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関西

3_13 大和三山と神の座(ま)す三輪山

<香久山:舒明天皇の万葉歌碑>

かつてはヒマラヤなどの登山隊に加わったことがありました。仕事から解放さると同時に、白血病で1年間の入院を強いられました。今までとは違った登山を模索しています。

大和三山/奈良盆地の南部にあり、北の耳(みみ)成(なし)山を頂点に、南西に畝傍(うねび)山、南東に香具(久)山を底辺に正三角形をなし、いずれも標高200メートルに足らない山です。三山に囲まれた狭い場所に、日本で最初の本格的な都城である藤原京が造営されました。

まず、橿原(かしはら)神宮前駅から橿原神宮に参拝して、畝傍山に登りました。頂上は神宮の森と一体で、古木が生い茂って眺望はききません。下山後、室町時代末以来、争乱から集落を守るため、濠(ほり)で周囲を囲んだ環濠集落今井町を訪ねました。

最後は、三山で一番神聖な香具山です。女帝持統天皇が「春過ぎて 夏来(きた)るらし 白妙の 衣干したり 天の香具山」(百人一首では若干変わっている)と詠まれた山で、その神聖さから、山名に「天の」が付きます。

三山合わせても登山とは言えませんが、万葉人の精神にも触れることができました。今まで何度も車窓から眺めていましたが、やっと三山を「縦走」しました。同行者は、日本百名山を踏破し終えている健脚者なので、物足りなかったに違いありません。

三輪山/額田王(ぬかだのおおきみ)は、夫である天智天皇が近江に遷都することになり、自らも大和を離れることになり、日ごろ見慣れた三輪山を振り返り、「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや(三輪山をそんなにも隠すのか、せめて雲さえも思いやりの心をもってほしい)」と詠っています。歌の背景には、大海人皇子の子を産みながら、兄の天智天皇から寵愛を受けるという、額田王の複雑な心境があります。

大神(おおみわ)神社は大和一の宮で、日本で最も古い神社の一つです。本殿がないのは、三輪山が御神体だからです。以前は禁足地でしたが、今は、9時から3時まで入山ができます。撮影や飲食、大声は禁止、入山前には大神神社の隣に祀られている摂社(本社の神と縁故の深い社)の狭井神社でお祓いを受け、首に白い襷を掛けて登拝します。山の神霊を全身で受け止めるため、裸足で登る人もいました。

山頂にはご神体の磐座(いわくら)があるだけです。常緑樹の古木が茂り、眺望はききません。登拝をとおして神と対話し、内省するにふさわしい山とも言えます。

下山後、生ビールをお代わりし、本場の三輪素麺を堪能して「お山祝い」をしました。

<三輪山登拝口:しばらくは清浄な気分でした>
<三輪山登拝口:しばらくは清浄な気分でした>

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