top of page

甲信

6_03 武田節と甲州

<釜無川:信玄堤と聖牛>

知人のいる甲府に行く機会があり、夜の宴席にも同席しました。宴の締めは全員起立して肩を組み、「甲斐の山々……」と「武田節」を高歌しました。山梨県人にとって武田信玄は誇りであり、国づくりの恩人です。帰りにはお土産の信玄餅をいただきました。

信玄堤/富士川は、最上川、球磨川とともに日本三大急流の一つです。いずれの川も、地域の物流を支え、生産に恵みを与える反面、災害も引き起こすことで共通しています。

 富士川に合流する釜無川支流の御勅使(みだい)川は、南アルプスから流下することから、しばしば堤防を突き破り甲府盆地を押し流しました。甲斐の国守となった武田信玄は御勅使川の流路を変え、丸太を三角錐に組んで水流を弱める「聖牛(せいぎゅう)」を作って破堤を防ぎ、築堤で出来た川除地(かわよけち)の新田に住民を移住させ、国力増強に努めました。天下統一目前に病で倒れますが、「信玄堤」名は残り、堤防の木陰は市民の憩いの場になっています。

翻って、同じ時代の宇都宮市に領民から尊崇される領主がいたでしょうか。「宇都宮歌壇」として『百人一首』などの文化面での事績があっても、治世面で後世に語り継がれ領主は知りません。

先人に感謝しながら自らの郷土に誇りを持ち、事あるごとに「武田節」を歌っている人たちが羨ましくなりました。

甲州商人/甲府盆地の春は、一斉に桃や杏の花が咲き、文字通り桃源郷となります。遠景の白銀のアルプスの山並みを見ながら、栃木県とも関わる甲州商人のことを考えました。

水田が少なく、扇状地での農業は養蚕が主でした。長男以外は県外に出て懸命に働き、投機などで財をなしました。根津嘉一郎はその典型です。根津は社会貢献にも熱心で、ヤマハの株を買い、ピアノを県内の小学校に寄贈しました。県のオペラ発展に尽力し、先年お亡くなりになった荻野久一先生も根津のピアノで育った甲府出身の声楽家です。

宝塚歌劇団も甲州出身の小林一三によって設立されました。阪急電鉄の社主として関西経済界の大きな影響力を持ちました。

東武鉄道の日光方面延伸は根津が社長の時でした。栃木県にも多いに貢献しています。

甲州の人たちは、世界恐慌以降、生糸の輸出が出来なくなると、知恵と勤勉によって、盆地特有の寒暖差、降水量の少なさ、水捌けの良さを生かし、ブドウやモモの栽培に転換し、日本一の果樹大国にしました。変化を見るに敏な伝統と、努力を厭わない甲州人の汗の結晶が桃源郷の風景です。

Jリーグ・バンフォーレ甲府は、信玄の旗指物「風林火山」の風と林をもとにしたフランス語の造語です。今も信玄の伝統が至る所に息づいています。

<塩山駅前:武田信玄公像>
<塩山駅前:武田信玄公像>

bottom of page