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関西

3_18 兵庫県の誕生と日本の誕生の淡路島

<伊弉諾(いざなぎ)神宮:日本創世の二柱の神を祀る>

大阪タイガースの本拠地甲子園は兵庫県西宮です。違和感がないのは、西宮など灘五郷一帯は、明治維新までは摂津の国で大坂と同じ国でした。尼崎は大阪と同じ市外局番が06です。下野国一国が県域となった県と違って、複雑な経緯で現在の県域になりました。

兵庫県/青森県と山口県の本州の端の2県を除いて、南北が海に面している県は兵庫県だけです。古代の旧国では5国からなり、摂津が畿内、播磨が山陽道、丹波、但馬は山陰道、淡路は南海道に所属していました。瀬戸内側は阪神工業地帯地となりましたが、日本海側の北西部は過疎地帯となり、山陰線も京都に向かって走り、高速道もありません。

但馬や丹波を兵庫県に編入したのは、神戸港をとおして生糸を輸出して外貨を稼ぐという大久保利通の狙いがありました。大久保は暗殺されましたが、彼の思い通りに神戸の発展に繋がりました。ただ、生糸が暴落とともに日本海側の発展は止まってしまいました。豊岡や出石、丹波篠山、城崎温泉など、内陸から日本海側は、日本の原風景が残っています。

一方、淡路は、江戸時代まで徳島蜂須賀藩の支配下でしたが、明治4年の廃藩置県では島の半分が兵庫県となり、明治9年には全域が兵庫県に編入になりました。

淡路島/日本で神話の中で一番先のできた島とされています。古事記には、男神のイザナギノミコトと女神のイザナミノミコトの二柱の神が混沌とした天地を天の沼矛(ぬぼこ)でかき混ぜて、その雫が固まってできたのが「おのころ島」だと言います。二柱の神は夫婦となり、日本列島を造ったという国生みの神話です。おのころ島は淡路島だということが定説です。

古事記の書かれた律令時代には、日本国土を創世した神として語られ、天皇家の正当性を裏付けるものとされています。淡路島は大陸や朝鮮半島と大和を結ぶ重要な経路地であることから、鉄器文化が畿内に先駆けて普及しました。また、製塩と操船も大和王権にとっても重要なことから、古事記も「おのころ島」を第一に取り上げたのでしょう。

 国生みを終えた二柱の神は、次の国づくりを天照大神に任せ、淡路島の多賀に幽宮(かくりのみや)を構え、余生を過ごしたた場所が伊邪那岐命(イザナギノミコト)祭神とする伊邪那岐神宮です。また、おのころ島神社にも二柱の神が祀られています。大きな鳥居は日本三大鳥居の一つに数えられています。

阪神淡路震災の際の「野島断層保存館」も見学してきました。100㍍を越える長さの断層をそのまま保存展示しています。地震の恐怖と防災の必要性を実感してきました。

<おのころ島神社:日本三大鳥居の一つ>
<おのころ島神社:日本三大鳥居の一つ>

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