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関西

3_16 琵琶湖の有人島と近江商人の五個荘町

<沖島の集落:湖岸の狭い所に集住>

かつて勤務していた旧馬頭町と滋賀県秦荘町(現愛荘町)が姉妹都市の締結をしていたことから、相互訪問をしていました。職を離れてから、近江八幡から沖島へ、さらに五箇荘(ごかしょう:現東近江市)の2か所を訪ねました。

沖島/近江八幡市から1.5キロ離れた周囲6キロの沖島は、淡水湖の中で日本唯一の有人島です。対岸とは渡船で結ばれ、狭い島内の交通は自転車と徒歩、車は一台もありません。

沖島は古くから湖上交通の要衝で、徳川家康によって広域の漁業権を認められ、今も島民のほとんどがアユやフナ、ワカサギなどを主とする漁業に関わっています。しかし、高齢化と、若者が島を離れたため、後継者不足で、漁に出ない漁船が港に係留されています。

訪問時、島内にある小学校の児童数は15人で、その内12人は島外からの通学者でした。「指定学校以外の特定学校」として、対岸からスクールボートで通っています。給食も渡船で運ばれ、港からは当番の児童がカートで学校まで運びます。

学校維持のため、島民が特色ある学校づくりに協力していることで、学校が存続しることを学びました。現在、移住した若い世代が地域の活性化を支えているとのことです。

沖島は「琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産」に登録され、長い歴史の中、人と自然が織りなす風景は格別です。特産の鮒ずしは匂いがきつくて食べられませんでした。

五個荘(ごかしょう)/昭和30年代、馬頭町の中心に、スーパーの先駆けのような「みなかい」という商店がありました。子供の頃、山間の在からマチバに出掛けた際に必ず寄りました。

彦根から近江鉄道に乗り換え、五箇荘駅で降りましたが、駅名と地名の字が違いました。近江鉄道は、明治時代、地域の資本によって敷設された私鉄です。今は、近江出身の堤康次郎が創業した西武グループ傘下になり、列車のヘッドマークに獅子のマークが描かれていました。

五個荘は、近江八幡や日野とともに近江商人発祥地で、その中に三中井商店もありました。中江家の3兄弟の経営により、社名を「三中井」としましたが、中江が中井になった理由は分かりません。戦前は朝鮮や大陸で大きく事業を展開していましたが、敗戦により社業が衰退したということです。馬頭から撤退したのも本家の衰退と関係があると思われます。

五個荘金堂地区は、中江家をはじめ、芥川賞作家外村繁の生家など近江商人の邸宅が並び、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、さらに、周囲農村の調和が認められ「美しい日本のむら景観百選」にも選ばれています。近江商人と馬頭の関わりを知る旅でした。

<中江家本邸:東近江市五個荘町金堂>
<中江家本邸:東近江市五個荘町金堂>

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