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甲信

6_11 倭建命の東征 連歌の始まりと終焉の地

<酒折の宮跡:甲府市酒折>

荒ぶる東(あづま)の国々を平定した倭建命(やまとたけるのみこと)は、駿河の足柄峠から甲斐路を通って、信濃を経て尾張に戻りました。その後、伊吹の神を討ちに出掛けますが、油断があって手ひどい反撃を受けて亡くなります。今回は、甲斐の酒折の宮と終焉の地能褒野を訪ねました。

連歌の始まり/東征を終えて甲斐国の国府に近い酒折の行宮(あんぐう:仮の御所)に入って安堵し、苦難の行程を振り返ります。火の番をする翁に「筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と尋ねると翁は「日々(かが)並(な)べて 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を」と応えました。

この問答が、上の句と下の句を別な人が作る連歌のはじめとされ、筑波の地名が出てくることから連歌を「筑波の道」と言うようになりました。平安時代以降、上の句に対して別人が下の句を付ける連歌が盛行し、貴族の二条良基が『菟玖波(つくば)集』を世に出し、芸術へと発展しました。さらに第一句が独立して、芭蕉の俳諧発句へと発展しました。起源は古事記の酒折の宮での問答だと言われています。

甲斐から尾張までの経路は詳しく記されていませんが、古東山道の伊那谷を下り、神坂(みさか)峠を越えて美濃から尾張に戻ったと思われます。伝承地が各所にあります。

酒折神社は中央線酒折駅からすぐです。春は文字通り桃源郷となり、近くには甲斐善光寺や武田信玄関係の史跡も多く、日帰り旅お薦めコースです。

倭建命終焉の地/尾張に戻り、かねて婚約していた美夜受比売(みやずひめ)の許(もと)で旅の疲れを癒やしました。しばらくして、伊吹の神がたやすい相手と過信し、草薙の太刀を比売に預けおいて征討に出掛けます。しかし、山の神の怒りによる大粒の氷雨に遭って気を失い、やっと麓に戻り、醒ヶ井の清水で目を覚ましますが、疲れ果てて足が三重に曲がってしまったと、死期を悟ります。三重県の地名由来になっています。

伊吹の神は、大和王朝に服さない集団で、交通の要衝を抑え、農耕の水を支配する国神であるとする考えがあります。伊吹山を支配する神を征討することは容易でなかったはずです。

やっと能褒野(のぼの)までたどり着いて故郷を思い出し「大和は国のまほろば 」という望郷歌を高唱し「おとめの 床の辺(べ)に 我が置きし つるぎの太刀 その太刀はや」と、太刀のことを気遣いながら事切れ、魂は白鳥となって大和方面に飛び去りました。

倭建命の墓とされる能褒野の古墳は宮内庁の管理になっています。比売に預けられていた太刀は、その後熱田神宮に納められ、三種の神器天叢雲剣として今も残っています。

熱田神宮は交通至便ですが、能褒野には関西線への乗り換えが必要です。醒ヶ井は東海道本線醒ヶ井駅下車すぐ、伊吹山頂にも像があります。古代史好きにはお薦めコースです。

<倭建命墓:天皇でないので、陵とせず「墓」である>
<倭建命墓:天皇でないので、陵とせず「墓」である>

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