
<兵庫県豊岡市:安国禅寺のドウダン>
『TONTON』との出会い
縁あって、宇都宮市の坂田新聞店が社会貢献の一つとして発行している月刊タウン誌『TONTON』誌上に、「独りよがりの旅案内を」を掲載する機会を得て4年が経ちました。
掲載が始まって以来、今までと違った旅をするようになりました。自分だけの楽しみでなく、歴史や文学の面などから、少しでも知っていただこうと、読者の方と同行している感覚を持ちつつ、旅行ガイドブックにはない観点かの案内になるよう努めています。
本来の「観光」の意味である「目に見えない光や風」を感じ取り、旅が終われば、皆さんの心に響くような文章を書くことに努めていますが、時としてありきたりのものとなってしまっています。

交通機関の時間に追われて、ついつい見学個所を割愛することも少なくありません。帰宅して原稿にする段になると、もう少し足を延ばせばよかったとか、もっとインタビューを丁寧にすべきだったとか、反省することも度々です。
連載が始まってから、今まで以上に事前の勉強して出掛けるようになり、その土地ならではの歴史風土を感じ取れるようになり、旅がいっそう楽しくなりました。
文章の制約
短い文章の中で、伝えたいことが多いため取捨選択が難しく、文章に破綻が生じた、リズムが悪く、読みにくいばかりでなく、意味不明な部分も多々あったはずです。「思い余りて言葉足らず」になっていることを反省しています。また、日ごろの癖として一文が長いため、途中で文章がねじれて、主語・述語の関係が不明になることも各所で起きています。
さらに、旅行中に思わぬ発見があると、ついつい力んだ書き方になってしまってい ます。自分の経験を皆さんに伝えたいとの願望から、時として「独りよがり」が一段と増幅してしまいます。読者の皆さんも、文章から私の感情を感じ取っていただけると幸いです。

自称「フリーライター」
芭蕉の『おくのほそ道』に「古人も多く旅に死せるあり」と残しています。時代とは言え、芭蕉よりずいぶん長生きしました。これからもフリーライターを自認し、行きたいときに行ける所に行って、旅日記を書き溜めたいと思っています。幸い、若い仲間からの誘いもあり、教え子や山仲間からの言葉掛けがあれば決して断らず、どこへでも付いて行っています。さらには、こちらから誘って、行きたいところも指定して出掛けることもあります。頭の中のナビはまだ健在なので、経験を生かして道案内もできます。
どうしても道連れがいない時には、青春18きっぷをフル活用し、安宿に素泊まり、時にはテント泊をしながら、旅費を節減をしてでも旅に出ています。家人からは、「もう行くとろがないのでは」言われることもありますが、同じ所に2度3度出掛けても、その都度発見があります。新しい発見は、とりもなおさず自己発見です。

旅に出て様々な情報を仕入れるためには、旅先でいい出会いが必要です。この人なら聞いてやるかと思わせるインタビア―にならなくてはなりません。そのためには事前の勉強が必要です。九州の国東半島の摩崖仏では、ノートとカメラを肩にかけていたことから、取材の特別許可で無料で入れてもらったこともあります。国宝の観音像の収蔵庫のカギを貸してもらって、自由に拝観させていただいたこともありました。いい出会いは相手に信頼されることから始まります。
これからも、『おくのおほそ道』にあるように、「日々旅にして旅を栖とす」を心の糧として、旅の日記を文章にしていきたいと思っています。
写真のこと
文章は書き直せますが、写真の方は生来のセンスの問題ですから、回を重ねてもいいものが撮れません。途中カメラをグレードアップしましたが、「Auto」機能しか使えませんので、全く代わり映えしないどころか、かえって不鮮明のものが増えました。特に記念碑の碑面は時間との関係で、逆光になって全く判読不明というのも少なくありません。プロの写真家から、朝日で撮影するようにとのアドバイスを受けましたが、人の車を当てにしたり、交通機関の時間を気にしている立場から、時間の制約はやむを得ません。
時には念のためスマートフォンでも撮影し、安全を担保していますが、カメラよりもいいものが撮れていることもしばしばです。そのうえ、生来の整理機能が欠如している性格から、保存したものをパソコンの中に仕舞い失くし、探し出すまでの時間を浪費することも一再ではありません。写真がなく原稿そのものが書けないため、せっかくの旅の報告ができない場所もあります。
