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北陸

4_04 越後の要港 直江津と新潟

<安寿と厨子王の供養碑と文学碑>

長い海岸線を持つ越後は、古来より海上の交通が発達し、瀬戸内海を通して京阪に繋がり、反対に北上して蝦夷地とも交流しました。海路で発展した越後の二つの港町です。

山椒大夫の港/奈良時代に国府が置かれた直江津は、越後の政治経済の中心でした。森鷗外の『山椒大夫』は、直江津で人買いに騙された安寿と厨子王親子が丹後の山椒大夫のもと連れ去らわれることから始まります。また、鎌倉時代、念仏禁止の宗教弾圧で親鸞聖人が配流され、直江津で7年間過ごしました。今も「親鸞七不思議」の伝承が残っています。

直江の津として、古来「三津七湊(さんしんしちそう)」の一つに数えられ、江戸時代には北前船の寄港地となり、内陸部の頸城(くびき)地方、さらに信州の玄関口として、廻船問屋や船宿が軒を連ねていました。今も雪囲いの雁木(がんぎ)を張り出した船宿「附船屋」が営業しています。

陸路も、北陸道と佐渡の金を運ぶ北国街道の結節点として栄えました。芭蕉は『おくのほそ道』の途次二泊、「文月や六日も常の夜に似ず」を作句、市内に句碑が建っています。

時代が下がって、大正時代に『放浪記』の作者が訪れた縁で、女優森光子の文字による「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」の記念碑が駅前にあります。 

 1971年に城下町高田と合併し「上越市」になり、さらに。新幹線の妙高高原で富山方面にショートカットしていくため、「えちごトキめき鉄道」で城下町高田から直江津の港町に回ることになりました。城下町高田と、さらに上杉謙信の拠点春日山の史蹟に出会うことができます。

文化の華開く港/新潟は、日本海側最大の都市です。日本一長い信濃川と日本で二番目の水量を誇る阿賀野川が河口で合流していました(今は分流)。新潟平野と会津の産物が集まり、京阪や蝦夷地に送られなど、物も文化も新潟で行き交いました。

信濃川最上流部にある中山道(なかせんどう)軽井沢宿の馬子歌「追分節」が新潟に伝わり、海路を北上し北海道の「江差追分」となりました。また、九州のハイヤ節が佐渡おけさになったのは、新潟の花柳街を経由したからです。民謡からも海陸両方の接点であったことが分かります。

信濃川河口左岸の旧新潟町に残る豪農の邸宅や、北前船で繁盛した豪商の店舗、花柳界の古町の町並みなど、宇都宮とは比べものにならない歴史を感じます。政令指定都市で、人口は76万人を超えています。

今は新幹線や高速道路で東京と繋がりを強めていますが、行政は北信越、電力会社は東北というくくりの新潟は、海と川が育んだ独特の日本海の文化を今に残しています。

新幹線に乗れば日帰りもできますが、海鮮料理と銘酒での夜の街も楽しみです。

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