top of page

甲信

6_07 信州の明治初期の擬洋風小学校

<国宝開智学校:松本市>

教育や文化に力を入れている長野県には、個人の美術館を含めると345館、日本の美術館の10%に当たります。学校施設で国宝と重要文化財に指定されているものがあります。松本城近くにある国宝の学校と県東佐久市にある重要文化財の二つの学校を訪ねました。明治維新後の経済の困窮の中、義務教育の廃止を訴える闘争が起きた県がある中で、「教育県長野」の象徴とも言えのが開智学校と中込学校です。

国宝開智学校/松本市は明治維新後、筑摩県の県庁所在地でした。県庁所在地松本で開校した開智学校は、学校として始めて国宝に指定されました。

開智学校の名は「身を修め、知を開く」ことが由来とされています。建築に当たって、地元の棟梁が東京に赴き、近代洋風建築を視察、伝統的な技術を生かしながら洋風の建物を築造しました。そのため「擬洋風建築」と言われています。

ガラスはギヤマンと言われた時代、高価な輸入品が使われ、学校の機能とは関係のない望楼が建物の中心に据えられています。近代化のシンボルとしたものです。一方で正面玄関は唐破風が用いられ、龍の彫刻がある中国伝来のデザインも取り入れ、日本人の柔軟な文化受容の精神が窺えます。伝統を重んじながら進取の気性に富む信州人の証というべき建物です。近接している現在の開智小学校の建物も普通の小学校とははるかに違うレベルです。

高校山岳部の合宿で、夏は北アルプスに行くことが恒例でしたから、下山ごには、生徒たちに松本城と開智学校を案内しました。長野の教育遺産を間近にして、少しでも刺激になればとの意図でした。近接しているので二つの国宝を見ることができます。

日本最古の擬洋風学校/明治5年の学制発布の3年後、松本の開智学校に先駆け、都市部から遠い佐久の農村に、国内最古の擬洋風の学校が建てられました。アメリカの学校をモデルにした「成知学校」で、今は地名から「中込(なかごみ)学校」と呼ばれています。

学制が発布されたと言え、国の形も定まっていない時期、建築費は地元の村々が拠出、後々各村の財政を圧迫するほど負債が残ったと言います。不足は篤志家からの寄付でまかなわれましたが、これまでしても学校を建てようとする地域の先見性は、寺子屋普及率日本一であった信州の土壌があったと言えます。教育県と言われる所以です。

教室には古い机と椅子が並んでいました。私たち子供のころは普通であったのに、いつの間にかスチールと合板のものに入れ替わりました。木のぬくもりがなくなったころから、教室の雰囲気だけでなく、子どもたちの気質も変わったように思います。

中部横断自動車のインターから近いので、日本で二つしかない洋風五稜郭の龍岡城とともに、中込学校も訪ねてみてください。信州の人たちの進取の気性が感じ取れます。

<重要文化財中込学校:佐久市>
<重要文化財中込学校:佐久市>

bottom of page