し、みぢんもゆるがず けなげにすっくと立っている月見草は良かった」と記し、「富士には月見草が似合ふ」と続けています。

「私には誇るべき何もない。心もまづしい」と退廃と自己否定をしていた太宰は、朝な夕なに富士を眺め、月見草の姿から、再出発していく覚悟を決めます。

天下茶屋滞在中、井伏の紹介で甲府在住の高等女学校の教師と見合いをし、その後甲府で結婚生活を始めます。帰京後、今までの作品とは違う人間愛に満ちた『走れメロス』などの名作を書きます。御坂峠での3か月が転換期となりました。

しかし、戦後に、無節操に転換していく作者仲間や時代の潮流に絶望し、『人間失格』を書き、『グッド・バイ』の連載中、玉川上水で入水心中をしてしまいます。

太宰は、山梨名物ほうとうが「放蕩」に繋がることで嫌ったそうですが、天下茶屋のほうとうを堪能してきました。文学碑は茶屋からすぐのトンネル入り口にあります。

天下茶屋の2階には、太宰治記念室が残され無料で見られます。やはりホウトウを食べてからの方がいいでしょう。ライダー3人が上がってきましたが、太宰には関心がありませんでした。

<裏面に、井伏鱒二の「惜しむべき作家太宰治君の碑のため記す」とある>
<裏面に、井伏鱒二の「惜しむべき作家太宰治君の碑のため記す」とある>

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