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北陸

4_07 北前船の港

<美川:江戸時代からフグの卵巣を売る老舗「あら与」>

江戸時代中期以降、蝦夷や奥羽から北陸を経由して瀬戸内海に入り、直接商都大坂に乗り入れた船を北前船と言いました。藩米を回漕する運賃積みでなく、各地で特産品を仕入れ、寄港地で売りさばきながら海を移動する総合商社というべき大型帆船のことです。北海道から北陸、山陰、さらに瀬戸内の北前船寄港地を訪ね、経済や文化を学びました。

加賀橋立/日本海側の拠点には、大きな富を蓄えた船主がいました。福井県の西端加賀市の橋立は、かつて日本一豊かな村と言われ、今も北前船の船主の屋敷が軒を連ねています。

もともとは近江の商人が、蝦夷地(北海道)方面に商圏を伸ばし、北陸の船頭を雇って敦賀を経由し琵琶湖北岸に陸送し、湖上輸送で京坂に回漕し、権利を独占していました。

船頭は積み荷の1割は自分の荷を積むことを許され、その他に「帆待ち稼ぎ」しましたから、蝦夷地往復1航海で100両も稼ぐものがあり、自前の船を持ち、独立して船主になるとともに、下関を経由する北前船を就航させました。

鰊の漁期に合わせて、春の彼岸のころに、雑貨や木綿の古着、酒などを積んで大坂を出発、瀬戸内で塩や砂糖、山陰では鉄製品を仕入れ、港ごとに売買しながら北上します。片道の運賃積みでなく、上り荷は鰊や数の子、〆粕、昆布などを積み、各地で売買して巨利を得ました。大名貸になる船主もいて、藩の財政を握るほどの富豪となりました。

金沢から日本海側を南下し、手取川河口に美川という場所に行き当たりました。石川県の県庁が最初に置かれた場所で、石川の地名の由来が美川であること、さらに、江戸時代から、全国で唯一フグの卵巣の漬物を作っている「あら与」という店に出会いました。秘伝の製法で今も続いています。地図で見落としてしまいそうな場所ですが、歴史旅の醍醐味を味わいました。

越前河野/スイセンで有名な越前岬を南下した福井県南越前町河野には、狭い海岸線に沿って船主の大邸宅があります。明治になって、鉄道の開通により没落した船主がいる一方、小樽運河に面する倉庫の経営に乗り出した船主もいます。河野の右近家は、明治になって海上保険業に転じ、今日も大企業として存続しています。「板子一枚下は地獄」という危険な稼業を逆手にとったものです。その他にも、銀行や地方鉄道、発電所に出資するなど、北陸の発展に貢献した船主が多くいます。

右近家は資料館として公開されています。昭和に建てられた海を見渡せる山上の洋館は、地中海の富豪の別荘地を連想させます。海運がいかに大きな富を生み、経済ばかりでなく文化にも大きな影響をもたらしたか、北陸の小さな集落から感じ取れます。

平成29年に「荒波を越えた男たちが紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落」として、北海道から福井の7市4町が日本遺産に指定されました。お薦めの旅のコースです。

<河野:右近家邸宅と山上の別荘>
<河野:右近家邸宅と山上の別荘>

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