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北陸

4_05 『越後つついし親不知』の舞台

<筒石海岸:廃屋となった船小屋群>

水上勉の小説は、作者自らの出自や出身地北陸の風土からか、不幸な結末の作品がほとんどです。佐久間良子主演の映画『越後つついし親不知』を見てから、心の滓(おり)をしばらく抱えていた記憶があります。映画の思い出をたどる旅です。

筒石/第三セクターえちごトキめき鉄道の筒石駅出口は、ホームから10分もかかるトンネルの中にあります。フォッサマグナの最先端が海に落ち込んでいるため、急崖を回避して線路をトンネルに付け替えたためです。海と崖の狭い場所に3階建ての板壁の住宅が、潮風を防ぐため、細い道を挟んで向き合って建ち、中には隣家と壁を共有している家もあります。     江戸時代から、田畑がないため、漁業に頼る集落でしたが、今は多くの人が他地区に通勤、高齢化が進んでいます。漁村の名残として、どの家にも道に面して洗い場があります。ただ、今は使われず植木鉢置場になっている所もありました。

筒石の名所となっている舟小屋は、防波堤に囲まれた新港ができて、砂浜から船を引き上げて保管する必要がなく、廃屋になっています。船小屋の背後に迫る急斜面は、ブロック型の擁壁が斜面の形状に合わせて頂上まで続いています。

フィクションでありながら、主人公の妻の実家はどこかなと想像しながら歩きました。

親不知子不知/不忍池などとともに漢文訓読地名です。新潟県の西端の海岸は、北アルプスが海に落ち込む400㍍以上もある急崖が15キロも続いています。

合唱曲「親知らず子知らず」は難しい歌詞ですが、源平の合戦で敗れた清盛の異母弟大納言頼盛が越後に逃れ、その後を追った妻が懐に入れていた2歳の子を落として波にさらわれ、「親不知 子はこの浦の 波枕 越路の磯の 泡と消え行く」と詠んだことを背景としています。奈良時代からの北陸道はその後になっても最難関区域で、明治半ばまで、波打ち際を通行し、波が引いた時に走り抜けた場所です。今は海流の変化で砂浜が流失、通行不能です。

松尾芭蕉の『おくのほそ道』にも「親しらず子しらず犬戻り駒返しなど云(う)北国一の難所を越え」とあります。加賀藩の参勤交代には、数百人が並んで波除となったということです。

旧国道の一部に公園があり、「親不知子知らず」のブロンズ像と、日本アルプスの名付け親ウェストンの像がありまます。親不知駅から公園まで国道8号を歩くと、歩道がない暗いトンネルが多く、トラックが通るたび風にあおられ、今も「親不知」を実感します。

かつての海岸まで国道から下り5分、登り10分ほどの急崖を上下します。途中旧北陸本線のトンネルが残っています。波打ち際に立って、児を亡くした母の気持ちを思いやってください。

<親不知海岸:今は砂浜が消滅>
<親不知海岸:今は砂浜が消滅>

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