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関西

3_07 御食(みけ)つ国若狭と京を結ぶ鯖街道

<南丹市美山:朝霧の中の茅葺集落>

若狭湾は海のシルクロードの終点で、朝鮮半島・大陸と奈良や京都との接点でした。また、飛鳥時代以来、朝廷へ海産物を献上する御食国(みけつくに)で、特に都が京都に移った後は、「鯖街道」と呼ばれた幾筋もの古道が通じ、京都市の北郊や丹波高原には、歴史ある道が残っています。

京都の山里/平成の合併で京都市域が日本海側との分水嶺まで北に拡大され、旧山城国から旧丹波国に及びました。訪れた場所は交通不便地のため、京都駅からレンタカーでした。

京都市街から北上する国道162号は、物資中継地の地名から「周山街道」と呼ばれています。鉄道が通る前は、若狭湾と京都を結ぶ最短距離でした。京都北郊の神護寺などがある高尾や栂尾(とがのお)を過ぎ、床柱などに使われる北山杉の美林の中を通る道筋です。

峠を越えると、すでに街道名になっている丹波国の周山盆地です。日本海に流下する由良川水系の美山町には、重要建造物群保存地区に指定されている茅葺家屋30戸以上が残る地域があります。棟に千木が残る古風な建造物群は、鎌倉や室町時代を想起させます。

山深い集落にある「道の駅美山」は、思いの外小さく、売れ残っていた菓子パンだけでの車中泊となりました。翌朝早く、つづら折りの道を越え、花脊(はなせ)に向かいました。この集落も若狭街道の一つに当たります。摘み菜料理で有名な美山荘は、門外から外観を見るだけで済ませました。

京都市北部の地域は、若狭からの丹波を経て山城に抜ける幾筋もの歴史街道が通じ、常照光寺など皇室と関わる寺院もあり、京都市内と違った風景です。

鯖街道/京都では、古くから祭りのハレの日には鯖寿司を食べる習慣があります。小浜で水揚げされた鯖は、「鯖の生き腐れ」というほど傷みやすいので、内臓を抜き、一塩(ひとしお)にして、「カイドカセギ(街道稼ぎ)」の背で夜通し運ばれました。「京は遠うても18里」と、70キロの道のりもそれほどの距離でないと思うのは、きつい仕事ながら稼ぎがいい仕事だったのでしょう。30キロの荷を背負い、10名ほどの隊列で夜通し歩き、早朝京都に着きました。

宿泊費を節約するため、休息後、京都の産物を背負って再び夜通し歩いて若狭に戻ります。牛馬に頼らない分、いくつもの峠を越えて最短距離を通りました。この街道は多くの海産物が運ばれましたが、特に鯖が有名でしたので「鯖街道」と呼ばれ、「日本風景街道」に認定され、「海と都をつなぐ若狭の往来文化」の日本遺産にも登録されています。

古道探索を趣味とする者にとって、若狭と京都を結ぶ幾筋もの「鯖街道」は、最も魅力あるルートです。京都市内の混雑をよそに、モミジを楽しむ二日の旅になりました。

<京都市花脊:美山荘の外観>
<京都市花脊:美山荘の外観>

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