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関西

3_05日本の誕生の淡路島と兵庫県の誕生

<おのころ島神社:日本三大鳥居の一つ>

大阪タイガースの本拠地甲子園は兵庫県西宮で、阪神タイガースとも言います。明治維新までは神戸も大坂も同じ摂津国でした。兵庫県尼崎市は大阪と同じ市外局番が06です。下野国一国が県域となった県と違って、複雑な経緯で現在の県域になりました。

淡路島/淡路は、江戸時代まで徳島蜂須賀藩の支配下でしたが、明治4年の廃藩置県では島の半分が兵庫県となり、明治9年には全域が兵庫県に編入になりました。現在は明石海峡大橋と鳴門海峡大橋により、本州と四国に繋がり、確実に兵庫県になりました。

淡路は日本で神話の中で一番先のできた島とされています。古事記には、男神のイザナギノミコトと女神のイザナミノミコトの二柱の神が混沌とした天地を天の沼矛(ぬぼこ)でかき混ぜて、その雫が固まってできたのが「おのころ島」だと言います。

古事記の書かれた律令時代には、日本国土を創世した神として語られ、天皇家の正当性を裏付けるものとされています。淡路島は大陸や朝鮮半島と大和を結ぶ重要な経路地であることから、鉄器文化が畿内に先駆けて普及しました。また、製塩と操船も大和王権にとっても重要なことから、古事記も「おのころ島」を第一に取り上げたのでしょう。

 国生みを終えた二柱の神は、次の国づくりを天照大神(あまてらすおおみかみ)に任せ、淡路島の多賀に幽宮(かくりのみや)を構え、余生を過ごしました。その場所に二柱を祭神とする伊邪那岐(いざなぎ)神宮があります。

また、おのころ島神社にも二柱の神が祀られています。大きな鳥居は日本三大鳥居の一つに数えられています。

阪神淡路震災の際の「野島断層保存館」も見学してきました。100㍍を越える長さの断層をそのまま保存展示しています。地震の恐ろしさと防災の必要性を実感してきました。

明石海峡大橋から下りて一般道を走れば、島の各所で古代の神々に出会います。

兵庫県の誕生/青森県と山口県の本州の端の2県を除いて、南北が海に面している県は兵庫県だけです。古代の旧国の5国が統合し兵庫県になりました。摂津は大阪と同じ畿内、姫路方面の播磨が山陽道、丹波、但馬は山陰道、淡路は南海道に所属していました。気候風土も違います。現在、瀬戸内側は阪神工業地帯地となりましたが、日本海側の北西部は過疎地帯となり、交通網も未発達で、山陰線も京都に向かって走り、神戸に繋がっていません。しかし、明治維新の廃藩置県に際しては理由がありました。

但馬や丹波を兵庫県に編入したのは、神戸港をとおして生糸を輸出して外貨を稼ぐという大久保利通の狙いがありました。大久保は暗殺されましたが、彼の思い通りに神戸の発展に繋がりました。ただ、生糸の暴落とともに日本海側の発展は止まってしまいました。その分、豊岡や出石(いずし)、丹波篠山(ささやま)、城崎温泉など、内陸から日本海側には、特色のある日本の原風景が残っています。新田次郎の『孤高の人』のモデルになった登山家加藤文太郎は日本海側の新温泉町出身です。

<城下町但馬出石(いずし)の振鼓楼:今は太鼓でなく時計になっている>
<城下町但馬出石(いずし)の振鼓楼:今は太鼓でなく時計になっている>

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