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関西

3_08 三方良し 近江商人と下野

<安土城下に残るキリシタン神学校跡>

近江(滋賀県)を発祥とする江戸時代からの会社は、伊藤忠、丸紅、ワコール、西川、高島屋など枚挙に暇がありません。宇都宮市にも日野町があり、近江の日野町と関係する町名です。栃木県と関わる近江商人の町を訪ねました。

近江八幡/近江商人は勤勉・正直・質素倹約をむねとし、天秤棒(てんびんぼう)を担いでの行商から始まり、「売り手良し・買い手良し・世間良し」の三方良しを商是として、各地に進出し、地縁や血縁を大事にしながらその地の大店(おおだな)になりました。琵琶湖の湖南や湖東は京都や大阪に近く、北陸や東海とも近接し、情報網が発達していたので、いち早く需要者の要求を察知し、地域に合わせた多様な物品を扱いました。特に城下町に進出し、藩の財政を掌握する「大名貸」となる商人が多く、宇都宮も例外ではありませんでした。

近江商人発祥の地の一つ近江八幡には、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された古い町並みが残っています。琵琶湖に繋がる八幡堀に面して史跡の西川家住宅があり、近くにはメンソレータムを製造販売していた近江兄弟社の洋館もあります。近江商人は、時代を先取りしながら変化に対応し、今日まで繁栄を保っていることを実感しました。

近江八幡市域に含まれる安土城跡に登り、とセミナリヨ(オ)(神学校)跡も訪ねてきました。

日野商人/近江蒲生郡出身の蒲生氏郷は、豊臣秀吉によって会津に移封された際、商人たちも帯同しました。氏郷の没後、息子の秀行は宇都宮に転封(てんぽう)されたため、日野商人も宇都宮に移り、多くが奥州街道筋に店を構えました。今の日野町です。  

資本を持つ近江商人は、地縁を大事にしながら様々な業種に進出、中でも米よりも付加価値の高い酒造業に進出しました。宇都宮の中心にある酒造メーカーや鬼怒川沿いの酒蔵、さらに茂木を中心として芳賀郡から那須郡に掛けて、日野町ルーツの蔵元が多くあります。その一つの酒蔵を訪ねたら、屋号が「八(やま)に三つ星」であることを知りました。星が出るまで働く勤勉を家訓にしているということです。スーパー「かましん」も、茂木に進出した近江がルーツです。旧馬頭町にも、那珂川に築堤をして新田を開いた近江商人の外池(とのいけ)氏の顕彰碑があります。「世間良し」の痕跡です。

近江の日野町には広壮な屋敷が並び、今もルーツを大事にしていることが分かります。

<日野町の古い商家>
<日野町の古い商家>

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