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関西

3_03 琵琶湖 農村工場と石工穴太衆(あのうしゅう)

<ヤンマーの家庭工場の説明:丸に囲まれた惣>

ヤンマーの「農村家庭工場」が今も操業している湖岸集落と、城郭や寺社の石垣づくり専門集団である穴太衆の住む比叡山麓へ、湖北から湖西の旅です。

農村家庭工場/湖北と言われる琵琶湖の北にある西浅井(あざい)町(現長浜市)菅浦(すがうら)は、山で三方を囲まれ、南面だけ湖に向かって開けています。農耕は、他村に所有する田畑へ船で出作りをしていました。中世には、「惣」という自治組織があり、他村との交流を制限した掟書が残り、文書は国宝となっています。教科書にも載っている「惣」は今も息づき、各所に惣の字をデザイン化した立て札が立っていました。

トラクターなどで知られるヤンマーの創業者山岡孫吉は、湖北の高月町(現長浜市)の農家の出身で、尋常小学校を卒業後の明治36年、母親から米1俵分の金をもらい大阪に奉公に出ました。農家の労働条件改善のため農機具の開発に努め、世界初の小型ディーゼルエンジンを開発、豊作のシンボルのトンボを商標として、世界トップメーカーに育てました。山岡の故郷を思う気持ちは強く、昭和35年、交通不便地の菅浦に通勤を要しない、1戸当たり4坪の「農村家庭工場」が作りました。今も操業しています。

70世帯ほどの集落は、「湖岸集落」として国の重要文化的景観に指定され、湖岸道路の竣工記念に植樹された数キロの桜並木は湖北の名所となっています。

ヤンマーを使っている方は、創業者の志を感じ、農機具への愛着を持ってください。

石積の町/日枝大社のある比叡山麓の坂本は、国の重要伝統的建造物保存地区、さらに歴史的風土保全地域の二重の指定をうけています。時が止まったような場所です。

室町期、坂本は大きな宗教都市となり、大津を凌ぐほどの繁栄でした。寺院が持つ荘園からの年貢や日本海からの海産物が運ばれ、湖上交通の要衝となり、さらに、朝鮮半島から渡来した石工の専門集団穴太衆が寺社造営にため坂本に集住しました。戦国時代以降、堅牢な穴太の野面積み石垣は全国の城郭に用いられました。

しかし、織田信長の比叡山焼き討ちにより坂本も衰退しました。江戸時代になって、比叡山の再興とともに、坂本には引退した僧の里坊が造営され、さらには日吉(ひえ)大社の鳥居前集落として活気を取り戻しました。

坂本には、数百年の時を経て、穴太衆の築造になる石垣が苔むして整然と残っています。近年、野面積みの堅牢さと美しさが評価され、近代建築にも取り入れられています。

<穴太衆によって築かれた石垣>
<穴太衆によって築かれた石垣>

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