top of page

関西

3_12 寝物語(ねものがたり)の里と伊吹艾(もぐさ)の宿場

<寝物語の里:美濃と近江の国境>

歌川広重の描いた「東海道五十三次」や「木曽街道(中山道)六十九次」の名所絵を訪ねるのは旅の醍醐味で、昔のままに残っている宿場に出会うと感激です。新幹線で名古屋に出て、東海道本線に乗り換え、関ケ原駅で下車、岐阜県関ケ原宿から滋賀県今須宿を経て柏原宿までの中山道の宿場歩きです。

寝物語の里/奈良時代、美濃と近江の国境に不破の関が置かれ、その麓に位置するのが関ケ原です。各大名の陣営があった跡に立つ幟(のぼり)を見ながら古戦場を一回り、美濃側の最後の宿場今須に向かいます。

広重の「木曽街道六十九次之内 今須」には、今須の宿場でなく、美濃と近江の国境「寝物語」が描かれています。当時から有名な場所だったので、今須の宿場よりも購買者受けを狙ったのでしょう。木曽街道は中山道のことです。

「寝物語」は男女が同衾して話すことではありません。寝ながら国境を挟んだ隣の宿の客と話ができることが由来です。静御前(しずかごぜん)が、隣の宿の会話から夫義経の家来が泊っていることを知り、平泉までの下向を懇願したという伝説もあり、古くから多くの人に知られる名所でした。広重の絵にも、近江側に「かめや」、美濃側の「両国屋」が並んで描かれています。江戸時代の版画は版元の意向が強く、今須でなく名の知れた寝物語を取り上げたと思われます。

昔の建物は残っていませんが、広重の絵の雰囲気を想像することができます。

伊吹堂亀屋/寝物語の里から3キロ歩くと、中山道60番目の柏原(かしわばら)宿です。百人一首に「かくとだに えやは伊吹のさしもぐさ さしも知らじな 燃ゆるおもひを」があります。「さしもぐさ」はヨモギの別称です。古典に出てくる歌枕の伊吹山は下野だという説もありますが、広重の絵には、寛文元年(1667)創業の「伊吹艾本家亀屋左京」が描かれています。

亀屋6代目が吉原で財を投じ、遊女たちに日本初のコマーシャルソングを歌わせたことで全国的に知名度が上がりました。吉原は情報発信の場所だったのです。

伊吹山麓のヨモギを原料とした灸は名物となり、軽いことから、街道を往来する旅人たちの人気土産物となりました。広重の「木曽街道六十九次 柏原宿」には、豪壮な店構えと、店の右端には日本初と言われている名物「福助人形」が描かれています。亀屋の建物は江戸時代のままですが、訪問当日は戸が閉まり、福助に会えませんでした。

朝に宇都宮を出て広重の名画3か所の宿場を歩きました。東海道と中山道が合流する草津宿に泊まりました。地理の授業で不思議と思っていた天井川を目の当たりにして納得です。人家の二階に堤防があり、下はトンネルになって人が行き来をしていました。

翌日は瀬田川を渡り、大津絵を買って、歌枕で有名な逢坂山を越え、京都山科に出ました。

伊吹山を見ながら、「木曽街道六十九次」の宿場をたどる旧街道歩きは、広重の絵の世界と一体になれる心躍る歴史旅になりました。

<伊吹堂の店舗:閉店でした>
<伊吹堂の店舗:閉店でした>

bottom of page