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関西

3_20 歴史の山 天下分け目の天王山と男山八幡

<天王山山頂>

京都盆地からの桂川と、琵琶湖から流下する宇治川(上流は瀬田川)、さらに三重県を源流とする木津川の三川合流地点にある京都南部の山崎は、西の天王山と東の男山によって狭隘化し、古来水陸交通の要衝です。冬の青春18切符で二つの山に登ってきました。

天王山/大きな大会などで勝敗の分岐点を「天王山」と言います。羽柴秀吉が明智光秀との山崎の合戦で、天王山を占有し、天下の覇者になったことに由来します。 

標高270m、JR山崎駅から歩き始めて約1時間で山頂に着きますが、年齢のせいか登りがきつく感じられました。天王山の展望台からは京都方面、さらに大阪市街が見渡せて、対岸の男山も望めます。麓の山崎は高速道路や新幹線の高架橋が交錯し、国道1号、東海道本線、阪急線の鉄路も集中し、今も昔も交通の要衝でことが分かります。

下山はサントリー山崎蒸留所方面にしました。名水があることから、「山崎」を冠したウイスキーが製造されています。年末年始の休業でしたので試飲はできませんでした。

京都駅から山崎駅まで15分、年始でも数組のハイカーグループに会うだけでした。

男山/天王山から男山まで、高架橋や踏切で屈曲した道となり、地図より長く感じました。

男山は海抜143mで、山というより丘という感じですが、豊前(ぶぜん:大分)の宇佐八幡を勧請(かんじょう)した石清水(いわしみず)八幡宮が鎮座し、宮廷からの崇敬が厚く、鎮護国家の祭神として伊勢神宮に次ぐ神として崇められ、行幸(天皇が外出なさる)もしばしばありました。

その後、源頼朝の高祖父義家が岩清水八幡で元服し、八幡太郎と呼ばれたことから、源氏一門の氏神となり、鎌倉政権樹立とともに全国に八幡信仰が広がり、日本で一番多い神社になりました。宇都宮の八幡山公園も八幡宮の鎮座地からの命名です。

古典で習う徒然草の一節に、仁和寺の僧が念願かなって男山八幡に参詣した際、麓の寺社だけにお参りし、山に上っていく人に関心をもちながらも、本来の目的を果たしたからと京に帰っていたことが出てきます。生真面目な僧にとって、山に登ることは物見遊山と思われたからです。兼好は、何事にもその道の指導者が必要だと締めくくっています。男山には、麓だけで法師を満足できる建物があったのです。

現在、山頂には徳川三代将軍家光の造替による建造物など国宝10棟があります。私は、徒然草を学んでいたことから、仁和寺の僧と違って、男山山頂まで登ってきました。

天王山と男山に上る一日の旅は、歴史や文学を体感できるお奨めコースです。

<正月の岩清水八幡宮>
<正月の岩清水八幡宮>

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