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北陸

4_09 観音の道と御食(みけ)つ国若狭

<神宮寺:お水送りをする閼伽(あか)井>

旅が終わると、地図帳にマーカーで印を付け、南の西表島から北の礼文島まで全都道府県に印がついています。中でも、若狭から越前、越中の日本海側にマークが多くなっています。人生の軌跡ですから、合併後に自治体名が変わっても、古い地図帳を使い続けています。

観音の道/白洲正子の『十一面観音巡礼』を読み、若狭を訪ねて以来、若狭や近江に何度も出かけていますが、行く度に発見があります。若狭には、十一面観音の羽賀寺、国宝の三重塔がある明通寺、若狭一宮の若狭彦神社など古社寺が点在し、大陸や朝鮮半島と大和との結節点であったことが分かります。

遠敷(おにゅう)の神宮寺の閼伽(あか)井戸では、奈良東大寺二月堂の「お水取り」の10日前に「お水送り」の行事をします。地下を通って10日後、二月堂の若狭井に届くそうで、井戸の名も若狭に由来します。神宮寺は、明治維新の神仏分離により、本堂と山門が残るだけです。

東大寺二月堂のご本尊は十一面観音です。観音の道は、若狭から山を越えた琵琶湖の北にある渡岸(どうがん)寺、さらに湖東三山の百済寺(ひゃくさいじ)など古刹を点で繋いでいます。  各所の観音様にお参りして、不信心の私も自然に手を合わせるようになりました。

敦賀まで北陸新幹線の延伸により、「海の奈良」と言われる若狭が近くなりました。電動アシスト自転車の軽快なこと、レンタサイクルで旧坂の多い寺社巡りを苦もなくできました。

御食の国若狭/御食(みけ)とは、神や天皇の召し上がる食べ物です。若狭は伊勢などとともに海産物を朝廷に貢進する御食つ国でした。平安京に遷都後、日本海側と京を繋ぐメインルートの起点となり、小浜は日本海屈指の港町になりました。北前船の寄港地としても賑わい、当時の花街は重要伝統的建物群保存地区に指定されています。

御食を運び、都の台所を支えた鯖街道の各所には古跡が多く、鯖街道の難所花折峠に立つと、歌人前登志夫の「花折の 峠を行けば 生きかはり 死にかはり来(こ)し 我かと思ふ」のとおり、自分も歴史の中の一人であることを実感させられます。

また、夭折の日本画家三橋節子(画家三岸節子は別人)の『花折峠』は、峠に残る伝説をモチーフにした、少女が花に囲まれながら川に流されていく絵で、作者自身の生涯が表現されています。なお、三橋節子美術館は大津駅から徒歩で行けますから、ぜひ訪ねてください。

小浜には重伝建の古い町並みや国宝を含む文化財が残っています。さらに小浜から京都に繋がる鯖街道には、御食つ国若狭と奈良、その後の京都の結びつきの歴史が幾層にも重なり、ガイドブックにはない新たな発見があり、自分だけではもったいないので人を誘っています。

<若狭街道(鯖街道)の難所花折峠:前登志夫歌碑がある>
<若狭街道(鯖街道)の難所花折峠:前登志夫歌碑がある>

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