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北陸

4_06 若狭から熊川宿を経て近江の港町今津へ

<若狭から熊川宿を経て近江の港町今津へ>

若狭や琵琶湖周辺は、旅の目的地として最も好きな場所です。関東地方にない歴史の厚みを感じるからです。今回、若狭の小浜から、熊川宿を経て琵琶湖の西岸今津に抜ける九里半街道は、歴史が凝縮された古街道ですが、交通の便の悪さが難点でした。

熊川宿/小浜は、古くから若狭の政治経済の中心として、京都と日本海側を結ぶ要港として栄え、日本海側きっての港湾都市となりました。江戸時代には、北陸や東北特産品、さらに蝦夷地のニシンや昆布などの海産物が陸揚げされ、京都や大坂に運ばれました。

小浜から今津までは、距離が38㌔ほどから「九里半街道」と呼ばれる道が通じています。若狭側の最後の宿場が熊川です。熊川は、若狭から琵琶湖の湖上交通に繋がる中継地で、小浜藩の代官所が設置され、通行人改めや産物への徴税に当たりました。

熊川宿には今も富商をはじめとする建物が軒を連ねていますが、全国の多くの重要伝統的建造物群保存地区と同様、空き家が目立ち、文化財としての維持管理の難しさが見て取れました。

同じ時期に回った丹後半島の伊根の舟屋は、天橋立のツアーとセットにしやすいことから、外国人によるオーバーツーリズム状態で、交通渋滞、食事を摂ることさえ困難でした。熊川のように、有名観光地と組み合わせが難しい山間の重伝建エリアの多くは、維持困難な空き家が多くなっています。北陸新幹線延伸を起爆剤に、地域の活性化に繋がって欲しいと願っています。

湖北今津湊/琵琶湖周航の歌に「今日は今津か 長浜か」とあり、「琵琶湖周航の歌資料館」もあって、今津は琵琶湖西北岸の中心地でした。今は合併により高島市の一部となっています。

江戸時代をとおして加賀藩の飛び地で、代官所が置かれかれたことから、若狭に陸揚げされた海産物は、加賀藩と有力な近江商人たちが結びつき、独占的に商品を扱い、今津湊から湖上輸送で大津に運び、京都に陸送されました。今津は竹生島への参詣客の発着場としても賑わいました。

しかし、江戸時代中期以降、北前船が大型化し、丈夫な綿布の大きな帆を立て、西回りとなり、瀬戸内から大坂に直接向かうようになり、陸路から琵琶湖に回送される優位性が激減、湖上交通は衰退してしまいました・。

今頭の町を琵琶湖の高波から集落う守る波除け石垣が1㌔にわたってつづき、今津の集落を守っています。往時の輸送地としての経済力を物語っています。

現在、市街地の中心を高架で湖西線が開通、駅前が開発され、湖上輸送で栄えた古い街並みが消えつつあります。今はベットタウン化が進み、古い港町の雰囲気が失われつつあります。

<今津と竹生島を結ぶ航路:左前方に竹生島>
<今津と竹生島を結ぶ航路:左前方に竹生島>

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